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5・氷川朝子(ひかわ・あさこ)
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しおりを挟むモニター画面では、立体的な曲線が何度も軌跡を描いては点滅している。三次元空間をプロットした中で、黒い点が刻々と奇妙なパイプの表面を移動し続ける。モネのタブレットにも似たような描画機能はあるが、朝子のプログラムはそれよりも複雑に見えた。
「これは何を描いている図なんですか?」
「私たちには到達できない別の世界。私たちの住む世界は時間が一方向にしか流れない、やり直しの効かない空間よ。でも宇宙にはそれ以外の法則で流れている世界もあるの」
あんなにわからなかった講義なのに、朝子の言葉がすんなりと理解できた。
「X、Y、Zの三つの軸にまとわりつきながら廻っている、チューブ状のものは何ですか?」
「まだ名前はないの。もし上手く行ったら”スプライン”とでも命名しようかしら」
「スプライン?」
「そういう種類の描画曲線があるのよ。高度な動きに耐えるために三次元描画ソフトの中でも、自由度の高いものを使っているわ。この黒点はベジエ曲線だけでは表現しえない不定形のうねりを続けながら、永久運動をしているの」
朝子は力説した。その曲線こそが、彼女の研究のテーマなのだろう。
まだ試験段階のスプラインはさておき、モネは話を戻す。
「タイムマシンは、高い次元からこの世界を眺めたものですよね」
「そうね。でもあれも、SF小説の創作の範囲なのよね。人と言う有機物が、次元を越えて時を行き来することは不可能だわ」
「形あるものはすべて滅び行く、から?」
「それは文学的な表現ね。寿命を持つということ、生命であること自体が時間に縛られた三次元の所属である証明なの」
縦、横、高さ。それらで構成される立体の中に、過去から未来へ流れる一方向の時間を持つ世界。それが人の住む三次元。生まれ落ちた時から時間と共に歩み生命を費やし、過去へも未来へも移動することはできない。
モネは根源的な疑問を投げてみた。
「じゃあ三次元よりも上の世界に、命は生まれ得ないのですか?」
「他の要素が多次元でも、もし時間だけは一方向……一次元の空間があったとしたら、ありえるかもね。時間が二次元以上だと、きっと不安定な世界でしょうね。一次元でさえ前後に行き来するようになるだけで大人が子供に退行したり、ニワトリがタマゴになったりを繰り返すことになるもの。生き物も文化も、歴史を持つほど存続し得ない」
時間の流れがないところにいる自分は何なのだろう。朝子の説に従えば、自分も生き物ではない。こうして動いたり話したり、感情もあるのに。
「でもこれは人間の知能で調べてわかっている範囲では、ってことね。気づきもしないような仕組みが、広い宇宙の中に隠れていることがある。だったらいるのかもしれない」
「先生はいて欲しいですか?まだ知られていないだけの、未知の生物」
朝子はニコッと笑って返した。いたずらっぽい少女のような笑み。
「いて欲しい。だって私、そのために大人になってもまだずっと勉強しっぱなしなんだから」
不意に朝子は真顔になった。
「ねえ、名前は何と言ったかしら」
「モネです。ええと……相沢モネ」
名字がないと怪しまれそうなので、さっきどこかの掲示物で見た名字をつけた。
「モネさん、あなた普通の人と違うわね」
メガネの奥から鋭い目つきで問われ、モネは迷う。
研究分野からすれば、今までのどのクライアントよりもモネの異質さには敏感なはずだ。いっそ言ってしまおうか、そう息を吸った時。
「もしかしてあなた、私のために次元を降りてこの世界に来てくれたとか?」
「え、あの」
神妙な声がそこで裏返り、嬉しそうにはしゃいだ。
「冗談よ。そんなことありえない、ってわかるくらいの節度は持ってるわ」
ほっとして脱力する。
いや、とっとと見破ってくれた方が良かったのだが。
「でもね、科学ってありえないと思ってしまったら終わりなの。ないと思ってても、どこかにあるって信じて探して探して、それでもうだめだあー、って放り投げた瞬間になぜか見つかるの。何でだろうね?そのあきらめが来ないと見つからない」
「神様が試しているんでしょうか?」
つい思ってもないことを口にした。
神などいない、カノンに散々言われているからか。
「神か。いるのかなあ、この世界に?異次元生物の方がまだいる確率高そう」と朝子。
「やっぱ神はいねえんだなあー」
カノンが応えて軽口を叩く。
と、朝子が気づいて驚いた顔をする。
「オウム?あなたペット連れて通ってるの?それはちょっと問題だわ」
「うっせえ、オウムじゃねえから!」
何度となく言われ疲れたセリフを、また繰り返す。
朝子はポケットからタイマーを取り出してまたしまった。
「あ、これから二時間くらい出かけるの。あなたは帰る?それとも」
朝子の瞳が促していた。一緒に来いと。
「どこへ?」
「マクロに対するミクロ。科学とは正反対のところ」
意味もわからず、ついていくことにした。
正門を抜けて歩くこと十五分、三階建てのクリーム色のビルが見えてきた。
「あそこ。三時から先輩が無料相談に出るの。そのアシスタントをするのよ」
朝子の先輩なら、やはりお堅い学者なのだろうか。マクロのミクロと言うのも意味不明。白衣姿のままスニーカーできびきびと歩く朝子の後を、少し遅れて歩く。
建物の入り口では子供たちがボールで遊んでいる。小さな自転車がいくつも横倒しになって、足元をふさいでいた。
モネは木々の梢を避けて、ビルの玄関に掲げられた文字を読んだ。区民センターと書いてある。案内図を見ると別棟に保健所や図書館もある。地域住民の福利施設らしい。
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