夜に滲むはきみのまぼろし

浦見晴

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8.一難去って

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「やぁやぁやぁ! 君がジェイ・スタンリーだね!」
「人違いだ」
「そんなわけはない! ここ一週間ほどずっと君を見ていたのだからね!」
「………はぁ」

 うるさい。距離が近い。
 第一印象は最悪。



 ただぼんやりしていた。
 単に次の授業まで中途半端に時間が空いてしまい、適当な場所で時間を潰すために偶然無人だった中庭のベンチに座っていただけだった。

 天気は晴れ。
 残暑もすっかり過ぎて、秋口の昼下がりの穏やかな日差しは読書に丁度いいと思った。
 しかし手持ちの本を読んでいるうちに段々と眠たくなってきて、少し目を瞑ろうかと思ったタイミングで奴は訪れた。

「私はトパーズ! トパーズ・ヴェルヌ! 君と同じ3年生!」
「はぁ………」

 勝手に横に腰掛けて、両手を慌ただしく動かしながら大声で自己紹介をする男。
 名前はトパーズ・ヴェルヌ。
 あまり他人に興味のない俺でもその存在はよく知っていた。

 ボサボサの灰色の髪、伸ばしっぱなしの前髪。その長い前髪の下をよく見れば眼鏡をしている。そしていつもローブではなく薬学の授業で着るような白衣を着ていることと、大きな口から覗く鋭い犬歯が最大の特徴だろう。

 一見すると人間族のようにも見えるが、当然のように彼も魔族だ。彼は満月の晩にだけ狼に変身する人狼であるらしい。
 狼の姿を目にしたことはないが、ルベルが『満月の夜にトパーズに会ったらヤバいらしいぜ!』と話していたのを覚えている。
 まあルベルも誰かから又聞きしただけのようなので、その真偽は定かではない。

 そんなトパーズが俺のもとへやってきた理由。
 実は心当たりがある。

 トパーズは万物を愛する生物学者である。
 そう自称しているのを何度か聞いたことがあった。
 学年が同じともなれば、必修の授業が被ることもある。その際にトパーズが誰彼問わず「君を調べさせてくれ! 」と片っ端から頼み込んでいるのを何度か見かけたことがあった。ラシュなんかはよく絡まれていたと記憶している。
 当時は人間族に興味がなかったのか俺やルベルが標的となることはなかった。しかしここに来てトパーズが俺を訪ねてきたのは、きっと俺が今年度から学年首席になって目立つようになったからだ。

「ところで君にお願いがあるんだが!」
「断る」
「君を研究したいのだが、協力してくれないかな!!」
「断る」
「私は! 君を!! 知りたい!!!」

 両手をしっかりと握られ、鼻息を荒くしたトパーズにそう言われる。
 よく見ればその手は古傷だらけだった。手だけではない。顔も、首も、袖捲りした腕も、目に見える肌は小さな傷で溢れていた。中には絆創膏やガーゼに覆われている部分もあって、一体何をすればそうなるのかと疑問に思う。

 ともかく変人にわざわざ付き合ってやるつもりは毛頭ない。
 俺はがっちり掴まれた両手はそのままに、顔だけはトパーズから可能な限り離して口を開く。

「……何故、俺なんだ」
「何故? 3年目にして突如現れた新星! そして純粋な人間族だというのに実技で最高評価である『特』判定を受けるその底知れない実力! 惹かれない方がおかしいよ!」

 トパーズは頬を赤く染め、息を荒げながらそう言った。俺は眉根を寄せてあからさまに『迷惑です』という表情を作るが、それに気付いていないのかあえてスルーしているのか、トパーズはそのまま俺がいかに魅力的なのか語り続ける。
 話が通じない輩には無視が一番いい。しかし両手は無理やり剥がすことが難しいくらい強く握られているし、無視が通用する相手とも思えない。

 どうこの状況を切り抜けるか考えていると、ぬうっと後ろから腕が伸びてきて俺とトパーズの間に差し込まれる。
 褐色の肌と長く伸びた鋭い爪。ギラギラと輝くアクセサリー。それが目に入った瞬間にもうその腕の持ち主は誰かわかっていた。

「よぉジェイ。変態と一緒なんて珍しいじゃねぇか」
「やぁラシュ! 今日も立派なツノが素敵だね! 触らせてくれ!」
「キッショ。近寄んな」

 背後から声をかけてきたのはドラゴニュートのラシュだった。ラシュは俺を後ろから抱き締めるようにして腕で囲う。
 トパーズはというと、近付いてきたラシュの頭に生えたツノに手を伸ばして、見事に叩き落とされていた。なんとも見境がない男だ。

 ……しまった。面倒な奴らに囲まれた。
 内心うんざりしているのも露知らず、二人はお構いなく俺を挟んで口々に話し始める。

「ジェイ、トパーズなんて放っといて俺と遊ぼうぜ❤︎」
「断る」
「スタンリーくん! もし時間が空いているなら是非私にも付き合ってほしい! ラシュも一緒でいい!」
「あ? 俺はお前と一緒とか絶対無理。帰れ」

 幸いにもこの二人はそこまで仲良くないらしい。
 ラシュの性格を考えると、確かにこういう押しが強くて話も通じないトパーズのような奴のことは苦手だろう。ラシュはきっと主導権を握れる相手に絡むのが好きなのだ。

 ツノや皮膚などあれこれ触ろうとするトパーズの手を叩き落としつつ、ラシュはついに痺れを切らしたように一度舌打ちした。

「こいつマジで話聞かねェ……なあ、ジェイ」
「なんだ」
「暴れんなよ」

 耳元で一言。
 それと同時に身体が急激に持ち上がる。俺が声を上げる前に、隣にいたトパーズが大声でよくわからない言葉を叫んだ。
 一瞬何事かと思ったが、段々と遠ざかる地面とトパーズを見て状況がすぐにわかった。ラシュが俺を後ろから抱え、そのまま顕現させたドラゴンの翼で飛び上がったのだ。

「おい!」
「あははは! 見たかよトパーズのあの顔! 無様な声! ざまぁねぇな!」

 アレは恐らくラシュの翼を見て興奮していただけだと思うが、それについては何も言わなかった。
 それはともかく慣れない浮遊感に手足を動かしていると、ラシュは俺を横向きにして両手で抱き上げた。所謂お姫様抱っこだ。納得はいかないが先程よりマシだと思い素直にラシュの肩に腕を回す。

「っは、今日は素直じゃねぇかジェイ」
「こんな所で落とされたら俺は死ぬからな。絶対落とすなよ」
「当たり前だろ。このまま俺の巣まで連れてってやるよ❤︎」

 ラシュは俺の髪に頬擦りしながらそう言った。
 巣というのはドラゴンの巣のことだろう。
 ドラゴニュートはロストルムの一部地域に固まって居住地を構えており、そこはかなりの高所だという。本でしかその生態を知らないが、人間の肉体でドラゴンの巣に行けばどうなるかわからない。

 そういえば、ドラゴニュートは他種族とのコミュニケーションを嫌う傾向が強いとも本に書いてあったが、ラシュは全くそういう感じがしない。
 入学時から俺やルベルに絡んできたし、他の魔族と連んでいるのもよく見かける。トパーズを厭うのはトパーズの性格が原因だろう。
 一方的に絡まれていて少し避け気味だったものの、例の求愛行動さえなければドラゴニュートというのはなかなか興味深い対象ではある。ともあれ今はラシュの故郷まで行く気など更々なかった。

「駄目だ。次の授業に間に合わなくなる」
「チッ、マジレスすんな真面目ちゃんがよォ……仕方ねぇ。次の授業どこだよ?」
「東棟最上階だ。屋上にでも降ろしてくれ」

 東棟の最上階にある天文台。そこで次の授業である地学が行われる。
 意外にもラシュは俺が指差した方へと素直に向かっていく。
 ちらりと見上げた顔は精悍という他に表す言葉がない。体格も良く、褐色の肌と銀色の髪のコントラストが綺麗だと思う。どうしてこんな男がわざわざ自分にちょっかいを出すのだろうと心底疑問に思った。


 やがてラシュは東棟屋上へと降り立った。勢いを殺してゆるやかに着地し、両手で支えていた俺を優しく降ろす。
 そして、それは俺が地面に足をつけた瞬間のことだった。
 頬を掴まれ上を向かされる。唇の近くに柔らかい感触。ラシュの茶褐色の肌と白く輝く髪が視界いっぱいに広がった。

「タクシー代❤︎」
「な、……いや、もういい……あ、りがとう。どっか行け」

 トパーズから引き離してくれたのは事実だし、今も拉致するのではなく東棟に降ろしてくれた。
 総合すると感謝の方が大きいかもしれない。頬にキスくらい両親やルクスに散々されたことがあるので、これくらいスキンシップの範疇だ。

 そう判断して礼を述べると、ラシュは意外そうに目を丸くした後、ドラゴニュート特有のギザギザした歯を見せて笑った。
 それからラシュはさっさと校舎の中に入ろうとした俺の手をとって、ふと自分の方へと引き寄せる。俺はされるがままにラシュの腕の中に再び包まれた。
 流石にこれ以上付き合う義理はないと思い引き剥がそうとするも、見上げた表情が普段と少し違っていたので思わずたじろいだ。
 鮮血のように赤い瞳が静かに俺を見下ろしている。

「なぁジェイ、俺はお前が思うよりずっとお前のことが気に入ってんだぜ」

 その言葉の真意は他にあるのか、それとも言葉通り受け取っていいのか悩むところだった。

 返す言葉が見つからなくてただ赤い瞳を見つめ返していると、ラシュはパッと腕を離してまたにっかりと笑った。いつもと同じ表情だ。
 内心ホッとした理由は、俺自身よくわからなかった。

「んじゃ俺も次の授業行くかァ。またな、ジェイ❤︎」
「……ああ」

 顕現させたままだった翼を広げ、ラシュはどこかへと飛び立っていった。
 制服の背中部分が破けていないか疑問だったが、どうやらあの翼は幻覚のようなものに近いらしい。不思議と制服の布地が破れているようには見えなかった。便利なものだ。



 ラシュが去っていった後、俺は少しばかりその場に立ち尽くして考え事をしていた。

 ──俺はお前が思うよりお前のことが気に入ってんだぜ。

 何がラシュをそう思わせるのか俺には見当もつかなかった。
 顔が好みだというのは日頃言われているが、果たしてラシュはそれ以外にも俺を好ましく思うようなことがあったのだろうか。とてもそうは思えない。きっと弱い人間を揶揄っているだけだろう。強い力を持つ非人間種はそういう奴が多い。
 しかし、あの垣間見せた真剣な表情が俺の心に揺らぎを生じさせる。あの瞬間に向けられた視線と握られた手のあたたかさだけは本物だった。

「…………あ?」

 本をベンチに忘れたことに気付いたのはそれからすぐだった。もしかしたらトパーズがあの本を確保しているかもしれないと思い至って、人知れず項垂れる。
 もう二度とごめんだ。トパーズと関わるのも、ラシュにちょっかいを出されるのも。
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