【完結】天使のスプライン

ひなこ

文字の大きさ
31 / 37
6・恩田繁之(おんだ・しげゆき)

6-1

しおりを挟む
(注・話中、京都弁が出てきます。特殊な表現の箇所では標準語を追記しています)


 ファイルを一つ引っ張り出して開く。少し眺めてまた戻す。もうどれくらいそんな動作を繰り返しているだろう。
 脇でずっと見ていたカノンが、ついに怒り出した。
「おいおいおい、気の抜けたビールみたいな面してんじゃねえぞ」
「ビールに顔はありません」
 けっ、と舌を鳴らしてそっぽを向いた。
 モネはため息をついて、また次のファイルに手をかけた。

 どうしてだろう、朝子のところから帰って以来、クライアント選定せんていができない。
 赤いファイルの中から、勘で引っ張り出せばすぐに決められたのに。今はどれを見ても決心がつかない。誰を助けに行くべきか覚悟が決まらない。

「こんなんだったら朝子に会わせない方が良かったよな。よけい動きが鈍ってるし」
「ううん、会えて良かったよ。こうしてクライアントを助けに行ってる理由がわかったし、彼女の思いは私が引き継がなきゃって。でも……」

 今開いた赤ファイルに表示されている顔写真。
 太めの色白の女性。
 彼女のところへ行って、望みどおりに行き先を変えてやれるのか?過去へ行ける力を、適切な方向に向けられるのか?自信がなくなってしまった。人は心に秘めたものがあって、それ一つで全く違って見える。
 そんな手探りの人助けは、押しつけにしかならないのではないか。

「人が人を思いやるってのは限界があるもんだろーが。感情の振り幅、善悪の基準もちがうんだから。気にすんなってば」
 朝子は身近な人々の心を、広大な宇宙の深さと比較して言った。
 小さいけれど、かわいらしくて愛しいと。
「朝子さん、人の心もきっと深くて底知れない……。触れてはいけないやみがある」
「あああ。今度は哲学者になっちまったか。手えかかるなお前は」

 モネが急に立ち上がった。衝撃でカノンが床に転がり落ちる。
「あ?何?何が起きた?」
「哲学者。そう、そうよ」    
 モネはファイルの背表紙をずっと目で追い始める。

 カノンが尻をさすりながら机の上に戻る頃、その中の一つを引っ張り出した。頭の禿げた男の写真を見て目を輝かせる。
「何だよそれ」
「この人、哲学者なの。朝子さんが言ってた。迷った時はいろんな人に会って聞いてみたんだって。自分の中にある思いが、人と会わないと掘り起こせないって。私もそうしようと思う。いいでしょ?」
「いいも何も……いてて」
 カノンは呆れて声も出なかった。

 モネのやつ、禿げじじいが趣味なのか。こんな嬉しそうな顔見たことない。いやそんなことよりも、赤ファイルでも何でもない普通の人間のところに行くと言うのか。

「じゃ決まり!早速レッツゴー」
 カノンの思いもよそに、身支度みじたくもそこそこ指で空を切り始めた。
「おい、置いてくなよ!」
 ふさがる寸前でカノンも穴へと飛び込む。後を追って地上へと降りていった。

 その哲学者の家は、街の中心部から離れた場所にあった。
 千年の都と呼ばれている都市の風情ふぜいは、永く伝統を守った日本独自の建築様式に彩られている。木づくりの門をくぐると、小石でできた波を渡るかのような石畳いしだたみが並んでいた。
 見上げれば、赤く色づき始めた紅葉が美しい。

 多くの人間と接触する今回は、クライアント以外にも姿が見えるよう実体化した。
 カノンはどこまで見えるかわからないが。

 和服姿もたおやかない髪の女性が出て、モネを案内した。
「ほんまかわいらしいなあ。今も他の方が来てはって。今日はお人さん多いでっせ」
 この地方の言葉はゆったりとした口調に、やわらかな気品と心地よさを感じる。
 家屋かおくはまだ建ててそう、年月も経っていない。板張りの廊下を一歩踏むごとに、若木の匂いが立ち上った。
「ここ一体何年なんだよ?戦国時代?」
「二十世紀終わり頃よ。ここら辺はあえて昔と同じような建て方をしているの」
「へえ、懐古趣味かいこしゅみってやつか?」
「静かに、ちゃんと気配消してね?他にも人いるし、オウムは立ち入り禁止よ」
「だからオウムじゃねーっての!」

 恩田繁之は大学で哲学科の教授を務めた後に退しりぞき、今は家を一部学生たちにも開放している。彼の人柄を慕って卒業後も訪れる学生たちは多い。学問について、また日々の悩みについて答を求めてやってくるのだ。
 部屋の廊下で短髪の青年とすれ違う。
 彼はモネに気づくと、わずかに会釈えしゃくして通り過ぎた。
 普通の学生に見えただろうか。とりあえず奇異きいな目を向けられなかったことに安堵あんどする。 

 カノンは人に見えないのをいいことに、家の中を飛び回っていた。
「結局アカデミズム(学問思想)の中にしか、その問いに耐えうる人材はいねえって訳か」
 縁側に留まり、庭のすみにある石の灯籠とうろうに目をやった。

 彫刻にしては随分と形がシンプルだが、これが日本美と言うものか。
 これと似たものを見たことがある……いや、それはだるま落としというやつだ。似ているがきっとあの頭を落としたら、大変なことになるだろう。
 灯籠の頭の上に舞い降り、足元を突っついていたがしばらくして首をひねる。やはり理解するには厳しい。

 モネは奥の部屋に案内され、静寂せいじゃくの中にした哲学者と相対あいたいした。
 それまで穏やかに流れていた辺りの空気が、その瞬間張りつめた。強風が窓の外で竹林をらし、ざわざわと音を立てた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】あやかし団地 管理人見習い日誌

双月ねむる
キャラ文芸
就活全滅で「自分には社会性がない」と思い込む凛は、遠縁の親戚に紹介され、昭和レトロな巨大団地・さくらヶ丘第一団地の『管理人見習い』として住み込みで働くことに。しかしその団地には、中庭の「靴鳴らし」、エレベーター表示盤に棲む狐など、団地限定あやかし達が当たり前のように暮らしていた。 最初は逃げ腰の凛だったが、すねた空き部屋や、ベランダの風鈴が告げるSOSなど、人とあやかしのトラブルに巻き込まれながら、少しずつ『共同体』に関わる勇気を取り戻していく。

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

オヤジ栽培〜癒しのオヤジを咲かせましょう〜

草加奈呼
キャラ文芸
会社員である草木好子《くさきよしこ》は、 毎日多忙な日々を送り心身ともに疲れきっていた。 ある日、仕事帰りに着物姿の女性に出会い、花の種をもらう。 「植物にはリラックス効果があるの」そう言われて花の種を育ててみると…… 生えてきたのは植物ではなく、人間!? 咲くのは、なぜか皆〝オヤジ〟ばかり。 人型植物と人間が交差する日常の中で描かれる、 家族、別れ、再生。 ほんのり不思議で、少しだけ怖く、 それでも最後には、どこかあたたかい。 人型植物《オヤジ》たちが咲かせる群像劇(オムニバス)形式の物語。 あなたは、どんな花《オヤジ》を咲かせますか? またいいオヤジが思いついたらどんどん増やしていきます!

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

白苑後宮の薬膳女官

絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。 ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。 薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。 静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。

火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。 五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。 都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。 見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――! 久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――? 謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。 ※カクヨムにも先行で投稿しています

あやかし帝都の婚姻譚 〜浄癒の花嫁が祓魔の軍人に溺愛されるまで〜

鳴猫ツミキ
キャラ文芸
【完結】【第一章までで一区切り】時は大正。天羽家に生まれた桜子は、特異な体質から、家族に虐げられた生活を送っていた。すると女学院から帰ったある日、見合いをするよう命じられる。相手は冷酷だと評判の帝国陸軍あやかし対策部隊の四峰礼人だった。※和風シンデレラ風のお話です。恋愛要素が多いですが、あやかし要素が主体です。第9回キャラ文芸大賞に応募しているので、応援して頂けましたら嬉しいです。【第一章で一区切りで単体で読めますので、そこまででもご覧頂けると嬉しいです】。

処理中です...