転生したら異世界最強ホストになってました〜お客様の“心”に寄り添う接客、始めます

鬼上司と無理ゲーノルマ

　午前九時。始業と同時に、佐藤健二のデスクの電話がけたたましく鳴った。画面には「部長室」の文字が表示されている。瞬間、胃の奥がきしむように痛んだ。  

「佐藤、ちょっと来い」  

　電話越しに聞こえる声は、低く、冷たい。拒否権などないことを知りながらも、一瞬だけ迷う。すぐに行けば、それだけ長時間、詰められる。だが、遅れれば遅れたで、さらに状況は悪くなる。  

　佐藤は深いため息をつきながら席を立った。社内は始業直後のざわめきに包まれているが、誰も彼に視線を向けることはない。まるで空気のような存在。  

　部長室の扉をノックし、返事を待たずに開ける。デスクの向こう側に座るのは、営業部長の藤田だった。年齢は五十代前半。短く刈り込んだ髪に、脂ぎった肌。口を開くたびに、嫌な圧力を感じる男だ。  

　藤田は椅子にもたれかかり、佐藤を見下ろしながらニヤリと笑った。  

「お前さぁ、今月の売上達成率、五十パーセント？ ふざけてんの？」  

　机に置かれた資料の数字を指で叩きながら、藤田の表情が一変する。  

「なんでこれで平気な顔していられるんだ？ 会社に貢献する気、あるのか？」  

　佐藤は一瞬、口を開きかけたが、結局何も言えずに視線を落とした。売上達成率が五十パーセントなのは事実だ。しかし、それは佐藤だけの問題ではない。新規開拓が難航し、既存顧客の契約更新率も落ちている。営業チーム全体の数字が低迷しているのだ。  

　だが、それを口に出したところで無意味だった。この会社では、数字を上げられない者に発言権はない。  

「お前、何年この会社にいる？」  

「十年目です」  

「十年目？ 十年もいれば、もっと稼げるようになってるはずだよな？」  

　藤田は書類を乱暴に机に投げ、腕を組んだ。  

「普通、十年もいたら管理職になるよなぁ？ それとも、俺が知らないだけで、お前には何か特別な才能でもあるのか？」  

　佐藤は黙ったままだった。藤田の言葉は、何もかも図星だった。  

　同期のほとんどは、すでにこの会社を辞めている。ある者はより条件のいい会社に転職し、ある者は家庭を持ち、安定した生活を手に入れた。そして、残った少数の人間は管理職に昇進し、部下を持つ立場になっている。  

　それに比べて、自分はどうだ。  

　営業成績は平凡。評価も低く、昇進の話など一度も出たことがない。転職を考えたこともあったが、何のスキルも持たない自分を雇う会社などあるはずがないと思い込み、ずるずると今の職場にしがみついている。  

　十年間、何も変わらなかった。  

　いや…変えられなかった。  

「佐藤、お前さぁ」  

　藤田の声が、さらに低くなる。  

「十年もいて、部下も持たず、管理職にもなれず、営業成績も伸びないって…何のために会社にいるんだ？」  

　何も言い返せなかった。  

「俺が今ここで、お前をクビにするって言ったら、お前、どうする？」  

　藤田はあざけるように笑いながら、佐藤の顔をじっと見つめる。  

　佐藤は視線をそらしながら、かすれた声で答えた。  

「…会社に貢献できるよう、努力します」  

　藤田は満足げにうなずくと、机の上に置かれた書類を指差した。  

「今日中に契約三件取れ」  

　佐藤の指先がぴくりと動いた。  

　三件。  

　この状況で、今日中に三件の契約を取ることなど、ほぼ不可能だった。  

「もし達成できなかったら、休日返上な？」  

　佐藤はこわばった表情のまま、無言でうなずいた。  

「よし、行ってこい」  

　藤田が手をひらひらと振る。佐藤は小さく息を吐き、部長室を後にした。  

　デスクに戻り、机の上のスマートフォンを手に取る。営業リストを確認するが、見込み客の数は限られている。  

（どうしろってんだよ…）  

　心の中で毒づきながら、佐藤は営業用の資料を手に取った。今さら何を言ったところで、契約が取れるわけでもない。それでも、やるしかない。  

　行かなければ、もっとひどい状況になる。  

　佐藤は立ち上がり、営業カバンを手に取った。  

　外回りに出るため、オフィスを出た瞬間、澄み切った青空が視界に広がった。  

　太陽の光が眩しい。  

　それなのに、佐藤の心は、どこまでも暗かった。