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アパート、突然のエンドロール
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張り紙は、風にゆらゆらと揺れていた。
「立ち退きのお知らせ:本建物は老朽化のため、来月末をもって取り壊し予定です。入居者の皆様には速やかな退去をお願い申し上げます」
文字の並びが現実味を持たない。冗談みたいな書き方じゃなく、公式な文面で書かれているせいで、逆に実感が湧かないのだ。
真田陸は、古びた木造アパートの前でその紙を見上げながら、ぼんやりと立ち尽くしていた。
「……マジかよ」
つぶやいて、ため息とともにポケットに手を突っ込む。日差しは春先の柔らかいもので、寒くはない。ただ、心の中はじわじわと冷えていく感覚があった。
留年して、バイトに明け暮れて、授業に追われて、気づけば人付き合いもろくにない。そんな自分が、どうにか生活を続けていられるのは、この月三万のボロアパートのおかげだったのに。
ふらふらと部屋に戻ると、さらに驚く光景が目に飛び込んできた。
壁の一部が、なくなっていた。
薄いベニヤ板の向こうから、隣家の猫がこちらを見ている。スッ、と視線が合ったあと、猫は毛づくろいを再開した。
陸は顔をしかめて、頭を抱える。
「おい…せめて、俺が引っ越してから壊せや…」
風が吹いてきて、天井の薄い蛍光灯がカタカタと音を立てた。仮住まいの終焉が、今ここにある。陸は自分の荷物を見回して、あまりの少なさにまた苦笑する。
そこへ、タイミングを測ったかのように、ドアが勢いよく開いた。
「おーい、陸ちゃん!」
小柄な女性…いや、年齢的にはもう完全に“おばあちゃん”に分類される大家の藤本さんが、にこにこと立っていた。白髪を赤いヘアバンドでまとめ、元気よく両手を振っている。
「何してんのよ、そんなとこで!アパート壊すってのに、のんびりしすぎ!」
「いや、あの…壊すなら、もうちょっと余裕持たせてくれても…」
「あら、なによ!男の子が細かいこと言うもんじゃないの!で、次の家、決まってるんでしょ?」
陸は首を振った。
「まだ。探す時間もないし、金もそんなに…」
「なーんだ、そう言うと思った!だからね、アタシが用意しておいたの!」
なにを? と問い返す暇もなく、大家は鞄から一枚の紙を取り出し、差し出してきた。
「ここ。親戚の子が部屋余らせてるのよ。大学も同じでしょ?一緒に住めばちょうどいいじゃない!」
陸は受け取った紙を見て、目を細めた。
都内の、そこそこアクセスの良い場所。住所に見覚えがある。だが、気にかかったのは名前だった。
「…桐谷、蓮?」
「そう!知ってるでしょ?最近モデルやってるとかで、なんかSNSでもバズってるんですって。あの子、顔がいいから~」
「……うそだろ。あの“顔面偏差値詐欺”が、ルームシェア?」
ネットで何度か名前を見かけたことがある。学内の一部では、"現実に存在していい顔面じゃない男"として話題になっていた。
陸は紙をじっと見つめたまま、首を傾げた。
「なんでそんなやつと…俺が…?」
「細かいことは気にしない!若いうちは勢いよ!さ、行った行った!」
腕を引かれ、そのまま勢いに流されるようにして、陸は新たな住まいに向かうことになった。
到着した先は、意外にも静かな住宅街の一角だった。マンションというよりは、デザイナーズ系の小規模アパート。その最上階、角部屋。玄関前に立つと、ほんのり柑橘系の香りが漂ってくる。
チャイムを鳴らすか迷ったが、ドアがわずかに開いていた。
「…あの、失礼しまーす。桐谷さん、ですよね?」
返事はない。戸をそっと押し開けると、リビングが一望できた。
そして、そこには——
タンクトップ姿、黒のジャージパンツ、髪は濡れていて、水滴が首筋をつたっている青年が、ソファにだらしなく横になっていた。
その手には漫画本、視線はページに向けられている。脚は肘掛けに引っかかり、まるで猫のように無造作に伸びていた。
だが——
その顔が、あまりにも整いすぎていて、陸の呼吸が一瞬止まった。
目元は切れ長で涼しく、頬骨の位置が高く、鼻筋は通り、唇はほどよく薄い。それが無防備な寝ぐせのまま、柔らかく笑うと。
「やぁ、真田くん?聞いてたよ~。よろしくね、一緒に住む人」
声は、想像よりも少し低く、のんびりした響きがあった。
「……え?」
陸は思わず言葉を失う。
「え、ちょっと待って、ほんとに…? こいつが……ルームメイト?」
息を飲むほどの顔面。にもかかわらず、生活感はゼロ。濡れた髪で漫画読んでる美形なんて、現実に存在していいのか?
陸は思考を失いながら、なぜか玄関の外へ一歩下がった。
逃げたわけじゃない。ただ、整理が追いつかなかっただけだ。
くしゃっとした笑顔を浮かべた蓮は、手をひらひらと振っている。
その笑顔が、やけに親しげで、まるで初対面とは思えない温かさを含んでいた。
陸のモノローグが、静かに紡がれる。
この日から、俺の平凡な日常は、圧倒的顔面の暴力に侵されることになる…
「立ち退きのお知らせ:本建物は老朽化のため、来月末をもって取り壊し予定です。入居者の皆様には速やかな退去をお願い申し上げます」
文字の並びが現実味を持たない。冗談みたいな書き方じゃなく、公式な文面で書かれているせいで、逆に実感が湧かないのだ。
真田陸は、古びた木造アパートの前でその紙を見上げながら、ぼんやりと立ち尽くしていた。
「……マジかよ」
つぶやいて、ため息とともにポケットに手を突っ込む。日差しは春先の柔らかいもので、寒くはない。ただ、心の中はじわじわと冷えていく感覚があった。
留年して、バイトに明け暮れて、授業に追われて、気づけば人付き合いもろくにない。そんな自分が、どうにか生活を続けていられるのは、この月三万のボロアパートのおかげだったのに。
ふらふらと部屋に戻ると、さらに驚く光景が目に飛び込んできた。
壁の一部が、なくなっていた。
薄いベニヤ板の向こうから、隣家の猫がこちらを見ている。スッ、と視線が合ったあと、猫は毛づくろいを再開した。
陸は顔をしかめて、頭を抱える。
「おい…せめて、俺が引っ越してから壊せや…」
風が吹いてきて、天井の薄い蛍光灯がカタカタと音を立てた。仮住まいの終焉が、今ここにある。陸は自分の荷物を見回して、あまりの少なさにまた苦笑する。
そこへ、タイミングを測ったかのように、ドアが勢いよく開いた。
「おーい、陸ちゃん!」
小柄な女性…いや、年齢的にはもう完全に“おばあちゃん”に分類される大家の藤本さんが、にこにこと立っていた。白髪を赤いヘアバンドでまとめ、元気よく両手を振っている。
「何してんのよ、そんなとこで!アパート壊すってのに、のんびりしすぎ!」
「いや、あの…壊すなら、もうちょっと余裕持たせてくれても…」
「あら、なによ!男の子が細かいこと言うもんじゃないの!で、次の家、決まってるんでしょ?」
陸は首を振った。
「まだ。探す時間もないし、金もそんなに…」
「なーんだ、そう言うと思った!だからね、アタシが用意しておいたの!」
なにを? と問い返す暇もなく、大家は鞄から一枚の紙を取り出し、差し出してきた。
「ここ。親戚の子が部屋余らせてるのよ。大学も同じでしょ?一緒に住めばちょうどいいじゃない!」
陸は受け取った紙を見て、目を細めた。
都内の、そこそこアクセスの良い場所。住所に見覚えがある。だが、気にかかったのは名前だった。
「…桐谷、蓮?」
「そう!知ってるでしょ?最近モデルやってるとかで、なんかSNSでもバズってるんですって。あの子、顔がいいから~」
「……うそだろ。あの“顔面偏差値詐欺”が、ルームシェア?」
ネットで何度か名前を見かけたことがある。学内の一部では、"現実に存在していい顔面じゃない男"として話題になっていた。
陸は紙をじっと見つめたまま、首を傾げた。
「なんでそんなやつと…俺が…?」
「細かいことは気にしない!若いうちは勢いよ!さ、行った行った!」
腕を引かれ、そのまま勢いに流されるようにして、陸は新たな住まいに向かうことになった。
到着した先は、意外にも静かな住宅街の一角だった。マンションというよりは、デザイナーズ系の小規模アパート。その最上階、角部屋。玄関前に立つと、ほんのり柑橘系の香りが漂ってくる。
チャイムを鳴らすか迷ったが、ドアがわずかに開いていた。
「…あの、失礼しまーす。桐谷さん、ですよね?」
返事はない。戸をそっと押し開けると、リビングが一望できた。
そして、そこには——
タンクトップ姿、黒のジャージパンツ、髪は濡れていて、水滴が首筋をつたっている青年が、ソファにだらしなく横になっていた。
その手には漫画本、視線はページに向けられている。脚は肘掛けに引っかかり、まるで猫のように無造作に伸びていた。
だが——
その顔が、あまりにも整いすぎていて、陸の呼吸が一瞬止まった。
目元は切れ長で涼しく、頬骨の位置が高く、鼻筋は通り、唇はほどよく薄い。それが無防備な寝ぐせのまま、柔らかく笑うと。
「やぁ、真田くん?聞いてたよ~。よろしくね、一緒に住む人」
声は、想像よりも少し低く、のんびりした響きがあった。
「……え?」
陸は思わず言葉を失う。
「え、ちょっと待って、ほんとに…? こいつが……ルームメイト?」
息を飲むほどの顔面。にもかかわらず、生活感はゼロ。濡れた髪で漫画読んでる美形なんて、現実に存在していいのか?
陸は思考を失いながら、なぜか玄関の外へ一歩下がった。
逃げたわけじゃない。ただ、整理が追いつかなかっただけだ。
くしゃっとした笑顔を浮かべた蓮は、手をひらひらと振っている。
その笑顔が、やけに親しげで、まるで初対面とは思えない温かさを含んでいた。
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