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一六章

恐怖の英雄

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 新・切り裂きジャックの神出鬼没ぶり、鮮やかさは本家切り裂きジャックすら顔色のないほどのものでした。恐怖も限度を超えてしまうと好奇心と興奮の対象となるもの。
 ――いったい、この謎の殺人鬼の正体はなんなのか。本当に透明人間なのか、それとも、異界の怪物なのか……。
 そんな声がささやかれ、都は怪物の正体に関する推測でいっぱいになりました。
 曰く、外の世界で作られた戦闘用ロボットが実験のために送り込まれたのだ。
 曰く、悪魔復活を願う大規模な秘密組織が活動しているのだ。
 曰く、新エネルギーの実験の失敗によってうがたれた次元の穴から怪物がやってきたのだ……。
 ネットのなかもこの話題であふれかえり、見るサイト、見るサイト、正体探しばかりというありさまでした。切り裂きジャックを主役とした趣味の悪い小説がいくつも載せられました。とくに若い女性たちには『殺されてもいいから一目、会ってみたい!』という書き込みが目立っていました。
 ネット世界では切り裂きジャックはすでに、『憎むべき凶悪犯』から、『恐怖の英雄』と化しつつあったのです。
 はい。もちろん、『良識的なおとな』にとってそのような風潮は容認できるものではありません。『切り裂きジャックは英雄ではなく卑劣な殺人鬼』なのであり、『抹殺しなくてはならない社会の敵』なのだと、連日報道されました。ですが、そんなおとなたちの努力にもかかわらず、さ迷う猟犬たちを嘲笑い、凶行を繰り返す『恐怖の英雄』の存在は若い世代のなかで大きくなる一方だったのです。
 『切り裂きジャックが卑劣だって? たったひとりで社会に挑み、銃をもったおとなの男女ばかりを狙う人物のどこが卑劣だって言うんだい? 卑劣なのはよってたかってひとりを狙う社会のほうじゃないか』
 ある日、ネットにハンドル・ネームで掲載されたそのコメントは若い世代の圧倒的な支持を得たものです。
 この情況に危機感をつのらせたジャックはそれまでにもまして熱心に活動しました。まずは切り裂きジャック事件の洗いなおしからです。この殺人鬼を逮捕することは警察を再生できるか否かに直結する。それはひいては社会の在り方を変えられるかどうかにかかってくる。二重三重の意味でなんとしても警察の手で捕らえなくてはならない相手だったのです。
 「とにかくだ。これだけ被害者がいて悲鳴ひとつ聞かれていないというのはおかしい」
 ジャックはそう切り出しました。
 「抵抗した様子もほとんどないし、何か薬品を使われて麻痺させられるか、眠らされるかしてから殺されたんじゃないのか?」
 「そんな薬品が使われていればとっくに検出している……とは言えないのが残念だ」
 ビリーはため息をつきました。
 「なにしろ、この霧と怪奇の都は科学の都でもあるからな。多くの科学者が豊富な資金を手に、独自の研究に励んでいる。従来の検出方法には引っ掛からない麻酔薬のひとつやふたつ、発明している科学者がいてもおかしくはない」
 「とすると、やはり医療関係者か?」
 「切断面のきれいさを見ればそうなる。ただ、セキュリティを易々と突破している点も見逃せないな」
 「それに、おれたちの見かけた切り裂きジャックは人間とは思えないジャンプ力をしていたしな。あれはやはり、何かの機械を使っていたのかな?」
 「筋力増強剤という可能性もある」
 「何だそりゃ? どこで手に入るんだ?」
 「表立って売られてはいない。だが、闇でならば色々な品が出回っている。市販の薬品を使って合成することもできる」
 「ふん……。つまり、犯人は医学的に高度な知識と技術があって、なおかつ、電子工学にも強いというわけか。ビリー。お前は科学者にはくわしいんだろう。心当たりはないのか?」
 「ありすぎて特定できない」
 「……ここは世界中の科学者が集まる場所だったな。警備会社や賞金稼ぎたちは何か情報をつかんでないかな」
 「つかんでいたとしても教えてはくれないと思うぞ」
 「やってみなくちゃわからんさ」
 ジャックはそう言って方々の警備会社やら賞金稼ぎやらを尋ねて回りましたが、当然のこと、成果のひとつも上がりませんでした。
 警備会社と賞金稼ぎの悪口を一〇〇ダースばかり並べ立てながら本部に戻ると、そこで思いもかけない人物がパソコンを操作しているのを見つけました。以前、集合をかけた際、ゲームをしていてジャックにぶん殴られたあの若い警官でした。
 「何だ、あいつは!」
 ジャックは叫びました。
 「トマス・テイラーだ。トミーで通っている」
 ビリーがいつも通りの冷静さで答えます。
 「名前なんぞ聞いていない! どうしてやつがここにいるんだ。それも警官の服を着て。以前の警官は全員、クビにしたはずだぞ」
 「私が独断で残した」
 「なぜだ!」
 「彼は役に立つからだ」
 ビリーは言いながらプリント・アウトされた書類の束をジャックに手渡しました。一目見るなりジャックは目を点にしました。それは各警備会社や賞金稼ぎたちの集めた切り裂きジャックに関する情報だったのです。
 「お、おい、これ……!」
 「彼が警備会社のコンピュータに侵入して手に入れた」
 「侵入って……そんな簡単にできるもんなのか?」
 「普通はできない。彼は特別なのだ」
 「しかし、なんだっていまになってこんな熱心に……」
 その疑問に、天啓のように答えが閃きました。
 「そうか! おれにぶん殴られて警官としての使命に目覚めたんだな! そうか、おれの思いが通じてくれたか……!」
 『あのときはこう、胸に感動の波がじ~んと押し寄せてきたもんだ』
 とは、後にジャックが語ったことです。
 ですが、ビリーの答えは感動とはほとほと縁遠いものでした。
 「仕事はしたくないがいたずらは大好き、という人間はめずらしくもあるまい? 彼はそのタイプなのだ。ガードを破る快感がたまらないそうだ」
 なんてこった、とは思ったものの、貴重な情報をもたらしてくれたことにはちがいありません。ジャックは食い入るように書面を見ました。そこで気づいたのです。
 「おい、ちょっとまて! よく考えたらこれは犯罪じゃないのか?」
 「よく考えなくても犯罪だと思うぞ」
 「冷静に言ってる場合か! すぐにやめさせろ、こんなやつを警察においておけるか」
 「クビにするのか?」
 「当たり前だろ。警官が法を破ってどうする」
 「彼が単なるいたずら好きですんでいるのは警官として給料がもらえるからだ。放り出したりしたらとんでもない大犯罪者になると思うぞ」
 「ぐっ……」
 『このときばかりは「やってからでなければ捕まえられない」警察組織がつくづく不便なものに感じられた』
 と、さしものジャックも語っています。
 トミーが立ち上がりました。やたらうれしそうな態度で書類の束をもってビリーに近づきました。
 「ビリーさま! 全コンピュータ制覇しました。どうぞ!」
 「ああ、ご苦労」
 ビリーは言いながら書類の束を受け取りました。
 「ビ、ビリーさま、だあ?」
 「なぜかは知んが、彼は前々から私になついているのだ」
 トミーはジャックを無視してビリーに言いました。
 「ビリーさま。ご褒美にお付き合いいただけませんか? いい店を調べといたんです」
 「あいにくだが私は色恋沙汰には興味がなくてな。口説くだけ無駄だと思うぞ」
 「おおっ、さすがビリーさま! そのクールさかたまらない」
 冷たく拒絶されて喜んでいる若い警官の姿を見て、ジャックはようやく納得したそうです。
 ――そうか。ただの変態か。
 ですが、ジャックがいくら駆けずり回ってもひとつも手に入れられなかった情報を、トミーが一日足らずですべて入手してしまったのは事実。
 ――どうやら、思いがけない強力な味方ができたようだな。
 ジャックはそう思ったそうです。
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