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第12章 信仰される“段取り”、困る本人
段取り語録、朗読の朝
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朝の鐘が、遠くの山肌に反響しながら鳴り響いた。
地方の小さな村にしては立派な鐘楼を備えたこの村は、田所たちが王都からの依頼で訪れていた場所だった。
日課である資料整理を終えた田所が、リゼットとともに宿屋を出て村の中心へ向かうと、広場にはすでに多くの村人が集まっていた。
老若男女、誰もが真剣な顔つきで木製の椅子に腰かけ、前方に設置された木製の演台を見つめている。
陽はまだ高くなく、朝靄が村の輪郭を淡くぼかしていた。
「……何か始まるみたいですね」
リゼットが肩越しに振り返ると、田所は半ば眠そうな目で小さく頷いた。
特に事前の報告もなく、広場に集会があるという話も聞いていなかった。
ただ、村の空気がどこか神妙であることだけは肌で感じ取れた。
演台に立ったのは、年配の男性だった。神父か村長か、判断に迷うような穏やかな雰囲気を纏った人物で、丁寧に髭を整え、手には一冊の冊子を抱えていた。
「皆さん、おはようございます。本日も、“段取り語録”の朗読をもって、一日を始めましょう」
ざわつきは一切なかった。
誰もが静かに頷き、姿勢を正し、耳を澄ませている。
田所は眉を寄せた。
聞き慣れない言葉が、聞き慣れすぎた響きを持っていた。
朗読が始まった。
「“考えておきます”は、忘れるための呪文……」
「“とりあえず集まる”は、時間の墓場です……」
「“何となく進める”は、失敗の根拠となります……」
低く、しかしはっきりとした抑揚で語られる言葉に、村人たちはひとつひとつ、ゆっくりと復唱した。
まるで祈りのように。
まるで信仰の言葉のように。
田所の足が止まった。
リゼットも隣で、じっと彼の顔を見ている。
静かな朝の空気の中、リゼットがぽつりと呟いた。
「……これは、あなたの書いた“マジで無理.txt”では?」
田所は反射的に目をそらした。
あのファイル。
彼が現代日本で、誰にも言えなかったストレスや愚痴を、ただひたすらに書き溜めたあのテキストファイル。
転生後、なぜか魔導PCの中に残っていて、何の気なしに開いたそれを、リゼットに見られたのが始まりだった。
「ちょ、ちょっと待って。なんでそれが教義になってんの……?」
彼の声はかすれていた。
誰に問いかけたわけでもない。
けれど、その場の空気にはっきりと混じっていった。
演台の老人は、語録の朗読を終えると、手を胸に当て、目を閉じた。
「本日も、段取りの導きがありますように。皆さま、よい一日を」
村人たちは一斉に立ち上がり、深々と頭を下げた。
まるで、何か神聖な儀式を終えたかのような厳かさがあった。
その中に、田所の姿だけが、異質だった。
ただ一人、口を開け、状況を理解しきれず立ち尽くしていた。
「……いやいやいや、俺、ただの元サラリーマンなんですけど」
ようやく口から漏れたその言葉に、リゼットは小さく肩を震わせた。
微笑んでいるようだったが、同時にどこか諦めのような気配もある。
「田所。あなたの言葉は、ここでは“指針”とされてるのよ。誰もそれを笑わない。むしろ、感謝してるわ」
「感謝するようなことじゃない……よな、普通……。愚痴だよ? どう考えても。俺が一人でブツブツ言ってただけのやつだよ?」
「でも、それが彼らの時間を変えた。効率が上がった。仕事が片付いた。……感謝する理由はあるわ」
田所は口をつぐんだ。
朝の陽が少しずつ高くなり、広場の石畳に柔らかな影を伸ばしていた。
村人たちは次々に作業場へ向かって散っていく。
会話は少ないが、その足取りには無駄がなかった。
あらかじめ段取りがされていたかのように、皆が自分の役割を心得ている。
田所の目に、ゆっくりとある光景が焼きついていく。
誰もが、当たり前のように「働き方」を知っている。
準備があり、引き継ぎがあり、時間の見積もりがある。
この光景は、日本の職場でもそうそう見なかった光景だった。
「……段取りって、浸透するとこうなるのか」
誰にも届かぬような声で、田所が呟いた。
けれど、聞いていたのだろう。リゼットは隣でふっと笑って言った。
「そうね。でも、それを始めたのは、あなたの“愚痴”よ」
田所はもう否定する気力もなく、ただ苦笑いを浮かべた。
本当は、誰かが整えているだけの話だった。
それを、何か“偉い人の言葉”として祀り上げるのは、きっと彼の本意ではなかった。
だが、村の人々にとっては、その言葉が“整え方”の記録であり、支えだった。
田所はその間に立ち、どうにか折り合いをつけようとしていた。
「……俺の言葉じゃなくてさ。みんなの“段取り”が、勝手に良くなってるってことでいいじゃないか。な?」
リゼットは答えず、ただ頷いた。
朝の光が、ようやく村全体を照らし始めた。
田所は深呼吸し、背筋を伸ばして歩き出した。
まるで何もなかったかのように。
けれど、その足取りの中には、確かな戸惑いと、少しだけの誇らしさが混じっていた。
地方の小さな村にしては立派な鐘楼を備えたこの村は、田所たちが王都からの依頼で訪れていた場所だった。
日課である資料整理を終えた田所が、リゼットとともに宿屋を出て村の中心へ向かうと、広場にはすでに多くの村人が集まっていた。
老若男女、誰もが真剣な顔つきで木製の椅子に腰かけ、前方に設置された木製の演台を見つめている。
陽はまだ高くなく、朝靄が村の輪郭を淡くぼかしていた。
「……何か始まるみたいですね」
リゼットが肩越しに振り返ると、田所は半ば眠そうな目で小さく頷いた。
特に事前の報告もなく、広場に集会があるという話も聞いていなかった。
ただ、村の空気がどこか神妙であることだけは肌で感じ取れた。
演台に立ったのは、年配の男性だった。神父か村長か、判断に迷うような穏やかな雰囲気を纏った人物で、丁寧に髭を整え、手には一冊の冊子を抱えていた。
「皆さん、おはようございます。本日も、“段取り語録”の朗読をもって、一日を始めましょう」
ざわつきは一切なかった。
誰もが静かに頷き、姿勢を正し、耳を澄ませている。
田所は眉を寄せた。
聞き慣れない言葉が、聞き慣れすぎた響きを持っていた。
朗読が始まった。
「“考えておきます”は、忘れるための呪文……」
「“とりあえず集まる”は、時間の墓場です……」
「“何となく進める”は、失敗の根拠となります……」
低く、しかしはっきりとした抑揚で語られる言葉に、村人たちはひとつひとつ、ゆっくりと復唱した。
まるで祈りのように。
まるで信仰の言葉のように。
田所の足が止まった。
リゼットも隣で、じっと彼の顔を見ている。
静かな朝の空気の中、リゼットがぽつりと呟いた。
「……これは、あなたの書いた“マジで無理.txt”では?」
田所は反射的に目をそらした。
あのファイル。
彼が現代日本で、誰にも言えなかったストレスや愚痴を、ただひたすらに書き溜めたあのテキストファイル。
転生後、なぜか魔導PCの中に残っていて、何の気なしに開いたそれを、リゼットに見られたのが始まりだった。
「ちょ、ちょっと待って。なんでそれが教義になってんの……?」
彼の声はかすれていた。
誰に問いかけたわけでもない。
けれど、その場の空気にはっきりと混じっていった。
演台の老人は、語録の朗読を終えると、手を胸に当て、目を閉じた。
「本日も、段取りの導きがありますように。皆さま、よい一日を」
村人たちは一斉に立ち上がり、深々と頭を下げた。
まるで、何か神聖な儀式を終えたかのような厳かさがあった。
その中に、田所の姿だけが、異質だった。
ただ一人、口を開け、状況を理解しきれず立ち尽くしていた。
「……いやいやいや、俺、ただの元サラリーマンなんですけど」
ようやく口から漏れたその言葉に、リゼットは小さく肩を震わせた。
微笑んでいるようだったが、同時にどこか諦めのような気配もある。
「田所。あなたの言葉は、ここでは“指針”とされてるのよ。誰もそれを笑わない。むしろ、感謝してるわ」
「感謝するようなことじゃない……よな、普通……。愚痴だよ? どう考えても。俺が一人でブツブツ言ってただけのやつだよ?」
「でも、それが彼らの時間を変えた。効率が上がった。仕事が片付いた。……感謝する理由はあるわ」
田所は口をつぐんだ。
朝の陽が少しずつ高くなり、広場の石畳に柔らかな影を伸ばしていた。
村人たちは次々に作業場へ向かって散っていく。
会話は少ないが、その足取りには無駄がなかった。
あらかじめ段取りがされていたかのように、皆が自分の役割を心得ている。
田所の目に、ゆっくりとある光景が焼きついていく。
誰もが、当たり前のように「働き方」を知っている。
準備があり、引き継ぎがあり、時間の見積もりがある。
この光景は、日本の職場でもそうそう見なかった光景だった。
「……段取りって、浸透するとこうなるのか」
誰にも届かぬような声で、田所が呟いた。
けれど、聞いていたのだろう。リゼットは隣でふっと笑って言った。
「そうね。でも、それを始めたのは、あなたの“愚痴”よ」
田所はもう否定する気力もなく、ただ苦笑いを浮かべた。
本当は、誰かが整えているだけの話だった。
それを、何か“偉い人の言葉”として祀り上げるのは、きっと彼の本意ではなかった。
だが、村の人々にとっては、その言葉が“整え方”の記録であり、支えだった。
田所はその間に立ち、どうにか折り合いをつけようとしていた。
「……俺の言葉じゃなくてさ。みんなの“段取り”が、勝手に良くなってるってことでいいじゃないか。な?」
リゼットは答えず、ただ頷いた。
朝の光が、ようやく村全体を照らし始めた。
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まるで何もなかったかのように。
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