オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始

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ヨレヨレ課長とエリート部下、出張先でも恋人しています

“今日、助かったわ”って、ずるいです

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もつ鍋の煮え立つ香りが、もうもうと湯気とともに立ちのぼっていた。  
キャベツの色が鮮やかに変わり、にらがしんなりと鍋の中央に沈んでいく。  
榊が火加減を調整しながら、「そろそろええんちゃうか」と木杓子を動かした。

「よう煮えとるな。食え、食え」  
「……はい」  

陽翔は器を差し出しながら、無意識に姿勢を正した。  
自然と出る返事が、少し硬く聞こえたのは、  
この人と“上司と部下”という関係をまだどこかで引きずっているからかもしれない。

「熱いで、気ぃつけや」

そう言って取り分けてくれたもつ鍋の一杯は、  
甘辛い出汁が染み込んでいて、噛むたびにじんわりと身体があたたまっていく。  
陽翔は箸を動かしながら、鍋の向こうに座る榊の表情をちらちらと盗み見ていた。

普段の職場では見られない、少し酔いの回ったゆるやかな口元。  
赤くなった頬の色。  
もしかすると、酒ではなくて、鍋の湯気のせいかもしれない。  
けれど、そのやわらかさが、この夜にだけ許されたもののように思えてしまう。

榊はごくりとビールを飲んだあと、急に口を開いた。

「……今日、ほんま助かったわ。ありがとうな」

鍋をすくっていた手が止まった。  
陽翔は一瞬、言葉が見つからなかった。

「……いえ、俺こそ、勉強になりました」  
そうやっとの思いで言葉を返すと、  
榊は「そうか」と言いながら、ぐいとまたビールを口に運んだ。

(ずるいな)  
陽翔はそう思った。

いきなりそんなふうに言われたら、ちゃんと反応できなくなる。  
しかもその声が、どこかいつもより低くて、やさしい。  
仕事の延長なのか、それとも恋人としての本音なのか――境界線があいまいなぶんだけ、余計に響いてしまう。

「ほんま、よう育ってくれたわ」

榊はからかうように笑った。  
けれどその笑いには、どこか確かに誇らしさが混じっていた。

陽翔は返す言葉に詰まり、唇を引き結んだ。

(“育ててもらった”って思ってるのは、俺のほうなのに)

たった数年の差なのに、この人の背中は、ずっと大きかった。  
今朝、資料を整えているときも、商談中の絶妙な空気の緩め方も、  
帰り道のさりげないフォローも――全部、まっすぐに見てきた。

「……課長、そういうこと、さらっと言わないでください」

「ん? なんか変なこと言うたか?」

「いえ、でも……」

湯気の向こうで視線が合った。  
榊の目は、悪気のかけらもない、ただまっすぐな目だった。

(そんな目で、そんなこと言うから、ずるい)

心の中で何度もつぶやきながら、陽翔は照れを隠すように器を持ち上げた。  
鍋の湯気にかこまれながら、そのまま言葉を飲み込んだ。

ふたりのあいだに静かな時間が流れた。

テレビも音楽もない居酒屋の個室。  
周囲のざわめきは遠く、鍋の煮える音と、ビールがグラスを満たす音だけが、  
この空間のBGMだった。

ふいに、榊が湯のみを手に取って言った。

「ええ日やったな。お前と来て、ほんまよかったわ」

陽翔は、何も言えなかった。  
その一言が、たぶん今日のすべてだった。

(そんなこと言われたら、気持ちがはみ出しそうになる)

言葉にはしなかった。  
でも、自分のなかで何かがそっとかたちを変えていく気がした。

部下としてではなく、  
恋人としてでもなく――

ただ、この人と、ちゃんと“隣にいたい”と、思った。

夜の空気は、だんだんとやわらかくなっていく。  
そしてふたりの間に、静かなぬくもりが染みこんでいった。
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