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第二話
本当の不幸を知ったので、悪女になって革命の種まきをします
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一の扉 幼き伯爵令嬢は灰に眠る
「その程度の仕事、さっさと終わらせなさい! まったく、役に立たない娘だこと」
「クスクス。お義姉さまったらほんと、グズよねえ。そんなことじゃお嫁になんてとても行けないわね。仕方ないからわたしが一生、使ってあげる。感謝してね」
義母と義妹の蔑みの言葉を聞きながらわたしは床を磨きつづける。
わたしは国内でも有数の伯爵家の跡継ぎ。そのはずだった。でも――。
幼くして父が死んだ後、この家を支配したのは父の後妻である義母とその連れ子である義妹だった。わたしはふたりによって使用人同様、いえ、それ以下の扱いを受けていた。
着るものと言えばボロボロのお古ばかり。食べるものは古くなったパンとチーズ。寝る場所は竈の灰のなか。義母と義妹は毎日まいにちわたしの焼いたステーキを食べ、ワイン倉のワインを飲み、有名店のスイーツを取り寄せて食べている。父の残したお金、本当ならわたしのものになるはずだったお金を使って。そして、わたしは……。
それでもわたしは義母に言われるままに働きつづけた。だって、そうしないとぶたれるから。ぶたれて、殴られて、庭に放り出される。何も食べられず、お腹を空かしたまま庭の片隅にうずくまり、寒さに凍えて夜を過ごすことになる。そして、朝になって義母に睨まれながらこう言わされるのだ。
「わたしはお義母さまの言いつけを守らない悪い子でした。もう二度とこんなことはしません。お義母さまの言いつけ通り誠心誠意、働きます。だから、許してください」
そうしてやっと、古くてカチカチになったパンを食べることを許される。そんなわたしを、温かいミルクとハチミツたっぷりのケーキを食べながら義妹が笑って見ているのだ。
これがお伽噺の世界なら、わたしを産んで間もなく亡くなった実の母のお墓にすがりついて泣けば、奇跡が起きて助けもらえることだろう。でも、わたしの生きているこの世界ではそんな都合のいいことは起こらない。
いくら泣いても、叫んでも、奇跡なんて起こらない。
誰も助けてくれない。
だから、わたしは今日も義母の言いつけ通りに一日中働き、義妹に笑われながら竈の灰のなかに丸まって眠る。灰のなかのわずかなぬくもりだけを頼りにして。
――わたしはなんて不幸なの。
そう思って泣いていた。
そう。その日がくるまでは。
二の扉 伯爵令嬢は『灰かぶり』と呼ばれる
「灰かぶり」
いつか、わたしは義母からそう呼ばれるようになっていた。父と母が付けてくれた本当の名前は奪われていた。
「いますぐ貧民街までお使いに行ってきなさい」
「ひ、貧民街?」
わたしは震え上がった。
貧民街なんて、仮にも貴族の令嬢として育ったわたしには人外魔境にも等しい世界。盗賊やゴロツキがたむろし、人と人が殺し合う恐ろしい世界。そんな場所には絶対、行きたくなかった。でも――。
「貧民街に、お肌に良く効く薬を売っているお店があると聞いたわ。その店を探して買ってきなさい」
義母にそう言われては従うしかない。逆らえればカビの生えたパンさえ食べられない。
「……分かりました、お義母さま。でも、そのお店はどこにあるんです?」
「それがわからないから探してきなさいと言ってるんでしょう。自分で見つけなさい。買えるまで帰ってくるんじゃないわよ」
その言葉と共に、幾ばくかのお金を渡されて家を追い出された。本当ならわたしが主人として君臨するはずだった家を。
そんなわたしをぬくぬくとした外套にくるまり、クリームたっぷりのチョコレートを飲んでいる義妹がニヤニヤと笑いながら見つめていた……。
三の扉 灰かぶりは恐怖に震える
わたしは貧民街へとやってきた。恐怖と不安に震えながら。そして――。
一歩足を踏み入れた途端、わたしの恐怖は現実のものとなった。突然、物乞いの子供に声をかけられたのだ。
わたしは震え上がった。
物乞いに狙われたから、じゃない。
その姿を見たからだ。
目の見えない兄が、膝から下のない弟を背負って歩き、その弟が手を伸ばして物を乞う。 その姿を見てしまったからだ。
わたしは恐慌にかられた。義母から渡されたお金を叩きつけて、その場を逃げ出した。もちろん、義母に言われた薬なんて買えなかった。
家に帰ったわたしは義母にこっぴどく殴られ、食事をぬかされた上に家の外に放り出された。でも――。
このときばかりは飢えも、寒さも感じなかった。わたしの頭のなかはあのきょうだいのことでいっぱいになり、飢えや寒さを感じるどころではなかったのだ。
――なぜ? なぜ、あんなきょうだいがいるの?
わたしは一晩中、その思いだけに囚われていた。
四の扉 灰かぶりは本当の不幸を知る
それからわたしは、義母から言いつけられる仕事の合間を縫って勉強をはじめた。
なんであんなきょうだいがいるのか。
その答えを知るために。
そして、知った。
恐ろしい事実を。
あのきょうだいを傷つけたのは実の親。同情を引いて、物乞いのおもらいをよくするために、あえて子供を傷つけるというのだ。
なんて、恐ろしいことだろう。実の親の目を潰され、足を切り落とされるなんて。
義母に虐げられているわたしでさえ、そこまでのことはされていない。それなのに、実の親にそんなことをされるなんて……。
それだけじゃない。体を傷つけられ、物乞いをさせられるのは男の子だけ。女の子は……体を売らせられる。それもやはり、実の親に命じられて。
その事実を知ったとき――。
わたしは泣いた。
思い切り泣いた。
自分のことを不幸だと思っていた。でも、ちがった。本当に不幸な人たちは他にいた。貴族が国の富を独占しているためにわずかな生活費さえ得られず、貧困にあえいでいる人たち、『人生』とも言えないようなどん底の生を余儀なくされている人たちが。
そのことを知ったとき、わたしは決めた。
「こんな世界、滅ぼしてやる」
五の扉 逆襲の灰かぶり
それからわたしは必死に勉強した。日がな一日仕事を押しつけてくる義母と、わたしを嗤いものにして楽しむ義妹の目を盗んで。
そして、数年後。わたしは一枚の書類を手に義母と義妹に詰め寄った。
「な、なんですって⁉ わたしたちを訴えた⁉」
義母の驚愕の叫びが屋敷に響き、義妹の顔が恐怖にこわばる。
わたしは手にした書類を見せつけ、ふたりに向かった。
もう、言われるがままにこき使われていたわたしじゃない。知識を身につけ、戦う術を手に入れた人間。わたしは貧民街で見たあの子とたちを救うために強くならなければならなかった。そして、そうなったのだ。
わたしは義母と義妹に言った。
「その通りよ。この国の相続権は長子相続。つまり、父の財産のすべては実子であり、第一子であるわたしがすべて受け継ぐ。あなたはその権利を侵し、財産を我が物にした。これは立派な法律違反。だから、訴えた。それだけのこと」
そして、憲兵隊が屋敷のなかに乱入し、ふたりを捕え、連れて行った。
「助けて! わたしたち姉妹でしょう⁉」
そんな叫びが聞こえた気もするけれど、そんなことはどうでもいい。このふたりがそれからどうなったのかも知らない。何の興味もないことだった。わたしにとって大切なのはただひとつ。財産を取り戻したと言うこと。ただ、それだけ。
「これで、あの子たちのために生きることができる」
六の扉 灰かぶりは悪女にかわる
財産を取り戻したわたしはさっそく、貧民街の子供たちを屋敷に引き取った。そして――。
その子たちをいじめ抜いた。
使用人、いえ、奴隷として扱い、些細なことで責め、罵声を浴びせ、殴りつけた。
苦労することなんてなかった。どうすれば相手をいたぶれるかは義母と義妹からたっぷりと教えられていたから。その扱いのなかで、引き取った子供たちの目にわたしに対する憎しみが徐々にふくらんでいく。それを見ながら、わたしは心に呟いていた。
――そうよ。わたしを憎みなさい。わたしを貴族代表として、貴族そのものとして憎みなさい。そして、その憎しみのまま、いつか貴族を打ち倒すのよ。
表ではいじめ抜いて食事も満足に与えず、裏ではこっそり栄養のある食べ物を食べさせ、教育を与え、わたしは何人、何十人という貧民街出身の子供たちを育てていった。
七の扉 悪女という名声
伯爵令嬢であるわたしが貧民街の子供たちを引き取って育てている。
その噂はたちまち貴族たちの間で評判になった。地位も、財産もあるけど、仕事はない。おかげで、人生に退屈している物見高い貴族たちは興味をそそられて、わたしの屋敷へとやってきた。
これこそ待ち望んでいた好機。
わたしは見物にきた貴族たちの前でよりいっそう子供たちをいじめ、いたぶった。
「なんてグズなの。こんな仕事も出来ないなんて、まったく役立たずのゴミね」
「これがお茶? こんなものをお客さまに出してわたしに恥をかかせるつもりなの? その根性、たたき直してあげるわ」
「なに、その目? 貧民街出身のこそ泥のくせに。分をわきまえなさい」
そう罵声を浴びせては引っぱたき、鞭で打ち、蹴り飛ばした。
さすが、物見高い貴族たちも眉をひそめた。
「いくら何でもやり過ぎじゃないか? うちだって、使用人相手にそこまではしないぞ」
「そうですわ。あの子たちはまだほんの子供なのに……」
――誰のせいで、『貧民』なんていうものがいると思っているの? あなたたち貴族が国の富を独占しているからじゃない。
その思いを胸に隠し、わたしは邪悪な微笑みを浮かべて言う。
「あら、おかしなことを仰るのね? あの子たちは貧民街出身の下等生物。貴族に奉仕できるだけでもありがたく思ってもらわなくちゃ」
わたしの言葉に――。
貴族たちは眉をひそめて帰って行く。
やがて、わたしのまわりには『悪女』という評判が立っていた。
「あの伯爵令嬢は、自分がさんざん義母にいじめられたものだから、その仕返しをするために子供たちを引き取っているんだ。とんだ悪女だよ」
そう、それでいい。どんどんわたしを悪く言いなさい。
それでこそ、わたしの目的は果たせるのだから。
八の扉 悪女の狙いは果たされる
それから少しずつ、わたしの屋敷にいる子供たちが他の貴族の家に引き取られていくようになった。貴族なんていうものは世間知らずではあるけれどその分、根は善良な人間だったりする。とくに貧民に対する施しは自分がいかに慈悲深く、気前の良い人間であるかを示し、支持を得るための貴重な機会。わたしという悪女の手からいたいけな子供を救い出すという格好の役割を見つけ、嬉々としてその役割を果たしはじめたのだ。
貴族たちは引き取った子供においしい食事と温かなベッドを与え、何不自由ない暮らしを与えた。もちろん、そこにはわたしとのちがいを示し、慈悲深い人間だとの評判を得ようとの計算があった。でも、貴族の思惑なんてどうでもいい。あの子たちが健康に、幸せに暮らせるならそれでいい。そして、いつの日か――。
力を付けたあの子たちが世界をかえる。
九の扉 悪女は王立学院に君臨する
わたしは王立学院の教師になっていた。
そこには貴族に引き取られた子供たち、もとはわたしが引き取り、わたしという悪女の手から他の貴族によって救われた子供たちも通うようになっていた。
学院でも、わたしたちはその子たちをいたぶり、いじめ抜いた。
貴族の子弟たちと、貧民街出身の子供たちが敵対しないよう、わたしという共通の敵を相手にして団結するよう、そして、わたしを通じて『貴族制度』という存在そのものに不審を抱き、敵視するよう仕向けるために。
わたしの異常とも言えるいじめに貴族の子弟たちも貧民街出身だからと馬鹿にするのを忘れ、同情し、味方になった。面と向かってわたしに対抗し、子供たちをかばうようになった。子供たちもそんな貴族の子弟を信用し、仲間として振る舞うようになった。
――そう。あなたたちはまだ子供。偏見も少ないはず。いまのうちにふれあい、絆を結び、認識しなさい。貴族も貧民もない。同じ人間。そんな身分のちがいはあってはいけないのだと言うことを。そして、いつか、力を合わせ……。
一〇の扉 悪女の願いが叶うとき
そして、わたしの待ち望んだ日はやってきた。
ついに革命の火の手があがったのだ。
わたしが引き取った子供たちと、その子たちの友だちになった貴族の若者たち。両者が中心になって怒りの声をあげ、それまでの体制に挑んだのだ。
特権の上にあぐらをかき、自らを鍛えることを忘れていた貴族たちは、怒りに燃える革命軍の敵ではなかった。革命軍はたちまち王宮を制圧した。王家を倒すほどの極端な真似はしなかったけれど、幾つもの重大な改革が行われた。
それまで無税だった貴族に税金がかけられ、貧困層に分配されるようになった。
貧民街の人たちに就労支援が行われ、自立への道が切り開かれた。
そして、なによりも大きな成果は平民議会が設立されたことだった。我が国初の平民たちによる議会。この平民議会の設立によって歴史上はじめて、平民たちの声が直接、政治の場で語られることになったのだ。
平民議会の設立を誇らしげに宣言するかの人たちの姿をわたしは決して忘れない。なぜなら――。
その宣言を行ったのはまさに、わたしが引き取り、育ててきた子供たちだったから。
わたしの願いがやっと叶ったのだ。
終わりの扉 そして、悪女は露へと消える
そして、いま。
わたしは死刑囚として断頭台の前にいる。
腐敗した貴族の象徴として他の幾人かの貴族と共に革命軍によって処刑されるのだ。
「ひさしぶりね」
わたしの前に立った、ひとりの女性が冷ややかな視線をわたしに向ける。
ああ、覚えているわ。わたしがはじめて引き取った子供たちのうちのひとりね。革命軍の中心人物となり、平民議会の初代議長となった。
――こんなにも立派になって。
わたしは涙をとどめることが出来なかった。ボロボロとうれし涙が流れ落ちた。我が国最初の平民議長はわたしに言った。
「泣いても無駄よ。いまさら、あなたの運命はかわらないわ。でも、これだけは言っておくわ。あなたが自分の楽しみのためにわたしたちを引き取り、いじめてくれたおかげで、わたしたちは貧民街から抜け出すことができた。知識を蓄え、勢力を伸ばし、こうして自分たちの力で政治を動かせるまでになった。すべてはあなたのおかげ。感謝しているわ。ありがとう」
何と言う皮肉の言葉だろう。それはわたしにとって、なによりの褒め言葉だった。
そして、わたしは、流れ続ける涙と共に巨大な刃によって首を落とされた。
――ああ、ありがとう。みんな。あなたたちのおかげで義母と義妹に支配され、何の実りもなく終わるはずだったわたしの人生がこんなにも有意義なものになった。すべてはあなたちのおかげよ。本当に感謝しているわ。どうか、この心を忘れないで。貴族と貧民になんて分かれることのない、公平で豊かな、幸福の国を作りあげて。
それがわたしの最初で最後のお願い……。
終
「その程度の仕事、さっさと終わらせなさい! まったく、役に立たない娘だこと」
「クスクス。お義姉さまったらほんと、グズよねえ。そんなことじゃお嫁になんてとても行けないわね。仕方ないからわたしが一生、使ってあげる。感謝してね」
義母と義妹の蔑みの言葉を聞きながらわたしは床を磨きつづける。
わたしは国内でも有数の伯爵家の跡継ぎ。そのはずだった。でも――。
幼くして父が死んだ後、この家を支配したのは父の後妻である義母とその連れ子である義妹だった。わたしはふたりによって使用人同様、いえ、それ以下の扱いを受けていた。
着るものと言えばボロボロのお古ばかり。食べるものは古くなったパンとチーズ。寝る場所は竈の灰のなか。義母と義妹は毎日まいにちわたしの焼いたステーキを食べ、ワイン倉のワインを飲み、有名店のスイーツを取り寄せて食べている。父の残したお金、本当ならわたしのものになるはずだったお金を使って。そして、わたしは……。
それでもわたしは義母に言われるままに働きつづけた。だって、そうしないとぶたれるから。ぶたれて、殴られて、庭に放り出される。何も食べられず、お腹を空かしたまま庭の片隅にうずくまり、寒さに凍えて夜を過ごすことになる。そして、朝になって義母に睨まれながらこう言わされるのだ。
「わたしはお義母さまの言いつけを守らない悪い子でした。もう二度とこんなことはしません。お義母さまの言いつけ通り誠心誠意、働きます。だから、許してください」
そうしてやっと、古くてカチカチになったパンを食べることを許される。そんなわたしを、温かいミルクとハチミツたっぷりのケーキを食べながら義妹が笑って見ているのだ。
これがお伽噺の世界なら、わたしを産んで間もなく亡くなった実の母のお墓にすがりついて泣けば、奇跡が起きて助けもらえることだろう。でも、わたしの生きているこの世界ではそんな都合のいいことは起こらない。
いくら泣いても、叫んでも、奇跡なんて起こらない。
誰も助けてくれない。
だから、わたしは今日も義母の言いつけ通りに一日中働き、義妹に笑われながら竈の灰のなかに丸まって眠る。灰のなかのわずかなぬくもりだけを頼りにして。
――わたしはなんて不幸なの。
そう思って泣いていた。
そう。その日がくるまでは。
二の扉 伯爵令嬢は『灰かぶり』と呼ばれる
「灰かぶり」
いつか、わたしは義母からそう呼ばれるようになっていた。父と母が付けてくれた本当の名前は奪われていた。
「いますぐ貧民街までお使いに行ってきなさい」
「ひ、貧民街?」
わたしは震え上がった。
貧民街なんて、仮にも貴族の令嬢として育ったわたしには人外魔境にも等しい世界。盗賊やゴロツキがたむろし、人と人が殺し合う恐ろしい世界。そんな場所には絶対、行きたくなかった。でも――。
「貧民街に、お肌に良く効く薬を売っているお店があると聞いたわ。その店を探して買ってきなさい」
義母にそう言われては従うしかない。逆らえればカビの生えたパンさえ食べられない。
「……分かりました、お義母さま。でも、そのお店はどこにあるんです?」
「それがわからないから探してきなさいと言ってるんでしょう。自分で見つけなさい。買えるまで帰ってくるんじゃないわよ」
その言葉と共に、幾ばくかのお金を渡されて家を追い出された。本当ならわたしが主人として君臨するはずだった家を。
そんなわたしをぬくぬくとした外套にくるまり、クリームたっぷりのチョコレートを飲んでいる義妹がニヤニヤと笑いながら見つめていた……。
三の扉 灰かぶりは恐怖に震える
わたしは貧民街へとやってきた。恐怖と不安に震えながら。そして――。
一歩足を踏み入れた途端、わたしの恐怖は現実のものとなった。突然、物乞いの子供に声をかけられたのだ。
わたしは震え上がった。
物乞いに狙われたから、じゃない。
その姿を見たからだ。
目の見えない兄が、膝から下のない弟を背負って歩き、その弟が手を伸ばして物を乞う。 その姿を見てしまったからだ。
わたしは恐慌にかられた。義母から渡されたお金を叩きつけて、その場を逃げ出した。もちろん、義母に言われた薬なんて買えなかった。
家に帰ったわたしは義母にこっぴどく殴られ、食事をぬかされた上に家の外に放り出された。でも――。
このときばかりは飢えも、寒さも感じなかった。わたしの頭のなかはあのきょうだいのことでいっぱいになり、飢えや寒さを感じるどころではなかったのだ。
――なぜ? なぜ、あんなきょうだいがいるの?
わたしは一晩中、その思いだけに囚われていた。
四の扉 灰かぶりは本当の不幸を知る
それからわたしは、義母から言いつけられる仕事の合間を縫って勉強をはじめた。
なんであんなきょうだいがいるのか。
その答えを知るために。
そして、知った。
恐ろしい事実を。
あのきょうだいを傷つけたのは実の親。同情を引いて、物乞いのおもらいをよくするために、あえて子供を傷つけるというのだ。
なんて、恐ろしいことだろう。実の親の目を潰され、足を切り落とされるなんて。
義母に虐げられているわたしでさえ、そこまでのことはされていない。それなのに、実の親にそんなことをされるなんて……。
それだけじゃない。体を傷つけられ、物乞いをさせられるのは男の子だけ。女の子は……体を売らせられる。それもやはり、実の親に命じられて。
その事実を知ったとき――。
わたしは泣いた。
思い切り泣いた。
自分のことを不幸だと思っていた。でも、ちがった。本当に不幸な人たちは他にいた。貴族が国の富を独占しているためにわずかな生活費さえ得られず、貧困にあえいでいる人たち、『人生』とも言えないようなどん底の生を余儀なくされている人たちが。
そのことを知ったとき、わたしは決めた。
「こんな世界、滅ぼしてやる」
五の扉 逆襲の灰かぶり
それからわたしは必死に勉強した。日がな一日仕事を押しつけてくる義母と、わたしを嗤いものにして楽しむ義妹の目を盗んで。
そして、数年後。わたしは一枚の書類を手に義母と義妹に詰め寄った。
「な、なんですって⁉ わたしたちを訴えた⁉」
義母の驚愕の叫びが屋敷に響き、義妹の顔が恐怖にこわばる。
わたしは手にした書類を見せつけ、ふたりに向かった。
もう、言われるがままにこき使われていたわたしじゃない。知識を身につけ、戦う術を手に入れた人間。わたしは貧民街で見たあの子とたちを救うために強くならなければならなかった。そして、そうなったのだ。
わたしは義母と義妹に言った。
「その通りよ。この国の相続権は長子相続。つまり、父の財産のすべては実子であり、第一子であるわたしがすべて受け継ぐ。あなたはその権利を侵し、財産を我が物にした。これは立派な法律違反。だから、訴えた。それだけのこと」
そして、憲兵隊が屋敷のなかに乱入し、ふたりを捕え、連れて行った。
「助けて! わたしたち姉妹でしょう⁉」
そんな叫びが聞こえた気もするけれど、そんなことはどうでもいい。このふたりがそれからどうなったのかも知らない。何の興味もないことだった。わたしにとって大切なのはただひとつ。財産を取り戻したと言うこと。ただ、それだけ。
「これで、あの子たちのために生きることができる」
六の扉 灰かぶりは悪女にかわる
財産を取り戻したわたしはさっそく、貧民街の子供たちを屋敷に引き取った。そして――。
その子たちをいじめ抜いた。
使用人、いえ、奴隷として扱い、些細なことで責め、罵声を浴びせ、殴りつけた。
苦労することなんてなかった。どうすれば相手をいたぶれるかは義母と義妹からたっぷりと教えられていたから。その扱いのなかで、引き取った子供たちの目にわたしに対する憎しみが徐々にふくらんでいく。それを見ながら、わたしは心に呟いていた。
――そうよ。わたしを憎みなさい。わたしを貴族代表として、貴族そのものとして憎みなさい。そして、その憎しみのまま、いつか貴族を打ち倒すのよ。
表ではいじめ抜いて食事も満足に与えず、裏ではこっそり栄養のある食べ物を食べさせ、教育を与え、わたしは何人、何十人という貧民街出身の子供たちを育てていった。
七の扉 悪女という名声
伯爵令嬢であるわたしが貧民街の子供たちを引き取って育てている。
その噂はたちまち貴族たちの間で評判になった。地位も、財産もあるけど、仕事はない。おかげで、人生に退屈している物見高い貴族たちは興味をそそられて、わたしの屋敷へとやってきた。
これこそ待ち望んでいた好機。
わたしは見物にきた貴族たちの前でよりいっそう子供たちをいじめ、いたぶった。
「なんてグズなの。こんな仕事も出来ないなんて、まったく役立たずのゴミね」
「これがお茶? こんなものをお客さまに出してわたしに恥をかかせるつもりなの? その根性、たたき直してあげるわ」
「なに、その目? 貧民街出身のこそ泥のくせに。分をわきまえなさい」
そう罵声を浴びせては引っぱたき、鞭で打ち、蹴り飛ばした。
さすが、物見高い貴族たちも眉をひそめた。
「いくら何でもやり過ぎじゃないか? うちだって、使用人相手にそこまではしないぞ」
「そうですわ。あの子たちはまだほんの子供なのに……」
――誰のせいで、『貧民』なんていうものがいると思っているの? あなたたち貴族が国の富を独占しているからじゃない。
その思いを胸に隠し、わたしは邪悪な微笑みを浮かべて言う。
「あら、おかしなことを仰るのね? あの子たちは貧民街出身の下等生物。貴族に奉仕できるだけでもありがたく思ってもらわなくちゃ」
わたしの言葉に――。
貴族たちは眉をひそめて帰って行く。
やがて、わたしのまわりには『悪女』という評判が立っていた。
「あの伯爵令嬢は、自分がさんざん義母にいじめられたものだから、その仕返しをするために子供たちを引き取っているんだ。とんだ悪女だよ」
そう、それでいい。どんどんわたしを悪く言いなさい。
それでこそ、わたしの目的は果たせるのだから。
八の扉 悪女の狙いは果たされる
それから少しずつ、わたしの屋敷にいる子供たちが他の貴族の家に引き取られていくようになった。貴族なんていうものは世間知らずではあるけれどその分、根は善良な人間だったりする。とくに貧民に対する施しは自分がいかに慈悲深く、気前の良い人間であるかを示し、支持を得るための貴重な機会。わたしという悪女の手からいたいけな子供を救い出すという格好の役割を見つけ、嬉々としてその役割を果たしはじめたのだ。
貴族たちは引き取った子供においしい食事と温かなベッドを与え、何不自由ない暮らしを与えた。もちろん、そこにはわたしとのちがいを示し、慈悲深い人間だとの評判を得ようとの計算があった。でも、貴族の思惑なんてどうでもいい。あの子たちが健康に、幸せに暮らせるならそれでいい。そして、いつの日か――。
力を付けたあの子たちが世界をかえる。
九の扉 悪女は王立学院に君臨する
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そこには貴族に引き取られた子供たち、もとはわたしが引き取り、わたしという悪女の手から他の貴族によって救われた子供たちも通うようになっていた。
学院でも、わたしたちはその子たちをいたぶり、いじめ抜いた。
貴族の子弟たちと、貧民街出身の子供たちが敵対しないよう、わたしという共通の敵を相手にして団結するよう、そして、わたしを通じて『貴族制度』という存在そのものに不審を抱き、敵視するよう仕向けるために。
わたしの異常とも言えるいじめに貴族の子弟たちも貧民街出身だからと馬鹿にするのを忘れ、同情し、味方になった。面と向かってわたしに対抗し、子供たちをかばうようになった。子供たちもそんな貴族の子弟を信用し、仲間として振る舞うようになった。
――そう。あなたたちはまだ子供。偏見も少ないはず。いまのうちにふれあい、絆を結び、認識しなさい。貴族も貧民もない。同じ人間。そんな身分のちがいはあってはいけないのだと言うことを。そして、いつか、力を合わせ……。
一〇の扉 悪女の願いが叶うとき
そして、わたしの待ち望んだ日はやってきた。
ついに革命の火の手があがったのだ。
わたしが引き取った子供たちと、その子たちの友だちになった貴族の若者たち。両者が中心になって怒りの声をあげ、それまでの体制に挑んだのだ。
特権の上にあぐらをかき、自らを鍛えることを忘れていた貴族たちは、怒りに燃える革命軍の敵ではなかった。革命軍はたちまち王宮を制圧した。王家を倒すほどの極端な真似はしなかったけれど、幾つもの重大な改革が行われた。
それまで無税だった貴族に税金がかけられ、貧困層に分配されるようになった。
貧民街の人たちに就労支援が行われ、自立への道が切り開かれた。
そして、なによりも大きな成果は平民議会が設立されたことだった。我が国初の平民たちによる議会。この平民議会の設立によって歴史上はじめて、平民たちの声が直接、政治の場で語られることになったのだ。
平民議会の設立を誇らしげに宣言するかの人たちの姿をわたしは決して忘れない。なぜなら――。
その宣言を行ったのはまさに、わたしが引き取り、育ててきた子供たちだったから。
わたしの願いがやっと叶ったのだ。
終わりの扉 そして、悪女は露へと消える
そして、いま。
わたしは死刑囚として断頭台の前にいる。
腐敗した貴族の象徴として他の幾人かの貴族と共に革命軍によって処刑されるのだ。
「ひさしぶりね」
わたしの前に立った、ひとりの女性が冷ややかな視線をわたしに向ける。
ああ、覚えているわ。わたしがはじめて引き取った子供たちのうちのひとりね。革命軍の中心人物となり、平民議会の初代議長となった。
――こんなにも立派になって。
わたしは涙をとどめることが出来なかった。ボロボロとうれし涙が流れ落ちた。我が国最初の平民議長はわたしに言った。
「泣いても無駄よ。いまさら、あなたの運命はかわらないわ。でも、これだけは言っておくわ。あなたが自分の楽しみのためにわたしたちを引き取り、いじめてくれたおかげで、わたしたちは貧民街から抜け出すことができた。知識を蓄え、勢力を伸ばし、こうして自分たちの力で政治を動かせるまでになった。すべてはあなたのおかげ。感謝しているわ。ありがとう」
何と言う皮肉の言葉だろう。それはわたしにとって、なによりの褒め言葉だった。
そして、わたしは、流れ続ける涙と共に巨大な刃によって首を落とされた。
――ああ、ありがとう。みんな。あなたたちのおかげで義母と義妹に支配され、何の実りもなく終わるはずだったわたしの人生がこんなにも有意義なものになった。すべてはあなたちのおかげよ。本当に感謝しているわ。どうか、この心を忘れないで。貴族と貧民になんて分かれることのない、公平で豊かな、幸福の国を作りあげて。
それがわたしの最初で最後のお願い……。
終
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