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視線は、触れるよりも鋭い
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京都駅の構内に、旅人たちの雑多な声が響いていた。天井の高い改札口を抜けた先には、観光客と修学旅行生が入り混じり、スーツケースの音がタイルを滑っていく。京都という非日常の地に降り立った瞬間、空気が少し違って感じられた。静かで澄んでいるのに、胸の奥がざわつく。
凪はリュックを肩にかけ直し、班ごとに整列するクラスの列へと歩み寄る。駅の構内にはエスカレーターから吹き抜けてきた風が入り込み、軽く巻いた髪がふわりと揺れた。その瞬間だった。
結翔が、横に立つ凪の髪に視線を向け、無意識のうちに手を伸ばしかけた。指先が、髪の端に届く寸前。
けれど、その手は触れる前に止まり、ほんの一拍の間を挟んで、静かに引っ込められた。
誰にも見られていないと思っていた。けれど、凪の視線は、ホームに並ぶガイドの看板を見ているようで、わずかに右側に寄っていた。目線の端で、伸ばされ、止まり、戻された手の動きが、しっかりと映り込んでいた。
何も言わなかった。何も表情に出さなかった。
けれど、心の中のどこかが確かに動いた。風に揺れる髪よりも、もっと静かに、もっと深く。
班は再び整列を始め、添乗員が配るパンフレットを一人ひとりに手渡していく。ガイドの女性の明るい声が車内のマナーや昼食の案内を伝える中、凪は黙ってパンフレットを開いた。
目は紙面の文字を追っていたが、意識は斜め前に立つ結翔の背中に向けられていた。
黒いパーカーのフードが、いつもより少しだけ傾いている気がした。無言で立つその背中からは、余計な力が抜けているようにも、逆に張り詰めているようにも見えた。
そのどちらなのか、凪には判断がつかなかった。けれど、その背中は自分と地続きのものだと、どこかで思っていた。
前を向いたまま、凪は胸の奥でつぶやく。
何も言わなければ、この距離は保てる。
言葉を交わさない限り、踏み込みも、拒絶も起こらない。
けれど――
何も言わないままでいたら、きっといつか、
俺が先に崩れる。
その予感は、怖いほどにリアルだった。
この旅の始まりが、自分の中の何かを揺らし始めている。
沈黙は安全だ。何も起こさない代わりに、何も得られない。
けれどその沈黙を破る勇気がない限り、きっとこの関係はずっと“未満”のまま、過ぎていく。
目を伏せ、凪はパンフレットを閉じた。
そのとき、添乗員が「バスは目の前のロータリーから出発です」と案内を始め、集団は再び動き出した。
結翔が一歩、歩き出す。凪もその後を自然に追う。
バスが待つ場所へと向かう人の波の中、ふたりは列の中ほどに並んで歩いていた。
結翔の背中が数十センチ先にある。すぐにでも手が届く距離。
でも、それはあまりにも遠い。
さっきの手の動きが、まだ頭から離れなかった。
触れることを選ばなかった手。
それは、結翔なりの「何か」の証だった。
優しさか、躊躇か、あるいは、自分と同じように怖れているのかもしれない。
ふたりの間には、はっきりとした言葉は何もない。けれど、その分、沈黙の中で交わされるすべてが、言葉以上に鋭く、深く刺さる。
たとえば、さっきの手。
たとえば、その背中。
たとえば、今この距離。
言葉にすれば壊れてしまいそうな何かが、そこには確かに存在していた。
バスの前に着くと、乗車の列ができはじめた。
結翔が軽く振り返り、凪と目を合わせた。
「前、行くか?」
その問いに、凪は首を横に振った。
「いや、後ろの方が静かだし」
「了解」
それだけ言って、結翔は再び前を向いた。凪もそれに続いた。
ふたり並んで、バスのステップを上る。
車内はまだ空いていて、後方の座席には誰もいなかった。
選ぶようにして、窓際に結翔、通路側に凪が腰を下ろした。
誰もまだ気づいていない。
この旅の中で、ふたりの関係が少しずつ変わっていくことを。
けれど、凪にはわかっていた。
ほんの少し伸ばされたその手が、今日の始まりだった。
そしてそれが、これからどんな形で心に残るのかを。
まだ、誰も知らないふりをしているだけだった。
凪はリュックを肩にかけ直し、班ごとに整列するクラスの列へと歩み寄る。駅の構内にはエスカレーターから吹き抜けてきた風が入り込み、軽く巻いた髪がふわりと揺れた。その瞬間だった。
結翔が、横に立つ凪の髪に視線を向け、無意識のうちに手を伸ばしかけた。指先が、髪の端に届く寸前。
けれど、その手は触れる前に止まり、ほんの一拍の間を挟んで、静かに引っ込められた。
誰にも見られていないと思っていた。けれど、凪の視線は、ホームに並ぶガイドの看板を見ているようで、わずかに右側に寄っていた。目線の端で、伸ばされ、止まり、戻された手の動きが、しっかりと映り込んでいた。
何も言わなかった。何も表情に出さなかった。
けれど、心の中のどこかが確かに動いた。風に揺れる髪よりも、もっと静かに、もっと深く。
班は再び整列を始め、添乗員が配るパンフレットを一人ひとりに手渡していく。ガイドの女性の明るい声が車内のマナーや昼食の案内を伝える中、凪は黙ってパンフレットを開いた。
目は紙面の文字を追っていたが、意識は斜め前に立つ結翔の背中に向けられていた。
黒いパーカーのフードが、いつもより少しだけ傾いている気がした。無言で立つその背中からは、余計な力が抜けているようにも、逆に張り詰めているようにも見えた。
そのどちらなのか、凪には判断がつかなかった。けれど、その背中は自分と地続きのものだと、どこかで思っていた。
前を向いたまま、凪は胸の奥でつぶやく。
何も言わなければ、この距離は保てる。
言葉を交わさない限り、踏み込みも、拒絶も起こらない。
けれど――
何も言わないままでいたら、きっといつか、
俺が先に崩れる。
その予感は、怖いほどにリアルだった。
この旅の始まりが、自分の中の何かを揺らし始めている。
沈黙は安全だ。何も起こさない代わりに、何も得られない。
けれどその沈黙を破る勇気がない限り、きっとこの関係はずっと“未満”のまま、過ぎていく。
目を伏せ、凪はパンフレットを閉じた。
そのとき、添乗員が「バスは目の前のロータリーから出発です」と案内を始め、集団は再び動き出した。
結翔が一歩、歩き出す。凪もその後を自然に追う。
バスが待つ場所へと向かう人の波の中、ふたりは列の中ほどに並んで歩いていた。
結翔の背中が数十センチ先にある。すぐにでも手が届く距離。
でも、それはあまりにも遠い。
さっきの手の動きが、まだ頭から離れなかった。
触れることを選ばなかった手。
それは、結翔なりの「何か」の証だった。
優しさか、躊躇か、あるいは、自分と同じように怖れているのかもしれない。
ふたりの間には、はっきりとした言葉は何もない。けれど、その分、沈黙の中で交わされるすべてが、言葉以上に鋭く、深く刺さる。
たとえば、さっきの手。
たとえば、その背中。
たとえば、今この距離。
言葉にすれば壊れてしまいそうな何かが、そこには確かに存在していた。
バスの前に着くと、乗車の列ができはじめた。
結翔が軽く振り返り、凪と目を合わせた。
「前、行くか?」
その問いに、凪は首を横に振った。
「いや、後ろの方が静かだし」
「了解」
それだけ言って、結翔は再び前を向いた。凪もそれに続いた。
ふたり並んで、バスのステップを上る。
車内はまだ空いていて、後方の座席には誰もいなかった。
選ぶようにして、窓際に結翔、通路側に凪が腰を下ろした。
誰もまだ気づいていない。
この旅の中で、ふたりの関係が少しずつ変わっていくことを。
けれど、凪にはわかっていた。
ほんの少し伸ばされたその手が、今日の始まりだった。
そしてそれが、これからどんな形で心に残るのかを。
まだ、誰も知らないふりをしているだけだった。
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