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偽った性別、隠す過去

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「パトリシアお嬢様」
「なあに、サヴァン」
「これ以上は、治安の問題で行かせられません」
「……あと1地区だけ。ね?」
「いけません」

 香油の素材分布図を作成するため、私は侍女のサヴァンを連れてミミリップ地方へと足を運んでいた。朝じゃないと混むから、寝ているサヴァンを叩き起こして朝日が登ると同時に家を出たわ。
 サヴァンったら、「お昼寝の時間を要求します」と真顔で言いながら馬車に乗ったのよ。今日は、一緒にお昼寝しましょうね。

 早朝だと言うのに、ミミリップ地方の人は早かった。みんな、普段もこんな早いのかしら。朝から洗濯をしている人、畑を耕す人が居る。
 私が見た人々は全員、こっちの地区で見たことがないほど痩せ細っている。酷い人だと、ベル嬢よりも骨と皮しかない。そんな姿で働けるの? と心配してしまうほどね。

 もっと奥へ行くと、壁に背をつけて虚な顔して座り込む人々が目立ってきた。まるで、家を持っていないかのようだわ。
 中には、子どもの姿も。

「お嬢様、これ以上はグロスター伯爵の領地になります。あまり近寄らない方が……」
「……待ってて」

 私は、サヴァンに持たせていたカバンからパンとお水の入った容器を取り、座り込んでいる子どもに話しかける。

「ごきげんよう」
「……」
「気休めだけど、これ。毒は入っていないわ。私が食べる用で持ってきたのだけれど」

 持ってきたのだけれど、の「だ」あたりで、その子どもは奪い取るようにしてパンとお水を手に取った。そして、息をする間も惜しいとでも言うかのように食べ始める。

「……お嬢様」
「黙ってて。……ねえ、この辺にラベンダーって咲いていない?」
「咲いてる。あっち」
「そう、ありがとう」
「でも、行かない方が良い」
「どうして?」

 いつの間にか、パンは消えていた。すでに、その子どもの胃袋に収まったらしい。本当、気休めにもなりやしないわね。
 子どもは、私の方を向きながら、

「あっちの地区、人が消えてるから」

 と、恐ろしいことをサラリと言い放った。

 意味のわからない私は、サヴァンと顔を合わせて子どもの発言を待つ。
 その子は、お水の容器に口をつけ、ゴキュゴキュと音を立てながらこちらも秒で飲み干してしまった。

「私のお友達も消えたの。でも、そこはもう食料がなくて死ぬのを待つだけだったから良かったのかも」
「ねえ、待って。そんな治安が悪いの? 食料は?」
「悪いよ。ママが言うには、ずっと前から。食料なんて、今食べたのが3日ぶりだった。ありがとう、貴族のお姉さん」
「……ご両親はどちらに?」

 私の目の前にいるのは、本当に子どもなのだろうか。
 そう思ってしまうほど、淡々とした話し方をするの。「死ぬのを待つだけだったから良かった」なんて、子どもが言って良いことではない。
 達観していると言えばそうなのだけれど、私がこの子の年齢の時は、絵本片手にお母様の膝上で笑い声をあげていたわ。

「パパは知らない。ママは、隣国」
「隣国ってカウヌ? どうして?」

 国境を超えるのには、皇帝陛下のお許しが必要になる。しかも、ちゃんと理由も言わないといけないの。こんな貴族でもない領民が気軽に行ける場所ではない。
 でも、子どもにそんなことはわからないわね。

 今まで「早く帰りたい」という表情だったサヴァンが、初めて子どもに興味を持ったみたい。と言うより、その内容か。
 私よりも1歩前に出て、その子に質問をする。

「お金がもらえるんだって。ママは、そのお金で美味しいものたくさん食べさせてくれるって言ってたの」
「それで、3日前に行ったの?」
「ううん、もっと前」
「え。じゃあ、あなた3日前に何を食べたの?」
「木の根っこ。ほら、あそこに畑が見えるでしょう? そこのおじさんがくれたの」
「……」
「……」

 私が最後にこの地を訪れたのは、グロスター伯爵令嬢のアリス様が土壌調査に出かけるという情報を手に入れた時。偶然、サヴァンが王宮にお父様のしたお仕事を届けた時に聞いたんだって。

 彼女は、ここからもっと奥地に行ったところの土を手に取り、熱心に記録を取っていた。
 私は、そんな彼女をサヴァンと一緒に木の影から見ていたの。今思うと、ストーカーよね。でも、話しかけるだけの勇気はなかったのよ。

 記憶を懸命に思い起こしても、こんな痩せた大地ではなかった気がする。
 グロスター伯爵は、この現状をご存知なのかしら? それに、ロベール侯爵も。自身の領民をここまで放っておくって異常だわ。異常すぎる。

「サヴァン」
「はい、お嬢様」
「王宮に報告しましょう。流石に、私も黙っていられないわ」
「旦那様に一旦ご相談を」
「そんなことしている間に、人がどんどん死ぬわよ。それでも良いの?」
「……お気持ちはわかりますが」
「ねえ、貴女名前は?」
「ベルナ」

 ここは、アリス様の居られた場所。この現状を知ったからには、これ以上野放しになんてさせないわ。

 きっと、グロスター伯爵は娘が毒殺されたことにショックで寝込んでいるのかもしれない。いまだに、犯人が誰なのか公表されていないものね。
 そうよ、実の娘があんな低俗な遊びに使われて何も思わない親はいない。私のお父様お母様だって、お姉様だって私がそうなったら悲しむに決まっている。

「そう、ベルナね。また食料持ってくるから、その時もお話しましょう」
「うん! 絶対だよ」

 ベルナは、会った時よりもずっとずっと子どもらしい表情でニカッと笑ってくれた。
 そうよ、子どもはこうやって笑うものよ。

 私は、ベルナと約束をつけてそこで別れた。なんだかんだ言ってもサヴァンも結構ショックだったみたいで、馬車に戻るまで終始無言だったわ。


***


「やあ、良く来てくれたね」
「初めまして、ガロン侯爵。私は、ベル・フォンテーヌと申します」
「ああ、良い。座ってくれ」

 入宮し、案内人に導かれてやってきたのは「鈴蘭の間」と呼ばれる、机と椅子しかない小さなスペースだった。こんな場所があったのね、知らなかったわ。
 コンコンと扉を叩くと、すぐにガロン侯爵が出迎えてくれる。私は、入り口にイリヤとアインスを立たせて1人で入室した。

「お言葉に甘えまして、失礼します」
「あまりかしこまらなくて良いよ。今日は、対等に仕事をしたいのでな」
「お気遣いありがとうございます」

 ガロン侯爵は、こんなこと言ったら失礼だけど優しいおじいさんって感じのお方だった。領地を取り仕切るくらいだから、もっとピリピリしていると思っていたのだけれど。この雰囲気なら、あまり緊張せずに話せそうだわ。

 私は、指定された場所へと車椅子を進めた。今日のために、イリヤが油を塗ってくれたの。そのおかげで、非力な私でも簡単に動かせる。

「早速ですが、提出を求められていた途中計算式のご確認をお願いいたします」
「ああ、いただこう」
「水道水の量に関するものと、一応、濾過に必要な時間と費用もまとめてあります。1軒ではなく、大人1人、子ども1人に分けたものしかありませんが、よろしいでしょうか」
「十分だ。むしろ、大人子どもを分けてくれて驚いてるよ」

 今までの計算方法を見せてもらったのだけれど、1軒ごとにまとまっていたのよ。
 でも、それだと大家族と1人暮らしの人で差が出てしまうでしょう? 実際、翌月に繰り越している人もいれば、追加で水道水の申請をしている人もいてね。人数を調べたら、追加申請しているのは大家族だけじゃないの。どうして、今まで放置していたのかが不思議だったわ。

 ガロン侯爵は、私の隣に座って資料を読み始めた。
 きっと、対面すると車椅子の私が机上の資料を取りにくいと思ってくれたんだと思う。とてもお優しい方だわ。

「……君の意見を聞かせてくれるか?」
「はい。この計算式を作成する前に、過去の資料を拝見させていただきました。それを踏まえ、1軒ごとではなく1人ごとの計算で配給した方が効率的だと気づいたのです」
「効率的、とは?」
「1軒ごとにすると、大家族の方は途中で追加申請が必要になります。その土地の領主の許可、地域の領主の許可の二重申請、さらに、それを王宮に持っていき皇帝陛下の承認が降りるまでの時間もかかります。であれば、最初から必要な量を渡してしまった方が、領民も陛下も手間が1つ減るかな、と」

 ペラりと紙をめくる音がその空間に響き渡るたび、私の心臓も跳ね上がるようにドクドクと脈を打つ。

 女の……しかも、爵位も下でこんな未成年の意見を聞くなんて、普通じゃありえないのよ。それに、身体を向けずに顔だけ彼に向けて話すなんて、首がはねられるほど失礼なこと。なのに、ガロン侯爵は真剣な顔して資料に目を通しながら私の話を聞いてくれている。

「しかし、その申請を無くしてしまえば、使い過ぎている領民の取り締まりはどうする?」
「完全に申請を無くす、というわけではございません。もちろん、今まで通り足りなくなったら追加申請をしていただきます」
「それでは、今までとの違いはないじゃないか」
「いいえ。今までは、大家族が故に追加申請が必要な人と、単に使い過ぎによる追加申請が必要な人を分けておりません。なのに、水道水量の使い過ぎの忠告が両者に行ってしまっているのが現状です。大家族の方への平等性を欠いてしまうと、少子化の原因にもなり得ます。将来、国を背負う若者をそんなことで減らすのは得策ではないと思うのです」
「ほお、なるほどな」
「それに、田畑に使うお水を不正して生活水に使おうとする人も多く出てきます。それは、犯罪ですし、そもそも濾過していないお水なので健康を害するおそれも十分あります」

 私が話せば話すほど、彼の眉間のシワが深くなっていく。
 言い過ぎたかなと何度も思ったけど、ここまできたらちゃんと話さないとね。ああ、イリヤの笑顔が見たい。

 なんて、冷や汗を背中に流しながら考えていると、急にガロン侯爵が笑い出した。

「ガハハ! いいぞ、予想以上だ。あいつの言った通りだな」
「……あ、あの。何か、変なこと言いましたか?」

 しかめっつらしていたのに、急に笑い出すものだから驚いたわ。でも、それは嫌悪や失笑といった類ではない。むしろ、これは……。

「いや、失礼した。私の補佐をして欲しいほど、君は優秀だ」
「……身に余るお言葉です」
「考えもそうだが、この計算式は今までにないものだ。君は、どこの学舎で知識を得たんだ?」
「本で学びました。フォンテーヌ家には、いろんな本が揃っていて」
「私が贈ったやつかな。フォンテーヌ子爵があまりにも仕事の出来がアレだったので、勉強の意味も込めて贈ったんだ。まさか、君の役に立つとは思わなかった」
「そうだったのですね、ありがとうございます。隣国の言語が書かれている歴史書、さまざまな計算の公式がまとめられた基礎本はここ最近の読書本になっておりますわ」
「それは、1年前に贈ったものだな。月1で3冊ずつ贈っているから、もう結構な数になっているだろう」
「ええ。それを眺めているのもとても楽しいです」
「ははは! 君は、本当にフォンテーヌ子爵の娘か?」

 話をし過ぎたかもしれない。今私が持っている知識は、本で読んだのは嘘ではないけどほとんどがアリスの時に得たもの。もっと詳しく突っ込まれたら、答えられない。

 気が緩んでいた私は、その言葉に動きを止めてしまった。
 けど、すぐに一緒になって笑ったわ。幸いなことに、ガロン侯爵は資料に目を落としていたから気づいていないはず。
 まさか、本当に「違う」だなんて思っていないだろうな。私が彼の立場なら、微塵も思わないし。

 気づかれるわけにはいかないわ。
 だって、今の私はベルなんだから。

「よし、では次はこっちの土壌に関しての話を聞かせてくれ」
「はい。まず、土壌調査に関してですが……」


***

 
 お嬢様がガロン侯爵とお話をしている中、私とイリヤは壁を背中に直立していた。

「イリヤ」
「はい、アインス」

 私が話しかけると、隣で立っているイリヤがすぐに返事をしてくる。
 チラッとそちらを確認するも、視線は前を向いたまま。
 
「ベルお嬢様に、話したのかい?」
「していません」
「なぜ?」
「……」

 イリヤは、その質問が聞こえていないかのように前を見続けている。瞬きをせずじっと虚空を見つめているところを見ると、多少後ろめたさはある様子。
 手を後ろで組んでいる姿は、侍女のものではない。

「お嬢様は、記憶を無くしているんだ。もう一度、イリヤの口から聞きたいと思うよ」
「まさか、記憶喪失が本当だとは思っていなくて。何度もお身体に触れてしまいました」
「それは……」
「……イリヤは自分勝手なのです。正直に話して、お嬢様に嫌われるのが怖いのです」

 そうだ。
 初めは、私も記憶喪失なんて信じていなかった。しかし、お嬢様の行動はそれ以外に説明しようがないほど変わられてしまったんだ。まるで、中身が変わったとしか思えないほど活発で自我を持つ人物に。
 誇らしい反面、自分の持つ知識を超えた現象に不安を抱くのは仕方ないことだろう。

「しかし、王宮に来ればバレるのも時間の問題では? 先ほどから、視線がすごい」
「イリヤが睨めば、全員が口を閉ざしますよ。陛下だって、黙らせてやります」
「はあ……。私からは何も言わないよ」
「はい。お気遣いありがとうございます」

 私は、お嬢様が第一だ。
 しかし、イリヤだって孫のように可愛い。個々に見るより2人ペアで見てしまうため、どっちにつくというのが難しい。
 むしろ、仲違えした場合どう動くかの心配を先にしてしまっている。……なんて、双方を信じていないから考えてしまうんだ。良くないな。

「……拾ってくれたフォンテーヌ子爵には、感謝しかありません。こんな出来損ないのを」
「……私も同じ気持ちだよ」

 身体は男性、心は女性なイリヤ。
 冤罪で、爵位を剥奪された私。
 貴族間で、私たちは立派すぎる問題児だった。

 旦那様は仕事ができないが、こうやって私たちのような人にも優しく接し受け入れてくれるようなお方でな。私もイリヤも、その優しさに救われて今ここにいるんだ。感謝しても、しきれないよ。

「お嬢様に近づく奴は、イリヤが壊します」
「では、私はお嬢様が傷ついたら癒しましょう」
「良いコンビですね」
「はは」

 王宮の廊下は、静かだった。
 この静かさ、イリヤにとっても私にとっても懐かしいよ。……本当に。

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