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第三話 大陸会議
一五章 逆襲計画
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「鬼部に対する逆襲を行います」
ハリエットのその宣言に――。
会議室に声にならないどよめきが満ちた。
それはもちろん、不安やおののきによるものではない。興奮と、それ以上の歓喜によるものだった。
「いよいよだな」
ヴォルフガングが舌なめずりした。高貴なる狼王のように。
「……三年。三年の間、我らは耐え忍んだ。永い屈辱のときであった。だが、ついに、その時がきたのだな」
ズマライが感慨深げに言った。その姿は永き忍従のときから解放され、牙をむく獅子のようだった。
「そう。いよいよだ。鬼部により犠牲となった無数の人々。その人々の仇を取るべき時がきたのだ」
アンドレアが断言した。迷いなく。それはまさに戦士の誇りを懸けた宣告だった。
ハリエットがつづけた。
「戦いにおいてはわたしはまったくの素人です。口出しすることはできません。実際の戦略戦術についてはジェイ総将から説明していただきます」
ジェイが立ちあがった。列強諸国の王たちに向かって一礼した。
「諸国連合人類軍総将ジェイ。この場において、列強諸国の国王陛下たる方々から誓約をいただきたく存じます」
「誓約?」と、アンドレア。
「はい。戦争に勝利するためになによりもまず、補給と装備を完全に行い、司令官の意思をあやまたず伝達することが必要となります。そのために、こと実戦に関してはこのジェイに全権が委ねられ、指揮系統が一本化されること。それにともない、どのように地位の高い方でも、そう。陛下たちご自身においても、このジェイの指示に従っていただき、違反すれば処罰される。その点において承知していただきたいのです」
「言われるまでもない」と、ヴォルフガング。
「軍規をたばねる重要性は理解しておる。異論はない」と、ズマライ。
ジェイは深々と頭をさげた。
「ありがとうございます。それではまず、その胸を宣誓書として提出していただきたい」
「宣誓書だと?」
「はい」
ジェイは短く、しかし、断固とした口調で答えた。
宣誓書に記してしまえば口約束とはちがい、反故には出来ない。そんなことをすれば国の威信と、王の信用に関わる。そのための宣誓書。ある意味では、王たちの言葉を信用しないということであり、非礼とも言える。
その非礼とも言えることをジェイは堂々と要求した。器の小さい王であれば気分を害し、怒り出していたかも知れない。しかし、アンドレア、ヴォルフガング、ズマライはいずれも生粋の戦士であり、戦場の雄。戦闘において指揮系統が一本化されることがどれほど重要なことか、骨の髄まで知り尽くしている。来たるべき鬼部相手の大戦争。不安なしに臨むためにもむしろ、積極的に賛成した。
ただ、アンドレアに限っては立場上、あくまでも『仮の』王。正式の王は息子たるアートである。そのため、レオンハルトの宣誓書はアンドレアとアートの連名となる。もちろん、三歳児に署名など出来るはずもない。そこで、アートにペンを握らせた上でアンドレアがその手を握り、署名する、と言う形になる。
だったら、最初からアンドレアが代筆すればいいだろう。
そう言う意見もあるだろうが、あくまでも『アート自身が署名する』という形式が重要な場合もあるのだ。
アートは手のひら全体でペンを握りしめ、母に動かされるままに自分の名前を書き込んでいく。必死に眠気を押さえて署名しようとするその姿はなんとも健気なもので、見守る王たちを思わずほっこりさせた。
星詠みの王国オウランの巫女女王ハクランの場合は事情が異なる。もともと、巫女女王とは『巫女』の名の通り、国民のために儀式を行い、神と交感し、よりよい未来を得ることが務め。実務はその下の評議会によって執り行われるのがオウランの伝統。ハクラン自身は実務経験はほとんどなく、軍事どころか、政務に関してさえ素人に近い。
そもそも、オウランという国自体が文化に深く傾倒しており、軍事には疎い。そのために、旧王レオナルドからは軍事面での期待は一切されていなかったし、鬼部の襲撃に際して散々に被害を出してきた。家型のゴーレム『ゴーホーム』を生み出し、防衛戦の中核を担うことになる三人、人形使いシバキ、家屋建築士カキン、都市設計者コウケンの三人が頭角を現わすまでは。
そんなハクランであれば、戦争においてなにが重要かを理解しろというのが無理な話。しかし、ハクランは自分のことをよく知っていた。素人だからこそ口出しする気はまったくない。最初から専門家を信頼して任せる、悪く言えば『丸投げ』する気でいた。宣誓書を提出することで実務を要求されなくなるとなるなら、それこそ安心というものだった。
スミクトルの王エリアスはヴォルフガングやズマライとは異なり、『武人』と呼ばれるような型の王ではない。父王から玉座を継いだばかりの新王であり、まだ三〇前の若さ。知識と教養には優れているが、いかにも、たおやかな貴公子と言った印象の線の細い人物で、尚武の国であるオグルやポリエバトルからは『文弱』扱いされることも多い。実際、軍事においては素人同然で、実の祖父のように慕う宿将モーゼズに丸投げの状態。そして、そのモーゼズからはっきりと言われていた。
「ジェイ総将は能力的にも、人格的にも、信頼するに足る御仁。こと、実戦に関する事柄はジェイ総将に委ねられよ。自分の苦手なことを、得意とする人物に任せることは決して恥ではありませんぞ」
実の祖父とも思うモーゼズからそう言われているとなれば、エリアスとしても否やはない。モーゼズに対する信頼からジェイを間接的に信頼する、と言う形で宣誓書に署名した。
こうして五通の宣誓書が集まった。最後の一枚はハリエットのものである。
諸国連合の盟主たるハリエットももちろん、宣誓の対象。と言うより、諸国連合の盟主だからこそ、ハリエットが署名しなくては他の全員の署名が無意味になる。
ハリエットはそのことをよく知っていたし、ジェイの能力と人格は全面的に信頼している。ジェイを疑うぐらいならハリエットは、明日が来ることを疑うだろう。全面的な信頼をもとにハリエットは宣誓書に署名した。
ただひとり、アーデルハイドだけが署名しなかった。アーデルハイドは立場上、国王でもなんでもなく単なる一般人に過ぎない。最初から軍事に関して口出しする権限などないので署名する意味も、理由も、必要もない。
六通の宣誓書を集め、ジェイは一礼した。
「ありがとうございます。このジェイ、国王陛下たる方々の信頼に応えるため、全身全霊をもって人類軍総将としての務めを全ういたします」
そう語るジェイの横では、補佐官たるアステスがジェイ本人以上に誇らしげな顔を見せている。
「それでは、改めて今後の戦略について説明させていただきます」
ジェイはそう言った。とは言え、この場で細かい軍略まで説明しても意味はない。語るべきは基本方針となる大きな戦略だけだ。
「まずは、エンカウンの奪還を目的とします」
「エンカウンの奪還だと?」
「はい」
ヴォルフガングの言葉に――。
ジェイはうなずいた。
かつての人類防衛の最前線。勇者一行の最期の地。そして――。
ジェイとアステスが配下の兵士たちと共に身命を懸けて守り抜いてきた町。
レオナルドたちの、一般兵をないがしろにするその姿勢に腹を立てて飛び出したとは言え、エンカウンのことを忘れたことは一日たりとてない。自ら望んだことではないとは言え、エンカウンとその町の人々のことを見捨てる形になったことに対する罪の意識もある。そのエンカウンの奪還を目的とすることは、ジェイにとってごく自然なことだった。
もちろん、感情だけで決めたわけではない。エンカウン奪還を目指すには充分な戦略的意義がある。ジェイはそのことを説明した。
「エンカウンはいまでこそ鬼部の制圧下にあるとは言え、もともとが人類防衛のための最大の拠点。その防衛機能はいまだ健在。奪還し、再び防衛拠点として活用できるようになれば、今後の鬼部相手の戦闘において大きく役立つことはまちがいありません。
また、海岸に近く、鬼部の本拠地である鬼界島を直接、視認できる位置にあります。鬼部の動向を監視しやすくなるのはもちろん、エンカウンを奪還することで鬼界島と内陸に入り込んだ鬼部の軍勢の連絡が絶ちきられ、殲滅しやすくなるという利点もあります」
そこまで言ったとき、ジェイはふいに顔をゆがめた。
「……そして。口にするのもはばかることながら、エンカウンは現在、鬼部たちによって狩りの獲物の繁殖場所とされています。つまり、捕えられた人々が強制的に性交させられ、子を産まされているのです。鬼部たちの狩りの獲物とするために」
そう語るジェイの表情は苦渋に満ちている。その横ではアステスも愛らしくも美しい顔に怒りの色を浮かべている。
自分たちが愛し、守りつづけたエンカウン。
そのエンカウンの町がそんな目的のために使われるなど、ふたりにとってははらわたを煮られるよりも悔しいことだった。
列強諸国の王たちもジェイの言葉に沈痛な面持ちで聞き入っている。とくに、ハリエットとハクランが強い嫌悪の情を示しているのは女性の立場として当然だろう。
ジェイは口惜しさをこらえながらつづけた。
「そのような苦境にある人々を助け出せないとあっては、解放戦の意義が成り立ちません。逆に、苦境にある人々を解放することで人々の信頼は増し、兵の士気はあがり、今後の戦闘を優位に進めることが出来るようになります。
もちろん、慢性的な人手不足を解消する、と言う意味でも、多くの人々が集められているエンカウンの解放は大きな意味をもちます。
以上のことから、エンカウン奪還を第一目標とすべきと考えます」
「たしかに」
と、ジェイの言葉にヴォルフガングがうなずいた。
「理にかなっておる」と、ズマライ。
「当然だな」と、アンドレア。
「鬼部によって狩りの獲物とされた人々。なんとしても、助け出さなくてはなりません」
ハリエットもそう言った。実戦に関して口出しする気はない。ジェイに一任するだけだ。しかし、これは実戦の問題ではなく、諸国連合としての基本方針の問題。盟主たる身として明確な意思表示を示す必要があった。
残るふたりの王、ハクランとエリアスは軍事の素人として一切、口出しせず、専門家に任せる旨、沈黙をもって伝えた。
民間人であるアーデルハイドには最初から口出しする権限はない。もちろん、その財力と影響力、〝歌う鯨〟という私兵集団の武力を背景にすれば『国土なき大陸皇帝』というふたつ名にふさわしい威力を示し、会議を牛耳ることも出来る。しかし、そんなことをすれば諸王の怒りを買い、人類世界を分裂させることになるのは目に見えている。アーデルハイドはまちがってもそんな事態を招く愚かものではない。自らの立場と相手の心理をわきまえ、礼儀正しい沈黙を貫いている。
その点が『アーデルハイドさまの番犬』をもって任じるカンナにとっては物足りないところだ。カンナは、
――アーデルハイドさまこそ大陸の統治者としてふさわしいお方。
と、そう信じているので。遠慮などしていないで影響力を発揮し、会議を、ひいては人類の歴史を引っ張ってもらいたい。そう思っている。
「ありがとうございます」
ジェイは自分の方針が受け入れられたことに対して謝意を述べた。それから、さらにつづけた。
「しかしながら、エンカウン奪還が容易ならざることも事実。なんと言っても、エンカウンは遠く、その間には多くの鬼部の軍勢が展開しております。その軍勢すべてを倒して進むのはきわめて困難であり、かと言って、軍勢を避けてエンカウンを強襲するなど自殺行為。仮に、強襲に成功したところで鬼部の軍勢に囲まれ、孤立し、補給もできない状況のなかで、残された人々ごと殲滅されることになるでしょう。
また、エンカウンを戦場にすることは残された人々の身命を危険にさらすことにもなります。そこで――」
ジェイが言いかけたそのときだ。思いがけない人物が口を開いた。
「あ、あの、あのあの、ああああの……」
『鞠男』ことラッセルだった。
「ど、どどどどうで、どうでしょう、地下から攻め込んでは……」
ハリエットのその宣言に――。
会議室に声にならないどよめきが満ちた。
それはもちろん、不安やおののきによるものではない。興奮と、それ以上の歓喜によるものだった。
「いよいよだな」
ヴォルフガングが舌なめずりした。高貴なる狼王のように。
「……三年。三年の間、我らは耐え忍んだ。永い屈辱のときであった。だが、ついに、その時がきたのだな」
ズマライが感慨深げに言った。その姿は永き忍従のときから解放され、牙をむく獅子のようだった。
「そう。いよいよだ。鬼部により犠牲となった無数の人々。その人々の仇を取るべき時がきたのだ」
アンドレアが断言した。迷いなく。それはまさに戦士の誇りを懸けた宣告だった。
ハリエットがつづけた。
「戦いにおいてはわたしはまったくの素人です。口出しすることはできません。実際の戦略戦術についてはジェイ総将から説明していただきます」
ジェイが立ちあがった。列強諸国の王たちに向かって一礼した。
「諸国連合人類軍総将ジェイ。この場において、列強諸国の国王陛下たる方々から誓約をいただきたく存じます」
「誓約?」と、アンドレア。
「はい。戦争に勝利するためになによりもまず、補給と装備を完全に行い、司令官の意思をあやまたず伝達することが必要となります。そのために、こと実戦に関してはこのジェイに全権が委ねられ、指揮系統が一本化されること。それにともない、どのように地位の高い方でも、そう。陛下たちご自身においても、このジェイの指示に従っていただき、違反すれば処罰される。その点において承知していただきたいのです」
「言われるまでもない」と、ヴォルフガング。
「軍規をたばねる重要性は理解しておる。異論はない」と、ズマライ。
ジェイは深々と頭をさげた。
「ありがとうございます。それではまず、その胸を宣誓書として提出していただきたい」
「宣誓書だと?」
「はい」
ジェイは短く、しかし、断固とした口調で答えた。
宣誓書に記してしまえば口約束とはちがい、反故には出来ない。そんなことをすれば国の威信と、王の信用に関わる。そのための宣誓書。ある意味では、王たちの言葉を信用しないということであり、非礼とも言える。
その非礼とも言えることをジェイは堂々と要求した。器の小さい王であれば気分を害し、怒り出していたかも知れない。しかし、アンドレア、ヴォルフガング、ズマライはいずれも生粋の戦士であり、戦場の雄。戦闘において指揮系統が一本化されることがどれほど重要なことか、骨の髄まで知り尽くしている。来たるべき鬼部相手の大戦争。不安なしに臨むためにもむしろ、積極的に賛成した。
ただ、アンドレアに限っては立場上、あくまでも『仮の』王。正式の王は息子たるアートである。そのため、レオンハルトの宣誓書はアンドレアとアートの連名となる。もちろん、三歳児に署名など出来るはずもない。そこで、アートにペンを握らせた上でアンドレアがその手を握り、署名する、と言う形になる。
だったら、最初からアンドレアが代筆すればいいだろう。
そう言う意見もあるだろうが、あくまでも『アート自身が署名する』という形式が重要な場合もあるのだ。
アートは手のひら全体でペンを握りしめ、母に動かされるままに自分の名前を書き込んでいく。必死に眠気を押さえて署名しようとするその姿はなんとも健気なもので、見守る王たちを思わずほっこりさせた。
星詠みの王国オウランの巫女女王ハクランの場合は事情が異なる。もともと、巫女女王とは『巫女』の名の通り、国民のために儀式を行い、神と交感し、よりよい未来を得ることが務め。実務はその下の評議会によって執り行われるのがオウランの伝統。ハクラン自身は実務経験はほとんどなく、軍事どころか、政務に関してさえ素人に近い。
そもそも、オウランという国自体が文化に深く傾倒しており、軍事には疎い。そのために、旧王レオナルドからは軍事面での期待は一切されていなかったし、鬼部の襲撃に際して散々に被害を出してきた。家型のゴーレム『ゴーホーム』を生み出し、防衛戦の中核を担うことになる三人、人形使いシバキ、家屋建築士カキン、都市設計者コウケンの三人が頭角を現わすまでは。
そんなハクランであれば、戦争においてなにが重要かを理解しろというのが無理な話。しかし、ハクランは自分のことをよく知っていた。素人だからこそ口出しする気はまったくない。最初から専門家を信頼して任せる、悪く言えば『丸投げ』する気でいた。宣誓書を提出することで実務を要求されなくなるとなるなら、それこそ安心というものだった。
スミクトルの王エリアスはヴォルフガングやズマライとは異なり、『武人』と呼ばれるような型の王ではない。父王から玉座を継いだばかりの新王であり、まだ三〇前の若さ。知識と教養には優れているが、いかにも、たおやかな貴公子と言った印象の線の細い人物で、尚武の国であるオグルやポリエバトルからは『文弱』扱いされることも多い。実際、軍事においては素人同然で、実の祖父のように慕う宿将モーゼズに丸投げの状態。そして、そのモーゼズからはっきりと言われていた。
「ジェイ総将は能力的にも、人格的にも、信頼するに足る御仁。こと、実戦に関する事柄はジェイ総将に委ねられよ。自分の苦手なことを、得意とする人物に任せることは決して恥ではありませんぞ」
実の祖父とも思うモーゼズからそう言われているとなれば、エリアスとしても否やはない。モーゼズに対する信頼からジェイを間接的に信頼する、と言う形で宣誓書に署名した。
こうして五通の宣誓書が集まった。最後の一枚はハリエットのものである。
諸国連合の盟主たるハリエットももちろん、宣誓の対象。と言うより、諸国連合の盟主だからこそ、ハリエットが署名しなくては他の全員の署名が無意味になる。
ハリエットはそのことをよく知っていたし、ジェイの能力と人格は全面的に信頼している。ジェイを疑うぐらいならハリエットは、明日が来ることを疑うだろう。全面的な信頼をもとにハリエットは宣誓書に署名した。
ただひとり、アーデルハイドだけが署名しなかった。アーデルハイドは立場上、国王でもなんでもなく単なる一般人に過ぎない。最初から軍事に関して口出しする権限などないので署名する意味も、理由も、必要もない。
六通の宣誓書を集め、ジェイは一礼した。
「ありがとうございます。このジェイ、国王陛下たる方々の信頼に応えるため、全身全霊をもって人類軍総将としての務めを全ういたします」
そう語るジェイの横では、補佐官たるアステスがジェイ本人以上に誇らしげな顔を見せている。
「それでは、改めて今後の戦略について説明させていただきます」
ジェイはそう言った。とは言え、この場で細かい軍略まで説明しても意味はない。語るべきは基本方針となる大きな戦略だけだ。
「まずは、エンカウンの奪還を目的とします」
「エンカウンの奪還だと?」
「はい」
ヴォルフガングの言葉に――。
ジェイはうなずいた。
かつての人類防衛の最前線。勇者一行の最期の地。そして――。
ジェイとアステスが配下の兵士たちと共に身命を懸けて守り抜いてきた町。
レオナルドたちの、一般兵をないがしろにするその姿勢に腹を立てて飛び出したとは言え、エンカウンのことを忘れたことは一日たりとてない。自ら望んだことではないとは言え、エンカウンとその町の人々のことを見捨てる形になったことに対する罪の意識もある。そのエンカウンの奪還を目的とすることは、ジェイにとってごく自然なことだった。
もちろん、感情だけで決めたわけではない。エンカウン奪還を目指すには充分な戦略的意義がある。ジェイはそのことを説明した。
「エンカウンはいまでこそ鬼部の制圧下にあるとは言え、もともとが人類防衛のための最大の拠点。その防衛機能はいまだ健在。奪還し、再び防衛拠点として活用できるようになれば、今後の鬼部相手の戦闘において大きく役立つことはまちがいありません。
また、海岸に近く、鬼部の本拠地である鬼界島を直接、視認できる位置にあります。鬼部の動向を監視しやすくなるのはもちろん、エンカウンを奪還することで鬼界島と内陸に入り込んだ鬼部の軍勢の連絡が絶ちきられ、殲滅しやすくなるという利点もあります」
そこまで言ったとき、ジェイはふいに顔をゆがめた。
「……そして。口にするのもはばかることながら、エンカウンは現在、鬼部たちによって狩りの獲物の繁殖場所とされています。つまり、捕えられた人々が強制的に性交させられ、子を産まされているのです。鬼部たちの狩りの獲物とするために」
そう語るジェイの表情は苦渋に満ちている。その横ではアステスも愛らしくも美しい顔に怒りの色を浮かべている。
自分たちが愛し、守りつづけたエンカウン。
そのエンカウンの町がそんな目的のために使われるなど、ふたりにとってははらわたを煮られるよりも悔しいことだった。
列強諸国の王たちもジェイの言葉に沈痛な面持ちで聞き入っている。とくに、ハリエットとハクランが強い嫌悪の情を示しているのは女性の立場として当然だろう。
ジェイは口惜しさをこらえながらつづけた。
「そのような苦境にある人々を助け出せないとあっては、解放戦の意義が成り立ちません。逆に、苦境にある人々を解放することで人々の信頼は増し、兵の士気はあがり、今後の戦闘を優位に進めることが出来るようになります。
もちろん、慢性的な人手不足を解消する、と言う意味でも、多くの人々が集められているエンカウンの解放は大きな意味をもちます。
以上のことから、エンカウン奪還を第一目標とすべきと考えます」
「たしかに」
と、ジェイの言葉にヴォルフガングがうなずいた。
「理にかなっておる」と、ズマライ。
「当然だな」と、アンドレア。
「鬼部によって狩りの獲物とされた人々。なんとしても、助け出さなくてはなりません」
ハリエットもそう言った。実戦に関して口出しする気はない。ジェイに一任するだけだ。しかし、これは実戦の問題ではなく、諸国連合としての基本方針の問題。盟主たる身として明確な意思表示を示す必要があった。
残るふたりの王、ハクランとエリアスは軍事の素人として一切、口出しせず、専門家に任せる旨、沈黙をもって伝えた。
民間人であるアーデルハイドには最初から口出しする権限はない。もちろん、その財力と影響力、〝歌う鯨〟という私兵集団の武力を背景にすれば『国土なき大陸皇帝』というふたつ名にふさわしい威力を示し、会議を牛耳ることも出来る。しかし、そんなことをすれば諸王の怒りを買い、人類世界を分裂させることになるのは目に見えている。アーデルハイドはまちがってもそんな事態を招く愚かものではない。自らの立場と相手の心理をわきまえ、礼儀正しい沈黙を貫いている。
その点が『アーデルハイドさまの番犬』をもって任じるカンナにとっては物足りないところだ。カンナは、
――アーデルハイドさまこそ大陸の統治者としてふさわしいお方。
と、そう信じているので。遠慮などしていないで影響力を発揮し、会議を、ひいては人類の歴史を引っ張ってもらいたい。そう思っている。
「ありがとうございます」
ジェイは自分の方針が受け入れられたことに対して謝意を述べた。それから、さらにつづけた。
「しかしながら、エンカウン奪還が容易ならざることも事実。なんと言っても、エンカウンは遠く、その間には多くの鬼部の軍勢が展開しております。その軍勢すべてを倒して進むのはきわめて困難であり、かと言って、軍勢を避けてエンカウンを強襲するなど自殺行為。仮に、強襲に成功したところで鬼部の軍勢に囲まれ、孤立し、補給もできない状況のなかで、残された人々ごと殲滅されることになるでしょう。
また、エンカウンを戦場にすることは残された人々の身命を危険にさらすことにもなります。そこで――」
ジェイが言いかけたそのときだ。思いがけない人物が口を開いた。
「あ、あの、あのあの、ああああの……」
『鞠男』ことラッセルだった。
「ど、どどどどうで、どうでしょう、地下から攻め込んでは……」
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