裸身のデッサン

大津らら

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第3話 距離の接近

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     翌週のアトリエ。
 空気は先週と同じように静まり返っていたが、豊の胸の中はまるで別の世界だった。
 鉛筆を握る指先は、あの日の「あなたの目は正直」という声を覚えている。
 思い出すたび、鼓動が速くなり、掌が汗ばむ。

 梓は何もなかったようにモデル台に立ち、ゆったりとした動きで衣服を脱いでいく。
 その所作には恥じらいも迷いもなく、むしろ一枚の布を落とすごとに空気の密度が変わるようだった。
 豊はその光景に息を呑み、視線を定めようとするが、描く前から胸の奥が熱くなる。

 彼女は視線を少し下げ、いつものポーズに入る。
 しかし今日は、ほんのわずかに距離が近い。
 モデル台の縁に片足をかけ、視線をまっすぐこちらに向けている。

 「……近い」
 豊は思わず心の中で呟く。
 その距離は、紙の上に描かれる線ではなく、肌の温度を感じ取れるほどの近さだった。

 彼の指先は震え、鉛筆の先で紙をかすめる。
 線は細く、弱く、しかし確かに彼女の輪郭を追っていた。
 胸の陰影、首筋の滑らかさ、そして腰の曲線。
 豊の呼吸は浅く、視線は彷徨い、時間の感覚が溶けていく。

 梓がふと視線を上げる。
 その瞳には、明らかに意思があった。
 「あなたが描いているのは、私の身体? それとも、私そのもの?」
 言葉には出さずとも、そう問いかけているような眼差しだった。

 豊の喉が鳴る。
 答えられないまま、ただ鉛筆を動かす。
 だが、線はもはや「描く」ではなく「触れる」に近い。
 指先が、紙を通して彼女の肌に触れているような錯覚が、身体を貫く。

 そのとき、梓がわずかに動いた。
 ポーズを変える際、彼女の足が台から降り、豊のすぐそばまで近づいたのだ。
 距離、わずか二十センチ。
 梓の体温が、空気を通して伝わる。

 「……絵、見せて」
 梓が囁くように言う。
 豊は手を止め、震える手で画板を少し傾ける。

 梓は絵に目を落とし、わずかに微笑んだ。
 「あなた、描いてる途中で息が止まってたわ」
 「……え?」
 「線にそれが出てる。ここ、呼吸が浅くなってる線」
 彼女は胸の影を指でなぞり、そこに柔らかく触れた。
 その仕草が、豊の中の何かを確実に刺激する。

 「もっと、自由に描いていいのよ」
 「……自由に?」
 「そう。身体を怖がらないで。見て、感じて、描いて」

 豊の胸の奥で何かが弾けた。
 理性の薄膜が破れ、ただ一人の女を見つめる衝動だけが残る。
 梓は背を向け、再びモデル台に戻る。
 その背中を追う豊の瞳は、もはや絵を描く者の目ではなかった。

 鉛筆の音がアトリエに響く。
 その音の奥には、呼吸と心臓の鼓動が重なっている。
 描かれる線は、女の輪郭ではなく、豊の中に芽生えた熱そのものだった。

 やがて梓がふと振り返る。
 その瞳は、まるですべてを見透かすように、静かで熱い。
 「……そのままでいいわ。その目で描いて」

 豊は無言でうなずき、鉛筆を走らせた。
 その瞬間、アトリエの中で、芸術と官能の境界線がかすかに溶けていった。
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