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二三章

紳士って……いい

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 ついた先は『木の子館』という、売っているものを勘違いしそうな、しかし、たしかにぴったりの名前の店だった。商店街の中程にある二階建ての小さな店。カラフルに彩色された丸々とかわいい木製の看板がかけられ、ウインドウのなかには手作りの温もりを感じさせる高級そうなおもちゃがおさめられている。
 店主の山田明夫自身がおもちゃ職人で、店の奥が工房、二階が家になっている、といかにもな仏頂面で鴻志が説明してくれた。
 真梨子はドアを開けてなかに入った。店内を見た途端、驚きの声を上げた。店だから当然、商品のおもちゃが棚の上に整然と展示されているものと思ったら大まちがい。
 たしかに、壁際に置かれた棚の上におもちゃは展示されている。でも、中心になっているのは床の上。いっぱいに敷かれたカーペットの上に所狭しと様々なおもちゃが並べられている。脇には『靴を脱いでお上がりください』、『自由に手にとってお試しください』との二枚の看板。いまも三歳くらいの子供を連れた若いお母さんがふたり、カーペットの上にあがってお喋りをしている。子供たちはと言えば、それぞれカタカタや積み木を手にとって遊んでいる。
 母親はふたりとも明らかに真梨子より若い。せいぜい二六,七だろう。自分よりずっと若い女性がすでに子供をもち、幸せそうにしている。その現実に真梨子はちょっと落ち込んだ。
 お気に入りのおもちゃを手に楽しそうにしている子供の姿を見ると、『自分はもう子供もなんてもてないかも』という思いがこみ上げてくる。子宮が痛むようなさびしさを感じた。
 「やあ、いらっしゃい」
 そんな真梨子を突然、明るい声が迎えた。男にしては高い声だった。あわてて声の主を見た。彼が店主の山田明夫だろう。歳の頃は四二,三歳。ひげを生やした細面の男で、あちこちペンキのついたエプロンをつけている。何だか、NHKの子供番組に出てきそうな人物だった。
 「おや、鴻ちゃんも一緒か。へえ、あんたが女性を連れてるとこなんてはじめて見るな。やっと、女性に目覚めたのかい?」
 冗談めかしてはいるが、言葉の裏々に鴻志のことを本気で気にかける思いが感じられる。
 鴻志は思いきり眉をしかめた。
 「客を案内してきただけだ。それから『鴻ちゃん』はよせと言っている」
 「いいじゃないか、別に」
 「だめだ。男にちゃん付けされて喜ぶ趣味はない」
 本気で腹を立ている様子で鴻志は断言した。山田はそんな鴻志に苦笑で応じた。
 先客がそろって声をかけた。買うものが決まったらしい。山田は商売人と言うより、子供好きのおじさんとしての笑顔を浮かべて先客の応対に向かった。
 じろり、と鴻志が仏頂面のままで真梨子を見た。
 「さっさと選べよ」
 その言い方もなんとも刺々しい。さすがに真梨子も腹を立てた。
 「そんな冷たい言い方ないでしょ。仮にもレディーに向かって」
 「レディーは他人を強引に連れまわしたりしない」
 鴻志は靴を脱いでカーペットの上にあがった。壁際の棚に向かい、展示されている小さな組木細工を手にとっていじりはじめた。
 ――まあ、帰っちゃわないだけ付き合い、いいのかもね。
 真梨子はそう思って自分も靴を脱ぎ、カーペットにあがった。
 そこはまさに『木の子の楽園』。素朴な、しかし、暖かみを感じさせるおもちゃがいっぱいに並んでいる。いや、こぼれている、と言ったほうが適当だろう。カタカタ、積み木、パズル、木琴、ドールハウス、人形、からくりおもちゃ等々……。
 子供にとってはまさに楽しいものがいっぱい落ちている夢の庭にちがいない。真梨子は甥っ子へのプレゼントを選びにきたと言うより、自分自身が子供に戻ったようにあれこれ手にとって眺めてみた。
 積み木を積み上げ、パズルを試し、木琴の音をたしかめ、からくりおもちゃを動かしては喜びの声を上げる。夢中になってしまい、鴻志が憮然たる目付きでにらみつけているのにも、店主の山田がにこにこと見守っているのも気がつかない。
 「遊んでないでさっさと選べ」
 ついにしびれを切らした鴻志が言った。
 すると、店主の山田が穏やかにとりなした。
 「まあまあ、いいじゃないか、鴻ちゃん。客が心ゆくまで確かめてから買えるようにすべきだ、と言ったのは鴻ちゃんだろ」
 「他の客はおれを連れてきたりしない。それと、ちゃん付けはよせ」
 あくまでその点にこだわる鴻志である。山田は苦笑した。
 それからさらにたっぷり、鴻志が苛々と爪先で床を叩くようになるまで試してから、ようやく真梨子はお気に入りを見つけ出した。
 二匹のウサギが餅つきをするカタカタで、押して動かすと二匹のウサギが交互に餅つきをするのがかわいい。杵が臼を叩くときの音も軽やかで耳に心地好い。後ろに倒れないようストッパーもついていて製作者の気配りのよさを感じさせる。
 「これ、あなたの作品?」
 たしかめる。
 鴻志は組み木細工をいじりながらぶすっとした声で、
 「……ああ」
 「それじゃこれをいただくわ。甥へのプレゼントなんだけど包んでいただけます?」
 「はい、お任せ」
 山田は陽気にそう言うとカタカタを抱えてレジに戻った。会計をすませ、箱におさめ、リボンをかける。リボンをかけながら鴻志の様子をうかがいつつ、真梨子にささやいた。
 「あなた、鴻ちゃんの彼女?」
 「ち、ちがいます! ただの……知り合いです」
 「そう……」
 見るからにがっかりした様子で息を吐き出し、山田は包装を再開した。あまりに落胆した様子だったので真梨子に尋ねた。
 「あの……彼と何か関係が?」
 「いや……鴻ちゃんはうちの恩人でね」
 「恩人?」
 「そう。昔からおもちゃ作りが好きで趣味で作っていたんだけどね。五年前にとうとうそれだけじゃ物足りなくなってプロになることを決心したんだ。女房、子供の反対を押し切ってこの店を開いたのに、なかなか売れなくてね。生活は厳しいし、家族の視線は痛いしで、頭を抱えていたんだよ。そこへ、鴻ちゃんが自分のおもちゃをおいてくれないかって言ってきてね。
 最初は断わったんだよ。『売れ行きが悪いから他人の作品を買いとる余裕はない』ってね。そしたら、鴻ちゃん、店内を見渡して一言、『置き方が悪い』」
 「置き方?」
 「そう。作品が悪いんじゃなくて置き方が悪いって言うんだよ。棚の上に置いてあるから子供は見えないし、さわれない。それじゃ売れない。おとなが土産に買っていくような高級品だけ棚の上に置いて、後は床の上に並べて子供が遊べるようにすべきだってね。
 そうすれば子供が遊んでいる間、親同士はお喋りする。情報交換の場になればよりつきやすくなるし、子供は気に入ったものは手放そうとしないから親があきらめさせようとしても駄々をこねて抵抗する。親としては店内でいつまでも子供に駄々をこねられるわけにはいかないから、ついつい買ってしまう。当然、売り上げは伸びる……なんてね。結構、ずるいところもあったりしてね」
 山田は愉快そうに笑った。
 真梨子は鴻志を見ながら呟いた。
 「経営コンサルタントまでできるんだ……」
 鴻志は相変わらず組み木細工をいじっている。そんな経営のノウハウも図書館通いのなかで身に着けた知識なのだろうか?
 山田はつづけた。
 「それに、鴻ちゃんのおもちゃはよく売れるしね。『二度、作るのはつまらん』とか言って同じものを作ってくれないのが玉に傷だけど。でも、たしかに経営も順調になったし、おかげで家族も理解してくれるようになったからね。恩人なんだよ」
 そこまで言って山田は気づかう表情になった。
 「でも……鴻ちゃんてほら、いつもひとりだろう? それがどうにも気になってね。それとなく女性を紹介したりもしてるんだけど全然、相手にしようとしないし。ああいう生い立ちだから仕方ないのかも知れないけど、そう思うとなおさら何とかしてやりたくなってね。だから、あなたが一緒なのを見て喜んだんだけど……」
 山田はため息をついた。自分が鴻志の彼女ではないのがすまなくなるような善良なため息だった。
 包装を終えた箱を受けとり、真梨子はドアに向かった。鴻志がそれとなく先に出て、真梨子が店を出るまでドアを押さえていてくれた。あんな迷惑そうにしてたのに……。さり気ないやさしさに真梨子は胸がときめく思いだった。
 箱を車のトランクにおさめ、運転席に座る。シートベルトを閉めながら隣の席の鴻志に話しかける。
 「ねえ、もう夕食時でしょ。こないだごちそうになったし、買い物にも付き合ってもらったし、お礼に何かご馳走したいんだけど……」
 「いいよ、別に」
 「そう言わないで。たまにはステーキなんかどう?」
 「ステーキは好きじゃない」
 そっけない言い方に真梨子はがっかりした。
 「エビの方がいい。近くにうまいシーフード・レストランがある。行くならそこに行こう」
 「オッケー」
 真梨子は途端に晴れやかな気持ちになって答えた。
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