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第二章
観察の途中経過
エルダーの声じゃない。
でも、この声の持ち主はもう俺の名前なんて呼ばないはずだ。だって本人がそう言っていた。
だけど聞き間違いだというにははっきりとしすぎていて、俺は希望を捨てきれないまま恐る恐る視線を向けた。
「フィリアス様、どうかされましたか」
ああ、聞き間違いではなかった。
「! どうして」
「あーあ、泣かせた~」
「え、兄様が悪いの⁉︎」
「リオル様、ラナ、こちらへどうぞ。ゴードンがデザートを作ってくれていますよ」
「あ、あの、大丈夫なのでしょうか?」
「問題ありません。お二人とも大人ですから」
俺が溢れてくる涙を慌てて拭っている間に、蜘蛛の子を散らすようにエルダーたちが側からいなくなってしまった。
リュシアンの顔は見えないけれど、それでも困っているのが空気で伝わってくる。
「こ、困らせてごめん」
「……失礼」
涙を拭っていた手を取られた。正確には手首を握られた。
何が起こっているのかわからないまま目を白黒させていると、リュシアンがエルダーに向けて口を開いた。
「フィリアス様を借りる」
「かしこまりました」
そのやり取りが終わると、俺はそのまま手を引かれてリュシアンと共に厨房を出た。どこに行くかもわからないまま、リュシアンにつられて歩く。
雨のように落ちてくる涙を拭いつつ進みながら深呼吸をして、そこで気が付く。
歩く速さを、合わせてくれている……?
ここに初めてきてリュシアンに案内された時、彼の歩幅が大きすぎて息切れしたのを覚えている。でも今は深呼吸する程度の余裕はあるし、俺のことを考えてか腕を引っ張るような乱暴な素振りもない。
そしてそれは、前もそうだった。
「……」
夜に溶けるようなリュシアンの後ろ姿を見ながら、エルダーの言葉を思い出す。
──今一度、あなた様の周りにいる人間をよく観察されてみてください。
その言葉の真意がやはり俺にはよくわからない。
けれど今目の前にいるリュシアンからは、敵意は感じられない。
「……リュシアンは」
歩きながら声を掛けると足が止まる。
手首を握ったまま振り返ったリュシアンの表情は、月明かりのせいかいつもよりも穏やかに見えた。
今は凍てつくような視線も、不機嫌に刻まれた眉間の皺もない。
俺は多分初めて、リュシアンのことが怖くないと思えた。
「俺のこと、少しは嫌いじゃなくなったのか?」
そう問うと、リュシアンが面食らったように目を剥いた。
ややあって溜息を吐き、俺を見る。
「私が一度でもあなたを嫌いと言ったことがありますか」
今度は俺が瞬きをする番だった。
「で、でも名前も呼びたくないって」
「嫌いとは言っていません」
「似たようなものじゃないか」
「違います」
すぱん、と返ってきた言葉に押し黙る。どうやら俺とリュシアンでは認識に齟齬があるようだ。
「……じゃあ、嫌いじゃないのか?」
「そう言っています」
言われてない。そう思ったが、これを声に出したらまた言い負かされる気がして口を閉じる。
それからまた会話がなかったが、今は不思議と気まずくなかった。
むしろ嫌われていないとわかって、少し嬉しいとすら感じていた。
でも、この声の持ち主はもう俺の名前なんて呼ばないはずだ。だって本人がそう言っていた。
だけど聞き間違いだというにははっきりとしすぎていて、俺は希望を捨てきれないまま恐る恐る視線を向けた。
「フィリアス様、どうかされましたか」
ああ、聞き間違いではなかった。
「! どうして」
「あーあ、泣かせた~」
「え、兄様が悪いの⁉︎」
「リオル様、ラナ、こちらへどうぞ。ゴードンがデザートを作ってくれていますよ」
「あ、あの、大丈夫なのでしょうか?」
「問題ありません。お二人とも大人ですから」
俺が溢れてくる涙を慌てて拭っている間に、蜘蛛の子を散らすようにエルダーたちが側からいなくなってしまった。
リュシアンの顔は見えないけれど、それでも困っているのが空気で伝わってくる。
「こ、困らせてごめん」
「……失礼」
涙を拭っていた手を取られた。正確には手首を握られた。
何が起こっているのかわからないまま目を白黒させていると、リュシアンがエルダーに向けて口を開いた。
「フィリアス様を借りる」
「かしこまりました」
そのやり取りが終わると、俺はそのまま手を引かれてリュシアンと共に厨房を出た。どこに行くかもわからないまま、リュシアンにつられて歩く。
雨のように落ちてくる涙を拭いつつ進みながら深呼吸をして、そこで気が付く。
歩く速さを、合わせてくれている……?
ここに初めてきてリュシアンに案内された時、彼の歩幅が大きすぎて息切れしたのを覚えている。でも今は深呼吸する程度の余裕はあるし、俺のことを考えてか腕を引っ張るような乱暴な素振りもない。
そしてそれは、前もそうだった。
「……」
夜に溶けるようなリュシアンの後ろ姿を見ながら、エルダーの言葉を思い出す。
──今一度、あなた様の周りにいる人間をよく観察されてみてください。
その言葉の真意がやはり俺にはよくわからない。
けれど今目の前にいるリュシアンからは、敵意は感じられない。
「……リュシアンは」
歩きながら声を掛けると足が止まる。
手首を握ったまま振り返ったリュシアンの表情は、月明かりのせいかいつもよりも穏やかに見えた。
今は凍てつくような視線も、不機嫌に刻まれた眉間の皺もない。
俺は多分初めて、リュシアンのことが怖くないと思えた。
「俺のこと、少しは嫌いじゃなくなったのか?」
そう問うと、リュシアンが面食らったように目を剥いた。
ややあって溜息を吐き、俺を見る。
「私が一度でもあなたを嫌いと言ったことがありますか」
今度は俺が瞬きをする番だった。
「で、でも名前も呼びたくないって」
「嫌いとは言っていません」
「似たようなものじゃないか」
「違います」
すぱん、と返ってきた言葉に押し黙る。どうやら俺とリュシアンでは認識に齟齬があるようだ。
「……じゃあ、嫌いじゃないのか?」
「そう言っています」
言われてない。そう思ったが、これを声に出したらまた言い負かされる気がして口を閉じる。
それからまた会話がなかったが、今は不思議と気まずくなかった。
むしろ嫌われていないとわかって、少し嬉しいとすら感じていた。
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