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9.隠されたアトリエ
しおりを挟むカレッジの西側にある植物園。
そこは主に魔法薬学のためのさまざまな植物が植えられており、基本的に用務員や教員によって管理されている。
大抵の生徒は授業で必要にならない限りここに訪れることはない。中には物好きが勝手に野菜を植えたりしているようだが、カレッジ側は咎めることもなく自由にさせているらしい。
させているというか、放置しているだけのように思えるけども。
俺が今日ここに訪れたのは、例の如く魔法薬学のためだった。
魔法薬学といっても、講義のためではなく教員であるオズワルドの私用のためだ。俺は魔法薬学を選択していない。
オズワルド──オズワルド・シベリウスはブラッツ・カレッジにおいて魔法薬学や薬草学を担当する教授である。
教授のくせに人前に出ることが苦手で、喋るのも苦手で、なぜカレッジに勤めているのかわからない変わり者だ。
しかし魔法薬や治療薬、あるいは毒薬などの作成において彼の右に出る者はいないと各所で噂されるほどその腕は確かだ。このカレッジ内でもオズワルドの作る魔法薬を欲しがる者は多く、学長であるロデリックからも信頼を置かれているのを俺も知っている。
なぜ俺がそんなオズワルドのお使いをしているかというと、俺が今期最も力を入れている応用高等魔法学の教授ホワイト・エディーンと廊下で授業の内容について話している際に、ちょうどオズワルドが目の前で見事に転び、これまた見事に持っていた薬学器具類をぶちまけ、そのうち試験管の一つを割ってしまったことに起因する。
オズワルドは優れた薬学教授だが、ややドジな面があった。不運と言い換えてもいいのかもしれない。とにかく何もないところで転び、時には階段から転げ落ちたり、時には怪鳥に攫われかけたりする。それでいて魔法薬を調合している時は何ともないのだから不思議な話である。
ともかく、その試験管に入っていた薬剤がダメになってしまい、オズワルドはまた新たに材料を集めて調合しなくてはならなくなった。しかしオズワルドはこれから魔法薬学の授業があり、その後も色々と所用があるという。
そこでホワイトが俺に材料の調達をしてくるよう命じたのだ。もう今日の分の授業を終えていたし、遅れている課題もない。オズワルドを手伝ってやれば内申点を1点やるとホワイトに言われれば俺も断る理由はなかった。
そんなわけで植物園にやってきたわけだが……。
入学時のオリエンテーション以来初めて来たうえにここは無駄に広い。目当ての材料を見つけるのは相当な時間がかかるだろう。ここで集める材料の資料はあらかじめ貰ってきたものの、見たことも聞いたこともないようなものばかりだ。
園内は気候帯ごとにエリアが分かれているらしい。地図や簡単な見取り図がないかしばらくウロウロと辺りを歩いていると、知らないうちにだいぶ奥の方へと進んでいたことに気付いた。
温室内にはぬるい風が吹いている。近くの看板を見れば温帯気候と書かれていた。手元の資料に目を落とせば、目当ての材料はすべて温帯気候エリアで育つことが記されている。
ここらを探し回ればいずれ見つかるだろうと思い、歩き始めてから約1時間。
ほとんどの材料を集めることはできたが、残り1つがどこを探しても見つからない。エリアを移して探してもみたが、特徴が当てはまる植物がどこにもないのだ。
「……本当にここにあんのかよ」
愚痴を溢しながら角を曲がった瞬間、何か大きなものに正面からぶつかりそうになって思わず目を瞑る。
想像していた衝撃がこなかったので目を開けると、そこにはやはり大きなものがあった。
というより、いた。
「……………」
「……………」
ふと目が合う。暫しの沈黙。
「こ、こんにちは」
「……どうも」
声をかけてきたのは向こうからだった。
大柄な体格で、ふさふさの耳と尻尾が生えている。獣人族だ。
獣人族は別にカレッジでは珍しくない。しかしその尻尾に目がいった。白と黒の縞模様。恐らく虎なのだろうが、この配色は初めて見た。虎といえば黄色と黒のイメージだ。
彼は銀色の立派なジョウロを手に持っている。もしかしたら植物園に詳しいのかもしれないが、しかし見知らぬ他人に頼ることはあまりしたくない。
挨拶以上に話すことがないので俺が黙っていると、後輩と思しき獣人は居心地悪そうに視線をうろうろさせながら再び口を開いた。
「……あー、えっと、俺、邪魔ですか? どっか行った方がいいですか」
「いや、別に」
「………」
また沈黙。
このままそれぞれの活動に戻るかと思いきや、獣人族の生徒はジョウロを持ち直して再び口を開いた。
「あの、何か探しているんですか?」
「ツバキという極東の国で育つ花を探している」
「そう、……ですか」
「…………」
「…………」
そうですか、ってなんだ。
じわじわイラつき始めたが、それを表に出さないよう小さく息を吐いた。
どうもテンポが悪い。世間話がしたいようにも見えないし、向こうも何が目的なのかよくわからない。さっさとこの場を離れて捜索に戻ろうかと思った瞬間だった。
「ツバキ……花弁が赤くて真ん中が黄色い花、だったかな。うん、見たことある、あります。着いてきて」
「? おい……」
獣人族の生徒が尻尾を揺らしながら歩き出す。探し物に関する独り言が聞こえたのでとりあえず着いていってみる。
向かう先は温帯気候エリアの温室を出てすぐ左。俺が歩いてきた方向だった。そして植物園入り口のすぐ近く、高木が密集して植えられた合間を縫って案内役はさらに進んでいく。
辿り着いた先には想像していたよりもずっと広い空間があり、様々な種類の植物が植えられていた。照葉樹と針葉樹が隣り合って植えられていたり、見たこともないような花を咲かせたものもある。しかし乱雑に植えられている訳でもないようで、種類はバラバラなのにどこか統一感があった。植えた者のセンスを伺える。
「これじゃないか? ツバキ」
生徒が指差すのは確かに手元の資料とそっくりな花だった。想像していたよりも小振りだ。
「確かに挿絵と同じだな。……少し採って行ってもいいか?」
「ここはカラムさん……あ、庭師のおじさんなんだけど、そのカラムさんが趣味で色んな地域の植物を植えまくってるだけだから、自由に採っていいと思う」
「いいのか?」
「ああ。植えたのはカラムさんだけど、育てているのはほとんど俺なんだ。また育てるから好きなだけ持っていってくれ」
カラムというのはカレッジの専属庭師であるカラム・ガードナーのことだろう。
確か白ヤギの獣人族で、人喰い植物や猛毒を持つ植物を好んで植える変獣人でもある。2年前くらいに生徒がカラムの植えた有毒植物に触れてしまい、医務室送りになった事件があったのを覚えている。
あれ以来カレッジから指導が入って生徒の手の届く範囲内に危険な植物を植えることはなくなったというが、もしかしたらここには変わらず植えているのだろうか。獣人族は他の種族より毒が回りやすく、また鼻もいいのでこういった場所は苦手そうなイメージがあったが、どうやらこの生徒はそうでもないらしい。
「あ、すみません、タメ口で……俺、たぶん後輩ですよね。2年のシルキー・ルノワールっていいます」
「3年、ジェイ・スタンリーだ。気にしないから好きなように話せよ」
「……助かる。敬語は苦手だ」
シルキーと名乗った生徒はどうやら人見知り気質なようだが、話してみればちゃんと会話のキャッチボールができる常識を持ち合わせていた。
最近話が通じない魔族と関わることが多かったので、会話がちゃんとできるだけでもありがたい。
ツバキの花をいくつか摘み取って小さな小瓶に詰める。資料にはこの小瓶が一杯になる程度で十分だと書かれているので、作業はすぐに終わった。
その間シルキーはそこらにある植物に水をやって回っていた。持っているジョウロは魔法がかけられているのか、水が尽きる様子がなかったのが少し興味深かった。
作業を終えた俺に気付いたシルキーが近寄ってくる。
「それだけでいいのか?」
「十分だ。ここの植物はほとんどお前が育てていると聞いたが、薬学が好きなのか?」
「薬学は別に……薬品の匂いがキツいし、オズワルド先生のこと苦手だからむしろあまり好きじゃないかもしれない」
その意見には同意する。
俺もオズワルドのことは苦手……というか、まともに会話できる気がしない。
「じゃあ、単に植物を育てるのが好きなのか」
「まぁ嫌いじゃないけど……植物から色を抽出して顔料にするのが目的なんだ。植物のお世話をする代わりに、好きなだけ採っていいって約束してる」
「そうか。顔料ということは絵でも描くのか?」
「え、あ、まぁ……」
シルキーは絵の話題を出した途端に顔を俯かせた。恥ずかしいような、知られたくないような、そんな表情だった。
しかし少し間をおいてから、何かを決心したように顔を上げる。
「……実はこの先には俺の作業スペースがあって、そこもカラムさんが貸してくれたんだ。……見るか?」
「ああ」
行き止まりだと思っていた背の高いツル植物の間を掻き分けるようにしてシルキーが進んでいく。
その背中を追うと、程なくして再び広いスペースに出た。広いといっても温室ほどではない。植物園を外から見ただけではわからない、秘密基地のような場所だった。
そこには大小様々なキャンバスと数えきれない絵の具の数々が置かれていた。制作途中の絵画もあれば、完成したと思われる絵画もある。
近くにあったパレットにはまだ乾ききっていない絵の具が乗っている。キャンバスにはどこかの街の風景が描かれており、柔らかい光が当たっているような、親しみやすい絵画だと思った。
「お前が描いたのか」
「うん……ここの絵は全部俺の作品だ」
ジョウロを手先で弄りながらシルキーが答える。
ジロジロとキャンバスを眺める俺から視線を逸らしたのは、他人に自分の作品を見られることが慣れていないからだろう。
それからシルキーは気恥ずかしそうにしながら話した。
曰く、実はこのアトリエの存在はカラムの他には誰も知らないらしい。ここに至るまでの道のりにはいくつか目眩しの魔法がかけられていて、シルキーあるいはカラムがいないと基本的には辿り着けないようになっていると。
このアトリエに足を踏み入れたのは、二人以外には俺が初めてだという。
「どれもいい絵だな」
「あ、……ありがとう……」
「…………」
「…………」
俺が率直な意見を述べると、シルキーは僅かに頬を赤くしてそう言った。尻尾が大きく左右にゆっくりと揺れているのが視界に入ったが、指摘はしなかった。
なんだよ、このふわっとした空間は……。
シルキーと話していると、やはりなんとなく調子が狂わされる。ここ最近押しの強い奴らばかりと関わっていたから、控えめな性格の持ち主と話をする際の作法がよくわからなくなってしまった。
そんな考えを頭に巡らせる俺を余所に、シルキーは近場にジョウロを置いてからまたこちらに向き直った。
「……ジェイ、お前さえよければ、またここに来てくれないか」
「別に構わないが……いいのか?」
「も、もう少し話がしたい。ジェイと」
アイスブルーの瞳と視線が合う。
獣人族、特に肉食性の者は何かと好戦的なイメージがあったが、シルキーは全くそういう感じがしない。一人で絵を描くことが趣味の獣人族など、コイツの他にいるのだろうか。
俺は年下の面倒を見るのが案外好きだ。シルキーのまっすぐな言葉と視線を絆されたのもあるが。
「わかったよ。また来る」
「! ありがとう、待ってる」
快諾した俺に、シルキーは初めて笑みを見せた。
真顔だとやや強面だが、笑うと幼くなって年相応に見える。
程なくして植物園を後にする。オズワルドのお使いも無事に完了したことだし、一旦オズワルドかホワイトの部屋に寄ってから勉強のために図書館に向かう予定だ。
思いがけない出会いだったが、久々にそう悪くない相手と出会えたことは幸いだった。
次はいつあのアトリエに行こうか。未完の絵が完成する頃に行けたらちょうどいい。思わずゆるみかけた口角をまた引き締めて、俺は歩を進めた。
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