居酒屋ねこ又亭 〜またたび酒場の夜話〜

中岡 始

文字の大きさ
5 / 15

🐾 第5話:迷い猫、帰る場所

しおりを挟む
1
 夜の路地裏に、小さな足音が響く。

 ひとりぼっちのサビ猫が、頼りなく歩いていた。

 コマ。

 まだ生後半年ほどの子猫で、ひとりで行動するには少し心細い年頃だった。

(……ここ、どこ?)

 昼間、家の庭で遊んでいるうちに、どんどん遠くまで来てしまい、気がつけば見知らぬ場所にいた。
 周りには見たことのない建物ばかり。
 さっきから同じ場所をぐるぐる回っている気がする。

(どうしよう……)

 しっぽを丸め、不安そうにあたりを見回す。

 そのとき、ふわりと美味しそうな魚の匂いが鼻をくすぐった。

(なんだろう……いい匂い……)

 クンクンと鼻を動かし、匂いのする方へ進むと、目の前に**「ねこ又亭」**と書かれた看板が見えた。

 入り口の暖簾が、風に揺れている。
 中からは、楽しそうな猫たちの声と、焼き魚の香ばしい匂いが漂ってきた。

(……ここなら、あったかそう)

 おそるおそる足を踏み入れようとした、その瞬間――。

「おい、新入りか?」

 低く渋い声が響いた。

 びくっとして顔を上げると、入り口の横で黒猫が座っていた。

 店主の又五郎だった。

2
「ここに入るなら、まずは爪を研げ」

「……え?」

「ねこ又亭のルールだ」

 又五郎は前足で、入り口の柱をトントンと叩いた。

 よく見ると、柱には無数の爪あとが刻まれている。

 コマは少し戸惑いながらも、前足をかけて、ガリガリと爪を研いだ。

(……なんか、ちょっと落ち着く)

「よし、これでお前も、ねこ又亭の客だ」

 又五郎がそう言うと、店の奥から三毛猫のミケが駆け寄ってきた。

「わぁ、小さいお客さん! 迷子?」

「……うん」

 コマが小さく頷くと、ミケは「そっかぁ」と優しくしっぽを揺らした。

「じゃあ、あったかいもの食べなきゃね! ねえ親父、何か作ってあげて!」

「へいへい」

 又五郎は、面倒くさそうにしながらも、鍋を火にかけた。

3
 しばらくして、コマの前に**「にゃんこ雑炊」**が運ばれてきた。

「ほれ、食え」

 湯気の立つ雑炊の香りに、コマのお腹がぐぅと鳴る。

 恥ずかしそうにしながらも、そっと一口食べる。

(……あったかい)

 お米と魚のだしがじんわりと体に染みわたり、思わずしっぽの先がぴくっと動いた。

「美味しい?」

 ミケがにこにこしながら聞くと、コマはこくんと頷く。

「よかった! いっぱい食べてね」

 それを見ていたクロが、ぽつりと呟く。

「……で、この子はどうするんだ?」

 コマの耳がぴくりと動いた。

「このまま帰れるのか?」

「……帰れるもん」

 コマは反射的に言った。

「ひとりでだって、帰れるもん……!」

 しかし、その言葉とは裏腹に、しっぽが不安そうに揺れている。

 クロはそれを見て、小さくため息をついた。

「強がるなよ」

「強がってなんかない!」

 コマはムッとして、しっぽを膨らませる。

「だって、ひとりで来たんだもん! ひとりで帰れるもん!」

 そう言いながら、後ろ足の毛づくろいを始める。

 しかし、その動きはぎこちなく、どこか落ち着きがなかった。

 それを見たミケが、そっとコマの背中をなでた。

「迷子になったこと、怖くなかった?」

 コマは、ピタリと動きを止める。

 しばらく黙っていたが、やがて小さく言った。

「……ちょっとだけ」

4
「ひとりで帰るのもいいが……」

 又五郎が、ゆっくりと口を開いた。

「頼れる場所があるなら、頼ったっていいんじゃねぇか?」

 コマは、はっとして又五郎を見上げる。

 又五郎は、カウンターの奥でグラスを拭きながら、静かに続けた。

「猫ってのは、気ままな生き物だけどな……帰る場所があるってのは、案外悪くねぇもんだ」

 コマは、そっと前足を見つめた。

(……帰ったら、みんな怒るかな。心配してるかな)

 コマは、ぎゅっと前足を握りしめた。

「……帰る」

 ポツリと呟くと、クロが小さく頷いた。

「送っていこうか?」

「……いい。ひとりで帰る」

 今度は、先ほどとは違う、ちゃんとした自信を持った声だった。

 ミケがにこっと笑い、「じゃあ、気をつけて帰るんだよ!」と送り出す。

 コマは店を出る前に、ふと入り口の柱に目を向けた。

(……もう一回、やっておこうかな)

 そう思いながら、ガリガリと爪を研ぐ。

 自分のにおいが、ここに残るように。

 帰り道を見つけるために。

「また、来てもいい?」

 コマがそっと聞くと、又五郎は「勝手にしろ」とぶっきらぼうに言った。

 でも、しっぽがわずかに揺れていた。

 コマは、小さく微笑んだ。

🐾 おまけレシピ:カツオだしの効いたにゃんこ雑炊

材料(2人分)
ごはん…150g
カツオだし…400ml
焼き魚(ほぐし身)…50g
卵…1個
ねこ草(ネギ代用可)…少々

作り方
① 鍋にカツオだしを入れて火にかける。
② ごはんと焼き魚のほぐし身を加え、弱火でコトコト煮る。
③ 溶き卵を回し入れ、ふんわりと仕上げる。
④ 仕上げにねこ草を散らして完成。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

「お前の代わりはいる」と追放された俺の【万物鑑定】は、実は世界の真実を見抜く【真理の瞳】でした。最高の仲間と辺境で理想郷を創ります

黒崎隼人
ファンタジー
「お前の代わりはいくらでもいる。もう用済みだ」――勇者パーティーで【万物鑑定】のスキルを持つリアムは、戦闘に役立たないという理由で装備も金もすべて奪われ追放された。 しかし仲間たちは知らなかった。彼のスキルが、物の価値から人の秘めたる才能、土地の未来までも見通す超絶チート能力【真理の瞳】であったことを。 絶望の淵で己の力の真価に気づいたリアムは、辺境の寂れた街で再起を決意する。気弱なヒーラー、臆病な獣人の射手……世間から「無能」の烙印を押された者たちに眠る才能の原石を次々と見出し、最高の仲間たちと共にギルド「方舟(アーク)」を設立。彼らが輝ける理想郷をその手で創り上げていく。 一方、有能な鑑定士を失った元パーティーは急速に凋落の一途を辿り……。 これは不遇職と蔑まれた一人の男が最高の仲間と出会い、世界で一番幸福な場所を創り上げる、爽快な逆転成り上がりファンタジー!

処理中です...