91 / 92
エピローグ
エピローグ:伝承・愚痴メモ
しおりを挟む
陽の光がやわらかく差し込む未来の教室。
壁には魔導式の情報表示板が設置され、黒板ではなく光の板に文字が浮かんでいる。
それでも、教室という空間にはどこか懐かしさがあった。
机と椅子が整然と並び、生徒たちの視線が、ひとりの教師に注がれている。
「本日の講義は、『業務管理の古典』についてです」
教師は白髪混じりの髪を後ろでひとつに結びながら、端末を操作する。
表示板に映し出されたのは、少し古めかしいフォントで書かれたファイル名。
《グチの書・抜粋篇》
その下には、副題のようにこう書かれていた。
《“マジで無理.txt”より・構造の起源》
生徒たちの中には、すでにこのタイトルを知っている者もいた。
ギルド訓練校の副読本として、あるいは家庭での段取り教育の一環として、触れたことがある者も少なくない。
だが、こうして“原文”を講義として読むのは初めてだった。
教師は一枚のシートを表示しながら、静かに読み上げる。
「“言われた通りにやったのに怒られる理不尽さ”、これは当時の段取り参謀・田所一が、旧職場で残した記述です。
原文では、“マジで無理”というファイル名の中に、こう記されていました」
表示板には、やや乱れたフォーマットのまま、こう書かれていた。
――言われた通りにやって怒られるって、じゃあ何? こっちは何を信じて動けばいいの?
曖昧な指示のせいで全員消耗して、誰も悪くないことになって、じゃあ何が直るんだって話なんだよ。
読み終えた瞬間、教室の空気が微かに揺れた。
冗談めいた言葉に見えたが、その裏にある“共感”に、生徒たちは思わず静かになった。
最前列のひとりが、小さく手を挙げた。
「先生……この“理不尽さ”って、今でもありますよね」
「うちのギルドでも、“空気読んで動け”って言われるとき、こういう気持ちになります」
教師は目を細め、穏やかに頷いた。
「そうですね。だからこそ、“段取り”というものが必要とされたのです」
「この書は、ただの愚痴ではありません。理不尽に声を上げるのではなく、理不尽を整理し、構造に変えた記録なのです」
別の生徒が、やや笑いながら言った。
「でもこの田所って人、なんか面白いですね。
愚痴を書いてただけなのに、それが構造改革のきっかけになるなんて」
「ええ、そうですね」
教師は表示板を切り替え、次の一文を示した。
――“会議とは、誰が何をいつまでにやるかを決める場です”
「この言葉は、今では行政手帳にも記されています」
「しかし、元はただの、彼のメモの一行にすぎませんでした」
「そう、“伝えるべき言葉”ではなく、“自分を支えるための言葉”だったのです」
教室の窓の外では、草原に風が吹いていた。
遠くでは、ヤギ型の印刷装置が定刻通りに自治体の広報を出力していた。
子どもたちは付箋を使って授業の進行を整理し、ギルドでは若手職員が進行表を手に、責任と役割を分担していた。
それらのすべてが、はるか昔の“愚痴”から始まったとは、今の時代では信じがたいかもしれない。
だが事実として、それはこの世界の始まりのひとつだった。
教師は最後に、生徒たちの目を見ながら、こう語った。
「“マジで無理.txt”は、今も更新され続けています。
もちろん、それは誰の手にも渡らない場所で、誰にも気づかれずに。
ですが、そこに綴られた“整えたいという意志”は、今の仕組みにすべて引き継がれているのです」
「あなたたちが今、何の違和感もなく“共有テンプレート”を使っていること。
それ自体が、かつての構造家の仕事の成果なのですよ」
教室の中に、ふわりと沈黙が落ちる。
だがそれは、重苦しいものではなかった。
それは、何かを理解したときの、静かな納得の気配だった。
最後に、教師はそっと呟いた。
それは板書もされず、ただ空気に溶けるように放たれた言葉。
「世界を変えたのは、英雄ではなく、仕組みだった。
そしてその始まりは、一行の“もう無理”だったのです」
教室の空気が変わったことを、誰もが感じていた。
そして誰も、その名を神話として記さずとも、
その構造を“伝承”として生き続けさせることを、自然と理解していた。
【完】
壁には魔導式の情報表示板が設置され、黒板ではなく光の板に文字が浮かんでいる。
それでも、教室という空間にはどこか懐かしさがあった。
机と椅子が整然と並び、生徒たちの視線が、ひとりの教師に注がれている。
「本日の講義は、『業務管理の古典』についてです」
教師は白髪混じりの髪を後ろでひとつに結びながら、端末を操作する。
表示板に映し出されたのは、少し古めかしいフォントで書かれたファイル名。
《グチの書・抜粋篇》
その下には、副題のようにこう書かれていた。
《“マジで無理.txt”より・構造の起源》
生徒たちの中には、すでにこのタイトルを知っている者もいた。
ギルド訓練校の副読本として、あるいは家庭での段取り教育の一環として、触れたことがある者も少なくない。
だが、こうして“原文”を講義として読むのは初めてだった。
教師は一枚のシートを表示しながら、静かに読み上げる。
「“言われた通りにやったのに怒られる理不尽さ”、これは当時の段取り参謀・田所一が、旧職場で残した記述です。
原文では、“マジで無理”というファイル名の中に、こう記されていました」
表示板には、やや乱れたフォーマットのまま、こう書かれていた。
――言われた通りにやって怒られるって、じゃあ何? こっちは何を信じて動けばいいの?
曖昧な指示のせいで全員消耗して、誰も悪くないことになって、じゃあ何が直るんだって話なんだよ。
読み終えた瞬間、教室の空気が微かに揺れた。
冗談めいた言葉に見えたが、その裏にある“共感”に、生徒たちは思わず静かになった。
最前列のひとりが、小さく手を挙げた。
「先生……この“理不尽さ”って、今でもありますよね」
「うちのギルドでも、“空気読んで動け”って言われるとき、こういう気持ちになります」
教師は目を細め、穏やかに頷いた。
「そうですね。だからこそ、“段取り”というものが必要とされたのです」
「この書は、ただの愚痴ではありません。理不尽に声を上げるのではなく、理不尽を整理し、構造に変えた記録なのです」
別の生徒が、やや笑いながら言った。
「でもこの田所って人、なんか面白いですね。
愚痴を書いてただけなのに、それが構造改革のきっかけになるなんて」
「ええ、そうですね」
教師は表示板を切り替え、次の一文を示した。
――“会議とは、誰が何をいつまでにやるかを決める場です”
「この言葉は、今では行政手帳にも記されています」
「しかし、元はただの、彼のメモの一行にすぎませんでした」
「そう、“伝えるべき言葉”ではなく、“自分を支えるための言葉”だったのです」
教室の窓の外では、草原に風が吹いていた。
遠くでは、ヤギ型の印刷装置が定刻通りに自治体の広報を出力していた。
子どもたちは付箋を使って授業の進行を整理し、ギルドでは若手職員が進行表を手に、責任と役割を分担していた。
それらのすべてが、はるか昔の“愚痴”から始まったとは、今の時代では信じがたいかもしれない。
だが事実として、それはこの世界の始まりのひとつだった。
教師は最後に、生徒たちの目を見ながら、こう語った。
「“マジで無理.txt”は、今も更新され続けています。
もちろん、それは誰の手にも渡らない場所で、誰にも気づかれずに。
ですが、そこに綴られた“整えたいという意志”は、今の仕組みにすべて引き継がれているのです」
「あなたたちが今、何の違和感もなく“共有テンプレート”を使っていること。
それ自体が、かつての構造家の仕事の成果なのですよ」
教室の中に、ふわりと沈黙が落ちる。
だがそれは、重苦しいものではなかった。
それは、何かを理解したときの、静かな納得の気配だった。
最後に、教師はそっと呟いた。
それは板書もされず、ただ空気に溶けるように放たれた言葉。
「世界を変えたのは、英雄ではなく、仕組みだった。
そしてその始まりは、一行の“もう無理”だったのです」
教室の空気が変わったことを、誰もが感じていた。
そして誰も、その名を神話として記さずとも、
その構造を“伝承”として生き続けさせることを、自然と理解していた。
【完】
0
あなたにおすすめの小説
スマホアプリで衣食住確保の異世界スローライフ 〜面倒なことは避けたいのに怖いものなしのスライムと弱気なドラゴンと一緒だとそうもいかず〜
もーりんもも
ファンタジー
命より大事なスマホを拾おうとして命を落とした俺、武田義経。
ああ死んだと思った瞬間、俺はスマホの神様に祈った。スマホのために命を落としたんだから、お慈悲を!
目を開けると、俺は異世界に救世主として召喚されていた。それなのに俺のステータスは平均よりやや上といった程度。
スキル欄には見覚えのある虫眼鏡アイコンが。だが異世界人にはただの丸印に見えたらしい。
何やら漂う失望感。結局、救世主ではなく、ただの用無しと認定され、宮殿の使用人という身分に。
やれやれ。スキル欄の虫眼鏡をタップすると検索バーが出た。
「ご飯」と検索すると、見慣れたアプリがずらずらと! アプリがダウンロードできるんだ!
ヤバくない? 不便な異世界だけど、楽してダラダラ生きていこう――そう思っていた矢先、命を狙われ国を出ることに。
ひょんなことから知り合った老婆のお陰でなんとか逃げ出したけど、気がつけば、いつの間にかスライムやらドラゴンやらに囲まれて、どんどん不本意な方向へ……。
2025/04/04-06 HOTランキング1位をいただきました! 応援ありがとうございます!
気づいたら美少女ゲーの悪役令息に転生していたのでサブヒロインを救うのに人生を賭けることにした
高坂ナツキ
ファンタジー
衝撃を受けた途端、俺は美少女ゲームの中ボス悪役令息に転生していた!?
これは、自分が制作にかかわっていた美少女ゲームの中ボス悪役令息に転生した主人公が、報われないサブヒロインを救うために人生を賭ける話。
日常あり、恋愛あり、ダンジョンあり、戦闘あり、料理ありの何でもありの話となっています。
異世界転生したおっさんが普通に生きる
カジキカジキ
ファンタジー
第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
応援頂きありがとうございました!
異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
【鑑定不能】と捨てられた俺、実は《概念創造》スキルで万物創成!辺境で最強領主に成り上がる。
夏見ナイ
ファンタジー
伯爵家の三男リアムは【鑑定不能】スキル故に「無能」と追放され、辺境に捨てられた。だが、彼が覚醒させたのは神すら解析不能なユニークスキル《概念創造》! 認識した「概念」を現実に創造できる規格外の力で、リアムは快適な拠点、豊かな食料、忠実なゴーレムを生み出す。傷ついたエルフの少女ルナを救い、彼女と共に未開の地を開拓。やがて獣人ミリア、元貴族令嬢セレスなど訳ありの仲間が集い、小さな村は驚異的に発展していく。一方、リアムを捨てた王国や実家は衰退し、彼の力を奪おうと画策するが…? 無能と蔑まれた少年が最強スキルで理想郷を築き、自分を陥れた者たちに鉄槌を下す、爽快成り上がりファンタジー!
追放された無能鑑定士、実は世界最強の万物解析スキル持ち。パーティーと国が泣きついてももう遅い。辺境で美少女とスローライフ(?)を送る
夏見ナイ
ファンタジー
貴族の三男に転生したカイトは、【鑑定】スキルしか持てず家からも勇者パーティーからも無能扱いされ、ついには追放されてしまう。全てを失い辺境に流れ着いた彼だが、そこで自身のスキルが万物の情報を読み解く最強スキル【万物解析】だと覚醒する! 隠された才能を見抜いて助けた美少女エルフや獣人と共に、カイトは辺境の村を豊かにし、古代遺跡の謎を解き明かし、強力な魔物を従え、着実に力をつけていく。一方、カイトを切り捨てた元パーティーと王国は凋落の一途を辿り、彼の築いた豊かさに気づくが……もう遅い! 不遇から成り上がる、痛快な逆転劇と辺境スローライフ(?)が今、始まる!
独身貴族の異世界転生~ゲームの能力を引き継いで俺TUEEEチート生活
髙龍
ファンタジー
MMORPGで念願のアイテムを入手した次の瞬間大量の水に押し流され無念の中生涯を終えてしまう。
しかし神は彼を見捨てていなかった。
そんなにゲームが好きならと手にしたステータスとアイテムを持ったままゲームに似た世界に転生させてやろうと。
これは俺TUEEEしながら異世界に新しい風を巻き起こす一人の男の物語。
伯爵家の三男に転生しました。風属性と回復属性で成り上がります
竹桜
ファンタジー
武田健人は、消防士として、風力発電所の事故に駆けつけ、救助活動をしている途中に、上から瓦礫が降ってきて、それに踏み潰されてしまった。次に、目が覚めると真っ白な空間にいた。そして、神と名乗る男が出てきて、ほとんど説明がないまま異世界転生をしてしまう。
転生してから、ステータスを見てみると、風属性と回復属性だけ適性が10もあった。この世界では、5が最大と言われていた。俺の異世界転生は、どうなってしまうんだ。
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる