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3・柴田圭輔(しばた・けいすけ)
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ふと歩いて行くと、白い服の少女が立っている。肩には派手な頭をした鳥が留まっている。どこかで会ったような。モネと言ったか?
圭輔が不思議そうに見ると、彼女は腕に抱えていた金縁の額を彼に渡した。
「これは……」
生家に飾ってあった母の遺影だ。圭輔が知る唯一の母の顔。
若いまま時を止めた母は、百合のように可憐で美しいと思った。目やあごの形が自分と似ていることに気づいて、ますます思慕が強まったものだ。
圭輔は写真に愛おしく語りかける。
「母さん。父さんは一生あなただけを愛し抜いた、純愛の人だったんです」
と、割って入ったかのように頼子と尚美の写真が手元に増えた。全部で三枚。
でもなぜ?
圭輔は額縁を抱えてしゃがみこむ。
「僕は父さんのように、一途に愛することなんてできない。頼子も尚美もいいように利用して、それを止められない弱い男だ」
とうとう妻だけでなくて、息子にまで見限られてしまった。父に憧れても、父のようになんてなれない。
「本当にそうだったのかしら?」
圭輔の頭上からモネが言った。羽もないのに、宙に浮いている。
天使、にしては辛辣な物言い。
「どういう意味だ?」
「ここはあなたがまだ小さい頃の世界。赤ん坊のあなたはそこの母屋で眠っているわ。これから何が起こるか、見ていればいい」
平屋作りの木造の家、確かに目の前には自分の生家がある。まだ新しく見えるのは、モネが言うようにここが昔だからか。
タイムスリップなのか?ホログラムの天使に魅入られて、また異様な世界に入り込んだのだろうか。疑問は晴れぬまま、目の前ではゆったりとした時間が流れている。
不意に赤ん坊の泣き声がして、縁側から若い女が転がり出てきた。
圭輔は目を見張る。
斜め分けの黒髪、細面の顔、あれは……あれは僕の母だ。
「あなた後生ですから、やめて下さい!もう堪忍、許して」
「何言ってやがんだ。話すことなんてない、もうお前とは終わりだ」
庭の砂にまみれた黒い結い髪はあちこちがほつれ、涙にぬれた顔も写真の母とは随分かけはなれて見えたけれど、間違いなく母だった。
そして声だけの父。
滅多に怒ったことはなかったが、腹から出る太い声は確かに父だった。
「お前のような汚れた女はもういらん。どこでもいいから行ってしまえ」
「お願い、もう二度と会わないから。これきりにしてきたから、もう許して下さい。私の夫はあなただけ。誓うから、どうか許して」
「他の男の手垢がついた女なんぞいらん。圭輔置いて出て行け」
圭輔の手から額縁がすべり落ち、耳障りな音を立てて割れた。
「嫌です、圭輔と別れるのは嫌。お願い、この家に置いて下さい。お願い」
母は地面に頭をすりつけて何度も懇願する。乱れ髪の隙間からあまりにも記憶にこびりついた顔が覗いている。
これまでずっと会いたいと夢に描いてきた母なのに。なぜか哀れに見えた。
愛しくてやまない記憶のかけらが、粉々になった感触。
これはどういうことなのだ。
「真実は必ず美しさをまとっていて?」
モネが聞き覚えある言葉をつぶやいて見せた。
真実?
母は死んだのではなく、不貞を理由に家から追い出された。
それが真実なのか?
「お母さんはあなたが大きくなった後も、時々来て様子を見に来ていた。あなたを連れ出そうともしていたの。知ってた?」
そういえば小学校の時に、父が何度か外出禁止令を出したことがある。変質者が辺りをうろついて、誘拐されるからと言っていたが。
「お父さんからすれば、変質者と同じよね。愛する息子を奪いに来るのなら」
「母はその後どうなったんだ?」
「他の男性と一緒に海外に渡ったみたい。その後どこでどうしているのか、私も知らない」
圭輔の足元で、ガラスが醜く音を立てた。
遺影を知らずのうちに踏みしめていた。美しい母の顔が、踏んでできたしわでよじれていた。
「そうなのか?父は、本当は母を憎んでいた?だから僕にも会わせず、死んだことにした?」
「憎しみと愛は裏合わせ。愛していたからこそ、過ちを許せなかったのかも。あなたはどう?」
「批判する資格なんてない。僕は父のようには愛を貫けなかった、だめ男だから」
「お父さんだって同じよ。愛した女を許せずに遠ざけてしまった。あなたにも死んだと言い張って、秘密を最後まで隠して逝った」
圭輔はくぐもった声で静かに笑った。
笑ったはずなのに、染みるように悲しげな声。圭輔の頬に涙が伝っていた。
「圭輔さん?」
「モネ、君はおかしいと笑うかもしれない。これだけ言われたら普通は、母に会いたいって思うはずだろうって。でも僕は父に会いたいよ。今ここまでわかって、嘘ついたはずの父親ともっと、腹を割った話をたくさんしたかった」
「おかしくない。あなたは、お父さんをものすごく愛しているもの」
「母のことは何も覚えていない。父の記憶と言葉の中で語られた、虚像みたいなもの。父が好きだと言うものは好きになり、愛しているものを僕もすり込まれて愛した。母についても同じで、父が愛したから好きだと思っていたんだよ。死んだと言う言葉さえも信じて」
でも母のことは、父との間に真実を探れぬ闇のように横たわっていた。
母の件で遠慮して、ずっと本音で話すことができなかった。
父は息子よりも、思い出の中の母を愛しているはずだから。
圭輔が不思議そうに見ると、彼女は腕に抱えていた金縁の額を彼に渡した。
「これは……」
生家に飾ってあった母の遺影だ。圭輔が知る唯一の母の顔。
若いまま時を止めた母は、百合のように可憐で美しいと思った。目やあごの形が自分と似ていることに気づいて、ますます思慕が強まったものだ。
圭輔は写真に愛おしく語りかける。
「母さん。父さんは一生あなただけを愛し抜いた、純愛の人だったんです」
と、割って入ったかのように頼子と尚美の写真が手元に増えた。全部で三枚。
でもなぜ?
圭輔は額縁を抱えてしゃがみこむ。
「僕は父さんのように、一途に愛することなんてできない。頼子も尚美もいいように利用して、それを止められない弱い男だ」
とうとう妻だけでなくて、息子にまで見限られてしまった。父に憧れても、父のようになんてなれない。
「本当にそうだったのかしら?」
圭輔の頭上からモネが言った。羽もないのに、宙に浮いている。
天使、にしては辛辣な物言い。
「どういう意味だ?」
「ここはあなたがまだ小さい頃の世界。赤ん坊のあなたはそこの母屋で眠っているわ。これから何が起こるか、見ていればいい」
平屋作りの木造の家、確かに目の前には自分の生家がある。まだ新しく見えるのは、モネが言うようにここが昔だからか。
タイムスリップなのか?ホログラムの天使に魅入られて、また異様な世界に入り込んだのだろうか。疑問は晴れぬまま、目の前ではゆったりとした時間が流れている。
不意に赤ん坊の泣き声がして、縁側から若い女が転がり出てきた。
圭輔は目を見張る。
斜め分けの黒髪、細面の顔、あれは……あれは僕の母だ。
「あなた後生ですから、やめて下さい!もう堪忍、許して」
「何言ってやがんだ。話すことなんてない、もうお前とは終わりだ」
庭の砂にまみれた黒い結い髪はあちこちがほつれ、涙にぬれた顔も写真の母とは随分かけはなれて見えたけれど、間違いなく母だった。
そして声だけの父。
滅多に怒ったことはなかったが、腹から出る太い声は確かに父だった。
「お前のような汚れた女はもういらん。どこでもいいから行ってしまえ」
「お願い、もう二度と会わないから。これきりにしてきたから、もう許して下さい。私の夫はあなただけ。誓うから、どうか許して」
「他の男の手垢がついた女なんぞいらん。圭輔置いて出て行け」
圭輔の手から額縁がすべり落ち、耳障りな音を立てて割れた。
「嫌です、圭輔と別れるのは嫌。お願い、この家に置いて下さい。お願い」
母は地面に頭をすりつけて何度も懇願する。乱れ髪の隙間からあまりにも記憶にこびりついた顔が覗いている。
これまでずっと会いたいと夢に描いてきた母なのに。なぜか哀れに見えた。
愛しくてやまない記憶のかけらが、粉々になった感触。
これはどういうことなのだ。
「真実は必ず美しさをまとっていて?」
モネが聞き覚えある言葉をつぶやいて見せた。
真実?
母は死んだのではなく、不貞を理由に家から追い出された。
それが真実なのか?
「お母さんはあなたが大きくなった後も、時々来て様子を見に来ていた。あなたを連れ出そうともしていたの。知ってた?」
そういえば小学校の時に、父が何度か外出禁止令を出したことがある。変質者が辺りをうろついて、誘拐されるからと言っていたが。
「お父さんからすれば、変質者と同じよね。愛する息子を奪いに来るのなら」
「母はその後どうなったんだ?」
「他の男性と一緒に海外に渡ったみたい。その後どこでどうしているのか、私も知らない」
圭輔の足元で、ガラスが醜く音を立てた。
遺影を知らずのうちに踏みしめていた。美しい母の顔が、踏んでできたしわでよじれていた。
「そうなのか?父は、本当は母を憎んでいた?だから僕にも会わせず、死んだことにした?」
「憎しみと愛は裏合わせ。愛していたからこそ、過ちを許せなかったのかも。あなたはどう?」
「批判する資格なんてない。僕は父のようには愛を貫けなかった、だめ男だから」
「お父さんだって同じよ。愛した女を許せずに遠ざけてしまった。あなたにも死んだと言い張って、秘密を最後まで隠して逝った」
圭輔はくぐもった声で静かに笑った。
笑ったはずなのに、染みるように悲しげな声。圭輔の頬に涙が伝っていた。
「圭輔さん?」
「モネ、君はおかしいと笑うかもしれない。これだけ言われたら普通は、母に会いたいって思うはずだろうって。でも僕は父に会いたいよ。今ここまでわかって、嘘ついたはずの父親ともっと、腹を割った話をたくさんしたかった」
「おかしくない。あなたは、お父さんをものすごく愛しているもの」
「母のことは何も覚えていない。父の記憶と言葉の中で語られた、虚像みたいなもの。父が好きだと言うものは好きになり、愛しているものを僕もすり込まれて愛した。母についても同じで、父が愛したから好きだと思っていたんだよ。死んだと言う言葉さえも信じて」
でも母のことは、父との間に真実を探れぬ闇のように横たわっていた。
母の件で遠慮して、ずっと本音で話すことができなかった。
父は息子よりも、思い出の中の母を愛しているはずだから。
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