会議で死んだら異世界で神扱いされました〜魔法ゼロでも資料で世界は回ります〜

中岡 始

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第2章 スキル?ありませんが、PCならあります

ローカルファイル最強説

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執務室の夜は静かだった。  
窓の外では虫の声が微かに響き、遠くの方で犬か狼の吠え声が聞こえる。  
石造りの壁は昼間に蓄えた熱を少しずつ放出し、部屋の空気はほんのりと温かい。  
部屋の隅には火皿に火が灯されており、その揺らぐ光が壁の棚に並べられた羊皮紙や古い帳簿の背表紙を照らしている。

田所は机に向かい、ノートパソコンのキーボードに指を滑らせていた。  
電源は入っている。  
魔力変換器の助けで、今日もわずかに残されたバッテリーを稼働させることができた。

画面の右下に表示された数値は、5パーセント。  
この時間が永遠に続くことはない。  
だが、それでいいと彼は思っていた。

開いているのは、例のテキストファイル。  
【マジで無理.txt】  
今夜もまた、そこに新しい行を打ち込んでいた。

「魔法は派手だが、地味な作業が土台作ってるんだよな」

文末に句点を打ち、しばらくカーソルの点滅を眺める。  
このファイルは、もはや愚痴というより、ひとりごとに近かった。  
過去の自分に話しかけているのか、それともまだ見ぬ誰かに語りかけているのか。  
その境目は自分でも曖昧だった。

田所は、画面を切り替える。  
Excelを開き、作りかけのテンプレートを確認する。  
ファイル名は「討伐依頼管理表_仮」。  
列には依頼番号、依頼主、内容、期限、必要人員、進捗状況、報酬額、備考欄が並ぶ。

必要最小限の構成だ。  
だが、この一枚があるだけで、混乱が減る。  
ギルドの書記官も、補佐官も、冒険者たちも、それに目を通すことで次の行動を整理できるようになった。

もうひとつのファイルを開く。  
「会議議事録01」  
今日行われた討伐準備会議の要点を、項目ごとに短くまとめたものだ。

発言者/発言内容/対応者/期限  
この四つを軸にした表で、情報の流れと責任の所在を明確にした。

紙に印刷することはまだできない。  
魔導プリンターの仕組みも、魔力変換器の改良も道半ばだ。  
だが、画面を見せるだけでも十分に伝わるという手応えはあった。

「この世界、ちょっとずつでいい。  
まずは“話を整理する文化”から」

つぶやく声は小さく、執務室の壁に吸い込まれていった。  
もともと、世界を変えたいと強く思っていたわけではない。  
転生して、若返って、訳の分からないまま“勇者”と呼ばれて、気がつけば仕事をしていた。

だけど、それでも。

段取りをつけること。  
話をまとめること。  
記録を残すこと。  
そうした“地味な作業”が、誰かの役に立つなら、それだけで意味はある。

田所は、デスクトップにある三つのファイル名を順に眺めた。

「会議議事録01」  
「物品チェックリスト」  
「討伐依頼管理表」

どれも仮のものだ。  
まだ完成していないし、万能でもない。  
けれど、それらは確かにこの世界で“動き”を作り始めている。

手元のパソコンは、電力も限られ、通信もできない。  
検索もアップデートも、クラウド保存も使えない。  
ただの“ローカルファイル”しか残っていない。

だが、その“残っている”ことこそが、今はすべてだった。

「PCひとつで世界が変わるとは思わない。  
でも、誰かの仕事が楽になるなら、それで十分」

その言葉を、彼は心の中だけで繰り返した。  
わざわざ書き留めるまでもない。  
それは彼の行動そのものが証明していた。

そのときだった。  
静かに、執務室の扉がノックされた。

コン、コン。

律儀で、無駄のない、二回の音。

「田所さん、少し…相談があります」

聞き慣れた声だった。  
リゼット。  
感情を表に出すことが少ない彼女の声にも、今夜はどこか柔らかな響きがあった。

田所はキーボードから手を離し、軽く背筋を伸ばした。

「はい、どうぞ」

ノートパソコンの画面は、まだ光っている。  
Excelのウィンドウはそのまま。  
そこには、次に作るべきテンプレートの予備項目が並び始めていた。

この夜から、ふたりの協働が本格的に動き出す。  
異世界の仕組みを、少しずつ変えていくような、地味で確かな歩みが始まるのだ。  

そのすべてが、ローカルファイルから始まった。
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