【完結】天使のスプライン

ひなこ

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3・柴田圭輔(しばた・けいすけ)

3-4

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 ふと歩いて行くと、白い服の少女が立っている。肩には派手な頭をした鳥が留まっている。どこかで会ったような。モネと言ったか?
 圭輔が不思議そうに見ると、彼女は腕に抱えていた金縁きんぶちがくを彼に渡した。

「これは……」
 生家に飾ってあった母の遺影だ。圭輔が知る唯一の母の顔。
 若いまま時を止めた母は、百合のように可憐かれんで美しいと思った。目やあごの形が自分と似ていることに気づいて、ますます思慕しぼが強まったものだ。
 圭輔は写真に愛おしく語りかける。

「母さん。父さんは一生あなただけを愛し抜いた、純愛の人だったんです」

 と、割って入ったかのように頼子と尚美の写真が手元に増えた。全部で三枚。 
 でもなぜ? 
 圭輔は額縁を抱えてしゃがみこむ。

「僕は父さんのように、一途に愛することなんてできない。頼子も尚美もいいように利用して、それを止められない弱い男だ」
 とうとう妻だけでなくて、息子にまで見限られてしまった。父に憧れても、父のようになんてなれない。

「本当にそうだったのかしら?」
 圭輔の頭上からモネが言った。羽もないのに、宙に浮いている。
 天使、にしては辛辣しんらつな物言い。

「どういう意味だ?」
「ここはあなたがまだ小さい頃の世界。赤ん坊のあなたはそこの母屋で眠っているわ。これから何が起こるか、見ていればいい」
 平屋作りの木造の家、確かに目の前には自分の生家がある。まだ新しく見えるのは、モネが言うようにここが昔だからか。

 タイムスリップなのか?ホログラムの天使に魅入られて、また異様な世界に入り込んだのだろうか。疑問は晴れぬまま、目の前ではゆったりとした時間が流れている。

 不意に赤ん坊の泣き声がして、縁側から若い女が転がり出てきた。
 圭輔は目を見張る。
 斜め分けの黒髪、細面の顔、あれは……あれは僕の母だ。

「あなた後生ですから、やめて下さい!もう堪忍、許して」
「何言ってやがんだ。話すことなんてない、もうお前とは終わりだ」 
 庭の砂にまみれた黒い結い髪はあちこちがほつれ、涙にぬれた顔も写真の母とは随分かけはなれて見えたけれど、間違いなく母だった。

 そして声だけの父。
 滅多に怒ったことはなかったが、腹から出る太い声は確かに父だった。

「お前のような汚れた女はもういらん。どこでもいいから行ってしまえ」
「お願い、もう二度と会わないから。これきりにしてきたから、もう許して下さい。私の夫はあなただけ。誓うから、どうか許して」
「他の男の手垢がついた女なんぞいらん。圭輔置いて出て行け」
 圭輔の手から額縁がすべり落ち、耳障りな音を立てて割れた。

「嫌です、圭輔と別れるのは嫌。お願い、この家に置いて下さい。お願い」
 母は地面に頭をすりつけて何度も懇願こんがんする。乱れ髪の隙間すきまからあまりにも記憶にこびりついた顔が覗いている。
 これまでずっと会いたいと夢に描いてきた母なのに。なぜか哀れに見えた。

 愛しくてやまない記憶のかけらが、粉々になった感触。
 これはどういうことなのだ。
「真実は必ず美しさをまとっていて?」
 モネが聞き覚えある言葉をつぶやいて見せた。

 真実?
 母は死んだのではなく、不貞を理由に家から追い出された。
 それが真実なのか?

「お母さんはあなたが大きくなった後も、時々来て様子を見に来ていた。あなたを連れ出そうともしていたの。知ってた?」
 そういえば小学校の時に、父が何度か外出禁止令を出したことがある。変質者が辺りをうろついて、誘拐されるからと言っていたが。

「お父さんからすれば、変質者と同じよね。愛する息子を奪いに来るのなら」
「母はその後どうなったんだ?」
「他の男性と一緒に海外に渡ったみたい。その後どこでどうしているのか、私も知らない」
 圭輔の足元で、ガラスが醜く音を立てた。
 遺影を知らずのうちに踏みしめていた。美しい母の顔が、踏んでできたしわでよじれていた。


「そうなのか?父は、本当は母を憎んでいた?だから僕にも会わせず、死んだことにした?」
「憎しみと愛は裏合わせ。愛していたからこそ、過ちを許せなかったのかも。あなたはどう?」
「批判する資格なんてない。僕は父のようには愛を貫けなかった、だめ男だから」
「お父さんだって同じよ。愛した女を許せずに遠ざけてしまった。あなたにも死んだと言い張って、秘密を最後まで隠して逝った」
 圭輔はくぐもった声で静かに笑った。

 笑ったはずなのに、染みるように悲しげな声。圭輔の頬に涙が伝っていた。
「圭輔さん?」

「モネ、君はおかしいと笑うかもしれない。これだけ言われたら普通は、母に会いたいって思うはずだろうって。でも僕は父に会いたいよ。今ここまでわかって、嘘ついたはずの父親ともっと、腹を割った話をたくさんしたかった」

「おかしくない。あなたは、お父さんをものすごく愛しているもの」
「母のことは何も覚えていない。父の記憶と言葉の中で語られた、虚像みたいなもの。父が好きだと言うものは好きになり、愛しているものを僕もすり込まれて愛した。母についても同じで、父が愛したから好きだと思っていたんだよ。死んだと言う言葉さえも信じて」

 でも母のことは、父との間に真実を探れぬ闇のように横たわっていた。
 母の件で遠慮して、ずっと本音で話すことができなかった。
 父は息子よりも、思い出の中の母を愛しているはずだから。
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