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第二部 絆ぐ伝説

第四話一四章 他に道はない!

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 ローラシア首都ユリウスのだい公邸こうてい
 ローラシアを牛耳ぎゅうじる六公爵が集まり、その取り巻きたちがはびこる場所。ローラシアの政治、経済、軍事、そして、謀略。そのすべての中心であり、源泉。
 ローラシアのありとあらゆる冨と英知、そして、文化によって建てられ、ありとあらゆる淀みと退廃と差別によって塗り固められたそのだい公邸こうていの上階。そこに、六公爵専用の広間がある。
 広い。
 とにかく、広い。
 そして、高い。大きい。
 その広間のなかには完全武装の兵士が優に五千人は並べそうだ。天井の高さは長身の成人男性二〇人が肩車をしても届きそうにない。柱はどれも筋骨隆々たる格闘家の胴回りよりも太く、壁と言わず、天井と言わず、一面を絢爛けんらんたるステンドグラスが埋め尽くしている。
 そのステンドグラスを制作した技術は文句なしに高く、その芸術的・文化的な価値は疑うべくもない。ただし、色とりどりのガラスによって描かれているのはローラシア貴族がいかに偉大か、いかに優れているか、ローラシア貴族が人類を支配するのはなぜ正義なのか、という点について得々と語ったもので、当の貴族以外なら一目見ただけで腐臭を感じ、制作を命じたものの精神を疑うという代物だった。
 とにかく、すべてにおいて馬鹿馬鹿しいほどに壮大で、これ見よがし。冨と文化と芸術のこれ以上ない浪費。
 野伏のぶせであれば、一目見た瞬間に口の端に冷笑を浮かべ、その趣味の悪さを表情で語るだろう。行者ぎょうじゃにいたっては、侮蔑ぶべつの笑みを浮かべたあとにこう評するにちがいない。
 「あからさまで、これ見よがし。いきではないね。悪い意味での貴族趣味の見本として、後世に永遠に残す価値があるね」
 しかし、野伏のぶせ行者ぎょうじゃがどう酷評しようともこの部屋のあるじたちにとってはまちがいなく、この世のどこよりも心落ち着き、安らぎを得ることのできる至福の場所なのだ。
 そして、この広大な部屋を使えるものはたった六人の老人のみ。その老人たちはいま、ぜいらした椅子に座り、大きな卓に並んで着いていた。
 ひときわ豪奢ごうしゃな、ローラシア貴族を象徴した人型の神が世界を踏みつけるステンドグラスが刻み込まれた北側の壁。その手前に置かれた長方形の卓。普通の体格の人間が三〇〇人は同時に席に着けそうな大きさで、端から端までの広さはせまいほうでも三人の人間が手足を伸ばしてつながってみても届かない。その卓ははるか北の果て、吹雪と氷河の大地である紅蓮ぐれん地獄じごくにのみ産出する『紅蓮の大理石』と言われる特別な石を削り出して作り出されており、その経済的な価値は計り知れない。
 下町の片隅で貧困にあえぐ下層平民であれば、この卓のほんの一欠片を持ち帰っただけで人生がかわる。
 子をはらみながら働かざるを得ない妻に休みを与え、滋養のある食べ物を食べさせてやれる。
 裸足はだしでうろつくしかないばかりに足の怪我か絶えない子どもに靴を買ってやれる。
 病気の老いた親を医者に診せてやれる。
 それだけの冨がいま、たった六人の老人たちのためにこの部屋に置かれている。
 ペニン公国当主メルクリウス。
 ライン公国当主ウェヌス。
 アペニン公国当主テラ。
 ピレネー公国当主マルス。
 ガロンヌ公国当主ユピテル。
 そして、ロアーヌ公国当主にして、ローラシアの最高権力者たる大公サトゥルヌス。
 この六人の老人たちこそ、この部屋のあるじであり、ローラシアを動かす六人の公爵たちだった。
 皆、高齢である。すでに七〇を超しているメルクリウスでさえ、このなかにいれば若く見える。メルクリウスより年下なのは代替わりして位を継いだばかりのライン公爵ウェヌスひとりであり、六八歳。他は皆、八〇代。大公サトゥルヌスにいたってはすでに一〇〇歳近い。
 五千人の兵士が並ぶことのできる大広間。
 三〇〇人以上が着席できる卓。
 一〇〇万もの人間の人生をかえることの出来る冨。
 そのすべてを我が物として独占する老人たちの視線はいま、ペニン公爵メルクリウスひとりに向けられていた。
 好意的な視線はひとつもない。
 侮蔑ぶべつ
 冷笑れいしょう
 あざけり、
 およそ人の世にある、ありとあらゆる負の感情を指し示す言葉によって表される感情。そのすべてが混じりあい、ひとつの束となった視線がメルクリウスに向けられている。
 「やれやれ。とんだ恥をさらしてくれたものだな、メルクリウスどの」
 「まったくだ。決してあなどられてはならぬ、我らローラシア六公爵。『仮にも』その一員が、一族のものを名もなき平民に殺された上、血の復讐さえも果たせぬとはな」
 「果たせぬどころではない。返り討ちに遭い、従順な飼い犬のごとく、このだい公邸こうていまで案内させられてきたと言うではないか。まさに、恥の上塗り。生き恥の極み」
 「にもかかわらず、この場に顔を並べるその不屈の精神だけは評価に値しようかの。真に六公爵としての矜持きょうじがあるなら恥をそそぐため、自ら命を絶っていように」
 ウェヌスが、テラが、マルスが、ユピテルが、口々に言う。侮蔑ぶべつと、冷笑れいしょうと、さげすみの混じった視線を投げつける。
 そのなかでメルクリウスはひとり、耐えていた。顔をうつむけ、歯を食いしばり、身を震わせ、両手をひざの上で白くなるほどに強く握りしめて。
 うつむけた顔が赤く染まっているのは恥じ入っているためではない。怒りのためだ。通常であれば、自分にこのような無礼を働いたものを生かしておくメルクリウスではない。平民だろうが、貴族だろうが、一切問わずにその場で斬首を命じている。しかし、自分と同格の六公爵相手にさすがにそれはできない。黙って恥辱に耐えつつ、頭のなかで無礼な同輩どうはいたちを一人ひとり処刑してやる様を思い浮かべることしか出来ないメルクリウスだった。
 「メルクリウスよ」
 大公サトゥルヌスが口を開いた。
 サトゥルヌスはすでに九七歳。驚くほどに大きな鷲鼻わしばな、真っ白に染まった頭髪、鋭いと言うよりも険しい眼差し。他人を疑ってうたぐって、これ以上は疑えないと言うところまで疑ったあとでやはり、疑って処刑する。そんな意思を感じさせる風貌ふうぼう
 そこまでは確かに『狷介けんかいな老人』という表現そのままであり、サトゥルヌスを見た誰もに『一生、この人物を好きにはなれない』という思いを抱かせる。しかし、全身を包む皮膚の色艶いろつやは恐ろしく健康的で、溌剌はつらつとしている。まるで、老人の全身に二〇代の若者の皮膚を貼り付けたようで、恐ろしい不自然さがある。
 それが、ローラシアの大公サトゥルヌス。
 この場にいる五人の公爵たちの誰もが、一日でも早くサトゥルヌスが死んでくれることを願っている。祈っている。そのために、自らの神に貢ぎ物を差し出している。
 ローラシア大公の地位は終身制ではない。任期制である。決まった年数さえたてばどんなに壮健であろうとも自動的にその座を追われ、同じ人物が二度と就くことは許されない。
 永遠に権力を手に入れたい! しかし、他人に上にいられたくはない!
 先人たちがその相反する思いを叶えるため、妥協の末に作りあげた制度である。
 だから、時をまってさえいればいずれ必ずサトゥルヌスは退陣し、他の公爵たちに機会が回ってくる。しかし、任期満了前にサトゥルヌスが死んでくれれば自分が大公に就ける時期はそれだけ早くなるのだし、そういうことは早いに越したことはない。と言うわけで昨日も、今日も、そして明日も、ローラシアの公爵たちはサトゥルヌスの死を願って肉と酒を自らの神に捧げるのである。平民たちには一生、口にすることのできない最上の肉と酒を。
 しかし、公爵たちのそんな日々の努力を嘲笑あざわらうかのように、あるいは、公爵たちの奉ずる神の権能けんのうを小馬鹿にするかのように、サトゥルヌスは持病ひとつない健康体であり、活力に富んでいた。九七歳のいまでも朝から分厚い肉の塊を平らげ、まだ一〇代の若い寵姫ちょうきたちを何人もはべらせ、権力者としての人生を満喫しているのである。
 「メルクリウスよ」
 サトゥルヌスは重ねて言った。
 「とんだ失態を演じてくれたものだな。きさまの浅はかな手出しのせいで、余は自由の国リバタリアの主催とやらと会談しなければならなくなった。ローラシア大公たるこの余が、どこの馬の骨とも知れぬ平民と会談する羽目になったのだぞ。この始末をどうつけるつもりだ?」
 「言われるまでもない。我が一族の仇はこの手で必ず……」
 「たわけ。その若さでもう耄碌もうろくしたか」
 「な、なにを……」
 「いまさら、仇をとったところできさまの演じた失態は取り返せぬ。失われたローラシアの名誉は取り戻せぬのだ。その程度のこともわからぬとは、そろそろ公爵の地位を譲った方がよいのではないか? いや、あるいはこれは『血を入れ替えよ』という神の啓示かも知れぬな」
 その言葉に――。
 他の四公爵たちはメルクリウスに、そして、その家門に『元公爵』の肩書きを与えていた。

 自分の公邸に戻ったメルクリウスを甥のヨーゼフと、一族の端に連なるベルンハルトが出迎えた。と言うより、雁首がんくびそろえて連行されていた、と言う方が近い。
 帰ってきたメルクリウスの様子を見れば、会議の席でどれほどの恥辱を与えられたかは聞かなくともわかる。他の公爵たちの前では押さえつけているしかなかった怒りのすべてを発散させている分、髪は逆立ち、どす黒い気配が噴きだし、まさに悪鬼あっき羅刹らせつと呼ぶにふさわしい姿となっていた。
 ヨーゼフとしてはあくまでも息子殺しの犯人を処刑したい。そのことを進言したい。しかし、下手に刺激して怒りを買えば、一侯爵に過ぎない自分なぞいつでも首をねられる。うかつに口出しすることは出来なかった。
 ベルンハルトにいたっては任務失敗を責められていつ死罪を申し渡されるかとビクビクし、紙のような顔色になっていた。上下関係にこだわる人間の常として、格下と思う相手にはこの上なく尊大に振る舞うが、格上相手にはいたって従順で、卑屈なイヌっころと化すのである。
 メルクリウスはそんなふたりに一瞥いちべつも与えずに眼前を横切ると、大きな音を立てて自らの椅子に座った。その尊大で傲慢な態度は、他の公爵たちの前で見せていた(一応は)礼儀を保った振る舞いとは著しい対照をなしており、しかも、きわめて自然なものだった。
 「あ、あの、伯父上……」
 ヨーゼフがそう声をかけたのは勇気からではない。沈黙の緊張に耐えられなくなったのだ。メルクリウスは甥の呼びかけを無視して、自分から呼びかけた。
 「ヨーゼフ」
 「は、はい……」
 「ベルンハルト」
 「は、ははははい……!」
 「そろえられるだけの兵をそろえよ。そして……ヤツも連れてこい」
 「ヤツですと⁉」
 「自由の国リバタリアの主催とやらと大公との会談の席上を襲い、他の公爵どもを皆殺しにする。そして、このわしが唯一絶対のローラシア王になるのだ」
 「伯父上……⁉」
 「メ、メルクリウスさま、それは謀反むほんですぞ。いくらなんでも……」
 「たわけ! このままではわしは公爵位を奪われる。そうなればきさまらとてただではすまん。貴族の位を奪われ、平民に落とされることになるぞ!」
 平民に落とされる。
 その言葉に――。
 ヨーゼフとベルンハルトの顔色が真っ青になった。
 ローラシア貴族にとって最大の刑罰は死刑ではない。貴族の位を奪われ、平民に落とされることである。貴族としての特権意識に凝り固まっていればこそ、貴族でなくなることは想像を絶する恐怖であり、屈辱。そんな目に遭うぐらいなら貴族としての地位を保ったまま名誉の自殺を遂げさせてもらった方がはるかにありがたい。
 「わかったら、さっさと準備をしろ! もはや、他に道はない。謀反むほんを成功させ、ローラシアの王となる。それ以外、我らの生き延びる道はない!」
 「はい!」
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