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第四部

猛襲篇

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二一章

 それ以来、タラは元気を取り戻した。
 前のように森のなかを駆け巡り、森の恵みを享受するようになった。
 そして、タラは肉や魚を食べるときはもちろん、木の実ひとつ、草一本に至るまで食べる前と食べたあとの祈りを捧げるようになった。
 誰に言われたわけでもない。
 誰に教わったわけでもない。
 自分で、自分なりの祈りの言葉を捧げるようになったのだ。
 ――それでこそ、森の生き物。
 わたしはそう思い、満足した。
 「畑を作りたい」
 ある日、タラはそう言ってきた。
 ――畑?
 「そう。森の生き物はそれぞれに自分の分を守って生きていかなきゃならないんでしょう? だから、あたしは畑を作って、そこをあたしの場所にするの。そうすれば、他の生き物の食べ物を奪う必要はないわ」
 なるほど。それは良い考えだ。
 人間が森のなかで生きるためにはそれが一番の方法かも知れない。
 ――わかったわ。あなたのために畑となる土地を用意しましょう。その畑の実りならあなたはいくらでも利用していい。でも、忘れないで。必要以上に畑を広げてはならない。森を畑に作り替えてはならない。それは、森を人の世にかえること。決してあってはならない。自分の必要とする土地だけを使い、そこだけを畑にすること。それ以外の場所は他の生き物たちのためにとっておくこと。そう誓いなさい。その誓いを守れないなら……。
 「追放されるんでしょう? だいじょうぶ。わかってるわ」

二二章

 そして、タラはわたしの用意した土地に畑を作りはじめた。
 かつて、お母さんと一緒にそうしていたように土を耕し、森のなかから栽培出来そうな植物を選んで畑に植えた。
 畑の植物はどれも驚くぐらいによく成長した。実はタラには植物を育む得へ綱力があったらしい。いわゆる『緑の親指』的な力があったのだ。その力によって畑の植物はグングン育っていった。

二三章

 その日もわたしはタラを連れて森を巡り、畑に植えられる木の実や、野草を集めていた。
 突然、タラが悲鳴をあげた。タラの視線の先、そこには何本かの矢を背中に受けた人間が倒れていた。
 タラは駆けよった。
 助け起こした。
 その人間は死んではいなかった。
 だけど、死にかけてはいた。タラに抱え起こされても意識を取り戻すことはなく、苦しげに呻くだけだった。
 「大変、熊さん、この人を助けてあげて!」
 ――助ける? なぜ、あなたが人間を助けるの? あなたはもう森の生き物。人間ではないのよ?
 「でも……この人はあたしをエキザカムの農園から助けてくれた人なの!」
 ――なんですって? それでは、この娘があの仮面の怪盗だと言うの?
 わたしは改めてその人間を見た。
 なるほど、たしかに背格好はよく似ている。仮面の娘なのだと言われればそうなのだろうと納得できる。ただ、タラの記憶のなかの娘は仮面姿しか見せていなかった。いまは素顔のままだ。それだけにわたしにはわからなかった。そもそも、森の神であるわたしには人間の顔は見分けが付きづらい。
 タラはじっとすがるような目でわたしを見つめている。
 わたしはしぶしぶながら言った。
 ――わかったわ。
 タラの顔がパアッと明るくなった。
 わたしは娘を背に乗せ、洞窟へと帰った。

二四章

 娘の名は『ステラ』と言った。
 かの人はタラの警戒していたような偽物ではなかった。本物の義賊だった。森のなかの一角にこじんまりとした隠れ家を設け、そこに助け出した少女たちを匿い、自給自足の生活を送っていた。
 それがある日突然、周囲のすべてが炎に包まれた。いつの間にか近づいていた兵士たちが、あたり一面に火を放ったのだ。
 「燃やせ、燃やせ! わたしから財産を奪ったこそ泥など燃やし尽くしてしまえ!」
 炎の向こうで狂った小猿のようにはしゃぎまわるのはエキザカム。
 そう。あのエキザカムが連れ去られた子供たちを取り戻すために王室に交渉し、兵士たちをけしかけたのだ。
 いきなり火矢を射かけられてはステラとしてもどうしようもない。
 「お嬢さま、お逃げください!」
 「ここは我々が……!」
 「でも……!」
 「あなたには子供たちを守るという使命があります! お忘れですか、先代より託されたその使命を!」
 「みんな……! ごめんなさい、ありがとう、きっと生きていてね!」
 ステラは時間を稼ぐために兵士たちに立ち向かう使用人たちをあとに、助け出した子供たちを連れて森のなかへと逃げ出した。
 当てはない。
 とにかく、逃げた。
 それでも、兵士たちは負ってくる。
 こうして兵士たちが追ってくるということは使用人たちは皆、殺されてしまったにちがいない。
 涙がこぼれそうになる。
 ステラはそれをグイッとこらえた。
 いまの自分にはこの子供たちを安全な場所に連れて行くという責任がある。それは、先代である両親から、そして、両親に対するのとかわらず自分に仕えてくれた使用人たちに対する責任でもある。
 ステラは子供たちを連れて逃げた。それでも――。
 しょせん、年端もいかない子供たちを連れての逃避行。成功するはずもない。子供たちは慣れない森中での移動に疲れはて、のろのろとしか進めなかった。そのあとを容赦なく兵士たちは追ってくる。
 見つかるのは時間の問題。
 ステラは最後の手段に出た。
 「みんな! あたしが囮になって兵士たちを引きつける! その間になんとか逃げて!」
 そして、ステラは兵士たちの前に飛び出した。
 その気になれば落ち葉の積もった森のなかであろうと足音ひとつ立てずに移動することが出来るのに、わざと音高く足音をたて、姿をさらしながら兵士たちを自分の方へと引きつける。
 ――お願い! なんとか無事に逃げて!
 そう願うステラの背に――。
 ついに幾本もの矢が突き刺さったさ。
 その衝撃に倒れるステラの耳にかすかな声が聞こえる。
 「見つけたぞ、連れ去られた子供たちた!」
 「逃がすなよ、エキザカムさまの大切な財産なんだからな!」

二五章

 ――なるほど。そういうこと。
 焚き火を囲んで座っているステラがうなずいた。
 背中の傷はひどいものだったけど、森には多くの薬草がある。治療することは出来た。まだ痛みは残っているはずだし、体力は消耗している。でも、きちんと食べて、休めば、もとに戻る。問題は精神的な傷の法だ。
 ステラは薫り高い木の実の汁をすすりながら言った。
 「ひどい目に遭っている子供たちを助ける。これは元々、あたしの父がはじめたことなの。まだほんの少年の頃にね。そして、はじめて助けた子供である母と結婚した。それからはふたりで子供たちを助けてきた。生活費を稼ぐために金持ち連中から盗むことはあったけど……理不尽な事なんて決してしなかった。気が付けば幾人かの仲間が出来、はじめの頃に助け出した子供たちが成長して助けになってくれた。そんな両親は流行病で死んだ。そして、あたしが託されたの。
 『気の毒な子供たちを救ってやれ』って。
 でも……あたしは出来なかった」
 その言い方に無念さがにじんでいた。
 タラもそんなステラを心配そうに見つめていた。
 「ありがとう。もう行くわ」
 「どこにいくの⁉」
 「決まってるでしょう。捕えられた子供たちを助けに行くのよ」
 「無茶よ! 傷だってまだ治っていないのに……」
 「無茶でもなんでも行かないといけないの。それがあたしが両親から託された使命であり、みんなから任された責任なんだから」
 ステラは疲れに顔をしかめたけど、すぐに立ちあがった。
 「ありがとう。助けてくれて。感謝するわ。また改めてお礼に来るわ」
 その機会があればだけど、ね。
 ステラはそう言って歩き出した。
 「熊さん……」
 すがるような目付きでわたしを見るタラに、わたしは言った。
 ――わたしは森の神。人間たちの諍いに関わる気はない。
 「熊さん……」
 ――でも。
 ――森を傷つけた人間たちを放っておくわけには行かない!
 ――乗りなさい、タラ。あの娘を追うわ。
 「うん……!」

二六章

 「ステラ!」
 ステラを見つけるやいなやタラは飛び降りた。
 まだ回復していないせいだろう。ステラはまださほどの距離を歩いてはいなかった。
 「あ、あなたたち、どうして……」
 「もうだいじょうぶ、ステラ。熊さんが助けてくれる。この熊さんはすごく強いんだから。この熊さんさえいればエキザカムなんかに負けない!」
 「えっ?」
 どういうこと?
 そう尋ねるステラにわたしは説明した。
 ――我は熊なり。
 ――熊は神なり。
 ――森の神として森に仇なしたものを捨て置くわけには行かない。案内しなさい、ステラ。この手で仕置きしてくれる。
 「ステラ、これも……!」
 「これは?」
 「あたしの作った薬」
 「あなたが作った? 薬を?」
 ――タラは『緑の親指』をもっている。タラに育てられた薬草は普通よりも強い薬効をもつ。その薬草から作られた薬は普通では考えられないほどの効果をもつ。飲んでみると言い。きっと、あなたの力となる。
 ステラは言われるままにタラの薬を飲んだ。
 その表情が驚きに満ちあふれた。
 「すごい! 力があふれてくる。これならあの子たちを助けられる……!」
 ――征くわ、ステラ。森に仇なしたものの所へ。
 「ええ! 捕えられた子供たちの所へ!」

二七章

 「ヒイィッ!」
 人間たちの悲鳴が響く。
 わたしは勢い任せにエキザカムの農園へと突撃した。
 そこでは、いままさに子供たちが逃亡の罪としてエキザカムによって鞭打たれているところだった。
 わたし牙をむいてエキザカムに突進した。
 エキザカムは悲鳴をあげて逃げ出した。腰を抜かして動けなくなったりしない分、肝が座っていると言うべきだろう。子供たちの保護はステラとタラに任せ、わたしはエキザカムを追い回した。
 もちろん、森の神であるわたしと人間であるエキザカムとでは走る速度がちがう。その気になればすぐに追いつき、前足の一振りで殺すことが出来る。
 でも、わたしはそんなことはしない。
 食べる以外の目的で生き物を殺すなんて、そんな野蛮なことは人間のすることだから。
 わたしはさんざんにエキザカムを追い回し、恐怖を味合わせた。そして、疲れはてたエキザカムを路地に追いやり、宣言した。
 ――人が、人の世で何をしようと知らぬ。だが、我が領域である森に手を出すことは許さぬ。心せよ。そなたたちが禁を破れば、我はいつでもそなたのもとへやってくることを。
 農園に戻ると子供たちを連れたステラとタラが兵士たちに囲まれていた。
 どうやら、人の世ではかの人たちのしたことは『誘拐』として罪に問われるらしい。
 でも、それはあくまで人の世の決まり事。森の神たるわたしの知るところではない。
 わたしは兵士たちの前に出た。
 宣言した。
 ――控えよ! 我は熊なり、熊は神なり。このものたちはいまより我が民とする。手出しは無用である!
 そして、わたしはタラとステラ、そして、子供たちとともに森へと帰った。
 ――我が民となったからにはあなたたちも森の生き物。森の生き物として従わなければならない掟が幾つもある。まずはそれを教えましょう。
                  完
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