経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始

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「また来たんですか」って言わせたい

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午後三時を過ぎた頃、経理部のカウンター付近にそよ風のようなざわめきが生まれた。  
エアコンの音や電卓のリズムが支配する静かな空間に、ひときわ目立つ足音と明るい声が混ざる。

「こんにちはー。またお世話になりまーす」

谷町光。新卒入社、営業部配属、経理部界隈では既に“要注意人物”としてその名を知られていた。  
ただしその理由は、経費精算の不備が多いとか、提出が遅いとか、そういった業務的なものだけではない。  
何よりも目立っているのは、その頻度だった。

彼は、ほぼ毎日のように経理カウンターに現れる。

今日もまた、白いシャツの袖を肘まで無造作にまくり、腕に上着を引っかけたラフな格好で、笑顔を携えてやってきた。  
ネクタイはやや緩めで、足取りも軽い。  
営業部の他の新人が資料作成や電話対応に追われているこの時間帯に、なぜか彼だけが余裕の表情で書類を手に立っている。

「また来てるじゃない、例の新人くん」

今里澪が、自席からカウンターの様子を盗み見ながらつぶやいた。  
その声はさほど大きくなかったが、凛の耳にはしっかりと届いている。

「…提出物の確認があるだけです」

凛は書類の入力を続けながら、淡々と答える。  
しかし、彼の指先がキーボードを打つ速度が、ほんの一拍だけ遅れていたことに、今里は気づいていた。

そのわずかな遅れは、無表情を保ったままでも、意識が外に向いた証拠だった。  
今里は肘をついて、いたずらっぽく笑う。

「“あるだけ”にしては、来るタイミング完璧ですよね、阿波座チーフがカウンターにいる時とか」

別の席にいた弁天町桃べんてんちょうももが、ボールペンをくるくると回しながら加勢するように言った。

「しかも毎回、“こんにちはー”の声が一段明るい気がしますよ」

「他の経理部員じゃなくて、阿波座チーフ宛てですよね、あれは」

凛はモニターに視線を固定したまま、眼鏡のブリッジを中指でそっと押し上げた。  
その表情に変化はない。  
ただ、目の奥に一瞬だけ、どこか遠くを見つめるような色が差した。

「根拠のない推測は非生産的です」

「言い返しが固いなあ、凛は。図星ってこと?」

今里の問いに返答はなく、カウンターに立つ光の方へ目を向けた凛は、ようやく話しかける。

「谷町さん。確認したい点がいくつかあります」

「はい、なんでも聞いてください」

くしゃっと笑ってそう言うと、光は手にした書類をすっと差し出す。  
それを受け取る凛の指先と、光の指がほんの一瞬だけ触れた。

…凛の指は、触れたことを意識していないふりをした。  
だがその直後、左手で眼鏡の位置を直す動作が挟まったのは、無意識の防衛だったかもしれない。

「交通費の区分がまた混同されています。領収書も金額と一致していません」

「それ、たぶん…帰りのバスに乗った分が自腹だった気がします。でもその場で決済したの、わからなくて」

「“たぶん”で提出しないでください。記録を正確に記載するのが原則です」

「はいはい、次からはちゃんと書きます。…でも、凛さんにこうして確認してもらえるなら、失敗も悪くないっすね」

「業務効率の観点から言えば、非常に悪いです」

口調は冷たいが、突き放しているわけではなかった。  
むしろ、まっすぐ光の目を見て話す姿勢は、“関わる意志”の表れでもある。

それを光は、しっかりと受け取っていた。

「じゃあ今日も、しっかり怒られたってことで、学びました」

「怒っているわけではありません。指導です」

「でも凛さんが俺に向かって何か言ってくれるの、嫌じゃないんですよね」

光の言葉に、凛は返さなかった。  
返せなかった、という方が正しいかもしれない。

カウンターの奥からは、今里と弁天町がこそこそと顔を見合わせて笑っている。  
その気配に気づいた凛は、視線を少しだけ彼女たちに向けた。

「今里さん、弁天町さん。業務中の私語は控えてください」

「はーい」

二人は素直に返事をしつつも、その目はきらきらと輝いていた。  
凛がわずかに口調を強めたのは、“照れ隠し”だということを、彼女たちはすでに見抜いていた。

書類を受け取って戻る光の背を見送りながら、今里がぽつりと言う。

「ねえ、あの子ほんとに来てるよ。毎日、同じ時間帯に」

「経理部に用があるからでしょう」

「ほんとに“用”だけ?」

凛は答えなかった。  
ただ、目の前に置かれた書類の端を、指先で丁寧に揃えるだけだった。

整えられた紙の束と、内側でかすかに揺れる感情。  
それらを同じ机の上に置いて、今日もまた、業務時間は続いていく。
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