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第二部 絆ぐ伝説
第二話一二章 未来を守るために
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ロウワンはその公園に小さなコーヒースタンドを開いた。
コーヒースタンドと言ってももちろん、店舗などない。急遽、取りそろえた椅子とテーブルをいくつか並べ、日差しよけのパラソルを置いただけの文字通りの露店である。
そんな店であっても公園内で商売するとなればもちろん、管理者の許可がいる。管理人は当初、ロウワンの申し入れに対して露骨に怪しむ表情になった。
年端もいかない少年少女――それも、奇妙なサルつき――が、いきなりやってきて『コーヒースタンドを開きたいから許可をください』と言ってきたのだ。怪しまない方がどうかしている。しかし、ロウワンが実際に現金を見せたところ、急に愛想良くなって許可証を出してくれた。
もっとも、ロウワンのもっている金はハルキスから餞別として贈られた五〇〇年前の硬貨である。そのままでは使えないので古銭商を探して現在の硬貨にかえてもらう必要があった。
とは言え、そこは世界中から人と物の集まる港町。どのような店であろうとちょっと探せばすぐに見つかる。店主は当初、ほんの少年が見せにやってきたことに怪しむ表情をしていた。しかし、実際に現物を見ると目の色がかわった。
五〇〇年前の貴重な硬貨。それも、ずっとしまい込んであっただけあって品質も上々。古銭商としては喉から手が出るほどほしい代物であったのだ。と言うわけで店主は急に愛想がよくなり、なにも聞かずに買い取ってくれた。
――下手に問い質したりして、盗品だとか判明してはまずい。
そう思ったのだ。
盗品と知って買い取れば同罪だが、知らずに買ったのならお咎めなし、と言うわけだ。
公園の管理人もそうだが、こう言うところが商売熱心な人間のいいところ。金さえ出せば年齢や素性など気にもせずに客として扱ってくれる。
ただし、その分、足元を見られて相場よりかなり低く買い取られた可能性はある。だが、もともともらいものだし、必要なだけの金額は手に入ったのでロウワンは気にしなかった。そもそも、生き馬の目を抜く商人の世界で、年端もいかない子どもが公平な扱いをしてもらえるなどと期待する方が愚かというものだ。ロウワンもゴンドワナ商人の息子としてその程度のことはわきまえている。
とにかく、そうして手に入れた現代の硬貨で椅子とテーブル。それに、コーヒーを淹れるための最低限の器具を買い込んだ。タラの島ではそんな器具は手に入らないので間に合わせの道具を使ったが、仮にも金をとってコーヒーを振る舞おうと言うからにはそうはいかない。きちんと、本式の器具をそろえる必要があった。
そして、ロウワンはコーヒースタンドを開いた。
いくつかの椅子とテーブルを並べただけの小さな露店。しかも、コーヒーを淹れるのは本を読んで淹れ方を学んだだけの素人。コーヒー豆自体も放ったらかしにされていた品質の劣る豆。数多のコーヒーハウスがしのぎを削る港町。これだけ悪条件がそろって、舌の肥えた住人たちに相手にされるわけがない。普通なら。
ところが、ロウワンのコーヒースタンドはたちまち大人気になった。公園中の注目を浴び、たった数席のテーブル席ではとても座れないほどの人が押し寄せた。
その主な理由は売り子を務めるトウナにあった。
トウナのもつ異国情緒あふれる魅力的な外見が人目を惹いた……ということもたしかにある。しかし、最大の理由はトウナの語る話にあった。
トウナがこれまでに漁に出た男たちから聞いてきた数々の話、
船での暮らし。
海の怪異。
南洋の島々に産する摩訶不思議な動物や植物たち。
それらの話が、北の大陸から出たことのない人々の気を大いに惹いたのだ。
コーヒーを飲むため、というよりは、トウナの話を聞くために人々が押し寄せた。
そう言っても過言ではない。
――そう言えば、ハルキス先生が言っていたな。『北の大陸の人間にとって、コーヒーやスパイスの産する南の島々は未知なる異世界。コーヒーを嗜み、スパイスを味わうと言うことは、それらの味覚を通して自分の知らないはるかな異世界を体験すると言うことなのだ』って。
――私もコーヒーを飲んでは、まだ見ぬ南方の世界に思いを馳せたものだ。
ハルキスはすでに白骨になった身でしみじみとそう語っていたものだ。
――つまり、五〇〇年前とかわらずいまの時代でも、北の大陸の人たちにとって南の海は興味をかきたてられる未知の異界のまま、と言うわけか。
考えてみれば奇妙なことに思える。
五〇〇年もの時があれば南の海に大々的に進出し、都市を建設し、謎と怪異を解き明かし、はるかに身近な世界にすることができたはずだ。そうなっていればコーヒーだろうと、スパイスだろうと、もっと身近で安い食品となっていたにちがいない。
しかし、現実はちがう。南の海はいまも未知の異界のままであり、都市など建設されていない。小さな居留地がまばらに点在しているだけだ。コーヒーもスパイスも贅沢品のままであり、平民ではなかなか手の出せない高級品のままである。
コーヒーハウスにはたしかにいつ行っても多くの平民がたむろしている。しかし、それらの人々は決して日常的にコーヒーを飲んでいるわけではない。労働に明け暮れる毎日のなかで、ときには貴族の真似をして気晴らしをしてみたい。
そう思い、なけなしの金をはたいてやってくるのだ。
つまり、平民にとってコーヒーとは『貴族気分を味わえる』ほどに雲の上の存在であり、憧れの飲み物というわけだ。
――五〇〇年の間、南の島々がきちんと開発されていたならそれこそ、平民でも小銭を握りしめて毎日、コーヒーハウスに通えるようになっていただろうに。
ロウワンはそう思う。
では、世界はこの五〇〇年間、南の島々の開発もせずになにをしていたのかというと、戦争をしていたのである。さすがに毎年、戦っていたわけではないとは言え、ときおり、何年かの停戦状態がはさまれる、と言うだけのことで、人類社会はこの五〇〇年間ずっと戦争状態だったのである。
戦争状態だからこそ、他国の勢力をそぐために商船や貨物船は盛んに攻撃されたし、海賊も横行した。いくら、成功すれば金になることがわかっていても危険が大きすぎる。開拓のための人手も集まらないし、投資しようという金持ちも限られる。まして、成功すればしただけ海賊に狙われやすくなり、すべての成果を横取りされる危険が高くなる、となれば。
――まったく。五〇〇年もの間、戦争をつづけていたなんてな。
なんで、誰もやめさせようとしなかったんだ!
そんな怒りが込みあげてくる。
しかし、そんな怒りを覚える自分自身に対しての苦さもあった。ロウワン自身、実家にいる頃はそんなことはなにも知らず、のうのうと暮らしていたのだから。
――でも、いまはちがう。おれはもう、あの頃の子どもじゃない。この二年あまりで多くの現実を知った。たくさんのことを学んだ。そして、そんな状況だからこそ、大きな機会も転がっている。
――コーヒーやスパイスが贅沢品のままと言うことは、それらを扱う居留地はどこも大きく発展する可能性があると言うことだ。北の大陸の商人を通さず、自分たちで加工・販売すれば利益は一気に跳ねあがる。北の大陸の冨の多くが南の居留地に流れ込む。それらの居留地と契約すれば、パンゲアやローラシアに勝る収入のある大国家が出来上がる。
――そして、どの国も海軍力は海賊頼みだ。その海賊たちをまとめあげ、『自由の国』の軍隊とすれば、海の上では無敵だ。パンゲアやローラシアと渡りあい、世界に影響を与えることの出来る勢力が出来上がる。そうなれば……。
――世界をまとめあげ、人と人の争いを終わらせることだって出来る!
――そうとも。いままで誰もやらなかったと言うならおれがやる。おれが人と人の争いを終わらせてみせる。
ロウワンは胸の内でそう決意を固めた。
それは、どうしてもやらなくてはならないことなのだ。
人と人の争いを終わらせ、世界をまとめあげる。
そうしなければ、いずれ来る亡道の司との戦いに勝利することは出来ない。亡道の司との戦いに敗れればこの世界は滅んでしまう。この世界に住むすべての生き物も。
――そんなことになれば、天命の巫女さまを人間に戻すことだって出来なくなる。
そのために――。
いまはとにかく、金が必要だった。
北の大陸の列強と渡りあい、圧倒することの出来る勢力。それだけの勢力を築きあげるために必要となる莫大な金。それだけの金を稼ぐことの出来る手段が。
やがて、すべてのコーヒー豆を使い果たし、店じまいとなった。山積みとなった硬貨を見てトウナが呟いた。
「……信じられない」
トウナが惚けたような表情でそう言うのも無理はない。なにしろ、たった一日、と言うよりほんの数時間の間コーヒーを売っただけで、タラの島の一年分の収入の一〇分の一ほども稼いでしまえたのだから。
「自分がこんなにバカに思えたことはないわ。こんなに稼げる貴重品を、その価値も知らずに商人たちに安値で売ってきたんだから」
「キキキッ」
――今頃、気がついたのか? ほんと、バカだな。
「うるさいわね!」
手話でツッコミを入れるビーブを相手に――。
すかさず怒鳴るトウナであった。
ロウワンが静かに言った。
「そうだ。君たちは自分たちの価値を知らなきゃいけない。そのためにも、北の大陸で商売するのは大切だ。そうすれば、北の大陸の実情も知れる。自分たちの扱う品の価値もわかる。商人たちに買いたたかれることもない。小さな居留地がたちまち豊かになるんだ」
ロウワンの言葉に、今度はトウナがうなずいた。
「ええ、そうね。本当にそう思うわ。島に帰ったら全力でおじいちゃんを説得する。島をあげて商売に取り組むことにするわ」
「ああ、そうするべきだ。そこで、トウナ」
「なに?」
「本気で商人を目指さないか?」
そう言われて――。
トウナは目をパチクリさせた。
「商人? あたしが?」
「そうだ。君は人当たりもいいし、見た目もいい。なにより、北の大陸の人たちの知らない南の島での生活の実情を知っている。君の語る南の島での日々は北の大陸の人たちを魅了する。君は商人にうってつけなんだ」
「で、でも、あたしは強くなって島を守らないと……」
「『あなたひとりで島を守れるつもり?』。おれに対してそう言ったのは君自身だろう。君がいくら強くなってもひとりで島を守り切れるものじゃない。でも、商人になって大金を稼げるようになれば、その金で兵を雇うことが出来る。その方がずっと確実に島を守れる」
「それは確かにそうだろうけど……」
「納得できるなら商人になるべきだ。人と人の争いを終わらせ、亡道の司との戦いに備える。そのためには莫大な額の金が必要なんだ。君にはその金を稼ぐ役割を果たしてもらいたい。おれたちの未来を手に入れるために」
その言葉に――。
トウナはうなずいた。
「……わかったわ。商人になる。たしかに、島を守るためにはその方が確実だものね」
「よし。そうと決まったら早く帰ろう。村長を説得してもらって島をあげて商売に乗り出してもらわなきゃならないからな」
「ええ」
コーヒースタンドと言ってももちろん、店舗などない。急遽、取りそろえた椅子とテーブルをいくつか並べ、日差しよけのパラソルを置いただけの文字通りの露店である。
そんな店であっても公園内で商売するとなればもちろん、管理者の許可がいる。管理人は当初、ロウワンの申し入れに対して露骨に怪しむ表情になった。
年端もいかない少年少女――それも、奇妙なサルつき――が、いきなりやってきて『コーヒースタンドを開きたいから許可をください』と言ってきたのだ。怪しまない方がどうかしている。しかし、ロウワンが実際に現金を見せたところ、急に愛想良くなって許可証を出してくれた。
もっとも、ロウワンのもっている金はハルキスから餞別として贈られた五〇〇年前の硬貨である。そのままでは使えないので古銭商を探して現在の硬貨にかえてもらう必要があった。
とは言え、そこは世界中から人と物の集まる港町。どのような店であろうとちょっと探せばすぐに見つかる。店主は当初、ほんの少年が見せにやってきたことに怪しむ表情をしていた。しかし、実際に現物を見ると目の色がかわった。
五〇〇年前の貴重な硬貨。それも、ずっとしまい込んであっただけあって品質も上々。古銭商としては喉から手が出るほどほしい代物であったのだ。と言うわけで店主は急に愛想がよくなり、なにも聞かずに買い取ってくれた。
――下手に問い質したりして、盗品だとか判明してはまずい。
そう思ったのだ。
盗品と知って買い取れば同罪だが、知らずに買ったのならお咎めなし、と言うわけだ。
公園の管理人もそうだが、こう言うところが商売熱心な人間のいいところ。金さえ出せば年齢や素性など気にもせずに客として扱ってくれる。
ただし、その分、足元を見られて相場よりかなり低く買い取られた可能性はある。だが、もともともらいものだし、必要なだけの金額は手に入ったのでロウワンは気にしなかった。そもそも、生き馬の目を抜く商人の世界で、年端もいかない子どもが公平な扱いをしてもらえるなどと期待する方が愚かというものだ。ロウワンもゴンドワナ商人の息子としてその程度のことはわきまえている。
とにかく、そうして手に入れた現代の硬貨で椅子とテーブル。それに、コーヒーを淹れるための最低限の器具を買い込んだ。タラの島ではそんな器具は手に入らないので間に合わせの道具を使ったが、仮にも金をとってコーヒーを振る舞おうと言うからにはそうはいかない。きちんと、本式の器具をそろえる必要があった。
そして、ロウワンはコーヒースタンドを開いた。
いくつかの椅子とテーブルを並べただけの小さな露店。しかも、コーヒーを淹れるのは本を読んで淹れ方を学んだだけの素人。コーヒー豆自体も放ったらかしにされていた品質の劣る豆。数多のコーヒーハウスがしのぎを削る港町。これだけ悪条件がそろって、舌の肥えた住人たちに相手にされるわけがない。普通なら。
ところが、ロウワンのコーヒースタンドはたちまち大人気になった。公園中の注目を浴び、たった数席のテーブル席ではとても座れないほどの人が押し寄せた。
その主な理由は売り子を務めるトウナにあった。
トウナのもつ異国情緒あふれる魅力的な外見が人目を惹いた……ということもたしかにある。しかし、最大の理由はトウナの語る話にあった。
トウナがこれまでに漁に出た男たちから聞いてきた数々の話、
船での暮らし。
海の怪異。
南洋の島々に産する摩訶不思議な動物や植物たち。
それらの話が、北の大陸から出たことのない人々の気を大いに惹いたのだ。
コーヒーを飲むため、というよりは、トウナの話を聞くために人々が押し寄せた。
そう言っても過言ではない。
――そう言えば、ハルキス先生が言っていたな。『北の大陸の人間にとって、コーヒーやスパイスの産する南の島々は未知なる異世界。コーヒーを嗜み、スパイスを味わうと言うことは、それらの味覚を通して自分の知らないはるかな異世界を体験すると言うことなのだ』って。
――私もコーヒーを飲んでは、まだ見ぬ南方の世界に思いを馳せたものだ。
ハルキスはすでに白骨になった身でしみじみとそう語っていたものだ。
――つまり、五〇〇年前とかわらずいまの時代でも、北の大陸の人たちにとって南の海は興味をかきたてられる未知の異界のまま、と言うわけか。
考えてみれば奇妙なことに思える。
五〇〇年もの時があれば南の海に大々的に進出し、都市を建設し、謎と怪異を解き明かし、はるかに身近な世界にすることができたはずだ。そうなっていればコーヒーだろうと、スパイスだろうと、もっと身近で安い食品となっていたにちがいない。
しかし、現実はちがう。南の海はいまも未知の異界のままであり、都市など建設されていない。小さな居留地がまばらに点在しているだけだ。コーヒーもスパイスも贅沢品のままであり、平民ではなかなか手の出せない高級品のままである。
コーヒーハウスにはたしかにいつ行っても多くの平民がたむろしている。しかし、それらの人々は決して日常的にコーヒーを飲んでいるわけではない。労働に明け暮れる毎日のなかで、ときには貴族の真似をして気晴らしをしてみたい。
そう思い、なけなしの金をはたいてやってくるのだ。
つまり、平民にとってコーヒーとは『貴族気分を味わえる』ほどに雲の上の存在であり、憧れの飲み物というわけだ。
――五〇〇年の間、南の島々がきちんと開発されていたならそれこそ、平民でも小銭を握りしめて毎日、コーヒーハウスに通えるようになっていただろうに。
ロウワンはそう思う。
では、世界はこの五〇〇年間、南の島々の開発もせずになにをしていたのかというと、戦争をしていたのである。さすがに毎年、戦っていたわけではないとは言え、ときおり、何年かの停戦状態がはさまれる、と言うだけのことで、人類社会はこの五〇〇年間ずっと戦争状態だったのである。
戦争状態だからこそ、他国の勢力をそぐために商船や貨物船は盛んに攻撃されたし、海賊も横行した。いくら、成功すれば金になることがわかっていても危険が大きすぎる。開拓のための人手も集まらないし、投資しようという金持ちも限られる。まして、成功すればしただけ海賊に狙われやすくなり、すべての成果を横取りされる危険が高くなる、となれば。
――まったく。五〇〇年もの間、戦争をつづけていたなんてな。
なんで、誰もやめさせようとしなかったんだ!
そんな怒りが込みあげてくる。
しかし、そんな怒りを覚える自分自身に対しての苦さもあった。ロウワン自身、実家にいる頃はそんなことはなにも知らず、のうのうと暮らしていたのだから。
――でも、いまはちがう。おれはもう、あの頃の子どもじゃない。この二年あまりで多くの現実を知った。たくさんのことを学んだ。そして、そんな状況だからこそ、大きな機会も転がっている。
――コーヒーやスパイスが贅沢品のままと言うことは、それらを扱う居留地はどこも大きく発展する可能性があると言うことだ。北の大陸の商人を通さず、自分たちで加工・販売すれば利益は一気に跳ねあがる。北の大陸の冨の多くが南の居留地に流れ込む。それらの居留地と契約すれば、パンゲアやローラシアに勝る収入のある大国家が出来上がる。
――そして、どの国も海軍力は海賊頼みだ。その海賊たちをまとめあげ、『自由の国』の軍隊とすれば、海の上では無敵だ。パンゲアやローラシアと渡りあい、世界に影響を与えることの出来る勢力が出来上がる。そうなれば……。
――世界をまとめあげ、人と人の争いを終わらせることだって出来る!
――そうとも。いままで誰もやらなかったと言うならおれがやる。おれが人と人の争いを終わらせてみせる。
ロウワンは胸の内でそう決意を固めた。
それは、どうしてもやらなくてはならないことなのだ。
人と人の争いを終わらせ、世界をまとめあげる。
そうしなければ、いずれ来る亡道の司との戦いに勝利することは出来ない。亡道の司との戦いに敗れればこの世界は滅んでしまう。この世界に住むすべての生き物も。
――そんなことになれば、天命の巫女さまを人間に戻すことだって出来なくなる。
そのために――。
いまはとにかく、金が必要だった。
北の大陸の列強と渡りあい、圧倒することの出来る勢力。それだけの勢力を築きあげるために必要となる莫大な金。それだけの金を稼ぐことの出来る手段が。
やがて、すべてのコーヒー豆を使い果たし、店じまいとなった。山積みとなった硬貨を見てトウナが呟いた。
「……信じられない」
トウナが惚けたような表情でそう言うのも無理はない。なにしろ、たった一日、と言うよりほんの数時間の間コーヒーを売っただけで、タラの島の一年分の収入の一〇分の一ほども稼いでしまえたのだから。
「自分がこんなにバカに思えたことはないわ。こんなに稼げる貴重品を、その価値も知らずに商人たちに安値で売ってきたんだから」
「キキキッ」
――今頃、気がついたのか? ほんと、バカだな。
「うるさいわね!」
手話でツッコミを入れるビーブを相手に――。
すかさず怒鳴るトウナであった。
ロウワンが静かに言った。
「そうだ。君たちは自分たちの価値を知らなきゃいけない。そのためにも、北の大陸で商売するのは大切だ。そうすれば、北の大陸の実情も知れる。自分たちの扱う品の価値もわかる。商人たちに買いたたかれることもない。小さな居留地がたちまち豊かになるんだ」
ロウワンの言葉に、今度はトウナがうなずいた。
「ええ、そうね。本当にそう思うわ。島に帰ったら全力でおじいちゃんを説得する。島をあげて商売に取り組むことにするわ」
「ああ、そうするべきだ。そこで、トウナ」
「なに?」
「本気で商人を目指さないか?」
そう言われて――。
トウナは目をパチクリさせた。
「商人? あたしが?」
「そうだ。君は人当たりもいいし、見た目もいい。なにより、北の大陸の人たちの知らない南の島での生活の実情を知っている。君の語る南の島での日々は北の大陸の人たちを魅了する。君は商人にうってつけなんだ」
「で、でも、あたしは強くなって島を守らないと……」
「『あなたひとりで島を守れるつもり?』。おれに対してそう言ったのは君自身だろう。君がいくら強くなってもひとりで島を守り切れるものじゃない。でも、商人になって大金を稼げるようになれば、その金で兵を雇うことが出来る。その方がずっと確実に島を守れる」
「それは確かにそうだろうけど……」
「納得できるなら商人になるべきだ。人と人の争いを終わらせ、亡道の司との戦いに備える。そのためには莫大な額の金が必要なんだ。君にはその金を稼ぐ役割を果たしてもらいたい。おれたちの未来を手に入れるために」
その言葉に――。
トウナはうなずいた。
「……わかったわ。商人になる。たしかに、島を守るためにはその方が確実だものね」
「よし。そうと決まったら早く帰ろう。村長を説得してもらって島をあげて商売に乗り出してもらわなきゃならないからな」
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