君が知らない僕を、君が愛した——会社では“同期”、夜の街では“知らない誰か”

中岡 始

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言葉の代わりに

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公園の一角にあるベンチに、ふたりは並んで腰を下ろした。街灯の明かりは遠く、足元を照らす程度の弱い光のなかで、互いの輪郭だけが淡く浮かび上がっていた。冬の夜気は張り詰めていて、息を吐くたび、白く揺れるその色が重なるように空へと溶けていく。

言葉はなかった。けれど、それを必要としない静けさがあった。

涼希は前を向いたまま、ゆっくりと深呼吸をした。指先がわずかに震えていたが、それを気取られないように両手を膝の上に重ねる。その仕草さえも、無意識に誰かに見せる“りょう”としての動きではなく、ようやく“涼希”としてそこにいる自分自身のものだった。

ふと、空を仰いだ。木々の隙間から覗く夜空には、星がいくつか瞬いている。けれど、それは決して鮮明な輝きではなく、どこか薄靄の向こうにあるような、頼りない光だった。それでも涼希は、そのかすかな星を見つめながら、小さく唇を開いた。

「……静かですね」

それだけだった。けれど、そのひと言には、いまのすべてが詰まっているように思えた。

駒川は、涼希の横顔をそっと見つめた。どこか遠くを見ているような瞳、唇の端にわずかに浮かぶ安堵の影、そして何より、その横顔から漂う柔らかな気配が、彼の胸の奥にじんわりと染みていく。

重ねたままの手。駒川はその上にそっと、自分の手を置いた。涼希は驚いた様子を見せなかった。ただ、指先がほんのわずかに応えるように動いた。

その瞬間、何かが確かにひとつ、結ばれた。

涼希は、ゆっくりと視線を戻し、隣にいる駒川の顔を見つめた。まっすぐに目を合わせるのは、あの夜以来だった。仮面も嘘も必要ないこの瞬間、初めて、“見られる”ことに恐れを抱いていない自分に気づいた。

「ありがとう」と言いかけて、言葉を飲み込む。

その代わりに、涼希は重ねられた手を、指の先で軽く握り返した。言葉にしてしまえば壊れてしまいそうな温度が、そこにあった。

駒川は微笑まなかった。ただ、目元に少しだけ柔らかな影を落としながら、握られた手にわずかに力を込めた。それだけで、今は十分だった。

沈黙が続く。だが、その沈黙は何かを避けているものではなく、むしろふたりの心を繋ぐために用意された、優しい余白のようだった。

涼希は、ふと目を閉じた。そして、もう一度だけ空を見上げた。

いま、自分は確かにここにいる。仮面も偽りも脱ぎ捨てた、自分自身として。

その横に、同じ時間を感じている誰かがいるということ。それが、こんなにも温かいものだということを、今夜、初めて知った。

言葉にできない感情が胸に満ちていた。けれど、そのすべては、いま握りしめた手の温もりが、黙ってすべてを受け止めてくれていた。

やがて、遠くで電車の音が聞こえた。街が少しずつ眠りに向かう気配のなか、ふたりだけの時間は、まるでゆっくりと引き延ばされているように感じられた。

涼希は小さく息を吐き、ふと呟いた。

「これが…ほんとの自分で、よかった」

それに対して、駒川は何も答えなかった。ただ、手のひらの熱だけが、静かにすべてを伝えていた。
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