145 / 217
17
知らない記憶、急性期
しおりを挟む暗闇の中、コツコツとヒールの音が鳴り響く。
ここはどこ?
私は、いつまでも終わらない階段を永遠と降り続けている。不思議と、疲れはない。
「誰か、居ませんか?」
さっきからこうやって声をかけてるのだけど、なんの反応もないのよね。
ここって、ジョン・ドゥさんの居る世界じゃないの? どうして私は、ここを歩いてるの? 何もかもわからないわ。
でも、足を止めちゃダメな気がしてね。
振り向くのも、本能的にやってはいけないことだと身体が教えてくれるの。だから、私は前に向かって進むだけ。
「ベル、どこかにいるんでしょう?」
あの不快な音楽は止まった。
頭痛を引き起こすのでは? と思うほどの曲は、しばらく脳内に張り付いて離れなかったのに、今はその記憶が薄れつつある。なんなら、メロディがはっきりと思い出せない。
とはいえ、もう一度聴きたいかと聞かれたら、答えはNOね。一生分聴いたもの。
今は、こうやって誰かを探しつつ、前へ歩くしかやることがない。
不思議なことに、足元はパンプスなのにヒールの音がするのよね。しかも、遠くから。この足音は、私のじゃないってこと?
コツコツ、コツコツ。
規律の良い音は、私がゆっくり歩けばゆっくりに、速く歩けば速くなる。だからきっと、この足音は私のもの。
この空間自体が普通じゃないんだもの。真面目に考えているのが馬鹿らしくなってくるでしょう。
「貴女って冷めてるよね」
「わっ!? ベ、ベル!?」
「あはは、待った?」
「待った!」
「ごめんごめん」
足音を不思議に思い下を向いていると、声が聞こえてきた。
急いでそちらを向くと、いつものように人を小馬鹿にしたような表情のベルの姿が。私たちは、一緒になってコツコツと足音を鳴らせて、階段を降りていく。
一瞬立ち止まろうと思ったけど、ベルが背中を押してくるの。だから私は、このまま歩き続ける。……下へ向かって。
「ここ、止まったら戻れなくなるから気をつけて」
「え?」
「後ろを振り向いてもダメよ。このまま、一番下にある扉に向かって歩いて頂戴」
「……わかったわ」
どうして振り向いちゃダメなの? なぜ、貴女は扉があるとわかるの? そう聞こうと思ったけど、ベルの表情を見て止めた。彼女、なんだかとても思い詰めたような顔してるんですもの。これじゃあ、聞けないでしょう。
それに、ここはどこなのか、どうして私はここに居たのかも聞きにくい。
だって、さっきまで普通だったのに、急にいつものベルじゃなくなったの。表情というものが皆無で、全てを諦めているようなそんな顔をしているのよ。言葉だって、とても平坦で感情がない。
なのに、その優しさって言うのかしら? それは、いつもベルから感じるものなの。
「あんた、鈍臭いから一緒に行ってあげる」
「ここを真っ直ぐ行けば良いんでしょう? 1人でも行けるわ」
「自信過剰。私だって行けなかったんだから、優柔不断なあんたが行けるはずないでしょう」
「何よ、優柔不断じゃないもん」
「はいはい。それよりも、誰かの声がしても絶対に振り向いたらダメだからね。誰もいやしないんだから」
「振り向いたら、どうなるの?」
「あんたは知らなくて良いこと。早く行きましょう」
そうやって、ベルは私の手首を持って引っ張ってってくれる。
彼女って、一人っ子なのに面倒見良いわよね。お姉さんが居たら、こんな感じなのかしら。まあ、ベルとは同い年だけど。
ベルの手は、相変わらず冷たい。
まるで、雪を掴んでいるような感じで、自分の体温で溶かしてしまいそうな危うさがある。溶けたら彼女が居なくなってしまう気がして、ちゃんと握り返せない。
だからそのまま、手首を捕まれて私は階段を下り続ける。
「……」
「……」
会話はない。
話しかけにくいから、私も無言のまま。
いつもみたく、嫌味の一つや二つ言えば良いのに。そうすれば、私だって倍にして返してやるのに。
どうして、黙ったままなの?
『お嬢様、お食事をお持ちしました』
「え?」
意を決して話しかけようと口を開くと、耳元で優しい声が響く。
その声は、どこかで聴いたことのあるもの。
私は、散々ベルから言われていたのに、声に振り向いてしまった。
***
『お嬢様、お食事をお持ちしました』
『……だれ』
気づくと、見慣れた場所に立っていた。
大きな部屋にベッド、机が一つずつ。ソファにティーテーブルも。ここは、グロスターの自室だわ。
入り口を見ると、燕尾服を着たアレンがトレイ片手にこちらを向いていた。
ありがとう、と言って受け取ろうとした時、私の後ろから声が聞こえてくる。さっき見た時は居なかったのに。驚いて振り向くと、ベッド上に髪をボサボサにして何かをしている少女が見えた。
その少女は、ゴールドの髪を振り乱してまるで浮浪者のような雰囲気を醸し出している。天蓋ベッドのカーテンをおろしているからぼんやりとしか見えないけど、私の部屋に誰が居るの?
『初めまして、先日配属になりましたアレンと申します。メアリー料理長より、お料理を届けに参りました』
『……りょう、り』
『お部屋に入ってもよろしいでしょうか?』
『しんじゃう、たべなきゃ』
『!?』
「アレン、危ない!」
アレンは、入り口で立ち止まりベッドの方へ話しかけている。
すると、薄いカーテンの向こうからサッと何かが飛び出してきた。毛むくじゃらのそれは、アレンに向かって一直線に駆けていく。
びっくりして目を閉じた瞬間、ガシャン! と、大きめの衝撃が部屋に響いた。
陶器の割れる音、トレイが落ちる音、それに……。
『……お、お嬢様? アリスお嬢様ですよね?』
『たべなきゃ、ング、……とらないで、わたしのごはん』
『ッ……』
クチャクチャとした音が聞こえてくる。
生々しい音の正体を知りたくて目を開くと、そこには先ほどの衝撃なんか比じゃないほどの光景が飛び込んできた。
「何よ、これ……」
床に散らばった食事、それを這いつくばるように貪る乱れ髪の少女、それに怯えるアレン。
その音は、少女が食べ物を食むものだった。
醜態を晒した少女は、両手が、服が、顔が汚れようと、それを気にせずに床に落ちた食べ物をかき集めて口の中に詰め込んでいる。割れたお皿のかけらもきっと、彼女の口の中に入っていると思う。
でも、それは些細なこととでも言うように、少女は……アレンがアリスお嬢様と呼んだ少女は、狂ったように食べ物を掴む。
『ア、アリスお嬢様、お、お怪我してしまいますから……』
『んっ、ング……ハッ、はっ』
『……っ』
これは、私じゃないわ。違う。
だって、アレンと初めて会ったのは、私がお仕事をしている時だったもの。皇帝陛下からの伝令を届けてくれたのが、貴方との出会いだったでしょう? これは、いつのもの? またジョン・ドゥさんのいたずら?
アレンは、恐怖を抱きながらも、床に這いつくばる少女を起こそうと必死になっている。なのにその少女は、彼の手を振り払って食事を続けているの。「じゃまするな、これはわたしのだ」とぶつぶつ言いながら。
これは、私じゃない。違う。違う。こんな無様な姿を、私は知らない。
***
お母様と一緒に国の情勢を勉強するため、僕は王宮の資料室に居た。
「カイン、書類は遅くとも3分以内に探すのよ」
「はい、お母様」
お母様は、王妃として国の財政管理をしている。
隣国なら、宰相の付き人がするんだって。この国にも、いろんな職業が増えて良いと思うんだけどな。そうなると、王族につくのか元老院につくのかで揉めるとか。
僕が王になってもそんな風だったら嫌だな。1日で胃に穴が空く自信しかない。
今日は、5年前に起きた賭博違法の事例を勉強していた。
カジノで働くディーラーが、イカサマ師だったって事件。違法な手法で客を騙し、その上に居た貴族に金銭を横流ししていたらしい。その時、僕はアベル兄さんと遠征で隣国に居たから概要しか知らないけど、かなりの貴族が捕らえられて罰を受けたという話を聞いた。
「うわっ!?」
「どうしたの、カイン?」
資料室でその時の記録を探していると、持っていたファイルに汚れの酷い書類が挟まっていた。
その汚さに、僕はファイルごと書類を放り投げてしまった。すると、後ろで座って本を呼んでいたお母様が立ち上がって紙を手にする。
僕なら、触りたくない。
なのに、お母様はまるで宝物のように大事に汚れた書類だけを手の中に収めている。
「お母様、捨てましょう。見た限り、誰かの落書きのようですし」
「こんなところに挟まっていたのね……」
「お母様?」
僕が手を差し出しても、お母様はその紙を離そうとしない。
それどころか、僕の声が聞こえているかどうかも怪しい。もう一度声をかけようとした、その時だった。お母様は、口を開く。
「アリス……。アリス」
そう言って、涙を一筋頬に伝わせた。
アリス? それは、僕の初恋の人の名前だ。
いつも気丈に振る舞い、仕事をこなす僕の憧れだった。でも、彼女は自殺しちゃったんだ。きっと、疲れちゃったんだと思う。仕事仕事で、色々詰め込んでいたし。
悲しくてその時たくさん泣いたけど、今はサレンに憑依してるらしい。でも、あれは本物じゃない。一度好きになった相手だもん、間違えるわけはない。
そういえば、彼女が自殺したのも5年前だな。
それにしても、その書類は汚い。
お茶や食べ物でもこぼしたかのようなシミが多いし、臭いも酷そう。こんなの、公的書類なわけないじゃないか。ここは、公的なものしか保存できない資料室だぞ。
なのに、どうしてお母様はそんな大事そうに持ってるのかな。僕は、まだまだ未熟だからわからないよ。
0
あなたにおすすめの小説
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛とオルゴール
夜宮
恋愛
ジェシカは怒っていた。
父親が、同腹の弟ではなく妾の子を跡継ぎにしようとしていることを知ったからだ。
それに、ジェシカの恋人に横恋慕する伯爵令嬢が現れて……。
絡み合った過去と現在。
ジェシカは無事、弟を跡継ぎの座につけ、愛する人との未来を手にすることができるのだろうか。
『紅茶の香りが消えた午後に』
柴田はつみ
恋愛
穏やかで控えめな公爵令嬢リディアの唯一の楽しみは、幼なじみの公爵アーヴィンと過ごす午後の茶会だった。
けれど、近隣に越してきた伯爵令嬢ミレーユが明るく距離を詰めてくるたび、二人の時間は少しずつ失われていく。
誤解と沈黙、そして抑えた想いの裏で、すれ違う恋の行方は——。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる