三〇代、独身、子なし、非美女弁護士。転生し(たつもりになっ)て、人生再始動!

藍条森也

文字の大きさ
11 / 32
一一章

最強怪獣(あるいは母親)現る!

しおりを挟む
  秋子の言葉と嫌味ったらしい表情と、そして、手当りしだいに飲んだ酒とが脳みその迷宮をぐるぐる、ぐるぐる、まわっている。そんなひどい有様でも帰ってこられたのは八年間にわたってつちかわれた帰巣習性の成せる技。タクシーで帰ったのか、電車を乗りついで帰ってきたのかも覚えていない。とにかく、身に染みついた習慣通り、鍵を取り出し、ドアを開けた。
 その途端、ぱあっと明るい光が広がり、真梨子の全身を包み込んだ。なにこれ? どーいうこと? いつも真っ暗な部屋に帰ってくるだけなのに。とうとう、俗世のしがらみから解き放たれて天国に迎え入れられたってわけ?
 そうでないことはすぐにわかった。降りかかってきた声は彼女の天国には絶対に存在しないはずの声だったから。
 「真梨子、帰ったの?」
 「母さん!」
 部屋の奥から顔を出したのは彼女をこの世に送り出してたくれた感謝すべき恩人、つまりは母親だった。
 その母親が何で自分の部屋にいるのか。真梨子は驚いてまじまじと見つめた。
 相変わらずスタイルがいい。ほっそりとしていたそれでいて出ているところは出ている。薄い桜色の服にミニスカートなどはいてこれがまたよく似合う。もう五〇過ぎなのにどう見ても三〇代、下手したら娘の自分より若く見られているかも……。
 ――もおやめてよ!
 真梨子は心のなかで絶望のうめきを上げた。
 こんな母親をもってしまったら娘は地獄だ。ふたりでいるところを母親の友人に見られ『あら、あなた、お姉さんいたの?』などと、自分が母の姉に見られる場面を想像してしまい、この場で首を吊りたくなった。
 「あらまあ、真梨子ったら」
 母の真貴絵まきえは娘が何かとんでもないことでもしでかしたかのようにおおげさに嘆いて見せた。
 「そんなあなた、ドブネズミみたいな格好しちゃって。いつも言ってるでしょ。もっと、明るくて華やかな服を着なさいって。そんな格好じゃすぐに老けちゃうわよ。恋人だって見つからないし、結婚してもすぐに旦那にあきらめて浮気されるのがオチよ!」
 「うるふぁい! ほっほいふぇよ」
 すっかり呂律のまわらなくなった舌で叫ぶ。
 いくら母親相手だって怒鳴りたいときはある。弁護士たるもの、身だしなみは常にきちんと整えていなくてはならない。法律家なんだか、ホステスなんだかわからないような派手な格好なんてもってのほか。
 真梨子はそう信じている。だから、服はどれも地味めの色ばかり。とはいえ、やはり、くすみたくはないし、女らしさも失いたくはない。それで選んだのがおちついた灰色だけどピンクを帯びていてフェミニンさも表現できるオーキッドグレー。
 母親の目にどう映ろうと、この色は真梨子なりに悩み、迷い、考えぬいて選んだとっておきのおしゃれ色のなのだ。それを大上段に『ドブネズミ』扱いされては頭にもくる。
 ただでさえ今日は頭にくることのオンパレードだというのにこの上、実の母親にまで刺激されたくない。
 真貴絵は『やれやれ』とばかりにため息をつくのと、肩をすくめるのを同時にやってのけた。
 「あらあら、ずいぶん酔ってるようね。すっかり呂律がまわらなくなっちゃってるじゃない。いらっしゃいな。お茶の用意しておいたわ」
 そう言ってキッチンに向かって歩き出す。真梨子はほとんど飼い主に綱を引かれて屠殺場へと連れていかれる小ブタの気分で後につづいた。
 キッチンのテーブルの上に魔法のような手際のよさでお茶と手作りパイとが現れた。残念ながら母親が家庭料理と菓子造りの名人であることはまぎれもない事実。ふっくらと焼き上がったパイのおいしそうなこと。いまにもお腹がなりそうだ。
 「はい、召し上がれ」
 独立するまで二〇年以上聞かされつづけた声の抑揚そのままに口にされ、真梨子は催眠術にかけられたように椅子に座った。パイを手にとり、一口かじった。
 ――おいしい。
 素直にそう思った。
 子供の頃、勉強の合間にもってきてくれたパイそのままのかわらない味。ついつい子供の頃が懐かしくなり、涙がぽろりとこぼれそうになった。
 真貴絵はそんな娘の真向かいに座って組んだ両手の上にあごを乗せ、軽くため息をついた。
 「うまくいってないようね。お付き合いしてる人ぐらいいるの?」
 「……放っといてよ」
 真梨子はぶ~たれ顔でそう言うとお茶を飲んだ。これまた熱すぎず、ぬるすぎず、絶妙の温度と香り、そして味。いつまでたっても自分ではこんなお茶はいれられない。母さんってばいったい、どんな魔法の指をもってるんだろう?
 「だいたい、何しにきたのよ?」
 ようやく普通にまわりはじめた舌を使って毒ついた。真貴絵はため息をついた。
 「三〇過ぎの娘が浮いた噂ひとつなく、仕事、仕事の人生を送ってるのよ。娘の幸福を思う母としては放っておけないの。わかるでしょ」
 「放っといてってば」
 真梨子はくり返した。
 「結婚だけが女の人生じゃないわ。あたしは自分の意志で仕事を選んだんだから」
 今度こそ、真貴絵は深いふかいため息をついた。
 「そんな強がり言っちゃって。どこで育て方、まちがえたのかしら? 妹のほうはうまくやったのに」
 「やめてよ! 貴美子きみこなんてまるっきり母さんのクローンじゃない。人生全部、母さんのものまね。あたしはそんなのごめんよ!」
 そう叫びたかったが寸前で飲み込んだ。いくら何でも実の母親に向かってそこまで言うのは気が引ける。
 三歳年下の妹、貴美子は小さな頃から活発で、おしゃれで、社交的。真梨子とは正反対だった。友だちも多く、いつでもみんなの人気者。真貴絵も勉強一筋でおもしろ味のない長女よりも、自分によく似た次女をかわいがっていた。ふたりしてよく出かけていたし、家でも楽しそうにおしゃべりしてた。その姿はたしかに母娘というより、歳のはなれた友だちだった。
 その薫陶の甲斐あってか、貴美子は大学時代に医者の彼氏を捕まえ、そのまま外科医婦人におさまった。いまでは三人の子持ち。旦那の仕事も順調とかで、幸せに暮らしている……。
 「いいこと? 母さんがいつまでも若くて魅力的なのは常に自分から行動しているからよ。積極的に新しい男性との出会いを求め、常に女としての自分を意識してるから。仕事、仕事の毎日じゃ女を磨くことなんてできないのよ。おかげでご覧なさい。あなたときたらその若さですっかり地味になっちゃって……」
 真貴絵はまたもため息をついた。これで四度目。真梨子のこめかみでは血管がぴくぴくと脈内、ちぎれそうになった。
 「いままで何もしてこなかったのがいけないのよ。母さんの言う通り、おしゃれして、デートして、男を見る目を磨いてさっさと手頃な相手を捕まえておけばよかったのよ。それをしないから見てごらんなさい。この様じゃないの。このままじゃあなた、灰色のおばさんになって、若い詐欺師にころりとだまされて、他の女と遊ぶための金を貢ぎまくることになるわよ」
 「もう、やめてよ!」
 真梨子はついに叫んだ。
 「子供扱いしてあれこれ指図するのはやめて! あたしにだってお付き合いしてる男性ぐらいいるんだから」
 「まあ、そうなの?」
 真貴絵の表情がぱあっと幸福そうに輝いた。
 その表情を見て真梨子は、自分がまたしてもとんでもないことを口ばしってしまったことに気がついた。心臓まで石と化した。
 真貴絵はと言えば売れ残りを心配していた娘に恋人がいたことに大喜び。すっかりはしゃいでいる。
 「それならそうとどうして言ってくれなかったの? まあいいわ。恋人のことなんて親には話しづらいものだものね。あたしもあなたぐらいの頃は親に隠すのに必死だったものよ」
 うんうん、とひとりでうなずいたりしている母親の姿を見て、真梨子は何とか落ち着きを取り戻した。この調子なら『紹介しなさい』なんて言われずにすみそう……。
 「それなら今度の日曜に会えるわね」
 「えっ……?」
 「秋ちゃんの家のパーティーよ。あなたも出るんでしょ?」
 「母さんも出るの⁉」
 「やあねえ、もちろんよ。忘れたの。秋ちゃんの旦那さんはあたしの大学時代の先輩なのよ」
 そうだった。秋子に彼を紹介し、ただでさえ耐えがたい自慢屋に新しい自慢の種をくれてやり、実の娘を含む友人一同を嘆かせてくれた張本人はこの母親だった。
 「貴美子もくるのよ」
 真貴絵はあくまで明るくほがらかに、実の娘を地獄につき落とした。
 「貴美子も……」
 「そうよ。あなた、あの子とちがって地味な青春だったから、よくバカにされてたものね。この際だから目の前で思いきりいちゃついてお返ししてあげなさいな。ああ、どんな人かしら? 楽しみだわあ。あらやだ、いけない。あたしったらバカねえ」
 頭を軽く小突きながら立ち上がる。
 「それじゃ、母親にいられたりしたら迷惑よねえ。これから電話で甘い語らいをするんでしょ? つんけんしてる理由がわかったわ。そういう事情で邪険にされるんなら大歓迎よ。はいはい、邪魔者は帰るからごゆっくり。それじゃ日曜日にねえ~」
 歌うようにそう言うと、踊るような足取りで帰っていった。
 真梨子はその場で固まったまま、たっぷり三〇分もその残像を見送っていた。
 それからふらふらと立ち上がり、ベッドの上にうつ伏せに倒れ込んだ。誰とも知れぬ目撃者に向かって呟く。
 「……あたしが首つりの腐乱死体で発見されても驚かないでよね」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる

街風
ファンタジー
「お前を追放する!」 ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。 しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました

雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。 気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。 剣も魔法も使えないユウにできるのは、 子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。 ……のはずが、なぜか料理や家事といった 日常のことだけが、やたらとうまくいく。 無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。 個性豊かな子供たちに囲まれて、 ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。 やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、 孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。 戦わない、争わない。 ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。 ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、 やさしい異世界孤児院ファンタジー。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...