18 / 26
一六章 おれの妻は……
しおりを挟む
「『ゴールデンサークル』は知っているか?」
「はい。『WHYよりはじめよ』ですね」
永都の問いに対し、ノウラはキビキビと答えた。背筋をまっすぐに伸ばし、真面目一方の表情で答えるその姿は、夫に対する妻のものではなかった。どこからどう見ても、師に対する弟子のものだった。
『師』はひとつうなずくと、つづけた。
「その内容を説明してみろ」
「はい」
と、ノウラはやはり生真面目に、キビキビした調子で答える。
「物事には、
なぜ、やるのか。
どう、やるのか。
なにをしているのか。
という三つの段階がある。凡庸なリーダーは『なにをしているのか』から語る。対して、歴史を動かすような偉大なリーダーは『なぜ、やるのか』から語る。それこそが、人の心を打ち、人を動かす秘訣であり、ゴールデンサークルと呼ばれるものです」
「よろしい」
と、地球回遊国家国王・葦原永都はうなずいた。満足げに、ではない。あくまでも、弟子を厳しく鍛える厳格な師としてのうなずきだった。
永都が再び国王としての姿を衆目の前に表したあの日。あの日からノウラは徹底して永都による指導を受けていた。地球回遊国家の歴史、理念、その理念を実現させるためになにをしてきたか。そのすべてを叩き込まれてきた。
その『指導』はいっそ無慈悲と言ってもいいほどに厳しいもので、並大抵の二三歳の女性なら、あまりの厳しさに泣いて逃げ出しているぐらいのものだった。
しかし、ノウラにとっては大歓迎。なにしろ、まだ幼い日、ナフードを訪れた永都と七海の夫妻を見、その理想を語る姿、理想を実現させるために情熱をたぎらせて行動するその姿に恋い焦がれて以来、ずっとずっとこうやってアツく行動できる日を待ち望んでいたのだから。
――そう。ナフードではこんなふうにアツくなって行動することなんてできなかった。『女のくせに』、『女であることをわきまえろ』なんて、そんなことを言われてばかり。わたしがどんなに真剣に国の未来について語っても、誰も相手にしてくれなかった。
――でも、ここはちがう。『女のくせに』なんて言われない。どんなにアツく夢を語っても誰も嗤ったりしない。ここでなら、わたしの幼い頃からの思いを実現できる。
そう思うと喜びのあまり、胸が張り裂けそう。
いささか妙な表現だが、そう絶叫したくなるぐらいの喜びを感じていた。どんなに厳しくても、いや、厳しければきびしいほど望むところ。
満たされることのなかった幼い頃の心が後からあとから湧きだしてきて『もっともっと』と叫んでいるのだ。その心を満たしてやるためには厳しければきびしいほど都合がいい。
「では、ノウラ。ゴールデンサークルにそって、地球回遊国家の在り方を説明してみろ」
「はい!」
ノウラは永都の言葉に大きな声で答えた。『世界で二番目の美女』と呼ばれるその美貌には、笑みさえ浮いている。
まるで、ジャバニメーションのなかのスポ根ものの一シーンのよう。鬼コーチの指導を受けて真剣に答える選手のような、そんな光景だった。
ノウラはその嬉しそうな表情のまま、答えた。
「わたしたちは人と人が争うことなく、その潜在能力を存分に発揮できる世界を求めています。そのために、すべての人間が自分の望む暮らしを送れる社会の実現を目指しています。その実現のために、氷の船団による国家、地球回遊国家を作りあげました」
「よろしい。では、なぜ、『すべての人間が自分の望む暮らしを送れる社会』を作るために、氷の船団による国家が有効なのか」
「住み分けができるからです。地球回遊国家は船を増やしていくことでいくらでも人間の住み処を増やすことができます。住み処がふえると言うことはそれだけ、好きな暮らしを送れる場所を増やすことができると言うこと。いま、自分のいる場所が気に入らなければ新しい船を作り、独立して、その船に自分の望む暮らしを築けばいい。そうすることで、『すべての人間が自分の望む暮らしを送れる』世界を実現できるからです」
「よろしい」
と、永都は、厳格な上に気むずかしい師の態度でうなずいた。
厳しさに慣れていない人間であれば、その態度だけで泣き出して逃げ出すにちがいない。そう思わせる態度もノウラにとっては心地よい厳しさである。
「忘れるな。世の中には『住み分けはいけない』という人間が多くいる。だが、それは『共存』という概念を誤解しているからだ。自然界における『共存』とは、一緒に住むことではない。一緒に住まなくていいよう、住み分けることだ。
森を見ろ。ひとつの森のなかには何種類もの似たような鳥たちが住んでいる。決して、一種の鳥だけが森のすべてを支配するようなことにはならない。その秘訣が『住み分け』だ。
ある鳥は朝に行動し、ある鳥は昼に行動し、ある鳥は夜に行動する。また、ある鳥は森の上層部に住み、ある鳥は森の中層部に住み、ある鳥は森の下層部に住む。そしてまた、ある鳥は植物の実や種を食べ、ある鳥は昆虫を食べ、またある鳥は小動物を食べる。
そうやって自分たちの生活する時間、生きる場所、食べるものをかえて住み分けている。そうすることで、ひとつの森のなかに何種類もの鳥が生きていけるようになる。
もし、住み分けを否定したなら、すべての鳥に同じ時間に行動し、同じ場所で生活し、同じものを食べるように強制したならそれは、すべての鳥をただ一種類の同じ鳥にかえてしまうということだ。
そんなことをすれば、それを望まない鳥は反発する。そんな鳥に『同じ生き方』をさせようとすれば結局、武力によって押しつけるしかない。そして、それを戦争という。戦争とは『相手を自分の意思に従わせるための、武力を含めた総合手段』なのだからな」
「はい!」
「地球回遊国家はその逆を行く。住み分けを前提とすることですべての人間が自分の望む暮らしを送れるようにする。そうすることで、人と人が争う必要をなくす。それを忘れるな」
「はい!」
「そもそも、それこそが人類本来の在り方なのだ。古来、人々は自分の住む土地で、自分たちの望む暮らしを打ち立ててきた。世界中どこでも、それぞれの町、それぞれの村で、それぞれに適した暮らしを営んできた。それが、近代国家の成立によって一変した。近代国家はすべての人間を『国民』として統制し、国家の掲げる『正しい生き方』を全員がするように強制した。
そのために、国民誰もが自分の望まない暮らしを押しつけられ、息苦しさを感じ、挙げ句の果てに国民同士が憎み合うようになってしまった。
『自分が思い通りの暮らしを送れないのは、あいつらのせいだ。あいつらさえいなければ、自分の望む暮らしを送れるんだ』
というわけだ。
近代国家は自由を広めたと言われる。だが、事実はまったくの逆だ。近代国家の成立によって、人類は自由を失った。『自分の望む暮らしを自分で作る』という巨大な自由をだ。
その自由を取り戻す。最新の技術を使い、古来の在り方をアップデートした形でだ。地球回遊国家においては、人は誰でも自分の好む暮らしを送る船で暮らす権利がある。もし、自分の望む暮らしを送る船がないのなら、自らが独立して船をもち、自分の望む暮らしを打ち立てる。
それが、地球回遊国家。国王の役目は国民一人ひとりが自分の望む暮らしを送れるよう手助けすることだ。
相手が『自分はこんな暮らしを送りたい。だから、その実現のためにこういう協力を頼みたい』と、そう言ってきたときに、その頼みに応じることだ。まちがっても『唯一の正しい生き方』を国民に強制するようなことをしてはならない。
そのとき、その場で、どのような暮らしを送るのが一番よいか。それを知っているのはあくまでもそのとき、その場に住む人々であって、国王などではないのだからな。国王はあくまでも国民の望みを叶えるためのサポーター。国民を教え導く存在などではない。そのことを忘れるな」
「はい!」
「ただし! 国民の望むことはなんでも実現してよいというわけではない。地球回遊国家の目的はあくまでも『人と人が争うことなく、その潜在能力を存分に発揮できる世界を作る』ことだ。その目的に沿った暮らしだけを認める。それ以外の暮らしは認めてはいかん。いいな」
「はい!」
「そして、もうひとつ。それ以上に忘れてはならないことがある」
「なんでしょう?」
「地球回遊国家の理念を信じるな、と言うことだ」
「理念を信じるな?」
ノウラはさすがに眉をひそめた。『理念を信じるな』とは『理念を語る』ことの真逆であるはずだ。その意味はさすがに理解できなかった。
永都は厳格な師として『弟子』に語った。
「『正義』としては信じるな、と言うことだ。地球回遊国家の掲げる理念はあくまでも人間が作ったもの。宇宙の絶対真理に支えられた正義などではない。まちがっているかも知れない。正しいのは住み分けを否定する側かも知れない。その疑いは常にもっていなくてはならない。疑いをもたず、自分の理念こそを『正義』と信じたとき、人は寛容さをなくす。自分と異なる理念を掲げるものを許せなくなる。そうなれば結局は戦争だ。
だから、地球回遊国家は自分たちの理念をあくまでも『実験のひとつ』として捉える。理念が正しければ地球回遊国家は栄える。まちがっていれば潰える。正しいか否かは歴史の審判に委ねる。
その上で、自分の信じる理念の実現のために行動し、他の理念を掲げる人間には干渉しない。それが地球回遊国家の在り方。我が妃となり地球回遊国家の明日を背負う存在となるつもりなら、そのことだけは決して忘れるな」
「はい! 肝に銘じておきます」
その表現に、さしもの『厳格で気むずかしい師』もつい苦笑をもらした。
「肝に銘じる、か。まるで、日本人のような言い方をするな」
「地球回遊国家製のジャパニメーションで覚えました」
誇らしげに胸を張り、笑顔でそう言うノウラであった。
永都はまたも苦笑するしかなかった。
「どうやら、おれの思っている以上にジャパニメーション部門の貢献は大きいようだな。いいことだ。では、いい機会だ。ジャパニメーション部門の歴史について語っていくぞ」
「はい!」
そして、永都は語りはじめた。地球回遊国家においてジャパニメーションを作りはじめたその経緯を。それは、永都の亡き妻、七海の掲げた壮大な挑戦だった。
「たとえ、戦火によって傷つこうともペンさえもてればマンガは描ける。声さえ出れば声優になれる。理不尽な戦火によって傷つき、人生を奪われた無数の人々。その人々に再び生きる力を与え、富と幸福を手に入れる手段を与える。その目的のもとに地球回遊国家はジャパニメーションの制作を掲げ……」
永都の声がそこでとまった。ふと気がつくと、ノウラがデスクに突っ伏して眠ってしまっていた。
二三歳が七〇代よりも先に寝落ちしてしまうなど、普通に考えればおかしなことだ。事情を知らないものが見れば『いい若いものが年寄りより先に寝落ちしてどうする! 気合いが足りん!』とどなっているところだ。
しかし、永都は知っている。ノウラが毎日まいにち自分の行う『講義』の他にも地球回遊国家の歴史や政策、産業について貪欲に学び、また、閣僚たちと会議を重ね、市井の人々とも交流し、生の声を聞いていることを。そのために、ろくに眠っていないことを。
――それだけ真剣に、地球回遊国家の王妃になろうとしているのだな。
永都は、デスクに突っ伏したまま両目を閉じ、健やかな寝息を立てているノウラを見てそう思った。
――わずか二三歳の身で親に売られ、七〇過ぎの年寄りの嫁になることになった。いくら気丈とはいえ不安もあれば、腹が立ちもするだろうに。そんなことはおくびにも出さず、公人としての立場を貫こうとしているのだな。
そう思うと歳老いた胸に痛みが走る。
永都はノウラの寝顔をジッと見つめた。
世界で二番目の美女。
そう呼ばれる美貌は寝ていても、いや、無防備な寝姿だからこそよけい際立ち、魅力的に見える。
永都はふと手を伸ばした。その白く、なめらかな頬にさわろうとした。指が頬に届くその寸前――。
永都は手をとめた。指を曲げ、拳を握った。首を左右に振った。
「なにをやっているんだ、おれは。二三歳に手を出していい歳ではあるまい。それに、おれには……」
そう言って、もう一度首を横に振った。
永都は結局、人を呼んで、寝落ちしたノウラを本人の寝室に運ばせた。
「くれぐれも起こしてしまわぬようにな」
そう念を押して。
「はい。『WHYよりはじめよ』ですね」
永都の問いに対し、ノウラはキビキビと答えた。背筋をまっすぐに伸ばし、真面目一方の表情で答えるその姿は、夫に対する妻のものではなかった。どこからどう見ても、師に対する弟子のものだった。
『師』はひとつうなずくと、つづけた。
「その内容を説明してみろ」
「はい」
と、ノウラはやはり生真面目に、キビキビした調子で答える。
「物事には、
なぜ、やるのか。
どう、やるのか。
なにをしているのか。
という三つの段階がある。凡庸なリーダーは『なにをしているのか』から語る。対して、歴史を動かすような偉大なリーダーは『なぜ、やるのか』から語る。それこそが、人の心を打ち、人を動かす秘訣であり、ゴールデンサークルと呼ばれるものです」
「よろしい」
と、地球回遊国家国王・葦原永都はうなずいた。満足げに、ではない。あくまでも、弟子を厳しく鍛える厳格な師としてのうなずきだった。
永都が再び国王としての姿を衆目の前に表したあの日。あの日からノウラは徹底して永都による指導を受けていた。地球回遊国家の歴史、理念、その理念を実現させるためになにをしてきたか。そのすべてを叩き込まれてきた。
その『指導』はいっそ無慈悲と言ってもいいほどに厳しいもので、並大抵の二三歳の女性なら、あまりの厳しさに泣いて逃げ出しているぐらいのものだった。
しかし、ノウラにとっては大歓迎。なにしろ、まだ幼い日、ナフードを訪れた永都と七海の夫妻を見、その理想を語る姿、理想を実現させるために情熱をたぎらせて行動するその姿に恋い焦がれて以来、ずっとずっとこうやってアツく行動できる日を待ち望んでいたのだから。
――そう。ナフードではこんなふうにアツくなって行動することなんてできなかった。『女のくせに』、『女であることをわきまえろ』なんて、そんなことを言われてばかり。わたしがどんなに真剣に国の未来について語っても、誰も相手にしてくれなかった。
――でも、ここはちがう。『女のくせに』なんて言われない。どんなにアツく夢を語っても誰も嗤ったりしない。ここでなら、わたしの幼い頃からの思いを実現できる。
そう思うと喜びのあまり、胸が張り裂けそう。
いささか妙な表現だが、そう絶叫したくなるぐらいの喜びを感じていた。どんなに厳しくても、いや、厳しければきびしいほど望むところ。
満たされることのなかった幼い頃の心が後からあとから湧きだしてきて『もっともっと』と叫んでいるのだ。その心を満たしてやるためには厳しければきびしいほど都合がいい。
「では、ノウラ。ゴールデンサークルにそって、地球回遊国家の在り方を説明してみろ」
「はい!」
ノウラは永都の言葉に大きな声で答えた。『世界で二番目の美女』と呼ばれるその美貌には、笑みさえ浮いている。
まるで、ジャバニメーションのなかのスポ根ものの一シーンのよう。鬼コーチの指導を受けて真剣に答える選手のような、そんな光景だった。
ノウラはその嬉しそうな表情のまま、答えた。
「わたしたちは人と人が争うことなく、その潜在能力を存分に発揮できる世界を求めています。そのために、すべての人間が自分の望む暮らしを送れる社会の実現を目指しています。その実現のために、氷の船団による国家、地球回遊国家を作りあげました」
「よろしい。では、なぜ、『すべての人間が自分の望む暮らしを送れる社会』を作るために、氷の船団による国家が有効なのか」
「住み分けができるからです。地球回遊国家は船を増やしていくことでいくらでも人間の住み処を増やすことができます。住み処がふえると言うことはそれだけ、好きな暮らしを送れる場所を増やすことができると言うこと。いま、自分のいる場所が気に入らなければ新しい船を作り、独立して、その船に自分の望む暮らしを築けばいい。そうすることで、『すべての人間が自分の望む暮らしを送れる』世界を実現できるからです」
「よろしい」
と、永都は、厳格な上に気むずかしい師の態度でうなずいた。
厳しさに慣れていない人間であれば、その態度だけで泣き出して逃げ出すにちがいない。そう思わせる態度もノウラにとっては心地よい厳しさである。
「忘れるな。世の中には『住み分けはいけない』という人間が多くいる。だが、それは『共存』という概念を誤解しているからだ。自然界における『共存』とは、一緒に住むことではない。一緒に住まなくていいよう、住み分けることだ。
森を見ろ。ひとつの森のなかには何種類もの似たような鳥たちが住んでいる。決して、一種の鳥だけが森のすべてを支配するようなことにはならない。その秘訣が『住み分け』だ。
ある鳥は朝に行動し、ある鳥は昼に行動し、ある鳥は夜に行動する。また、ある鳥は森の上層部に住み、ある鳥は森の中層部に住み、ある鳥は森の下層部に住む。そしてまた、ある鳥は植物の実や種を食べ、ある鳥は昆虫を食べ、またある鳥は小動物を食べる。
そうやって自分たちの生活する時間、生きる場所、食べるものをかえて住み分けている。そうすることで、ひとつの森のなかに何種類もの鳥が生きていけるようになる。
もし、住み分けを否定したなら、すべての鳥に同じ時間に行動し、同じ場所で生活し、同じものを食べるように強制したならそれは、すべての鳥をただ一種類の同じ鳥にかえてしまうということだ。
そんなことをすれば、それを望まない鳥は反発する。そんな鳥に『同じ生き方』をさせようとすれば結局、武力によって押しつけるしかない。そして、それを戦争という。戦争とは『相手を自分の意思に従わせるための、武力を含めた総合手段』なのだからな」
「はい!」
「地球回遊国家はその逆を行く。住み分けを前提とすることですべての人間が自分の望む暮らしを送れるようにする。そうすることで、人と人が争う必要をなくす。それを忘れるな」
「はい!」
「そもそも、それこそが人類本来の在り方なのだ。古来、人々は自分の住む土地で、自分たちの望む暮らしを打ち立ててきた。世界中どこでも、それぞれの町、それぞれの村で、それぞれに適した暮らしを営んできた。それが、近代国家の成立によって一変した。近代国家はすべての人間を『国民』として統制し、国家の掲げる『正しい生き方』を全員がするように強制した。
そのために、国民誰もが自分の望まない暮らしを押しつけられ、息苦しさを感じ、挙げ句の果てに国民同士が憎み合うようになってしまった。
『自分が思い通りの暮らしを送れないのは、あいつらのせいだ。あいつらさえいなければ、自分の望む暮らしを送れるんだ』
というわけだ。
近代国家は自由を広めたと言われる。だが、事実はまったくの逆だ。近代国家の成立によって、人類は自由を失った。『自分の望む暮らしを自分で作る』という巨大な自由をだ。
その自由を取り戻す。最新の技術を使い、古来の在り方をアップデートした形でだ。地球回遊国家においては、人は誰でも自分の好む暮らしを送る船で暮らす権利がある。もし、自分の望む暮らしを送る船がないのなら、自らが独立して船をもち、自分の望む暮らしを打ち立てる。
それが、地球回遊国家。国王の役目は国民一人ひとりが自分の望む暮らしを送れるよう手助けすることだ。
相手が『自分はこんな暮らしを送りたい。だから、その実現のためにこういう協力を頼みたい』と、そう言ってきたときに、その頼みに応じることだ。まちがっても『唯一の正しい生き方』を国民に強制するようなことをしてはならない。
そのとき、その場で、どのような暮らしを送るのが一番よいか。それを知っているのはあくまでもそのとき、その場に住む人々であって、国王などではないのだからな。国王はあくまでも国民の望みを叶えるためのサポーター。国民を教え導く存在などではない。そのことを忘れるな」
「はい!」
「ただし! 国民の望むことはなんでも実現してよいというわけではない。地球回遊国家の目的はあくまでも『人と人が争うことなく、その潜在能力を存分に発揮できる世界を作る』ことだ。その目的に沿った暮らしだけを認める。それ以外の暮らしは認めてはいかん。いいな」
「はい!」
「そして、もうひとつ。それ以上に忘れてはならないことがある」
「なんでしょう?」
「地球回遊国家の理念を信じるな、と言うことだ」
「理念を信じるな?」
ノウラはさすがに眉をひそめた。『理念を信じるな』とは『理念を語る』ことの真逆であるはずだ。その意味はさすがに理解できなかった。
永都は厳格な師として『弟子』に語った。
「『正義』としては信じるな、と言うことだ。地球回遊国家の掲げる理念はあくまでも人間が作ったもの。宇宙の絶対真理に支えられた正義などではない。まちがっているかも知れない。正しいのは住み分けを否定する側かも知れない。その疑いは常にもっていなくてはならない。疑いをもたず、自分の理念こそを『正義』と信じたとき、人は寛容さをなくす。自分と異なる理念を掲げるものを許せなくなる。そうなれば結局は戦争だ。
だから、地球回遊国家は自分たちの理念をあくまでも『実験のひとつ』として捉える。理念が正しければ地球回遊国家は栄える。まちがっていれば潰える。正しいか否かは歴史の審判に委ねる。
その上で、自分の信じる理念の実現のために行動し、他の理念を掲げる人間には干渉しない。それが地球回遊国家の在り方。我が妃となり地球回遊国家の明日を背負う存在となるつもりなら、そのことだけは決して忘れるな」
「はい! 肝に銘じておきます」
その表現に、さしもの『厳格で気むずかしい師』もつい苦笑をもらした。
「肝に銘じる、か。まるで、日本人のような言い方をするな」
「地球回遊国家製のジャパニメーションで覚えました」
誇らしげに胸を張り、笑顔でそう言うノウラであった。
永都はまたも苦笑するしかなかった。
「どうやら、おれの思っている以上にジャパニメーション部門の貢献は大きいようだな。いいことだ。では、いい機会だ。ジャパニメーション部門の歴史について語っていくぞ」
「はい!」
そして、永都は語りはじめた。地球回遊国家においてジャパニメーションを作りはじめたその経緯を。それは、永都の亡き妻、七海の掲げた壮大な挑戦だった。
「たとえ、戦火によって傷つこうともペンさえもてればマンガは描ける。声さえ出れば声優になれる。理不尽な戦火によって傷つき、人生を奪われた無数の人々。その人々に再び生きる力を与え、富と幸福を手に入れる手段を与える。その目的のもとに地球回遊国家はジャパニメーションの制作を掲げ……」
永都の声がそこでとまった。ふと気がつくと、ノウラがデスクに突っ伏して眠ってしまっていた。
二三歳が七〇代よりも先に寝落ちしてしまうなど、普通に考えればおかしなことだ。事情を知らないものが見れば『いい若いものが年寄りより先に寝落ちしてどうする! 気合いが足りん!』とどなっているところだ。
しかし、永都は知っている。ノウラが毎日まいにち自分の行う『講義』の他にも地球回遊国家の歴史や政策、産業について貪欲に学び、また、閣僚たちと会議を重ね、市井の人々とも交流し、生の声を聞いていることを。そのために、ろくに眠っていないことを。
――それだけ真剣に、地球回遊国家の王妃になろうとしているのだな。
永都は、デスクに突っ伏したまま両目を閉じ、健やかな寝息を立てているノウラを見てそう思った。
――わずか二三歳の身で親に売られ、七〇過ぎの年寄りの嫁になることになった。いくら気丈とはいえ不安もあれば、腹が立ちもするだろうに。そんなことはおくびにも出さず、公人としての立場を貫こうとしているのだな。
そう思うと歳老いた胸に痛みが走る。
永都はノウラの寝顔をジッと見つめた。
世界で二番目の美女。
そう呼ばれる美貌は寝ていても、いや、無防備な寝姿だからこそよけい際立ち、魅力的に見える。
永都はふと手を伸ばした。その白く、なめらかな頬にさわろうとした。指が頬に届くその寸前――。
永都は手をとめた。指を曲げ、拳を握った。首を左右に振った。
「なにをやっているんだ、おれは。二三歳に手を出していい歳ではあるまい。それに、おれには……」
そう言って、もう一度首を横に振った。
永都は結局、人を呼んで、寝落ちしたノウラを本人の寝室に運ばせた。
「くれぐれも起こしてしまわぬようにな」
そう念を押して。
0
あなたにおすすめの小説
「無能な妻」と蔑まれた令嬢は、離婚後に隣国の王子に溺愛されました。
腐ったバナナ
恋愛
公爵令嬢アリアンナは、魔力を持たないという理由で、夫である侯爵エドガーから無能な妻と蔑まれる日々を送っていた。
魔力至上主義の貴族社会で価値を見いだされないことに絶望したアリアンナは、ついに離婚を決断。
多額の慰謝料と引き換えに、無能な妻という足枷を捨て、自由な平民として辺境へと旅立つ。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
愛する夫が目の前で別の女性と恋に落ちました。
ましゅぺちーの
恋愛
伯爵令嬢のアンジェは公爵家の嫡男であるアランに嫁いだ。
子はなかなかできなかったが、それでも仲の良い夫婦だった。
――彼女が現れるまでは。
二人が結婚して五年を迎えた記念パーティーでアランは若く美しい令嬢と恋に落ちてしまう。
それからアランは変わり、何かと彼女のことを優先するようになり……
竜帝に捨てられ病気で死んで転生したのに、生まれ変わっても竜帝に気に入られそうです
みゅー
恋愛
シーディは前世の記憶を持っていた。前世では奉公に出された家で竜帝に気に入られ寵姫となるが、竜帝は豪族と婚約すると噂され同時にシーディの部屋へ通うことが減っていった。そんな時に病気になり、シーディは後宮を出ると一人寂しく息を引き取った。
時は流れ、シーディはある村外れの貧しいながらも優しい両親の元に生まれ変わっていた。そんなある日村に竜帝が訪れ、竜帝に見つかるがシーディの生まれ変わりだと気づかれずにすむ。
数日後、運命の乙女を探すためにの同じ年、同じ日に生まれた数人の乙女たちが後宮に召集され、シーディも後宮に呼ばれてしまう。
自分が運命の乙女ではないとわかっているシーディは、とにかく何事もなく村へ帰ることだけを目標に過ごすが……。
はたして本当にシーディは運命の乙女ではないのか、今度の人生で幸せをつかむことができるのか。
短編:竜帝の花嫁 誰にも愛されずに死んだと思ってたのに、生まれ変わったら溺愛されてました
を長編にしたものです。
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
悪役令嬢カタリナ・クレールの断罪はお断り(断罪編)
三色団子
恋愛
カタリナ・クレールは、悪役令嬢としての断罪の日を冷静に迎えた。王太子アッシュから投げつけられる「恥知らずめ!」という罵声も、学園生徒たちの冷たい視線も、彼女の心には届かない。すべてはゲームの筋書き通り。彼女の「悪事」は些細な注意の言葉が曲解されたものだったが、弁明は許されなかった。
後悔などありません。あなたのことは愛していないので。
あかぎ
恋愛
「お前とは婚約破棄する」
婚約者の突然の宣言に、レイラは言葉を失った。
理由は見知らぬ女ジェシカへのいじめ。
証拠と称される手紙も差し出されたが、筆跡は明らかに自分のものではない。
初対面の相手に嫉妬して傷つけただなど、理不尽にもほどがある。
だが、トールは疑いを信じ込み、ジェシカと共にレイラを糾弾する。
静かに溜息をついたレイラは、彼の目を見据えて言った。
「私、あなたのことなんて全然好きじゃないの」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる