三〇代、独身、子なし、非美女弁護士。転生し(たつもりになっ)て、人生再始動!

藍条森也

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一一章

最強怪獣(あるいは母親)現る!

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  秋子の言葉と嫌味ったらしい表情と、そして、手当りしだいに飲んだ酒とが脳みその迷宮をぐるぐる、ぐるぐる、まわっている。そんなひどい有様でも帰ってこられたのは八年間にわたってつちかわれた帰巣習性の成せる技。タクシーで帰ったのか、電車を乗りついで帰ってきたのかも覚えていない。とにかく、身に染みついた習慣通り、鍵を取り出し、ドアを開けた。
 その途端、ぱあっと明るい光が広がり、真梨子の全身を包み込んだ。なにこれ? どーいうこと? いつも真っ暗な部屋に帰ってくるだけなのに。とうとう、俗世のしがらみから解き放たれて天国に迎え入れられたってわけ?
 そうでないことはすぐにわかった。降りかかってきた声は彼女の天国には絶対に存在しないはずの声だったから。
 「真梨子、帰ったの?」
 「母さん!」
 部屋の奥から顔を出したのは彼女をこの世に送り出してたくれた感謝すべき恩人、つまりは母親だった。
 その母親が何で自分の部屋にいるのか。真梨子は驚いてまじまじと見つめた。
 相変わらずスタイルがいい。ほっそりとしていたそれでいて出ているところは出ている。薄い桜色の服にミニスカートなどはいてこれがまたよく似合う。もう五〇過ぎなのにどう見ても三〇代、下手したら娘の自分より若く見られているかも……。
 ――もおやめてよ!
 真梨子は心のなかで絶望のうめきを上げた。
 こんな母親をもってしまったら娘は地獄だ。ふたりでいるところを母親の友人に見られ『あら、あなた、お姉さんいたの?』などと、自分が母の姉に見られる場面を想像してしまい、この場で首を吊りたくなった。
 「あらまあ、真梨子ったら」
 母の真貴絵まきえは娘が何かとんでもないことでもしでかしたかのようにおおげさに嘆いて見せた。
 「そんなあなた、ドブネズミみたいな格好しちゃって。いつも言ってるでしょ。もっと、明るくて華やかな服を着なさいって。そんな格好じゃすぐに老けちゃうわよ。恋人だって見つからないし、結婚してもすぐに旦那にあきらめて浮気されるのがオチよ!」
 「うるふぁい! ほっほいふぇよ」
 すっかり呂律のまわらなくなった舌で叫ぶ。
 いくら母親相手だって怒鳴りたいときはある。弁護士たるもの、身だしなみは常にきちんと整えていなくてはならない。法律家なんだか、ホステスなんだかわからないような派手な格好なんてもってのほか。
 真梨子はそう信じている。だから、服はどれも地味めの色ばかり。とはいえ、やはり、くすみたくはないし、女らしさも失いたくはない。それで選んだのがおちついた灰色だけどピンクを帯びていてフェミニンさも表現できるオーキッドグレー。
 母親の目にどう映ろうと、この色は真梨子なりに悩み、迷い、考えぬいて選んだとっておきのおしゃれ色のなのだ。それを大上段に『ドブネズミ』扱いされては頭にもくる。
 ただでさえ今日は頭にくることのオンパレードだというのにこの上、実の母親にまで刺激されたくない。
 真貴絵は『やれやれ』とばかりにため息をつくのと、肩をすくめるのを同時にやってのけた。
 「あらあら、ずいぶん酔ってるようね。すっかり呂律がまわらなくなっちゃってるじゃない。いらっしゃいな。お茶の用意しておいたわ」
 そう言ってキッチンに向かって歩き出す。真梨子はほとんど飼い主に綱を引かれて屠殺場へと連れていかれる小ブタの気分で後につづいた。
 キッチンのテーブルの上に魔法のような手際のよさでお茶と手作りパイとが現れた。残念ながら母親が家庭料理と菓子造りの名人であることはまぎれもない事実。ふっくらと焼き上がったパイのおいしそうなこと。いまにもお腹がなりそうだ。
 「はい、召し上がれ」
 独立するまで二〇年以上聞かされつづけた声の抑揚そのままに口にされ、真梨子は催眠術にかけられたように椅子に座った。パイを手にとり、一口かじった。
 ――おいしい。
 素直にそう思った。
 子供の頃、勉強の合間にもってきてくれたパイそのままのかわらない味。ついつい子供の頃が懐かしくなり、涙がぽろりとこぼれそうになった。
 真貴絵はそんな娘の真向かいに座って組んだ両手の上にあごを乗せ、軽くため息をついた。
 「うまくいってないようね。お付き合いしてる人ぐらいいるの?」
 「……放っといてよ」
 真梨子はぶ~たれ顔でそう言うとお茶を飲んだ。これまた熱すぎず、ぬるすぎず、絶妙の温度と香り、そして味。いつまでたっても自分ではこんなお茶はいれられない。母さんってばいったい、どんな魔法の指をもってるんだろう?
 「だいたい、何しにきたのよ?」
 ようやく普通にまわりはじめた舌を使って毒ついた。真貴絵はため息をついた。
 「三〇過ぎの娘が浮いた噂ひとつなく、仕事、仕事の人生を送ってるのよ。娘の幸福を思う母としては放っておけないの。わかるでしょ」
 「放っといてってば」
 真梨子はくり返した。
 「結婚だけが女の人生じゃないわ。あたしは自分の意志で仕事を選んだんだから」
 今度こそ、真貴絵は深いふかいため息をついた。
 「そんな強がり言っちゃって。どこで育て方、まちがえたのかしら? 妹のほうはうまくやったのに」
 「やめてよ! 貴美子きみこなんてまるっきり母さんのクローンじゃない。人生全部、母さんのものまね。あたしはそんなのごめんよ!」
 そう叫びたかったが寸前で飲み込んだ。いくら何でも実の母親に向かってそこまで言うのは気が引ける。
 三歳年下の妹、貴美子は小さな頃から活発で、おしゃれで、社交的。真梨子とは正反対だった。友だちも多く、いつでもみんなの人気者。真貴絵も勉強一筋でおもしろ味のない長女よりも、自分によく似た次女をかわいがっていた。ふたりしてよく出かけていたし、家でも楽しそうにおしゃべりしてた。その姿はたしかに母娘というより、歳のはなれた友だちだった。
 その薫陶の甲斐あってか、貴美子は大学時代に医者の彼氏を捕まえ、そのまま外科医婦人におさまった。いまでは三人の子持ち。旦那の仕事も順調とかで、幸せに暮らしている……。
 「いいこと? 母さんがいつまでも若くて魅力的なのは常に自分から行動しているからよ。積極的に新しい男性との出会いを求め、常に女としての自分を意識してるから。仕事、仕事の毎日じゃ女を磨くことなんてできないのよ。おかげでご覧なさい。あなたときたらその若さですっかり地味になっちゃって……」
 真貴絵はまたもため息をついた。これで四度目。真梨子のこめかみでは血管がぴくぴくと脈内、ちぎれそうになった。
 「いままで何もしてこなかったのがいけないのよ。母さんの言う通り、おしゃれして、デートして、男を見る目を磨いてさっさと手頃な相手を捕まえておけばよかったのよ。それをしないから見てごらんなさい。この様じゃないの。このままじゃあなた、灰色のおばさんになって、若い詐欺師にころりとだまされて、他の女と遊ぶための金を貢ぎまくることになるわよ」
 「もう、やめてよ!」
 真梨子はついに叫んだ。
 「子供扱いしてあれこれ指図するのはやめて! あたしにだってお付き合いしてる男性ぐらいいるんだから」
 「まあ、そうなの?」
 真貴絵の表情がぱあっと幸福そうに輝いた。
 その表情を見て真梨子は、自分がまたしてもとんでもないことを口ばしってしまったことに気がついた。心臓まで石と化した。
 真貴絵はと言えば売れ残りを心配していた娘に恋人がいたことに大喜び。すっかりはしゃいでいる。
 「それならそうとどうして言ってくれなかったの? まあいいわ。恋人のことなんて親には話しづらいものだものね。あたしもあなたぐらいの頃は親に隠すのに必死だったものよ」
 うんうん、とひとりでうなずいたりしている母親の姿を見て、真梨子は何とか落ち着きを取り戻した。この調子なら『紹介しなさい』なんて言われずにすみそう……。
 「それなら今度の日曜に会えるわね」
 「えっ……?」
 「秋ちゃんの家のパーティーよ。あなたも出るんでしょ?」
 「母さんも出るの⁉」
 「やあねえ、もちろんよ。忘れたの。秋ちゃんの旦那さんはあたしの大学時代の先輩なのよ」
 そうだった。秋子に彼を紹介し、ただでさえ耐えがたい自慢屋に新しい自慢の種をくれてやり、実の娘を含む友人一同を嘆かせてくれた張本人はこの母親だった。
 「貴美子もくるのよ」
 真貴絵はあくまで明るくほがらかに、実の娘を地獄につき落とした。
 「貴美子も……」
 「そうよ。あなた、あの子とちがって地味な青春だったから、よくバカにされてたものね。この際だから目の前で思いきりいちゃついてお返ししてあげなさいな。ああ、どんな人かしら? 楽しみだわあ。あらやだ、いけない。あたしったらバカねえ」
 頭を軽く小突きながら立ち上がる。
 「それじゃ、母親にいられたりしたら迷惑よねえ。これから電話で甘い語らいをするんでしょ? つんけんしてる理由がわかったわ。そういう事情で邪険にされるんなら大歓迎よ。はいはい、邪魔者は帰るからごゆっくり。それじゃ日曜日にねえ~」
 歌うようにそう言うと、踊るような足取りで帰っていった。
 真梨子はその場で固まったまま、たっぷり三〇分もその残像を見送っていた。
 それからふらふらと立ち上がり、ベッドの上にうつ伏せに倒れ込んだ。誰とも知れぬ目撃者に向かって呟く。
 「……あたしが首つりの腐乱死体で発見されても驚かないでよね」
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