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一五章

恐怖は止まらない

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 ジャックが目撃情報を伝えたとたん、マスコミは一斉に犯人像を流しはじめました。口髭と顎髭を生やした人物に注意せよと連呼し、洋品店には目撃された衣服を売った心当たりがあれば通報するよう呼びかけられました。
 本家ロンドンを騒がせた切り裂きジャックとの類似も音高く喧伝され、この世界一有名な殺人鬼に関する書籍が緊急発行されました。この時点で謎の犯人に対するマスコミの呼び名は『バネ足ジャック』から『切り裂きジャック』へと代わったのです。
 警備会社は協力して警備網を敷くことが要求され、賞金稼ぎたちはけしかけられました。賞金はさらに跳ね上がりました。死刑権解放同盟代表、大君ブリアン・オニールはマスコミを通じて『いまこそ市民自らの手で危険人物を抹殺できる霧と怪奇の都の法の利点を最大限に生かすときだ』と、呼びかけました。
 犯人像が流れるや否や、髭を生やしている人物はあわてて髭を剃り落としました。衣裳ケースを引っ繰り返し、似たようなシャツやジャケット、ズボン、スカーフ、帽子は一斉に処分されました。突然、爆発的に増えた可燃ゴミの量に焼却業者は悲鳴を上げたものでございます。
 死刑権が『万人の権利』として認められている霧と怪奇の都では『怪しい』と思われれば即刻、射殺されかねません。射殺されたところで文句も言えません。なにしろ、死刑権の解放は民主的に取り決められたことなのですから。疑われそうな要素は少しでも残しておくわけにはいかなかったのです。
 市内には銃を片手に道行く人々を尋問してまわる乱暴者があふれかえり、酒場ではつい調子に乗って『実はおれが切り裂きジャックなのさ』などと口走ったばかりに、たちまち客とバーテンから無数の銃弾を撃ち込まれ、即死する事件が相次ぎました。
 市内でも無関係な人々が射殺される事件は相次ぎました。なかにはかくれんぼをして遊んでいただけの五歳の女の子までいたほどです。『せまい露地の物陰で音がした』という理由で通りがかった賞金稼ぎに撃たれたのでございます。
 この事件に関して大君ブリアンは胸をそびやかして宣言いたしました。
 『件の賞金稼ぎは市民の安全を守るために必要と思われる行動をしたにすぎない。不運な事故であったが、その責めを負うべきは卑劣な殺人鬼であって賞金稼ぎではない。まして、死刑権解放同盟ではありえない。死刑権解放同盟は市民の安全を高めるために役立ってきた。たったひとつの不幸な事故のためにその業績を無視するべきではない』
 マスコミも市民もおおむね、その発言を正当なものと受け取りました。女の子の父親は『娘を殺した社会に復讐してやるぞ、おれが切り裂きジャックになってやる』と、テレビに出て発言しましたが、そのため、隣の家の住人に先手を打って射殺されました。
 親たちは子供を外に出さなくなりました。市内は不気味な静けさに包まれました。音のするものといえば、これ見よがしに銃を振りかざして歩く賞金稼ぎたちの足音だけだったのです。
 それでも、切り先ジャックの犯行はやむことを知りませんでした。七月一二日にはジェイムズ・コリンが殺害されました。翌七月一三日はアルバート・バーグマンとサラ・アンダーソンが共に自宅で殺されました。一晩のうちにイーストタウンとサウスタウンで犯行が行なわれたのです。その神出鬼没ぶりに市民は震え上がりました。
 さらに七月二〇日にはよりによって賞金稼ぎのフレデリック・カーペンターがパトロール中に殺され、内臓をもちさられました。カーペンターは四三歳。これまで幾度となく高額な賞金首を始末した有名なハンターでした。相棒がいったんはなれ、戻ってくるまでのわずか一五分間に行なわれた犯行でした。
 翌七月二一日にはエミリー・ヴァンダイクが会社のトイレで血塗れの姿で発見されました。この事件は殺人鬼の全能ぶりをあらためて市民に思い知らせるものとなりました。自宅が安全でないことはすでにわかっておりました。ですが、まさか会社のなか、常に大勢の人間が行き交い、警備員が駐在し、二重、三重のセキュリティ・システムが完備された社内でさえ、誰にも見られず、悲鳴を上げさせもせず、バラバラに解体して死体の一部を持ち帰るとは!
 あらゆる安全地帯が失われた気分。
 市民の間にそんな気分が蔓延しました。
 犯人は本当に人間なのか。もっとなにか別の、異界の怪物なのではないか?
 そんな噂さえ流れました。それにともない『巨大な角に牙を生やした鬼を見た』とか、『黒魔術による悪魔召喚の跡が見つかった』とか、『霧になって夜空に消える怪物を見た』などと様々な怪情報がよせられるようになりました。
 はい。もちろん、そんなものはいずれも事実無根のデマにすぎません。ですが、刺激的な記事に飢えている新聞各紙はこぞって報道し、人々の不安をあおりたてたのでございます。
 『良識的たらん』と志している少数の新聞社はそんな騒ぎを憂い、冷静になるよう呼びかけました。名うての犯罪学者が動員され、犯人像の推測がなされました。
 そのうちのひとりは『単一犯による犯行としては迅速すぎる。複数の模倣犯が現われたにちがいない』と推測しました。
 本人にしてみればこれは『だから、唯一の怪物じみた殺人鬼を恐れる必要はないのだ』と、安心させたつもりだったのでしょう。ですが、市民の受け取り方は反対でした。ということは、全能の殺人者がウヨウヨさまよっている、ということではないか!
 市民はパニックにおちいる寸前でした。このような場合、外の世界なら警察の幹部なりが出てきて落ち着くよう呼びかけるものでしょう。ですが、あいにく霧と怪奇の都の警察にそんな権威はございません。責任をもって事態の収拾にあたるものがないままに、不安はとめどもなく増大していったのです。
 この時期になるとそれまで民間警備会社や一匹狼の賞金稼ぎたちに対する風当たりはますます強いものとなっておりました。彼らの無能・無力ぶりを手厳しく批判し、罵るようになっていたのです。
 『賞金稼ぎどもはかくれんぼをしている子供を見抜く目はあっても、目の前の賞金首を見ることはできないのか!』との弾劾記事が載り、のうのうと酒を飲んでいる賞金首の後ろで一般市民を射殺してまわる賞金稼ぎ、という風刺画が掲載されました。
 八月になっても切り裂きジャックの凶行は変わることなくつづきました。それどころかますます激しさを増す一方だったのです。最初のころは一日の一件のペースだった犯行が三件、四件と重ねて行なわれるようになっていきました。手口はいつも同じ。死体をバラバラに切り裂き、遺体の一部を持ち帰る。それも、かならずちがう部分を。男女の犠牲者ごとにひとつずつ。女性の同じ部分、男性の同じ部分を持ち帰ることは決してなかったのです。
 民間警備会社、一匹狼の賞金稼ぎたちが手柄を求めて血眼になって探しているというのに、切り裂きジャックは嘲笑うかのように自分の『仕事』を繰り返しました。しかも、これだけの犯行を重ねておきながら誰にも目撃されることがないのです。被害者の悲鳴すら聞かれません。ジャックとビリーが目撃したのが最初で最後。それ以降、いかなる目撃情報もよせられなかったのです。
 被害者を切り刻み、遺体の一部を切断する。その作業にはそれなりの時間がかかるはずであり、ということはそれだけ都中をパトロールしている警備員や賞金稼ぎに発見されやすいはずなのに。
 いえ、正確に言うとこの時点でかなりの情報が得られてはいたのです。ただ、警察が『生きている化石』と化している霧と怪奇の都には事件の捜査を包括的に取り扱い、複数の情報や証拠をまとめる機関は存在せず、民間警備会社や賞金稼ぎたちは『ともに治安を維持する仲間』ではなく、『利益を取り合う商売仇』ですから、横のつながりなどまるでありません。もちろん、協力もいたしません。たまにすることがあってもそれはあくまでも個人的な範囲の付き合いにとどまるのが常。組織だって協力する、ということはありえないことなのです。
 まして、これほどの事件です。切り裂きジャックを殺したもの――霧と怪奇の都には『凶悪犯を捕まえる』という発想はありません――は、たちまちヒーローに祭り上げられ、格段に高い報酬を得られるようになるはずでした。
 その思いが全員を突き動かし、協力どころか抜け駆けばかりを考えさせ、市民の目に映らないところでは足のひっぱりあいさえあったのです。ですから、すでにいくつもの情報や証拠があったにも関わらず、それらはすべて発見者個人の懐に大事にしまい込まれてしまい、一切公表されずにいたのです。
 そのために、何の情報もないように見えていた、というのがこの時点での実態だったのです。これらのことは事件がたってからずいぶん後になってから明らかにされたことです。
 ですから、この時点では市民は誰しも『一切の証拠を残さずに殺戮を繰り広げる怪物』の存在を信じ、おののいていたのです。
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