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第2章 スキル?ありませんが、PCならあります
魔導とIT、そして段取りのはじまり
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田所に用意された部屋は、王都の南端に位置する行政区画の裏通りにあった。
かつては王宮付きの文官が暮らしていたという屋敷の一室で、今はもう誰も使っていない空き部屋として扱われていたらしい。
木製の梁は煤けて黒ずみ、壁はひび割れ、石造りの床はところどころ沈んでいた。
だが、不思議と落ち着く。
空間そのものが控えめで、主張がなく、田所にとってはちょうどいい場所だった。
部屋には簡素な寝台がひとつ、木の机と椅子、それから書類用の棚が備え付けられている。
照明は魔導灯がひとつ、夜になれば火皿に油を注いで使う必要がある。
暖房は薪ストーブ。
トイレと風呂は別棟にあり、共用。
隣室からはかすかに他の住人が使っているらしい生活音が聞こえてきたが、それすら懐かしく思えた。
そして今、その机の上には、異物が一つだけ置かれている。
田所のノートパソコン、VA16だった。
静かに電源が入り、画面がぼんやりと光を放つ。
見慣れたログイン画面が浮かび上がり、田所はパスワードを入力する。
画面が開く。
残バッテリーは四パーセント。
本来ならこのタイミングで起動をためらうが、今回は事情が違う。
机の脇には、奇妙な形をした金属製の装置が置かれていた。
大小の水晶片が組み込まれ、魔力回路が幾重にも絡む構造体。
リゼットが持ち込んだ試作品で、「魔力変換器」と呼ばれているものだった。
「この世界において“電力”という概念はまだ存在しませんが、
精霊結晶を通した魔力流動で似たようなエネルギーは得られる可能性があります」
そう説明したリゼットは、いつものように淡々としていた。
変換器は、PCのAC端子に直接触れているわけではない。
だが、近接状態で弱い共鳴を起こし、じわじわと内部のバッテリーを“延命”してくれていた。
厳密には充電とは異なるが、少なくとも消費速度は抑えられている。
制限付きの稼働環境ではあるが、田所にとってはそれで十分だった。
画面上には、真っさらなExcelファイルが開かれていた。
田所は手慣れた操作で、まず「物品管理表(仮)」というタイトルをセルの中央に打ち込んだ。
次に、項目欄を作成する。
品名、数量、保管場所、取得日、使用者、備考。
セル幅を調整し、罫線を入れ、ヘッダーに色をつける。
その作業を、リゼットと、彼女が連れてきた若い補佐官が、黙って見つめていた。
二人とも、初めて見る動きに目を見張っていた。
「…その“板”は、文字の描写だけでなく、構造の整理もできるのですね」
補佐官が、恐る恐る口を開いた。
「ええ。こうやって表にしておけば、あとで探すのも楽になりますから。
で、これが本当の便利なところで…たとえばこういうふうに」
田所は、試しにいくつかの仮の品名と数値を打ち込む。
剣、3本
矢筒、2つ
保存食、24個
火打石、6個
治癒薬、12本
すべてを入力した後、品名の列を選択し、「並べ替え」機能を使って昇順にソートする。
一瞬で行が並び替えられる。
「……動いた…?」
補佐官がつぶやいた。
「これは…命令を受けて…物の順序を、整えた…?」
リゼットの声がかすかに上ずる。
驚きというより、衝撃に近い感情だった。
「いや、命令っていうか、ボタンを押しただけで…まあ、機械にとってはそれが命令ってことになるのかもしれませんね」
田所はそう言って、今度は合計を求めるセルに「=SUM(B2:B6)」と打ち込み、エンターを押す。
「合計:47」
その一文がセルに表示された瞬間、補佐官が椅子から少し腰を浮かせた。
リゼットは目を細め、呼吸を止めるようにして画面を凝視していた。
「…自動で、計算まで…?」
「はい。手計算する必要ないんで。数が多くても、正確ですし、早いです」
「この“板”の中に…精霊でも住んでいるのですか?」
補佐官の素朴な問いに、田所は少し笑って答えた。
「いません。たぶん。でもまあ、働き方は精霊っぽいかも。何も言わずに全部整えてくれるし、間違わないし、黙って消えてくれる」
そのたとえが良かったのか、悪かったのかは分からない。
だが、リゼットの目は真剣そのものだった。
「これは…魔導書の一種では…」
「いや、違います。もっと地味で、もっと実務的です。
これ、ただの“仕事の道具”ですよ。俺がいた世界では、これを使って“地味に回してる人”がいっぱいいました」
リゼットはその言葉に小さく頷いたが、すぐに鋭い視線を田所に向けた。
「だとすれば、これを使える者と、使えない者の間に…明確な差が生まれるのでは?」
田所は一瞬、言葉に詰まった。
それは、かつての職場でも感じていたことだった。
システムを使いこなせる人と、使えない人。
資料を読む人と、読まない人。
ツールの存在が、いつのまにか“壁”になる瞬間。
「……そうかもしれませんね」
静かにそう答えると、田所は画面を閉じた。
「でも、だからこそ俺はこれを“自分ひとりの武器”にはしたくないんです。
誰かの役に立てるなら、みんなで使ったほうがいい。
便利なものって、独り占めすると、たぶん怖いんですよ」
リゼットはその言葉を聞いて、しばらく沈黙していた。
やがて、椅子の背にもたれながら、静かに呟いた。
「…その考え方ごと、魔導理論の外にある気がします。
道具としての機能ではなく、その“使い方の思想”が、この世界に新しい価値を持ち込んでいるのだとしたら…」
田所は目を伏せた。
自分の“段取りスキル”が異世界でどう受け入れられるかは分からない。
だが、少なくとも目の前のこの二人には、なにか伝わった気がしていた。
便利さは、人を驚かせる。
でも、便利さは同時に、警戒も生む。
だからこそ、そこに“思想”が必要になる。
それを、田所は日本の職場で何度も経験してきた。
自分のやってきたことが、少しずつこの世界で形になっていく。
その予感が、ほんのわずかに胸の奥を温かくした。
かつては王宮付きの文官が暮らしていたという屋敷の一室で、今はもう誰も使っていない空き部屋として扱われていたらしい。
木製の梁は煤けて黒ずみ、壁はひび割れ、石造りの床はところどころ沈んでいた。
だが、不思議と落ち着く。
空間そのものが控えめで、主張がなく、田所にとってはちょうどいい場所だった。
部屋には簡素な寝台がひとつ、木の机と椅子、それから書類用の棚が備え付けられている。
照明は魔導灯がひとつ、夜になれば火皿に油を注いで使う必要がある。
暖房は薪ストーブ。
トイレと風呂は別棟にあり、共用。
隣室からはかすかに他の住人が使っているらしい生活音が聞こえてきたが、それすら懐かしく思えた。
そして今、その机の上には、異物が一つだけ置かれている。
田所のノートパソコン、VA16だった。
静かに電源が入り、画面がぼんやりと光を放つ。
見慣れたログイン画面が浮かび上がり、田所はパスワードを入力する。
画面が開く。
残バッテリーは四パーセント。
本来ならこのタイミングで起動をためらうが、今回は事情が違う。
机の脇には、奇妙な形をした金属製の装置が置かれていた。
大小の水晶片が組み込まれ、魔力回路が幾重にも絡む構造体。
リゼットが持ち込んだ試作品で、「魔力変換器」と呼ばれているものだった。
「この世界において“電力”という概念はまだ存在しませんが、
精霊結晶を通した魔力流動で似たようなエネルギーは得られる可能性があります」
そう説明したリゼットは、いつものように淡々としていた。
変換器は、PCのAC端子に直接触れているわけではない。
だが、近接状態で弱い共鳴を起こし、じわじわと内部のバッテリーを“延命”してくれていた。
厳密には充電とは異なるが、少なくとも消費速度は抑えられている。
制限付きの稼働環境ではあるが、田所にとってはそれで十分だった。
画面上には、真っさらなExcelファイルが開かれていた。
田所は手慣れた操作で、まず「物品管理表(仮)」というタイトルをセルの中央に打ち込んだ。
次に、項目欄を作成する。
品名、数量、保管場所、取得日、使用者、備考。
セル幅を調整し、罫線を入れ、ヘッダーに色をつける。
その作業を、リゼットと、彼女が連れてきた若い補佐官が、黙って見つめていた。
二人とも、初めて見る動きに目を見張っていた。
「…その“板”は、文字の描写だけでなく、構造の整理もできるのですね」
補佐官が、恐る恐る口を開いた。
「ええ。こうやって表にしておけば、あとで探すのも楽になりますから。
で、これが本当の便利なところで…たとえばこういうふうに」
田所は、試しにいくつかの仮の品名と数値を打ち込む。
剣、3本
矢筒、2つ
保存食、24個
火打石、6個
治癒薬、12本
すべてを入力した後、品名の列を選択し、「並べ替え」機能を使って昇順にソートする。
一瞬で行が並び替えられる。
「……動いた…?」
補佐官がつぶやいた。
「これは…命令を受けて…物の順序を、整えた…?」
リゼットの声がかすかに上ずる。
驚きというより、衝撃に近い感情だった。
「いや、命令っていうか、ボタンを押しただけで…まあ、機械にとってはそれが命令ってことになるのかもしれませんね」
田所はそう言って、今度は合計を求めるセルに「=SUM(B2:B6)」と打ち込み、エンターを押す。
「合計:47」
その一文がセルに表示された瞬間、補佐官が椅子から少し腰を浮かせた。
リゼットは目を細め、呼吸を止めるようにして画面を凝視していた。
「…自動で、計算まで…?」
「はい。手計算する必要ないんで。数が多くても、正確ですし、早いです」
「この“板”の中に…精霊でも住んでいるのですか?」
補佐官の素朴な問いに、田所は少し笑って答えた。
「いません。たぶん。でもまあ、働き方は精霊っぽいかも。何も言わずに全部整えてくれるし、間違わないし、黙って消えてくれる」
そのたとえが良かったのか、悪かったのかは分からない。
だが、リゼットの目は真剣そのものだった。
「これは…魔導書の一種では…」
「いや、違います。もっと地味で、もっと実務的です。
これ、ただの“仕事の道具”ですよ。俺がいた世界では、これを使って“地味に回してる人”がいっぱいいました」
リゼットはその言葉に小さく頷いたが、すぐに鋭い視線を田所に向けた。
「だとすれば、これを使える者と、使えない者の間に…明確な差が生まれるのでは?」
田所は一瞬、言葉に詰まった。
それは、かつての職場でも感じていたことだった。
システムを使いこなせる人と、使えない人。
資料を読む人と、読まない人。
ツールの存在が、いつのまにか“壁”になる瞬間。
「……そうかもしれませんね」
静かにそう答えると、田所は画面を閉じた。
「でも、だからこそ俺はこれを“自分ひとりの武器”にはしたくないんです。
誰かの役に立てるなら、みんなで使ったほうがいい。
便利なものって、独り占めすると、たぶん怖いんですよ」
リゼットはその言葉を聞いて、しばらく沈黙していた。
やがて、椅子の背にもたれながら、静かに呟いた。
「…その考え方ごと、魔導理論の外にある気がします。
道具としての機能ではなく、その“使い方の思想”が、この世界に新しい価値を持ち込んでいるのだとしたら…」
田所は目を伏せた。
自分の“段取りスキル”が異世界でどう受け入れられるかは分からない。
だが、少なくとも目の前のこの二人には、なにか伝わった気がしていた。
便利さは、人を驚かせる。
でも、便利さは同時に、警戒も生む。
だからこそ、そこに“思想”が必要になる。
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その予感が、ほんのわずかに胸の奥を温かくした。
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