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第四章 分岐
侯爵邸の酒蔵
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「リディアン王子、少しよろしいか」
席に着いて、二人でお酒を飲んでいると、不意に声を掛けられた。
相手は、犬のように頭の上に耳があり、顔中毛だらけの人だった。
グラスを持つ手にも、びっしりと群青色の毛が生えている。
たしか、僕が召喚された日にもいた。
その特徴的な毛色もだけれど、輝くオレンジ色の瞳の冷たさが記憶にある。
「侯爵閣下がお呼びです」
リディアンは立ち上がり、僕も連れていこうとしたのだが、そこでじろりと一瞥をくれてから言った。
「折り入ったお話があるので、お一人でとのことです」
要するに、僕には用がないということなんだろう。
断ろうとするリディアンの気配を察して、僕はすかさず言った。
「僕はここでもう少し飲んでいます。お気遣いなく」
すると、リディアンは何かを言いかけたものの、口を噤んで頷いた。
途中で一度こちらを振り返ったリディアンにそっと手を振り、僕はふうと息を吐いた。
慣れない場所で気を抜くわけにはいかない。そうは言っても、やっぱり気を張りつめ続けるのは難しい。
僕は、グラスをテーブルに置いて、ホールの中を見渡した。
マティアスはまだ踊っている。今度は違う女性と軽やかにステップを踏んでいた。
ここに来ても、リディアンに声を掛ける人はほぼいなかった。
それだけ、リディアンのことを皆が下に見ているのだろう。
もしかしたら、サガンが男の僕だったことも関係しているのかもしれない。
出来損ないと口さがない人々が噂しているのは知っている。
そこに、僕のことまで加味されているとしたら──。
そうして、ぽつりと一人座って考え込んでいると、見知らぬ人がテーブルに来た。
白衣姿のその人は、同じく真っ白い帽子を目深にかぶっている。
「初めまして、サガン様。この屋敷の料理長をしておる者です」
なるほど。料理長の方か。
それなら白衣なのも納得だ。
「初めまして。料理、どれもとても美味しかったです」
僕がそう答えると、満足げに何度か頷いた。
「料理に合わせてお出ししたお酒ですが、あれは自家製なんです」
「そうでしたか」
乾杯の時に出された果実酒を思い出して、僕は味の感想を伝える。
「お酒に浮かんでいた薄いピンク色の実は、何の実なんですか?」
「ああ、あれはこの屋敷で栽培している果実で、トパーナと申しまして──」
話に耳を傾けていたところ、もう一杯お酒が運ばれて来た。
「こちらはまだ市場に出回っていないお酒でございます。是非ご賞味ください」
お酒はもう十分いただいていたけれど、これを断ることは難しい。
僕はグラスを受け取り、1口飲んでから感想を述べようとした。
でも、後味が少し苦くて、そっちに気を取られてしまう。
「お気に召しませんでしたか?」
「いえ、そんなことは」
一体、何の味だろう。
カチワという野菜のことが頭を掠めたけれど、あれをそのままお酒に入れるわけがないだろうし。
つい考え込んでしまっていると、その間、調理担当者は僕をじっと見つめていた。
「あまりお酒を飲み慣れないもので」
僕は、何とか取り繕って微笑みを向けた。
「この広間の右奥に果実酒の蔵があります。そちらもご覧いただきたく」
「それは──」
ここに来る時に、広間から出る時には声を掛ける約束をしていた。
辺りを見回してもリディアンの姿はなく、だからと言って一人で行くわけにはいかない。
少し先にグンターを見つけて、僕はアイコンタクトで呼び、今の状況を説明した。
「リディアンに伝えておいてもらえますか?」
だが、僕の提案にグンターは難色を示した。
「サガン様の元を離れることはできません。それより、オレも同行します」
すると、料理長は少しムッとして、大仰に首を振った。
「これはこれは。我々がサガン様に危害を加えるとでもお思いで?」
「違います。どうもサガン様にはそそっかしいところがあるので、心配なだけですよ」
グンターは笑って、眉を顰めた料理長に語り掛ける。
「オレも是非、その蔵を見てみたいものです」
すると、渋々と言った体で、僕とグンターを蔵のある奥の部屋へと案内した。
「ここが果実酒の蔵です。どうぞ中までお進みください」
中は狭くて、人一人しか通ることができないほどだ。
果実酒の蔵というだけあって、広間よりも肌寒い。
そういえば、今日はいつもより薄手の服を着ているんだったと、今になって自分の格好を思い出した。
「その一番奥にある樽で、さっきのトパーナを漬けているんです」
そう言いながらぐいぐいと押されて、危うく転びそうになる。
何とか壁に手を突いて身体を支えて歩いていた、その時だ。
「うわっ」
突然足元が揺れたかと思うと、僕はその体勢のまま落下した。
何が起きたのか瞬時にはわからず、状況を知らせようと声を上げかけたところ、背後から布で口を覆われる。
「んんっ……っ」
その間に頭上の床が閉まって、出口が塞がれた。
「サガン様っ!」
グンターの呼び声がしたが、布が邪魔をして声が届かない。
閉じ込められた場所は薄暗くて、最初は何も見えなかった。
その間に、口の中に何かを突っ込まれて、後頭部に結び付けられる。
口枷を嵌められたのだとわかり、ぞっとして外そうとしたが、腕も捉えられて縛られる。
その上で、誰かの肩に俵抱きにされて、ずんずんと更に奥へと運ばれて行った。
地下は想像以上に奥まで続いていて、空気が薄まる感じがした。
突き当りの扉を開けたところで、どさりと床に下ろされる。
「う……っうう」
痛みに呻きながら、僕は目を見開いた。
部屋の左手にろうそくが一つ置かれていて、ゆらりと風に揺れる。
目が慣れてくると、その小さな灯りに照らされて、何人もの男の姿が目に入った。
「ようこそ、サガン様。待ちかねていましたよ」
ろうそくの置かれたテーブルに座る、身体の大きな一人の男。
くくっと喉の奥で笑う声に、ぞわりと鳥肌が立った。
こんな敵意を向けられれば、鈍い僕でもわかる。
今すぐにでも逃げなければ。
グンターに伝えて、ここから出ないと。
僕は必死に逃げる方法を考えながら、自分に迫ってくる男の顔を睨み上げた。
席に着いて、二人でお酒を飲んでいると、不意に声を掛けられた。
相手は、犬のように頭の上に耳があり、顔中毛だらけの人だった。
グラスを持つ手にも、びっしりと群青色の毛が生えている。
たしか、僕が召喚された日にもいた。
その特徴的な毛色もだけれど、輝くオレンジ色の瞳の冷たさが記憶にある。
「侯爵閣下がお呼びです」
リディアンは立ち上がり、僕も連れていこうとしたのだが、そこでじろりと一瞥をくれてから言った。
「折り入ったお話があるので、お一人でとのことです」
要するに、僕には用がないということなんだろう。
断ろうとするリディアンの気配を察して、僕はすかさず言った。
「僕はここでもう少し飲んでいます。お気遣いなく」
すると、リディアンは何かを言いかけたものの、口を噤んで頷いた。
途中で一度こちらを振り返ったリディアンにそっと手を振り、僕はふうと息を吐いた。
慣れない場所で気を抜くわけにはいかない。そうは言っても、やっぱり気を張りつめ続けるのは難しい。
僕は、グラスをテーブルに置いて、ホールの中を見渡した。
マティアスはまだ踊っている。今度は違う女性と軽やかにステップを踏んでいた。
ここに来ても、リディアンに声を掛ける人はほぼいなかった。
それだけ、リディアンのことを皆が下に見ているのだろう。
もしかしたら、サガンが男の僕だったことも関係しているのかもしれない。
出来損ないと口さがない人々が噂しているのは知っている。
そこに、僕のことまで加味されているとしたら──。
そうして、ぽつりと一人座って考え込んでいると、見知らぬ人がテーブルに来た。
白衣姿のその人は、同じく真っ白い帽子を目深にかぶっている。
「初めまして、サガン様。この屋敷の料理長をしておる者です」
なるほど。料理長の方か。
それなら白衣なのも納得だ。
「初めまして。料理、どれもとても美味しかったです」
僕がそう答えると、満足げに何度か頷いた。
「料理に合わせてお出ししたお酒ですが、あれは自家製なんです」
「そうでしたか」
乾杯の時に出された果実酒を思い出して、僕は味の感想を伝える。
「お酒に浮かんでいた薄いピンク色の実は、何の実なんですか?」
「ああ、あれはこの屋敷で栽培している果実で、トパーナと申しまして──」
話に耳を傾けていたところ、もう一杯お酒が運ばれて来た。
「こちらはまだ市場に出回っていないお酒でございます。是非ご賞味ください」
お酒はもう十分いただいていたけれど、これを断ることは難しい。
僕はグラスを受け取り、1口飲んでから感想を述べようとした。
でも、後味が少し苦くて、そっちに気を取られてしまう。
「お気に召しませんでしたか?」
「いえ、そんなことは」
一体、何の味だろう。
カチワという野菜のことが頭を掠めたけれど、あれをそのままお酒に入れるわけがないだろうし。
つい考え込んでしまっていると、その間、調理担当者は僕をじっと見つめていた。
「あまりお酒を飲み慣れないもので」
僕は、何とか取り繕って微笑みを向けた。
「この広間の右奥に果実酒の蔵があります。そちらもご覧いただきたく」
「それは──」
ここに来る時に、広間から出る時には声を掛ける約束をしていた。
辺りを見回してもリディアンの姿はなく、だからと言って一人で行くわけにはいかない。
少し先にグンターを見つけて、僕はアイコンタクトで呼び、今の状況を説明した。
「リディアンに伝えておいてもらえますか?」
だが、僕の提案にグンターは難色を示した。
「サガン様の元を離れることはできません。それより、オレも同行します」
すると、料理長は少しムッとして、大仰に首を振った。
「これはこれは。我々がサガン様に危害を加えるとでもお思いで?」
「違います。どうもサガン様にはそそっかしいところがあるので、心配なだけですよ」
グンターは笑って、眉を顰めた料理長に語り掛ける。
「オレも是非、その蔵を見てみたいものです」
すると、渋々と言った体で、僕とグンターを蔵のある奥の部屋へと案内した。
「ここが果実酒の蔵です。どうぞ中までお進みください」
中は狭くて、人一人しか通ることができないほどだ。
果実酒の蔵というだけあって、広間よりも肌寒い。
そういえば、今日はいつもより薄手の服を着ているんだったと、今になって自分の格好を思い出した。
「その一番奥にある樽で、さっきのトパーナを漬けているんです」
そう言いながらぐいぐいと押されて、危うく転びそうになる。
何とか壁に手を突いて身体を支えて歩いていた、その時だ。
「うわっ」
突然足元が揺れたかと思うと、僕はその体勢のまま落下した。
何が起きたのか瞬時にはわからず、状況を知らせようと声を上げかけたところ、背後から布で口を覆われる。
「んんっ……っ」
その間に頭上の床が閉まって、出口が塞がれた。
「サガン様っ!」
グンターの呼び声がしたが、布が邪魔をして声が届かない。
閉じ込められた場所は薄暗くて、最初は何も見えなかった。
その間に、口の中に何かを突っ込まれて、後頭部に結び付けられる。
口枷を嵌められたのだとわかり、ぞっとして外そうとしたが、腕も捉えられて縛られる。
その上で、誰かの肩に俵抱きにされて、ずんずんと更に奥へと運ばれて行った。
地下は想像以上に奥まで続いていて、空気が薄まる感じがした。
突き当りの扉を開けたところで、どさりと床に下ろされる。
「う……っうう」
痛みに呻きながら、僕は目を見開いた。
部屋の左手にろうそくが一つ置かれていて、ゆらりと風に揺れる。
目が慣れてくると、その小さな灯りに照らされて、何人もの男の姿が目に入った。
「ようこそ、サガン様。待ちかねていましたよ」
ろうそくの置かれたテーブルに座る、身体の大きな一人の男。
くくっと喉の奥で笑う声に、ぞわりと鳥肌が立った。
こんな敵意を向けられれば、鈍い僕でもわかる。
今すぐにでも逃げなければ。
グンターに伝えて、ここから出ないと。
僕は必死に逃げる方法を考えながら、自分に迫ってくる男の顔を睨み上げた。
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