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一三章 夜這いは日本の古き良き伝統でしょう
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「ふう」
永都は息をつきながら、ベッドの上に足を投げ出して座り込んだ。
体が重い。いつの間にかすっかりやつれ、枯れ枝のようになってしまった七〇過ぎのこの体。その体全体になにやらズッシリとした重さがかかっている。
「今日は疲れたな」
永都はそう呟いた。しかし、心地の良い疲れだ。体を思いきり使ったあとの爽快感。それがある。
そう。まるで、若い頃、思いきりスポーツに励んだあとのようなそんな感じ。
「……自分にもまだ、こんな疲れを感じることができたのだな」
こんな疲れを感じたことなどいつ以来だろう。もう何年もの間、感じたことのない疲れ。体を使ったあとの充実感。
ここ数年は一日の大半をベッドの上で過ごし、体を使うことそれ自体を忘れかけていた。
もちろん、疲れることなどなかった。疲れがないせいか、ろくに眠ることもできず、日がな一日ベッドの上でうつらうつらとして過ごしているだけだった。
そういえば、まともに食事をしたのも数年ぶりだ。最近は朝も、昼も、夜も、粥ばかり。それも半分、食べればいいほう。食欲を感じず丸々、抜いてしまうこともめずらしくなかった。
食事を抜くことを心配したメイドや料理人が少しでも食べるよう説得しても、
「国王に命令するのか!」
と、パワハラ丸出しの台詞を投げつけ、追い返した。まったく、年甲斐もないことをしたものだ。
それが、今日はどうだろう。朝も、昼も、夜も、出された食事をすべて平らげてしまった。
それも、粥だけではない。豆腐や具だくさんの味噌汁。夕食には久々に見る焼き魚が出たが、皮と骨だけ残してきれいに食べてしまった。
それも、意識して食べたと言うよりは、ノウラとなんやかんやと言いあっているうちに、気がついたら食べていた……という状況。
「この久々の気分が、あの娘のおかげなのは確かだな」
永都は自分を引っぱりまわすノウラの姿を思い出して苦笑した。苦笑と言うには甘いものを含みすぎた『ニヤニヤ笑い』と言いたくなるような笑みであったけど。
「まったく、不思議な娘だ。まだ二三歳、それも『世界で二番目の美貌』と呼ばれるほどの美女。望めば、いくらでも良い相手がいるだろうに。こんな年寄りと政略結婚させられて喜んでいるんだからな」
ノウラの、ネコの目のようにクルクルとかわる表情が思い出される。
思い込んだら梃子でも動かない頑固な表情。
自分を引っぱりまわすイタズラっぽい表情。
朗らかに笑う無邪気な表情。
そして、思いをはせるときのしっとりと落ちついた美しい女としての表情。
どれも一目、見たら忘れられないほどに魅力的。心に焼きついてはなれない表情ばかりだ。思い出すと、苦笑と共についついニヤけた笑みがもれでてしまう。
「まったく。かわった娘だ」
永都は笑いながらそう繰り返した。
「しかし、どれだけ振りかな。あんなふうに遠慮せずに接してくる相手は」
日本の、ごく普通の一般家庭に生まれ、高校まではごくごく普通にまわりの人間と接してきた。
誰にも遠慮する必要などなかったし、誰も自分に対して遠慮することもなかった。友だち同士でつるんでは、互いに気兼ねすることなくバカをやってきたのだ。
それが、高校で七海に出会ってからかわっていった。世界を相手にした活動をはじめ、いつの間にか『国王』などと呼ばれる身分になってしまった。しがないサラリーマン家庭の生まれである自分がだ。
そうなると、まわりの人間との関係もかわってくる。誰に対しても『一国の王』としてふるまわなければならないし、まわりの人間も『国王』相手となれば、どんなに親しくしていようとやはり、相応の遠慮をせずにはいられない。
国王になった自分に対し、一切の遠慮なしに引っぱりまわすような真似をしたのはただひとり。いまは亡き妻である七海だけだった。
「……そうか。あいつが先に逝ってしまってからはじめてだったんだな。今日のようなことは」
しみじみと――。
懐かしさを込めて、永都はそう呟いた。
それから、永都は静かにかぶりを振った。自分の心のなかに芽生えた思いを振り払うかのように。
「寝よう」
そう呟いた。今日はきっとよく眠れるだろう。数年ぶりに気持ちよく。
そう思った。だが――。
それは甘いというものだった。永都の賑やかな一日はまだ終わってはいなかった。いや、これから先にこそ最大のイベントがまっている。そのことを永都は知らない。
カチャリ、と、音を立てて寝室のドアノブがまわった。大胆なネグリジェ姿のノウラが姿を表した。
「夜這いにまいりました。永都陛下」
永都の寝室に怒り心頭に発した怒声が飛び交っている。
永都は腕を組んで仁王立ちになり、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしている。
かれこれ一時間ほどもたっているだろうか。一日の疲れも、年齢も吹っ飛び、底なしのスタミナを披露するかのように説教しまくっている。
その永都の前ではチョコンと正座させられたノウラが不思議そうに未来の夫を見上げている。
アラブ人であるノウラが『正座しろ!』と言われて、あっさり正座できるというのも奇妙なものだが、それも、ジャパニメーションで学んだらしい。
アニメの登場人物が正座しているシーンを見て『なんで、あんな座りかたができるんだろう?』と興味をもち、何度もなんども足をしびれさせながら練習した結果、日本人顔負けのビシッとした正座姿を身につけた、ということらしい。
これでもし、スッと落ちついた表情をしていれば『武家の娘』とでも言いたくなるような威厳ある姿となっていただろう。あいにく、キョトンとした不思議そうな表情をしているので威厳もなにも感じられないのだが。
「さっきからなにを怒っておられるのです、永都陛下?」
ノウラは尋ねた。その言い方がごまかしているとかではなく、本気で、心の底から不思議がっているものだったので、永都としては『いままで説教してきたのはなんだったんだ!』という疲労感を感じてしまう。
「お前はいままでなにを聞いていた⁉ 自分がなにをしに来たのかわかっているのか!」
「ですから、夜這いをしにきたんです」
ノウラは一切、悪びれず、堂々と言ってのける。それこそ、自分の行いが天地自然の理に従った絶対正義ででもあるかのように。
「それが、若い娘の言うことか⁉」
永都は顔を真っ赤にして怒鳴ったがもちろん、ノウラは恐れ入ったりはしない。堂々と言い返す。
「若い娘だからいいのではありませんか。永都陛下は、老婦人に夜這いされて嬉しいのですか?」
「あ、いや、それは確かに、若い娘の方が……って、ちがう! そういう問題じゃない! 若い娘がそんなはしたない真似をするなと言っているんだ!」
「ですから、それがわかりません。なにがはしたないと言うんです? 夜這いは日本の古き良き伝統でしょう」
「どこで覚えた、そんなこと⁉」
「地球回遊国家製のジャパニメーションで」
「うちは、そんな内容のジャパニメーションは作っていない!」
「いくらでもありますよ。ご存じないんですか?」
キョトンとした表情でそう言われて――。
永都は頭をかきむしった。
いくら、自国で生産しているからと言って、すべてのマンガ・アニメに目を通しているわけではない。永都自ら制作指揮をとっているわけではないし、そもそも地球回遊国家で生産される膨大な量のジャパニメーションすべてをひとりの人間が目を通すことなど不可能だ。
――くそっ! そんな内容のものまで作っていたとは。内容を制限してやろうか。
永都はそんなことを言ったら最後、国中が大騒ぎになって反乱が起こるにちがいないことまで考えた。
「とにかく、永都陛下」
じっと座って説教されていることに飽きたらしいノウラが立ちあがった。ズイッと近づいた。
「夫婦の営みは不可欠です。やるべきことをいたしましょう」
「それがはしたないと言うんだ!」
「妻の務めを果たそうと言うことのなにが、はしたないのです?」
「お前は政略結婚で迎えることになったお飾りの王妃だ! 妻として扱う気はないと言ったろう」
「王妃であればなおさら、世継ぎを儲けなくてはなりません。さあ、永都陛下。次代の王を得るためにお励みください」
「やめろ、押し倒すなあっー!」
氷の船の王宮に――。
貞操の危機にさらされた七〇男の絶叫が響いたのだった。
永都は息をつきながら、ベッドの上に足を投げ出して座り込んだ。
体が重い。いつの間にかすっかりやつれ、枯れ枝のようになってしまった七〇過ぎのこの体。その体全体になにやらズッシリとした重さがかかっている。
「今日は疲れたな」
永都はそう呟いた。しかし、心地の良い疲れだ。体を思いきり使ったあとの爽快感。それがある。
そう。まるで、若い頃、思いきりスポーツに励んだあとのようなそんな感じ。
「……自分にもまだ、こんな疲れを感じることができたのだな」
こんな疲れを感じたことなどいつ以来だろう。もう何年もの間、感じたことのない疲れ。体を使ったあとの充実感。
ここ数年は一日の大半をベッドの上で過ごし、体を使うことそれ自体を忘れかけていた。
もちろん、疲れることなどなかった。疲れがないせいか、ろくに眠ることもできず、日がな一日ベッドの上でうつらうつらとして過ごしているだけだった。
そういえば、まともに食事をしたのも数年ぶりだ。最近は朝も、昼も、夜も、粥ばかり。それも半分、食べればいいほう。食欲を感じず丸々、抜いてしまうこともめずらしくなかった。
食事を抜くことを心配したメイドや料理人が少しでも食べるよう説得しても、
「国王に命令するのか!」
と、パワハラ丸出しの台詞を投げつけ、追い返した。まったく、年甲斐もないことをしたものだ。
それが、今日はどうだろう。朝も、昼も、夜も、出された食事をすべて平らげてしまった。
それも、粥だけではない。豆腐や具だくさんの味噌汁。夕食には久々に見る焼き魚が出たが、皮と骨だけ残してきれいに食べてしまった。
それも、意識して食べたと言うよりは、ノウラとなんやかんやと言いあっているうちに、気がついたら食べていた……という状況。
「この久々の気分が、あの娘のおかげなのは確かだな」
永都は自分を引っぱりまわすノウラの姿を思い出して苦笑した。苦笑と言うには甘いものを含みすぎた『ニヤニヤ笑い』と言いたくなるような笑みであったけど。
「まったく、不思議な娘だ。まだ二三歳、それも『世界で二番目の美貌』と呼ばれるほどの美女。望めば、いくらでも良い相手がいるだろうに。こんな年寄りと政略結婚させられて喜んでいるんだからな」
ノウラの、ネコの目のようにクルクルとかわる表情が思い出される。
思い込んだら梃子でも動かない頑固な表情。
自分を引っぱりまわすイタズラっぽい表情。
朗らかに笑う無邪気な表情。
そして、思いをはせるときのしっとりと落ちついた美しい女としての表情。
どれも一目、見たら忘れられないほどに魅力的。心に焼きついてはなれない表情ばかりだ。思い出すと、苦笑と共についついニヤけた笑みがもれでてしまう。
「まったく。かわった娘だ」
永都は笑いながらそう繰り返した。
「しかし、どれだけ振りかな。あんなふうに遠慮せずに接してくる相手は」
日本の、ごく普通の一般家庭に生まれ、高校まではごくごく普通にまわりの人間と接してきた。
誰にも遠慮する必要などなかったし、誰も自分に対して遠慮することもなかった。友だち同士でつるんでは、互いに気兼ねすることなくバカをやってきたのだ。
それが、高校で七海に出会ってからかわっていった。世界を相手にした活動をはじめ、いつの間にか『国王』などと呼ばれる身分になってしまった。しがないサラリーマン家庭の生まれである自分がだ。
そうなると、まわりの人間との関係もかわってくる。誰に対しても『一国の王』としてふるまわなければならないし、まわりの人間も『国王』相手となれば、どんなに親しくしていようとやはり、相応の遠慮をせずにはいられない。
国王になった自分に対し、一切の遠慮なしに引っぱりまわすような真似をしたのはただひとり。いまは亡き妻である七海だけだった。
「……そうか。あいつが先に逝ってしまってからはじめてだったんだな。今日のようなことは」
しみじみと――。
懐かしさを込めて、永都はそう呟いた。
それから、永都は静かにかぶりを振った。自分の心のなかに芽生えた思いを振り払うかのように。
「寝よう」
そう呟いた。今日はきっとよく眠れるだろう。数年ぶりに気持ちよく。
そう思った。だが――。
それは甘いというものだった。永都の賑やかな一日はまだ終わってはいなかった。いや、これから先にこそ最大のイベントがまっている。そのことを永都は知らない。
カチャリ、と、音を立てて寝室のドアノブがまわった。大胆なネグリジェ姿のノウラが姿を表した。
「夜這いにまいりました。永都陛下」
永都の寝室に怒り心頭に発した怒声が飛び交っている。
永都は腕を組んで仁王立ちになり、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしている。
かれこれ一時間ほどもたっているだろうか。一日の疲れも、年齢も吹っ飛び、底なしのスタミナを披露するかのように説教しまくっている。
その永都の前ではチョコンと正座させられたノウラが不思議そうに未来の夫を見上げている。
アラブ人であるノウラが『正座しろ!』と言われて、あっさり正座できるというのも奇妙なものだが、それも、ジャパニメーションで学んだらしい。
アニメの登場人物が正座しているシーンを見て『なんで、あんな座りかたができるんだろう?』と興味をもち、何度もなんども足をしびれさせながら練習した結果、日本人顔負けのビシッとした正座姿を身につけた、ということらしい。
これでもし、スッと落ちついた表情をしていれば『武家の娘』とでも言いたくなるような威厳ある姿となっていただろう。あいにく、キョトンとした不思議そうな表情をしているので威厳もなにも感じられないのだが。
「さっきからなにを怒っておられるのです、永都陛下?」
ノウラは尋ねた。その言い方がごまかしているとかではなく、本気で、心の底から不思議がっているものだったので、永都としては『いままで説教してきたのはなんだったんだ!』という疲労感を感じてしまう。
「お前はいままでなにを聞いていた⁉ 自分がなにをしに来たのかわかっているのか!」
「ですから、夜這いをしにきたんです」
ノウラは一切、悪びれず、堂々と言ってのける。それこそ、自分の行いが天地自然の理に従った絶対正義ででもあるかのように。
「それが、若い娘の言うことか⁉」
永都は顔を真っ赤にして怒鳴ったがもちろん、ノウラは恐れ入ったりはしない。堂々と言い返す。
「若い娘だからいいのではありませんか。永都陛下は、老婦人に夜這いされて嬉しいのですか?」
「あ、いや、それは確かに、若い娘の方が……って、ちがう! そういう問題じゃない! 若い娘がそんなはしたない真似をするなと言っているんだ!」
「ですから、それがわかりません。なにがはしたないと言うんです? 夜這いは日本の古き良き伝統でしょう」
「どこで覚えた、そんなこと⁉」
「地球回遊国家製のジャパニメーションで」
「うちは、そんな内容のジャパニメーションは作っていない!」
「いくらでもありますよ。ご存じないんですか?」
キョトンとした表情でそう言われて――。
永都は頭をかきむしった。
いくら、自国で生産しているからと言って、すべてのマンガ・アニメに目を通しているわけではない。永都自ら制作指揮をとっているわけではないし、そもそも地球回遊国家で生産される膨大な量のジャパニメーションすべてをひとりの人間が目を通すことなど不可能だ。
――くそっ! そんな内容のものまで作っていたとは。内容を制限してやろうか。
永都はそんなことを言ったら最後、国中が大騒ぎになって反乱が起こるにちがいないことまで考えた。
「とにかく、永都陛下」
じっと座って説教されていることに飽きたらしいノウラが立ちあがった。ズイッと近づいた。
「夫婦の営みは不可欠です。やるべきことをいたしましょう」
「それがはしたないと言うんだ!」
「妻の務めを果たそうと言うことのなにが、はしたないのです?」
「お前は政略結婚で迎えることになったお飾りの王妃だ! 妻として扱う気はないと言ったろう」
「王妃であればなおさら、世継ぎを儲けなくてはなりません。さあ、永都陛下。次代の王を得るためにお励みください」
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