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5・氷川朝子(ひかわ・あさこ)
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さっきたどったカウンセリングノートには、過去のページに知った名がいくつもあった。
木原朋美、柴田圭輔、河合愛美……。愛美は本名の方だろう。
変装でもしてきただろうが、有名女優がよくもこんな人の多いところに来たものだ。
モネには自覚がないが、迷わず彼らをクライアントに選び出したのは朝子が関わった人々だったからだ、
「ようやくわかったか。鈍ちんモネ、ばーか」
自分が助ける相手をクライアントと呼んでいたのも、この境遇の名残だったのかもしれない。朝子は狩野の元を訪れた人々を覚えていたのだ。そしてそれぞれの悲しい顛末も知って、心痛めた。
たった一度きりの人生なのに。もし相談に訪れたあの時、適切な方向に未来を舵取りできていたら……彼らは悲しい最期を迎えずに済んだだろうに。
朝子は生涯をこの研究に捧げ、その先で思い果たせずに亡くなったのだろう。
”学者としては失格だよね”彼女は言った。
人生時間を賭してもまだ足りないほどの、遠大な事象の解明。それが日々、触れあう多くの命のためだったなら、愚かだと笑うことはできない。
はかない一度きりの人生を、朝子もまたそのために捧げたのだ。
「ねえ、真っ暗すぎて呆れた?」
モネの心を知らず、朝子は顔を覗き込んだ。
「ううん、志高いすてきな部屋だと思う」
本当はすぐにも朝子を抱きしめてやりたかった。
かつての自分だとわかったから?
少しちがう。朝子と自分は、別の存在だ。
彼女の最期はどんな風だったのだろう?知りたいようで知りたくない。
個人的な幸せを追求することなく、ただ人々の境遇を救いたいと生涯を捧げた温情の学者。
まして自分の正体は明かせない。来世と思われる自分がここにいるということは、明らかに朝子の死を連想させる。夢に向かって歩もうとしているのに、晩年のことなど考えさせたくはない。
「モネ、あなたはやっぱり不思議な人だよね」
狩野に見えなかった時点で、朝子も気づいていただろう。
「ね、あなたの属する世界ってどんな風?私の望むようなことはできる?それが私の研究の結果じゃなくても、全然構わないから。教えてはくれない……よね?」
遠い宇宙に思いを馳せるように、モネを見つめた。
未来人の可能性も考えているのだろうか。
タイプスリップとも考えている?
朝子の想像を聞いてしまったら、それはそれで面倒になる。
モネもまた自分の置かれている境遇がはっきりと説明できる自信がない。
前世はこの地上だったとしても、今は時間の流れがない空間に隔離されている状態。もしかすると、生まれ変わったとは言えないかもしれない。
時間の潮流の中にいないモネは、生物とは言えないのだから。
ではやはり幽霊?それもわからない。
自身の謎はまた次へと移ったが、言えることはただ一つ。
モネは安心させるべく、まっすぐ朝子に向いて言った。
「大丈夫よ。あなたの救いたい人たちは、ちゃんと幸せになっているわ」
「え?」
まだ数えるほどだけど。この先も私が助けに行くから。
「これからも好きなように、研究とカウンセリングを続けて行って。あなたの努力は報われていくから」
「本当に?信じていいの?」
モネは大きくうなずいて見せた。
私はあなたの意志によって、存在している。
どんなに辛くて迷っても、打ちひしがれそうでも。今の自分を信じて進んでいって。
頑張っている人を、私が必ず見つけて運命を根本から変える。
私が人々をレスキューするのは、彼女が望んだから。
人間の力では及ばない時間の波をくぐって、辛い境遇の人々を救い出したい。その執念がきっと、私をあの部屋に再生したのだ。
時間を横断できる”人間ではない存在”。そうでもならない限りあなたの思いは叶わなかった。
でも、あくまで”今のところ”。いつか変わる時がくるかもしれない。
人の叡智と技術がいつか運命改変へたどりつく日が来るかわからないけど、それまでは私が。
私は人の未来を信じている。ううん、信じたい。
一度彼女から預かったこの役目を、いつかまた人へと返せる日が来ることを。
近寄りがたい才女に見えた朝子が、今はけなげで愛おしく思えた。
「モネ、あなたに会えて良かった。自分が信じてるものはあまりに遠すぎて、妄想なんじゃないかって」
朝子は気丈に微笑んで見せる。
「ばかみたいなこと考えてないで、地道になったらって思うことだってあるの。けど、こうして目の前に現れてくれると信じることができる。私の進むべき道を」
希望に満ちた笑顔は清々しく映った。
「さあ、明日からまたがんばらなきゃ!」
モネは今ここに生きる朝子という存在を、愛すべき生命だと感じた。
ドアを開けて、どちらともなく告げる。
「元気でね」
「あなたもね」
声が揃ってお互いに驚く。
朝子がもし、自分の正体に気づいたら。そればかりがモネを不安へと突き上げた。
「ね、モネ……ありが」
朝子が全部告げる前に、モネは消えていた。
部屋に戻ってソファに飛び込む。
朝子の部屋と同じレイアウトで、まるで帰った気がしない。
「どーよ、すっきりしたか?」
「……このタイミングでネタバレ。意地が悪いよカノン」
「お前が落ち込んだまま上がってこないから。でなきゃやるつもりなかったって」
「でもさ、朝子さんの方が私より使命感に燃えてキラキラしてた。自分が寂しくなったよ」
「朝子の人形になっている気がするのか?」
操られている気はしないが、壮絶な意志は朝子から託されたものだ。彼女の前向きな思いに殉ずるために、クライアントを助けに行くことになる。
「……あれ?」
だがまた一つ疑問が起こる。
「何だ、まだごねるのかい」
「朝子さんはそれでいいかもしれないけど、クライアントたちはどうなのかな?よけいなお世話だったんじゃ……」
「よほど美保の件で懲りてんな。もともとあいつは朋美からお前が勝手に標的変えしたんじゃねーか」
ファイルにかけた手が、そのままストンと落ちる。
エネルギー切れ。すぐに眠くなる。
「やっぱ寝る。だめだあ」
「えええー。まだだめだってか!」
木原朋美、柴田圭輔、河合愛美……。愛美は本名の方だろう。
変装でもしてきただろうが、有名女優がよくもこんな人の多いところに来たものだ。
モネには自覚がないが、迷わず彼らをクライアントに選び出したのは朝子が関わった人々だったからだ、
「ようやくわかったか。鈍ちんモネ、ばーか」
自分が助ける相手をクライアントと呼んでいたのも、この境遇の名残だったのかもしれない。朝子は狩野の元を訪れた人々を覚えていたのだ。そしてそれぞれの悲しい顛末も知って、心痛めた。
たった一度きりの人生なのに。もし相談に訪れたあの時、適切な方向に未来を舵取りできていたら……彼らは悲しい最期を迎えずに済んだだろうに。
朝子は生涯をこの研究に捧げ、その先で思い果たせずに亡くなったのだろう。
”学者としては失格だよね”彼女は言った。
人生時間を賭してもまだ足りないほどの、遠大な事象の解明。それが日々、触れあう多くの命のためだったなら、愚かだと笑うことはできない。
はかない一度きりの人生を、朝子もまたそのために捧げたのだ。
「ねえ、真っ暗すぎて呆れた?」
モネの心を知らず、朝子は顔を覗き込んだ。
「ううん、志高いすてきな部屋だと思う」
本当はすぐにも朝子を抱きしめてやりたかった。
かつての自分だとわかったから?
少しちがう。朝子と自分は、別の存在だ。
彼女の最期はどんな風だったのだろう?知りたいようで知りたくない。
個人的な幸せを追求することなく、ただ人々の境遇を救いたいと生涯を捧げた温情の学者。
まして自分の正体は明かせない。来世と思われる自分がここにいるということは、明らかに朝子の死を連想させる。夢に向かって歩もうとしているのに、晩年のことなど考えさせたくはない。
「モネ、あなたはやっぱり不思議な人だよね」
狩野に見えなかった時点で、朝子も気づいていただろう。
「ね、あなたの属する世界ってどんな風?私の望むようなことはできる?それが私の研究の結果じゃなくても、全然構わないから。教えてはくれない……よね?」
遠い宇宙に思いを馳せるように、モネを見つめた。
未来人の可能性も考えているのだろうか。
タイプスリップとも考えている?
朝子の想像を聞いてしまったら、それはそれで面倒になる。
モネもまた自分の置かれている境遇がはっきりと説明できる自信がない。
前世はこの地上だったとしても、今は時間の流れがない空間に隔離されている状態。もしかすると、生まれ変わったとは言えないかもしれない。
時間の潮流の中にいないモネは、生物とは言えないのだから。
ではやはり幽霊?それもわからない。
自身の謎はまた次へと移ったが、言えることはただ一つ。
モネは安心させるべく、まっすぐ朝子に向いて言った。
「大丈夫よ。あなたの救いたい人たちは、ちゃんと幸せになっているわ」
「え?」
まだ数えるほどだけど。この先も私が助けに行くから。
「これからも好きなように、研究とカウンセリングを続けて行って。あなたの努力は報われていくから」
「本当に?信じていいの?」
モネは大きくうなずいて見せた。
私はあなたの意志によって、存在している。
どんなに辛くて迷っても、打ちひしがれそうでも。今の自分を信じて進んでいって。
頑張っている人を、私が必ず見つけて運命を根本から変える。
私が人々をレスキューするのは、彼女が望んだから。
人間の力では及ばない時間の波をくぐって、辛い境遇の人々を救い出したい。その執念がきっと、私をあの部屋に再生したのだ。
時間を横断できる”人間ではない存在”。そうでもならない限りあなたの思いは叶わなかった。
でも、あくまで”今のところ”。いつか変わる時がくるかもしれない。
人の叡智と技術がいつか運命改変へたどりつく日が来るかわからないけど、それまでは私が。
私は人の未来を信じている。ううん、信じたい。
一度彼女から預かったこの役目を、いつかまた人へと返せる日が来ることを。
近寄りがたい才女に見えた朝子が、今はけなげで愛おしく思えた。
「モネ、あなたに会えて良かった。自分が信じてるものはあまりに遠すぎて、妄想なんじゃないかって」
朝子は気丈に微笑んで見せる。
「ばかみたいなこと考えてないで、地道になったらって思うことだってあるの。けど、こうして目の前に現れてくれると信じることができる。私の進むべき道を」
希望に満ちた笑顔は清々しく映った。
「さあ、明日からまたがんばらなきゃ!」
モネは今ここに生きる朝子という存在を、愛すべき生命だと感じた。
ドアを開けて、どちらともなく告げる。
「元気でね」
「あなたもね」
声が揃ってお互いに驚く。
朝子がもし、自分の正体に気づいたら。そればかりがモネを不安へと突き上げた。
「ね、モネ……ありが」
朝子が全部告げる前に、モネは消えていた。
部屋に戻ってソファに飛び込む。
朝子の部屋と同じレイアウトで、まるで帰った気がしない。
「どーよ、すっきりしたか?」
「……このタイミングでネタバレ。意地が悪いよカノン」
「お前が落ち込んだまま上がってこないから。でなきゃやるつもりなかったって」
「でもさ、朝子さんの方が私より使命感に燃えてキラキラしてた。自分が寂しくなったよ」
「朝子の人形になっている気がするのか?」
操られている気はしないが、壮絶な意志は朝子から託されたものだ。彼女の前向きな思いに殉ずるために、クライアントを助けに行くことになる。
「……あれ?」
だがまた一つ疑問が起こる。
「何だ、まだごねるのかい」
「朝子さんはそれでいいかもしれないけど、クライアントたちはどうなのかな?よけいなお世話だったんじゃ……」
「よほど美保の件で懲りてんな。もともとあいつは朋美からお前が勝手に標的変えしたんじゃねーか」
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