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嵐は突然に
しおりを挟む医療室の扉をゆっくり開けると、横になっていたシエラ殿がガバッと起き上がった。
まだあんな動作ができないはずなのだが、痛みを差し置いてでも彼には他に気になることがあるらしい。まあ、私もか。
「……アリスお嬢様は」
「今、様子を見てきました。呼吸が浅くなってきたので、酸素吸入療法を施してきたところです」
「嘘だ、そんな……」
お嬢様は、あれから5日も目覚めない。今までは多くて3日で起きていらっしゃったのに、ピクリとも動かなくなってしまわれた。
宮殿で倒れて、そこから馬車で数時間。少し、無理をさせてしまったのかもしれない。あのまま、エルザ様のご好意に甘えてお部屋をお借りすれば良かった。
しかし、イリヤが「お嬢様のご遺体が近くにあるから」と言って屋敷に戻ることを希望したんだ。無論、私も同意見だったから運んだが……。お嬢様は、どうやら食事の内容にショックを受けたらしい。後でイリヤに聞いて、自分の身を呪ったよ。
「脈も弱いので、本日はこのままベルお嬢様についていようと思っています。申し訳ありませんが、席を外しても良いでしょうか」
「そんなの、聞かないでください。ベルお嬢様優先です」
「ありがとうございます。痛み止めが切れましたら、フォーリーとアランが巡回しているので声をかけてください」
「僕のことは大丈夫ですから。それより、ベルお嬢様を……」
今、屋敷に居る人々全員が、目の前のシエラ殿と同じ表情をしている。
笑うことを禁止されているわけではないのに、全員が全員、今にでも泣き出しそうな顔をしているのだ。
旦那様と奥様なんて、ここ数日泣きすぎて顔が変わられてしまっている。仕事も溜まっているし、使用人が手を出すわけにもいかんし。フォーリーも、「やれ」とは言えないらしい。
それに、ガロン侯爵の使いで良く来られていた方が殺されたとか。しばらくは、あちこちがバタバタしそうだよ。
「ありがとうございます、シエラ殿」
「あの、何かお手伝いできることがあったら言ってください。上半身は起こせるし、腕は動くので車椅子をお借りできればお嬢様の側で診ることもできますから」
「大丈夫ですよ。今は、ゆっくり休んで「僕は、肝心な時にお嬢様のお側にいられなかったんだ! だから、せめて屋敷に居る時は……」」
そう言って、シエラ殿は掛けてあった布団を両手で強く握りしめた。
彼には、帰ってからイリヤが状況説明をしたらしい。ロベール殿が絡んだこともあり、ただ屋敷で眠っていた自分を許せないようだ。
それに、失った記憶を取り戻せないことにも苛立ちを感じているように見える。どうにかしてやりたいが……今は、ベルお嬢様を優先しないと。
「シエラ殿。今は、休息の時間です。お嬢様が目覚めましたら、嫌でもリハビリで屋敷内を動いていただきますからその体力を貯めておいてくださいな」
「……すみません。なんだか、寝ている時間が長いと自分にイラついてしまって」
「それが普通ですよ。脈と熱だけ診させてください」
患者は皆、いつも通りに動かせない自身の身体に苛立ちを感じるもの。「いつも通り」を知っているからこそ、理想とかけ離れた現実を見て「こうじゃない」と気持ちだけが前に行くんだ。
そこをコントロールしてやらないと、前に進みすぎていた気持ちがいつの間にかどん底まで下がることもある。いわゆる鬱状態。
だからこそ医療者は、患者の身体が万全でなくてもリハビリを開始させるんだ。動かせば、それだけ別のことに集中できるだろう。
脈を診る限り、シエラ殿は急変する心配がなさそうだな。
本来ならこの隣にサルバトーレ様も寝かせたいのだが……彼は、意地でもベルお嬢様のお側から離れないだろうな。イリヤだって、応急処置しかしてないからちゃんと診たい。ああ、旦那様と奥様には蒸しタオルを届けなくては。
「大丈夫そうですね。痛みはどうです?」
「腹部が少しだけ……。あと、足の感覚が戻ってきて、たまに痺れます」
「痺れるのは少し心配ですね。痺れたら、布団を丸めて足を少しだけあげてみてください。できそうですか?」
「できます! そのくらいは、します……」
シエラ殿も、すっかりお嬢様に魅せられているな。
確かに、彼女には底知れぬ魅力があるから何かと目で追ってしまう。それに、危なっかしいから視界に入っていて欲しいという親心もプラスされて。何か食べ物を召し上がっていらっしゃるお姿も、お仕事に取り組む表情も、何もかもが見ているだけで安堵する。
眠っているだけのお嬢様は、見ているだけで心臓がえぐられるように痛むよ。なんだろうな、これは。
とはいえ、フォンテーヌに仕えている私は、次に起き上がるのがアリスお嬢様でもベルお嬢様でもどちらでも良いように準備をするのが仕事だろう。私にとっては、どちらも「主」だから、やることは決まっている。
「ありがとうございます。では、よろしくお願いします」
「ベルお嬢様をお願いします。……お願いします」
医療室の扉が完全に閉まるまで、シエラ殿はずっと頭を下げていたとか。
これは、気合を入れなおさねば。1年目覚めないことだってある。覚悟を決めるぞ。
***
翌朝。
「ベル! ベルは?」
「ようこそ、いらっしゃいました。パトリシア様」
「アインス! ベルは……」
ベルお嬢様のお部屋でカルテを作成していると、そこにフォーリーに連れられてパトリシア様とサヴァン殿がいらっしゃった。
パトリシア様は、顔面蒼白で部屋の中をキョロキョロと見渡している。ベルお嬢様の眠るベッドに視線を持っていくなり、フォーリーを押しのけて部屋に入ってきそうな雰囲気が。それを、サヴァン殿がやんわりと止めている。
「パトリシアお嬢様、貴族としてその行動は「そんなの今はどうでも良いの! なんで、ベルが起きないのよ。元気だったじゃないの……。香料の企画書、まだ途中でしょう。お仕事だってあなたが居ないと回らないし、私と話が合うのだってベルしか居ないんだから……」」
いや、止められていない。
パトリシア様は、持っていた日焼け防止用の帽子を付き人へ強引に渡し、ズカズカと部屋の中へ入ってくる。彼女らしいよ、全く。
それをぽかんと見ているのは私だけじゃない。
ソファで膝を抱えて丸まっているサルバトーレ様、その隣で車椅子に座りながら足部分を蹴飛ばしているイリヤも、突然の突風に目を向けている。彼らの後ろで立っているクラリス殿も、目を丸くされているな。
「何よ。親友のこと心配しちゃいけないって言うの!?」
「いえ、少々驚いてしまっただけです。ベルお嬢様の容態ですね。突然倒れてから6日も眠ったままです」
「……この管は何?」
「呼吸が浅いので、それを助けるためのものです」
「……ベルは、死ぬの?」
勢いよく入ってこられたパトリシア様は、ベルお嬢様のお顔を見るや否や、その大きな瞳からポロポロと涙をこぼし始めた。両手でドレスを強く握りしめ、今までの威勢はどこに言ったのやら、近づいてきたサヴァン殿にしがみつく。
そのお姿を見て、心苦しくならない方が難しい。私は、持っていたペンを置いてパトリシア様の方へと向かった。
すると、彼女がこちらを見て、周囲を見渡し始める。
どうやら、私以外にも人が居ることに今気づいたらしい。猛スピードでサヴァン殿から奪い取ったハンカチで涙を拭っている。
「死なせませんよ。大丈夫です」
「……本当に?」
「お嬢様は、1年もの間眠っておられたこともあります。長期戦だと思って、こちらは構えていますから」
「1年……」
「はい。ですから、起きたらまた、ベルお嬢様とお話してくださいますか?」
「当たり前でしょう!? 私は、ベルの大親友なのよ!!」
「それはそれは、失礼いたしました」
私が話しかけると、気丈な表情になって前を向いた。
先ほどまで泣いていらしたとは思えないほどの表情は、そのままベルお嬢様に向くと思いきや、ソファ前で立ち尽くしているサルバトーレ様に向けられている。
「じゃあ、行くわよ!」
「へ?」
「あんた、ここでずっとメソメソしてるわけ? やることがあるでしょう!」
「あ、ああ……」
「ベルが起きるまでに、それを全部終わらせるのよ! ここに居るってことは、ベルのお兄様になったのでしょう!?」
「……そうだな。クラリス、ベルの側に居てくれないか」
「良いですが、サルバトーレ様は……」
「私が責任を持って男にしてきます!!」
「は、はい……。お、お願いします」
何をするのか、聞く暇はなかった。無論、止める暇も。
パトリシア様は、サルバトーレ様の手を強引に掴むとそのまま、ズンズンと足音がしそうなほど豪快に部屋を出ていかれてしまった。その後ろを、頭をゆっくりと下げて颯爽と立ち去るサヴァン殿は慣れていらっしゃる様子。イリヤは、そんなサヴァン殿に向かって楽しそうに手を振っている。
クラリス殿は……嫉妬するかと思ったが、それ以上にパトリシア様の威力に負けたらしい。終始、ポカーンとした表情になって主人の消えていった方角を見つめているだけだった。
さて、何をするのやら。
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