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光り輝く願いを、過去へ置き去りにして
しおりを挟む私の婚約者、エリック・シャーリー様は、とても温厚で誰にでも平等に優しいお方だった。
……いいえ、それは語弊があるかも。誰にでも優しいけど、私には特別優しかった……と言うのが合ってるかも。とにかく、お優しい方だった。
欠点という欠点は、そうね。お洋服のセンスがないってことくらいかしら? いつも柄×柄や全身同系色、しまいにはどこでそんな模様の服を買ってきたの? って真顔で聴きたくなるようなワイシャツを着ていらしたことも。
だから、嫁いだら私がコーディネートすると決めていた。
そんな彼は、いつもどこかに赤いものを身に着けて私の元を訪れる。この間は、胸ポケットに入れたハンカチだった。
とはいえ、最後にお会いしたのは1ヶ月前。向こうのお家のお仕事が多く、忙しいからあまりお会いできないの。それでも、私の顔が見たいからってお仕事の合間を縫って、いつも花束を届けに来てくださった。
赤いゼラニウムは、私にとって幸福の花。彼が私を愛し、私も彼を愛する証だから。
離れている時間が長くても、愛し合う関係性を認めてくれるゼラニウムの花束を届けに来てくださるから、寂しくはない。
私は、そんな彼の元へ嫁ぐことが誇りだった。生き甲斐だった。
少しでも彼のお役に立てるよう、花嫁修行を頑張ったし、苦手な勉強もたくさんしたわ。……それに、彼に近づきたくて、いつも慣れないピンヒールを履いて少しでも目線を合わせようとしたりね。
あれはそう、明日を私の誕生日に控えた日のこと。
あいにく嵐の吹き荒れる天候の中、付き人のファルルーが大慌てで私の部屋へと入ってきたの。
『お嬢様! お嬢様、大変です!』
『なあに、ファルルー。今、エリック様に刺繍のハンカチを『それどころではないのです!』』
私は、エリック様に渡すための刺繍をしていた。もちろん縫っているのは、ゼラニウムの花。赤い刺繍糸を何度も何度も買い足して、時間をかけた作品なの。気合を入れるために、今日のお洋服も赤くして。
それを、ファルルーは「それどころではない」と言った。私がどれだけの時間を費やして作っているのか、わかっている彼女が。
それだけで、何かとんでもないことが起きていることは理解した。
私は、刺繍針を布に付けて、机の上に置く。まずは、ファルルーを落ち着かせないと。
『落ち着いて。貴女も、私と一緒にシャーリー伯爵家に入るのよ。付き人だからって、気を抜いていたらダメ』
『違うのです、お嬢様! そのシャーリー伯爵が、王族殺害未遂を犯したのです!』
『……え?』
王族殺害未遂。
それを聞いただけで、今後の展開が頭にパッと思い浮かんだ。
王族を攻撃すれば、当事者は処刑を免れない。それに、ちょうど1週間前に勉強した法律によると……。
勢いよく立ち上がって膝裏を椅子にぶつけたけど、そんな痛みはどうでも良かった。
今までの幸福な時間は、まるで波に攫われるように私の中から離れていく。
『エリック様は?』
『……』
『ねえ、ファルルー。エリック様は、どうなるの?』
大罪を犯した者は、その罪を1人で背負いきれないと言われている。だから、その一族が代わりに背負うのですって。
最初聞いた時は、変なのって思った。子が親から自立して、1人で生活していくのが主流な時代なのに、一族の繋がりをそこで出すの? だったら、もっと爵位を親子で簡単に継げる法律も作りなさいよ。じゃないと、バランスが取れないじゃないの。
そう、思ってただけだった。
なのに、今はもっと別の感情が腹の底から湧き上がる。
『……エリック様も明日、城下町広場にて処刑されることが決定しました。もう、覆せません』
私は、ファルルーの言葉を聞いても泣けなかった。
絨毯に膝を付き、全身の力が抜けていくのを感じることしかできない。
『……クラリス?』
そんな私に向かって、開け放たれた扉越しに弟のギルバートが声をかけてくる。
もちろん、全く聞こえなかったわ。
雨風の音も、ファルルーの声も、……渾身の力を込めた私の叫び声も。
***
エリック様が処刑されて、1週間が過ぎた。
机上に飾ってあったゼラニウムは、全ての花弁を下に落とした。枯れて蜜腺の基部に張り付く花弁は、1片たりともなかったわ。不思議よね。
私は、彼が処刑される瞬間も今も、ずっと刺繍でゼラニウムの花を作っている。
ゼラニウムってね、花弁が小さくて重なって咲いているから、その凹凸を刺繍で表現するのが難しいの。針を刺して糸を通して、その上にまた糸を通しての繰り返しで凹凸を作っていくって感じでね。
だから、針も細いものじゃなくて、ちょっと高めの刺繍針じゃないとダメ。これだって、ファルルーと手芸屋さんを回って3件目でやっと見つけたのよ。
『お嬢様、休憩にしましょう』
『ええ、待ってて。もう少しで完成しそうなの』
『……では、見ていてもよろしいですか?』
『良いわ。ごめんなさいね、待たせて』
『いいえ……』
お父様お母様、使用人、みんながみんな、私を腫れ物のように扱っていることは知っていた。
きっと、これを完成させたところで渡したい人が居なければ、褒めて欲しい人も居ない。行き場を無くして、きっと埃を被ってそれきり。
私にだって、それくらいはわかってるつもり。でも、どうしても完成させたかった。中途半端なことは嫌な性格だから。その性格は、エリック様に褒められた私の長所だから。
『ねえ、シャルルー』
『はい、お嬢様』
『私ね、今月でドレス着るのを止めることにしたの』
『え?』
私は、真っ赤な刺繍糸を布に縫い付けながら、シャルルーと会話を続ける。そこのソファに座って良いよって言ったのに、頑なに座らないんだから。彼女も、私に似て頑固なのかも。
エリック様が処刑されてから今まで、私は泣いて過ごしていたわけじゃなかった。
泣いたところで、エリック様が戻ってこないことに気づいたの。だからせめて笑っていようと思ったのだけど……。笑い方も忘れてしまったみたい。
指で口角をクイッと上げないと、震えちゃってうまく上がらないし。笑おうとすると、眉間のシワが深くなる一方で、今までどうやって笑っていたのか思い出せなくて。変よね。
最期に見た彼の顔は、笑顔だった。私にいつものようにゼラニウムの花束を差し出して、受け取ると抱きしめてくれて。その場面を思い出しても、笑えないの。
そんな姿で居ても、エリック様は喜ばない。
だから、私はあることを決めた。
『紹介所にお願いして、お仕事先を見つけてきたのよ。メイドの資格も取れたから、来月からスワナリー地方にある伯爵家で働くことにしたわ』
『え!? お、お嬢様が、働く? メイドとして? え、スワナリーってここから遠い……』
『わ、シャルルー! カップ、カップ!』
お父様には、一昨日の夜にお話した。
婚約者を処刑されたご令嬢なんて、貰い手が居ない。お父様もそれをわかっていたようで、特に反対はされなかったわ。
婚約パーティを開いていなかったから、私が彼の婚約者だったなんて世間は知らない。でも、私がそんなことできなかったの。彼を初めから居ないように振る舞うなんて、できないでしょう。お父様は、その気持ちを汲み取ってくれたのよ。
シャルルーに話すと、案の定って感じの表情になった。なんなら、手に持っていたトレイを傾けて、絨毯が大変なことになったわ。でも、当の本人は気づいていない。
それよりも、私の顔を見ているので精一杯みたいだった。
『もう、シャルルーったら。ティーカップを割ったら、お母様に怒られるわよ』
『え? お嬢様が、メイドに? ……え?』
『シャルルー、聞いてるの?』
彼女ったら、私が話しかけても反応しないで。そんなに驚くことなの? メイドの資格を取れたんだから、ちょっとくらい褒めてくれても良いのに。
……なんて。褒めてもらったところで、私の心がどうこうなるわけじゃない。意味がないのよ、彼じゃないと。
しばらくしても動かないから、仕方なしに私が動いた。
すると、目が覚めたかのようにシャルルーが動き出す。そこで初めて、トレイの上に何も持っていないことに気づいたみたい。大慌てで、絨毯の上に散らばった道具をかき集めている。割れなくて良かったわね。
『……もう、決められたのですか』
『ええ、決めたわ。ずっとここに居てメソメソしてるなんて、私の性分に合わないもの』
『お嬢様が……左様ですか。でも、メイドになられるのは期間限定ですよね? 嫁ぐ準備の一貫ですよね?』
『いいえ? 身体が保つ限り、ずっとお仕事をするつもりよ。私には無理かしら』
『い、いえ! そ、そんなこと! ……でも、旦那様の爵位はどうされるのです? お嬢様が一番適任でしたでしょう』
『そんなの、ギルバートが居るじゃないの。男性なんだから、私よりも爵位を継げる条件も緩いし問題なし』
『……お嬢様』
話を聞いたシャルルーは、涙を一筋こぼした。
なぜ泣いているのか、わからないわ。どうして? って聞こうと思ったら、ものすごい勢いで立ち上がってきて聞けなかった。
そんな彼女は、トレイを絨毯の上に置きっぱなしのまま、私のところまで大股で歩いてくる。そして、その身を抱きしめてくれた。
『お嬢様。……クラリスお嬢様。シャルルーは、お嬢様がどこで何をしても、貴女様のメイドでございます。どうか、そのことを忘れずに居てくださいまし』
『……ありがとう、シャルルー』
この時、お仕事がなくなってしまうからシャルルーは泣いたのかなと思ったの。だって、私の付き人じゃなくなったら、その分お給金が減るでしょう?
でも、そうじゃなかった。
シャルルーは、自身が私の心の拠り所ではないと気づいて、涙を流したみたい。
それに私が気付くのは、もっともっと先のこと。この時の私は、自分でも気づいていないほど生きることに精一杯すぎたのね。
満開のゼラニウムを白いハンカチに咲かせ終えた次の日、私は誰もが眠っている明け方に屋敷を後にした。誰かに何かを言われたくなくてね。出発する日も教えなかったの。自室に置き手紙だけを添えて、そのまま。
なのに、その後ろ姿をお父様お母様、シャルルーを始めとした使用人全員が隠れて見守ってくれていたのですって。数年後、元老院に成り上がった弟と再開して話を聞いた時は、涙が止まらなかったわ。
お父様お母様、こんな娘でごめんなさい。愛してくださり、ありがとうございます。でももう、お会いすることはないでしょう。その資格は、取得できなかったので。
***
アインスと別れた俺は、ミミリップ地方へ向かっていた。
本当は、道をショートカットして行きたいが……。もし、途中でガロン侯爵の乗る馬車とすれ違ったら、それこそ取り返しのつかないことになるだろう。
だから、今はここを走るのが正解だ。
「……?」
1人になって10分は走っただろうか。視界に、道端に止まっている馬車を見つけた。
でも、おかしい。馬が居ないんだ。箱だけあって、馬も御者も居ない。もしかして、不法投棄か? 最近、こういうのが増えているとの報告を受けたし……。いや、不法投棄されるほど古くは見えない。
とにかく、近づいて見てみよう。
そう思った俺は、少しスピードを落としながらその馬車へと近づく。すると、
「……なっ!?」
箱の影に隠れて、死んでいる馬が2頭。どちらも足を折られたのか、開放骨折を発症している。
それだけじゃない。馬と折り重なるように、御者の格好をした男性も事切れていた。一目見て、もう手遅れなことがわかる。センターわけされた前髪から覗く額に、黒い穴が空いていたから。
どうやら、この周辺に銃を持った相手がいるらしい。一気に、緊張感が身体にまとわりつく。
俺は、馬に乗ったまま周囲を見渡した。けど、殺気はもちろん、人の気配も感じない。……人の気配がしない?
馬が2頭で馬車を走らせているということは、人が乗っているということ。なのに、人の気配がしないのはおかしい。
周囲の危険を再度確認した俺は、馬から降りて馬車の箱へと近づいた。すると、馬に乗っていた時は見えなかったが、箱の入り口の隙間から、赤い液体がぽたぽたと滴り落ちている。俺は、急いで馬車の扉を開けた。
「!?」
するとそこには、刃物でメッタ刺しにされた男性の遺体が1つ。ポツンと、座席に座る形で息絶えていた。その周辺には、争ったのだろうか元が真っ白なことを疑うほど真っ赤に染まった書類が、くしゃくしゃになって散らばっている。何の書類か確認しようとしたが、無駄に終わってしまった。
そんな中にいる男性の顔は、恐怖に歪みきっており、その開かれた瞳が殺害された時の感情を表していた。よく見ると、彼の額にも銃痕が。メッタ刺しにされた後、トドメに銃殺か。エグいことをしやがる。
異様な光景に驚きつつ、身元を確認しようと持っていたペンライトで男性を照らした。すると、これまた真っ赤に染まったジャケットの胸に、金色のバッジが光り輝き目をくらませてくる。
「!? これは、ガロン侯爵の紋章!?」
そうだ、この花のマークはガロン侯爵のもの。
急いで馬車の外装を確認すると、扉の取手にも同じ紋章が。ということは、ガロン侯爵が乗っていた可能性も考えられる。このタイミングで狙われるなんて、偶然じゃない。
しかし、その馬車の周辺に血痕は垂れていない。
乗っていなかったか、それともそのまま連れ去られたか。この現場を見ただけじゃ、判断できないな。
とにかく、ミミリップに行こう。亡くなっている人には申し訳ないが、今は応援を呼ぶ手段がない。普段は、こういう時のために2人行動を義務付けているのに。まさか、1人の時にこうなるとは。
抜け道はさっきのところしかないし、ここからだと隠れるような場所はないから、このまま真っ直ぐ向かえば犯人に出会える可能性は高い。
俺は、亡くなった人と馬に手を合わせて、再度馬に乗ってミミリップへと手綱を握った。
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