13 / 25
一三章
切り裂きジャック
しおりを挟む
すでに死んでいた被害者を収容して署に戻ると、ジャックはビリーに問いただしました。
「『切り裂きジャック』とか呟いてたな」
「……ああ」
「切り裂きジャックってのは、あの切り裂きジャックか?」
「そうだ。ヴィクリトア朝ロンドンに現われ、人々を恐怖におとしいれた世界一有名な連続殺人犯だ」
「その切り裂きジャックが二〇〇年の時を経てこの霧と怪奇の都に現われたってのかよ? チッ、バネ足ジャックだの、切り裂きジャックだの、ハロウィン・パーティーじゃあるまいに亡霊みたいに出てきやがって。同じジャックとしてだまってられねえな」
ひとしきりケチをつけてから、再びビリーに尋ねました。
「で? なんであいつが切り裂きジャックなんだ?」
「そっくりだったのだ」
「そっくり?」
「あの男――仮に男とするが――の格好が伝説の切り裂きジャックとな」
「おい、ちょってまて。たしか、切り裂きジャックってのは捕まってないんじゃなかったか?」
「そうだ。捕まっていない。それどころか、目撃されてもいない」
「それで、なんで格好がわかるんだ?」
「目撃こそされなかったが、当時のロンドン市民の間ではいつの間にかひとつの殺人鬼像が定着していたのだ。それが……」
「あいつの格好?」
「そうだ。年齢三七歳。身長一六七㎝。濃い口髭と顎髭。シャツに色の濃いジャケット、ベストにズボン、黒いスカーフ、黒いフェルト帽、というな」
「ふん……」
ジャックは小さく鼻を鳴らしました。
顔は見えなかったので年齢まではわかりません。ですが、身長はそのぐらいでしたし、他の特徴はたしかに一致しておりました。
「……ってことは、切り裂きジャックを真似た模倣犯ってことか」
「その可能性は大いにあると思う。死体をばらばらに損壊し、一部をもちさるという手口も切り裂きジャックにそっくりだ。それと……」
「なんだ?」
「『ジャック・ザ・リッパー』を名乗る人物から新聞社に手紙が送られたことがある。そこには、
『おれは売女どもに恨みがあるんだ。逮捕されるまで、奴等を切り刻むのをやめないぞ』という一文があった」
「………」
「一連の事件の犯人が切り裂きジャックを真似ているのだとしたら、そして、本当に無差別殺人だとしたら、
『おれは全人類に恨みがあるんだ。逮捕されるまで切り刻むのをやめないぞ』
という意味の意思表示なのではないかな?」
「その手紙が本当に切り裂きジャック本人からのものだという証拠は?」
「ない。だが、模倣犯にとってそんなことは関係あるまい。『ジャック・ザ・リッパーを名乗るものからの手紙』というだけで充分だろう」
「もっともだ」
ジャックはうなずきました。それから、床を蹴りつけながらつぶやき捨てました。
「チッ。正真正銘、イカれた連続殺人者ってわけか。やっかいな」
気を取り直したようにビリーを見ました。
「しかし、お前、やけにくわしいな。科学マニアが何でそんなことまで知ってるんだ?」
『何を言っているのだ、この男は』
と、思わず言いたくなったとビリーは後に取材に対して語ったものです。
「いきなり現場の捜査に引っ張り出されたのだぞ。犯罪史ぐらい、勉強している」
「お前はそんな立派なやつだったのか!」
「なにしろ、君は典型的な脳味噌筋肉だからな。頭脳労働は私が担当するしかあるまい」
「大きなお世話だ!」
反射的に叫んでいたそうです。
「だがまあ、犯人が切り裂きジャックの模倣犯だというなら本家のことを知っておくのは必要だろう。くわしく教えてくれ」
ビリーはうなずきました。
「切り裂きジャックが現われたのは一八八八年のロンドン・イーストエンド。約三ヵ月の間に五人の娼婦を殺害している」
「三ヵ月? 五人? 意外に少ないんだな。世界一有名な殺人鬼ともなれば二〇~三〇人は殺ってるのかと思ったが」
「私もはじめて調べたときには驚いたよ。だが、ロンドン警視庁捜査課の元課長、サー・メルビル・マクノートンは切り裂きジャックの犯行は五件だけだと明言している」
「ふん……」
「不思議なことに、被害者を切り刻んでいながら姿も目撃されていなければ、被害者の悲鳴も聞かれていない。これだけ切り刻むには時間もかかったはずだし、被害者の苦痛も尋常ではなかったはずなのにな。まるで透明人間の仕業のように誰にも知られずにやってのけた。ちょうど、いまこの都で暴れまわっている殺人鬼のように。
被害者のうち、ひとり目から四人目、メアリ・アン・ニコルズ、アニー・チャプマン、エリザベス・ストライド、キャサリン・エドウズはいずれもすでに中年で野外での犯行だった。唯一、五人目にして最後の被害者であるメアリ・ケリーだけがまだ二五歳の若さで、しかも自宅で殺害されている。ちなみに、妊娠三ヵ月だったそうだよ」
「最後の被害者だけ、ずいぶん手口がちがうじゃないか。それだけちがいがあれば普通は、別人による犯行だとみなすんじゃないか?」
「私は捜査の常識などは知らないから何とも言えない。君がそう思うならそうなのだろう。だが、当時の警察はメアリ・ケリーの殺害も切り裂きジャックの犯行に含めている」
「捕まえられもしなかったくせに、妙なところだけ自信があるんだな」
「そうだな。実際、この件に関する警察の捜査の奇妙な点は色々と指摘されている。たとえば、キャサリン・エドウズのエプロンの切れ端が発見されたとき、すぐそばに犯人からと見られるメッセージが記されていた。『ユダヤ人が何もしてなきゃ、非難されるはずないだろう』とな」
「犯人直筆のメッセージか。本物なら大変な証拠だな」
「ところが、現場に駆けつけたロンドン警視庁総監、サー・チャールズ・ウォーレンは写真もなにも撮らせずに消させてしまった」
「なんだと? そんな貴重な証拠物件を消したってのか?」
「そうだ」
「いくら現代ほど捜査方法が発展していなかったとはいっても無茶苦茶な話だな。当時の警察はそんなもんだったのか?」
「そういうわけでもないようだぞ。警察のお歴々は激怒したというからな」
「当然だな。何でそんなやつが総監だったんだ?」
「さあな。事情は色々あるのだろう。ともかく、この件に関しては『相当に地位のある人物をかばうためにわざと消させたのではないか』という憶測も飛びかっている」
「ふん……」
「それと、最後の事件であるメアリ・ケリー殺しだが、この事件は室内での犯行だったこともあり、警察はかなりの手がかりをつかんだはずだと言われている。その後、警察はなぜか、殺人鬼は自殺したものとみなしたようだ」
「そんな結論を出せるってことは……やはり、当時の警察は犯人像をつかんでいたってことか? だが、公にできないやつだった……」
「そうかも知れない。そうでないかも知れない。とにかく、切り裂きジャック事件はいまにいたるまで多くの研究がなされている。当然、多くの説が唱えられている。『雪靴を履いたカナダ人』という、どこから出てきたのかわからない説から、当時のイギリス女王の孫、クラレンス公爵という説までな。ちなみに、シャーロック・ホームズの生みの親、サー・アーサー・コナン・ドイルは犯人像について『外科的な知識の持ち主で女装していたにちがいない』と語っている。女の姿をしていれば女性に警戒されずに近づけるし、警察の目もごまかせるからな」
「女装、ね」
そのとき、ジャックの頭に女装が似合いそうな美形の科学者の顔が浮かんだのは『偏見』の一言で片付けるべきものだったでしょうか。
「切り裂きジャックが本当に女だったという可能性は?」
「そんな説もあるにはあるが、一部の意見にとどまっているな。やはり、有力候補とされているのは男たちだ。そのなかでもっとも有力とされてきたのがモンタギュー・J・ドゥルイットだ。
一八五七年八月一五日生まれ。クラシック音楽を学んだ後、医学を一年間学び、法律家に転身。一八八五年、法廷に立つようになった。ブラックヒースで法廷弁護人および教師として働いていたが、一八八八年一二月一日に解雇されている。その後、コートのポケットに石をつめ、テムズ川に身投げしている。享年三一歳。彼の自殺を機に警察の捜査は打ち切られ、切り裂きジャックも姿を消した。偶然か否かはわからないがな」
「なるほど。話を聞くと『いかにも』って感じだな。だが、そいつは普通の一般庶民だろう? 『捕まったらまずい大物』ってわけじゃあるまい?」
「そうだな。そこでもう一方の有力候補の出番となる。名をサー・ウィリアム・ガル。当時の王室御典医だった男だ。女性たちを馬車に連れ込み、そこで殺害し、発見現場に放り捨てたと言われている。馬車での犯行だから姿も見られず、悲鳴も聞かれなかったのだとな。なぜ、そんなことをしたかというと、複雑な宗教がらみの問題があった。
前に言ったクラレンス公爵は町に遊びに出た際、カトリックの女性を妊娠させてしまった。一方、イギリス王家はプロテスタント系。両派の間には長い流血の歴史がある。もし、カトリックの血を引く王族ができれば、両派の間で再び、血みどろの争いが起きかねない。それを防ぐために狂人の仕業に見せつけてケリをつけたのだ、とな」
「ふん、なるほどな。もし、そのガルってやつが犯人で、裏にそんな事情があったなら、警察はとても犯人を捕まえられないわけだ」
「そういうことだ。その意味ではうなずける推測ではある」
「まとめると、だ。切り裂きジャックを気取るバカがいるとしたら、医学の知識と技量があって、人間に恨みをもっていて、しかも、貴族ってことか」
はい。もちろん、霧と怪奇の都には世襲制の貴族は存在しません。ですが科学や芸術など、なんらかの分野で高い業績をおさめた人物には称号としての爵位が与えられる制度があるのです。ケネス・シーヴァースの伯爵位もそのひとつです。一代限りのものであり、何らかの特権があるわけでもありませんので、爵位というより『名誉市民』というほうが近いものなのですが。
ジャックの言葉にビリーは眉を釣り上げました。
「君はまだ、伯爵ケニーを疑っているのか?」
「ちがう、と言いたそうだな」
「あの切り裂きジャックを見ただろう。あの人物の身長はせいぜい、一七〇センチだ。伯爵ケニーは一八〇センチ以上ある。変装で大きくはなれても、小さくはなれないはずだ」
「そもそも、あの足が作り物かも知れねえぞ」
「そこまで疑うのか? 君の方が偏執的になってきたな」
「だが、あいつは実際、空高く跳んだ。バネ足ジャックのようにな。他にそんなことができるやつに心当たりがあるか?」
「それは……ないが」
「だったら、ケニーのやつが第一容疑者であることに変わりはない。とにかく、もう少し、やつのことを調べてみるぞ」
「『切り裂きジャック』とか呟いてたな」
「……ああ」
「切り裂きジャックってのは、あの切り裂きジャックか?」
「そうだ。ヴィクリトア朝ロンドンに現われ、人々を恐怖におとしいれた世界一有名な連続殺人犯だ」
「その切り裂きジャックが二〇〇年の時を経てこの霧と怪奇の都に現われたってのかよ? チッ、バネ足ジャックだの、切り裂きジャックだの、ハロウィン・パーティーじゃあるまいに亡霊みたいに出てきやがって。同じジャックとしてだまってられねえな」
ひとしきりケチをつけてから、再びビリーに尋ねました。
「で? なんであいつが切り裂きジャックなんだ?」
「そっくりだったのだ」
「そっくり?」
「あの男――仮に男とするが――の格好が伝説の切り裂きジャックとな」
「おい、ちょってまて。たしか、切り裂きジャックってのは捕まってないんじゃなかったか?」
「そうだ。捕まっていない。それどころか、目撃されてもいない」
「それで、なんで格好がわかるんだ?」
「目撃こそされなかったが、当時のロンドン市民の間ではいつの間にかひとつの殺人鬼像が定着していたのだ。それが……」
「あいつの格好?」
「そうだ。年齢三七歳。身長一六七㎝。濃い口髭と顎髭。シャツに色の濃いジャケット、ベストにズボン、黒いスカーフ、黒いフェルト帽、というな」
「ふん……」
ジャックは小さく鼻を鳴らしました。
顔は見えなかったので年齢まではわかりません。ですが、身長はそのぐらいでしたし、他の特徴はたしかに一致しておりました。
「……ってことは、切り裂きジャックを真似た模倣犯ってことか」
「その可能性は大いにあると思う。死体をばらばらに損壊し、一部をもちさるという手口も切り裂きジャックにそっくりだ。それと……」
「なんだ?」
「『ジャック・ザ・リッパー』を名乗る人物から新聞社に手紙が送られたことがある。そこには、
『おれは売女どもに恨みがあるんだ。逮捕されるまで、奴等を切り刻むのをやめないぞ』という一文があった」
「………」
「一連の事件の犯人が切り裂きジャックを真似ているのだとしたら、そして、本当に無差別殺人だとしたら、
『おれは全人類に恨みがあるんだ。逮捕されるまで切り刻むのをやめないぞ』
という意味の意思表示なのではないかな?」
「その手紙が本当に切り裂きジャック本人からのものだという証拠は?」
「ない。だが、模倣犯にとってそんなことは関係あるまい。『ジャック・ザ・リッパーを名乗るものからの手紙』というだけで充分だろう」
「もっともだ」
ジャックはうなずきました。それから、床を蹴りつけながらつぶやき捨てました。
「チッ。正真正銘、イカれた連続殺人者ってわけか。やっかいな」
気を取り直したようにビリーを見ました。
「しかし、お前、やけにくわしいな。科学マニアが何でそんなことまで知ってるんだ?」
『何を言っているのだ、この男は』
と、思わず言いたくなったとビリーは後に取材に対して語ったものです。
「いきなり現場の捜査に引っ張り出されたのだぞ。犯罪史ぐらい、勉強している」
「お前はそんな立派なやつだったのか!」
「なにしろ、君は典型的な脳味噌筋肉だからな。頭脳労働は私が担当するしかあるまい」
「大きなお世話だ!」
反射的に叫んでいたそうです。
「だがまあ、犯人が切り裂きジャックの模倣犯だというなら本家のことを知っておくのは必要だろう。くわしく教えてくれ」
ビリーはうなずきました。
「切り裂きジャックが現われたのは一八八八年のロンドン・イーストエンド。約三ヵ月の間に五人の娼婦を殺害している」
「三ヵ月? 五人? 意外に少ないんだな。世界一有名な殺人鬼ともなれば二〇~三〇人は殺ってるのかと思ったが」
「私もはじめて調べたときには驚いたよ。だが、ロンドン警視庁捜査課の元課長、サー・メルビル・マクノートンは切り裂きジャックの犯行は五件だけだと明言している」
「ふん……」
「不思議なことに、被害者を切り刻んでいながら姿も目撃されていなければ、被害者の悲鳴も聞かれていない。これだけ切り刻むには時間もかかったはずだし、被害者の苦痛も尋常ではなかったはずなのにな。まるで透明人間の仕業のように誰にも知られずにやってのけた。ちょうど、いまこの都で暴れまわっている殺人鬼のように。
被害者のうち、ひとり目から四人目、メアリ・アン・ニコルズ、アニー・チャプマン、エリザベス・ストライド、キャサリン・エドウズはいずれもすでに中年で野外での犯行だった。唯一、五人目にして最後の被害者であるメアリ・ケリーだけがまだ二五歳の若さで、しかも自宅で殺害されている。ちなみに、妊娠三ヵ月だったそうだよ」
「最後の被害者だけ、ずいぶん手口がちがうじゃないか。それだけちがいがあれば普通は、別人による犯行だとみなすんじゃないか?」
「私は捜査の常識などは知らないから何とも言えない。君がそう思うならそうなのだろう。だが、当時の警察はメアリ・ケリーの殺害も切り裂きジャックの犯行に含めている」
「捕まえられもしなかったくせに、妙なところだけ自信があるんだな」
「そうだな。実際、この件に関する警察の捜査の奇妙な点は色々と指摘されている。たとえば、キャサリン・エドウズのエプロンの切れ端が発見されたとき、すぐそばに犯人からと見られるメッセージが記されていた。『ユダヤ人が何もしてなきゃ、非難されるはずないだろう』とな」
「犯人直筆のメッセージか。本物なら大変な証拠だな」
「ところが、現場に駆けつけたロンドン警視庁総監、サー・チャールズ・ウォーレンは写真もなにも撮らせずに消させてしまった」
「なんだと? そんな貴重な証拠物件を消したってのか?」
「そうだ」
「いくら現代ほど捜査方法が発展していなかったとはいっても無茶苦茶な話だな。当時の警察はそんなもんだったのか?」
「そういうわけでもないようだぞ。警察のお歴々は激怒したというからな」
「当然だな。何でそんなやつが総監だったんだ?」
「さあな。事情は色々あるのだろう。ともかく、この件に関しては『相当に地位のある人物をかばうためにわざと消させたのではないか』という憶測も飛びかっている」
「ふん……」
「それと、最後の事件であるメアリ・ケリー殺しだが、この事件は室内での犯行だったこともあり、警察はかなりの手がかりをつかんだはずだと言われている。その後、警察はなぜか、殺人鬼は自殺したものとみなしたようだ」
「そんな結論を出せるってことは……やはり、当時の警察は犯人像をつかんでいたってことか? だが、公にできないやつだった……」
「そうかも知れない。そうでないかも知れない。とにかく、切り裂きジャック事件はいまにいたるまで多くの研究がなされている。当然、多くの説が唱えられている。『雪靴を履いたカナダ人』という、どこから出てきたのかわからない説から、当時のイギリス女王の孫、クラレンス公爵という説までな。ちなみに、シャーロック・ホームズの生みの親、サー・アーサー・コナン・ドイルは犯人像について『外科的な知識の持ち主で女装していたにちがいない』と語っている。女の姿をしていれば女性に警戒されずに近づけるし、警察の目もごまかせるからな」
「女装、ね」
そのとき、ジャックの頭に女装が似合いそうな美形の科学者の顔が浮かんだのは『偏見』の一言で片付けるべきものだったでしょうか。
「切り裂きジャックが本当に女だったという可能性は?」
「そんな説もあるにはあるが、一部の意見にとどまっているな。やはり、有力候補とされているのは男たちだ。そのなかでもっとも有力とされてきたのがモンタギュー・J・ドゥルイットだ。
一八五七年八月一五日生まれ。クラシック音楽を学んだ後、医学を一年間学び、法律家に転身。一八八五年、法廷に立つようになった。ブラックヒースで法廷弁護人および教師として働いていたが、一八八八年一二月一日に解雇されている。その後、コートのポケットに石をつめ、テムズ川に身投げしている。享年三一歳。彼の自殺を機に警察の捜査は打ち切られ、切り裂きジャックも姿を消した。偶然か否かはわからないがな」
「なるほど。話を聞くと『いかにも』って感じだな。だが、そいつは普通の一般庶民だろう? 『捕まったらまずい大物』ってわけじゃあるまい?」
「そうだな。そこでもう一方の有力候補の出番となる。名をサー・ウィリアム・ガル。当時の王室御典医だった男だ。女性たちを馬車に連れ込み、そこで殺害し、発見現場に放り捨てたと言われている。馬車での犯行だから姿も見られず、悲鳴も聞かれなかったのだとな。なぜ、そんなことをしたかというと、複雑な宗教がらみの問題があった。
前に言ったクラレンス公爵は町に遊びに出た際、カトリックの女性を妊娠させてしまった。一方、イギリス王家はプロテスタント系。両派の間には長い流血の歴史がある。もし、カトリックの血を引く王族ができれば、両派の間で再び、血みどろの争いが起きかねない。それを防ぐために狂人の仕業に見せつけてケリをつけたのだ、とな」
「ふん、なるほどな。もし、そのガルってやつが犯人で、裏にそんな事情があったなら、警察はとても犯人を捕まえられないわけだ」
「そういうことだ。その意味ではうなずける推測ではある」
「まとめると、だ。切り裂きジャックを気取るバカがいるとしたら、医学の知識と技量があって、人間に恨みをもっていて、しかも、貴族ってことか」
はい。もちろん、霧と怪奇の都には世襲制の貴族は存在しません。ですが科学や芸術など、なんらかの分野で高い業績をおさめた人物には称号としての爵位が与えられる制度があるのです。ケネス・シーヴァースの伯爵位もそのひとつです。一代限りのものであり、何らかの特権があるわけでもありませんので、爵位というより『名誉市民』というほうが近いものなのですが。
ジャックの言葉にビリーは眉を釣り上げました。
「君はまだ、伯爵ケニーを疑っているのか?」
「ちがう、と言いたそうだな」
「あの切り裂きジャックを見ただろう。あの人物の身長はせいぜい、一七〇センチだ。伯爵ケニーは一八〇センチ以上ある。変装で大きくはなれても、小さくはなれないはずだ」
「そもそも、あの足が作り物かも知れねえぞ」
「そこまで疑うのか? 君の方が偏執的になってきたな」
「だが、あいつは実際、空高く跳んだ。バネ足ジャックのようにな。他にそんなことができるやつに心当たりがあるか?」
「それは……ないが」
「だったら、ケニーのやつが第一容疑者であることに変わりはない。とにかく、もう少し、やつのことを調べてみるぞ」
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる