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離れてみたら、気づいたこと
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きっかけは、ほんの些細なことだった。
冷蔵庫に入れておいたプリンがなくなっていたこと。
洗濯物の分担をどっちがやったか、やってないか。
蓮のモデル仕事が忙しくなって、すれ違いがちになった日々。
重なりに重なった小さなズレが、いつしか声のトーンに刺となって現れる。
「別にいいよ、また買えば」
「いいとか悪いとかじゃねえって言ってんだよ。なんで一言、俺に言えねえの?」
「たかがプリンで怒ってんの?」
「たかが、じゃねえよ。そういうとこだって言ってんの」
言ってから、空気が凍る。
蓮の目が、わずかに見開かれて、それからすぐに静まった。
「……ごめん。疲れてたんだ、俺」
「……俺も。悪かった」
そう言い合って、どちらも目を逸らす。
だけど、それで終わらせられなかった。
陸は、そのまま立ち上がって、寝室のクローゼットからバッグを引っ張り出した。
「ちょっと、離れて考えさせてくれ」
「……え?」
「一晩、ネカフェ行ってくる」
蓮は何も言わなかった。
止めもしなければ、引き留めもしない。
ただ、少しだけ口を開けかけて、それを結んだ。
ドアの音が静かに響いた夜。
陸のいない部屋は、想像以上に広くて静かだった。
*
ネカフェのフラットシートに寝転んでも、眠れなかった。
天井のシミをぼんやり眺めながら、スマホの画面を何度も点けては消した。
LINEの未読通知はなかった。
それでも気になって、バイトに出た。
店の制服を着て、いつもどおりのルーティンに体を預けようとしたが、手元のグラスがカタリと揺れた。
「はい、アウト。気持ちが仕事に出てんじゃないの」
しむ姐が、グラスを取り上げながら眉をひそめた。
「……すみません」
「さては、彼氏とケンカしたわね?」
「……」
図星だった。
返す言葉もなく、コースターを揃える手に集中する。
「ケンカはいいのよ。ちゃんと話し合いができるならね」
「でも、黙って距離とったままじゃ、気持ちって育たないから」
「逃げることが、幸せを遠ざけてるってこと、忘れないでね」
言葉が、胸に突き刺さる。
そのまま、グラスを拭いていた手が止まる。
逃げたのは自分だ。
蓮がなにか強く言ったわけじゃない。
ただ、思ってたのと違う反応に、戸惑って、腹が立って、傷ついたフリをして――結局、自分から離れた。
モノローグが静かに降りてきた。
離れるより、話す方が怖くなかった。
そう気づいた今が、一番悔しい。
*
その夜、部屋に戻ると、電気は点いていた。
リビングの明かりだけがぽつんと灯っていて、蓮の姿は見えない。
靴を脱ぎ、そっと廊下を歩くと、キッチンに蓮が立っていた。
湯気の立つ鍋と、並べられた皿。
味噌汁の匂いがほんのり漂っていた。
陸の足音に気づいたのか、蓮が振り返る。
目が合った。
一瞬、空気が固まる。
「……帰ってきたんだ」
「……ああ」
「実家、どうだった?」
「寝れなかった」
「俺も」
陸は、黙って一歩、蓮のほうへ歩いた。
その歩幅に、迷いはなかった。
「ごめん。怒ってたんじゃなくて、混乱してただけで……」
「うん」
「話すのが、怖かった。でも……黙って離れるほうが、もっと怖くなるんだなって、気づいた」
蓮は、うんとだけ頷いた。
言葉は少なかったけれど、顔には、ほっとしたような表情が浮かんでいた。
「……帰ってきて」
陸は、その声に、深く息を吸い込んで、小さく笑った。
「……ただいま」
いつもの部屋が、少しだけあたたかく感じた。
湯気の向こうにある、日常の匂いが、こんなにも恋しかったなんて。
こんなにも、大事だったなんて。
話すこと、ぶつかること、理解し合うこと。
その全部が、ふたりの関係をつくっていくのだと、今ならわかる気がした。
冷蔵庫に入れておいたプリンがなくなっていたこと。
洗濯物の分担をどっちがやったか、やってないか。
蓮のモデル仕事が忙しくなって、すれ違いがちになった日々。
重なりに重なった小さなズレが、いつしか声のトーンに刺となって現れる。
「別にいいよ、また買えば」
「いいとか悪いとかじゃねえって言ってんだよ。なんで一言、俺に言えねえの?」
「たかがプリンで怒ってんの?」
「たかが、じゃねえよ。そういうとこだって言ってんの」
言ってから、空気が凍る。
蓮の目が、わずかに見開かれて、それからすぐに静まった。
「……ごめん。疲れてたんだ、俺」
「……俺も。悪かった」
そう言い合って、どちらも目を逸らす。
だけど、それで終わらせられなかった。
陸は、そのまま立ち上がって、寝室のクローゼットからバッグを引っ張り出した。
「ちょっと、離れて考えさせてくれ」
「……え?」
「一晩、ネカフェ行ってくる」
蓮は何も言わなかった。
止めもしなければ、引き留めもしない。
ただ、少しだけ口を開けかけて、それを結んだ。
ドアの音が静かに響いた夜。
陸のいない部屋は、想像以上に広くて静かだった。
*
ネカフェのフラットシートに寝転んでも、眠れなかった。
天井のシミをぼんやり眺めながら、スマホの画面を何度も点けては消した。
LINEの未読通知はなかった。
それでも気になって、バイトに出た。
店の制服を着て、いつもどおりのルーティンに体を預けようとしたが、手元のグラスがカタリと揺れた。
「はい、アウト。気持ちが仕事に出てんじゃないの」
しむ姐が、グラスを取り上げながら眉をひそめた。
「……すみません」
「さては、彼氏とケンカしたわね?」
「……」
図星だった。
返す言葉もなく、コースターを揃える手に集中する。
「ケンカはいいのよ。ちゃんと話し合いができるならね」
「でも、黙って距離とったままじゃ、気持ちって育たないから」
「逃げることが、幸せを遠ざけてるってこと、忘れないでね」
言葉が、胸に突き刺さる。
そのまま、グラスを拭いていた手が止まる。
逃げたのは自分だ。
蓮がなにか強く言ったわけじゃない。
ただ、思ってたのと違う反応に、戸惑って、腹が立って、傷ついたフリをして――結局、自分から離れた。
モノローグが静かに降りてきた。
離れるより、話す方が怖くなかった。
そう気づいた今が、一番悔しい。
*
その夜、部屋に戻ると、電気は点いていた。
リビングの明かりだけがぽつんと灯っていて、蓮の姿は見えない。
靴を脱ぎ、そっと廊下を歩くと、キッチンに蓮が立っていた。
湯気の立つ鍋と、並べられた皿。
味噌汁の匂いがほんのり漂っていた。
陸の足音に気づいたのか、蓮が振り返る。
目が合った。
一瞬、空気が固まる。
「……帰ってきたんだ」
「……ああ」
「実家、どうだった?」
「寝れなかった」
「俺も」
陸は、黙って一歩、蓮のほうへ歩いた。
その歩幅に、迷いはなかった。
「ごめん。怒ってたんじゃなくて、混乱してただけで……」
「うん」
「話すのが、怖かった。でも……黙って離れるほうが、もっと怖くなるんだなって、気づいた」
蓮は、うんとだけ頷いた。
言葉は少なかったけれど、顔には、ほっとしたような表情が浮かんでいた。
「……帰ってきて」
陸は、その声に、深く息を吸い込んで、小さく笑った。
「……ただいま」
いつもの部屋が、少しだけあたたかく感じた。
湯気の向こうにある、日常の匂いが、こんなにも恋しかったなんて。
こんなにも、大事だったなんて。
話すこと、ぶつかること、理解し合うこと。
その全部が、ふたりの関係をつくっていくのだと、今ならわかる気がした。
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