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第二話
二月一四日の織姫
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「……あの子、また!」
空山志織は口のなかで小さく舌打ちの音を立てた。
私服刑事として市内のパトロール中、デパートに入った。
そこで、見つけたのだ。
顔なじみの中学一年生、天川隆彦を。
その手が素早く伸びて、ちょっとした価格のアクセサリーをつかみとり自分のポケットのなかにねじ込む、その瞬間を。
志織は舌打ちの音も鋭く、人混みのなかをかきわけて隆彦のもとに向かった。何事もなかったかのように悠々と出口に向かう隆彦の腕を捕まえる。隆彦は振り返ったが、驚いたような様子はなかった。むしろ納得したような顔付きだった。
怒りを込めて睨みつける志織を見て、溜め息をついた。顔立ちは年相応に幼いくせに、そんなそぶりはやけに大人びて、いや、年寄りじみてさえ見えた。
隆彦は溜め息交じりに言った。
「……また、あんたか」
「……とにかく、その品を返してきなさい。ここは店内だからまだ万引きは成立してないわ。話はそのあと」
隆彦はもう一度、溜め息をつき、そして――。
志織の言うことに従った。
一度は万引きしたアクセサリーを売り場に戻したあと、志織は隆彦を人気のない階段脇に連れ込んだ。両手を腰につけ、『メッ!』とばかりに睨みつける。
いくら、男女とはいえ一三歳と二六歳ではさすがに、二六歳の志織の方が背が高い。真っ向から見下ろす形になる。
自分よりも背の高い相手、それも、刑事に上から睨まれているとなれば普通はかなり怖いはず。しかし、隆彦は幼い顔立ちに似合わないふてぶてしい表情でそっぽを向いている。
「いつまで、こんなことをつづけるつもりなの? あなたの家庭環境はわかってるわよ。母親はとっくに蒸発して、父親は飲んだくれ。仕事もせず、生活保護の支給もそのほとんどが酒代に消えている。子どものあなたが生きていくためには万引きするしかなかった。それはわかる。
でも、いつまでもこんなことをつづけていたら君の人生の破滅よ。今日だって、見つけたのがあたしじゃなかったら捕まっていたんだから」
「あんたこそ、真っ先におれを捕まえなきゃいけない立場だろ。刑事のくせに、なにを見逃してんだよ」
「そ、それは、そうなんだけど……」
万引き犯の少年から正論を言われて、志織はたじろいだ。忌々しそうに表情をゆがめた。
――まったく、どうして、マンガによく出てくるような金持ちのワガママ息子のボンボンとかじゃないんだろう。もし、この子がそんなやつだったら容赦なく留置所に放り込んでやれるのに……。
志織は、くやしくて仕方がない。
志織自身、家庭環境には恵まれなかった。働きもせず、酒に酔っては母親や自分を殴る父親のもとで育った。近所の人が通報したことで司法が介入し、親元をはなれて施設で暮らすことになった。
一〇歳のときのことだった。
近所の人が通報してくれたおかげで救われたものの、もしそうでなく、そのまま父親のもとで過ごしていたらいずれは、実の父親の手でレイプされていたことだろう。
成長し、そういった多くの事例があることを知るにつれて、そう確信するようになった。
ゾッとした。
恐怖と、それ以上のおぞましさに震えた。
そして、刑事となることにした。
もし、父親が再び、自分の人生に関わってきても自分の身を守れるようになるために。
そして、自分と同じような境遇の子どもたちに、少しでも力になれるように。
だからこそ、隆彦のことを気にかけているのだし、どうしても犯罪者として対応する気になれないのだ。
――刑事失格。
――加害者より被害者のことを考えろ。
他人からそう言われるのはわかっているし、自分でもそう思う。しかし、自分の心のなかからわきあがってくる感情には逆らえない。
――だいたい、この子、悪い人間ではないものね。
志織は溜め息交じりにそう思う。
確かに、万引きはしている。しかし、学校には普通に通っているし、悪い仲間とつるんでいるわけでもない。学校の教師に聞いたところによると、とくに誰かと仲良くする、ということはないが、イジメなどには一切、荷担していないという。たまにはクラスメートに親切にしたりして驚かれることもあるようだ。
――決して、悪い人間じゃない。悪い親に当たって、子どもひとりで食べていくために、万引きを『仕事』にしてしまっただけ。いまならまだやり直せる。
そう思う。
思うからこそ、捕えることなく説得し、改心させようとしている。
志織はひとつ息をついて心を落ち着けると言い聞かせた。
「君はまだ一三歳。未来はいくらでもあるのよ。悪い親に当たってしまったのは残念だけど……親のせいで自分の人生を台無しにするなんて、それこそくやしいじゃない。親からはなれて施設に入るっていう手だってあるんだし。君さえその気になれば手続きの方はあたしがなんとか……」
「施設なんて面倒くさいとこ、入る気ないね」
「施設だってそう悪いところじゃないわよ」
そりゃ、いいところでもなかったけど……。
との思いは口のなかだけにしまっておいた。
施設での暮らしは確かにさほどいいものではなかった。集団生活は窮屈なことも多かったし、経済的にはもちろん恵まれなかった。いやな子どももいたし、施設のおとなたちだっていい人たちばかりではなかった。
「酔っぱらいの姿を見たり、殴られたりせずにすんだだけずっとマシだったわ」
志織はそう言った。
「それで、できあがったのがお節介焼きのおばさんってわけだ。ますます施設になんて入るわけにはいかないな」
「誰がおばさんよ⁉」
志織は叫んだ。目と眉が思いきり吊りあがっている。頭に角が生えてこないのがいっそ、不思議なほどの表情だった。
隆彦はそんな志織を小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、また売り場へと戻っていった。
「ちょっと、まちなさい! 話は終わってないわよ」
そう叫んで追いかける志織の目の前で――。
隆彦は手慣れた仕種で品物をつかむと自分のポケットにねじ込んだ。
得意気に振り返った。
志織を見た。
てっきり、目を吊りあげて怒り、怒鳴りつけてくると思っていた。ところが――。
隆彦のみたもの。
それは、あまりにも哀しそうな表情を浮かべ、涙を流している志織の姿だった。
「……もうやめて。お願い」
涙と共にそう言われて――。
隆彦はポケットのなかの品物を握りしめたままうつむいた。
やがて、絞り出すように言った。
「……やめられないよ。やめるわけにはいかない」
「どうして?」
「だって……万引きをやめたらあんたはもう、おれに会いに来なくなるじゃないか」
「えっ?」
「あんたがおれにかまうのは、おれが万引き犯だからだろ。万引きをやめたらおれにかまう理由なんてなくなるじゃないか。だから……」
そう言ったきり、唇を噛みしめてうつむいている隆彦を――。
志織は思いきり抱きしめた。
それから、何ヶ月かが過ぎた。
隆彦の姿はとある施設のなかにあった。
あの日以来、ようやく志織の訴えを聞くようになった隆彦は、親との決別を決めた。志織があれこれと手続きすることでようやく飲んだくれの父親のもとをはなれ、施設で暮らすことになった。
特に問題もなく、施設の規則もきちんと守って暮らしているという。施設の仲間ととくに打ち解ける様子はないが、揉め事を起こしているわけでもない。
――まずは一安心ね。
志織はそう思って胸をなでおろした。
とは言え、安心しきってはいられない。飲んだくれの父親がいつ連れ返しにこないとも限らないのだ。だから、なるべく、様子を見に来ることにしている。
その日も面会に訪れた。
「……また、あんたか」
隆彦は露骨に迷惑そうな表情でそう言った。すっかり見慣れた、歳に似合わない世間ずれした態度だが、今回ばかりは志織の方が余裕たっぷりに受けて立った。
「なに迷惑ぶってるのよ。あたしにかまってほしくて万引きを繰り返していた、かまってちゃんのくせに」
「……うるさいな」
隆彦は頬を赤くしてそっぽを向いた。
あの日以来、万引きはしていない。もちろん、『やめた』ですむ話ではない。これから先、自分のしてきたことと向き合い、償っていかなければならない。
隆彦自身、幼い頃から食べるために当たり前に万引きを繰り返してきたのでいつ、どれだけの品を盗んだかなど覚えていない。すべての罪に対して責任を負う、ということは出来ないが、出来るだけのことでもしていかなくてはならない。
――それを支えるのがあたしの役目よね。
志織は心に深くそう思う。
「はい、これ」
と、志織はリボンに包まれた小箱を隆彦に差し出した。
隆彦は目を丸くして小箱を見た。
「なんだ、これ?」
「知らないの? 今日は二月一四日。ヴァレンタイン・デイよ」
「ヴァレンタイン……」
隆彦はマジマジとリボンのかかった小箱を見ている。
「その様子だと、ヴァレンタイン・チョコなんてもらったのははじめてみたいね。安心しなさい。これから毎年、あたしがあげるから」
「毎年?」
「そう。毎年。確かに、あたしも仕事があるから君のことだけにかまっているわけにはいかないけどね。それでも、ヴァレンタインって言う定番の行事があるんだもの。この日だけは必ず、チョコを渡しに会いに来るわ。約束する」
――そう。君にとって本当の意味で大切な人が出来る、そのときまでね。
「だから、あたしにかまってもらうために悪いことなんてする必要ないわよ」
「……ふん」
隆彦は頬を赤くしてそっぽを向いた。
「……仕事って言えばあんた、刑事、やめたんだってな」
「ええ」
「なんで?」
「君に言われて気がついたの。刑事は相手が犯罪者になってからでないと関われない。だから、そうなる前に関われるようになろう。そう思って刑事をやめて、レンタルお姉さんになったのよ」
「お姉さんって柄かよ。二六歳のおばさんのくせに」
そういう隆彦の頭を――。
志織はぶん殴った。
「二六歳はお姉さんなの!」
「元刑事が子どもを殴っていいのか⁉ 訴えるぞ!」
「女性に対して言ってはいけない言葉を言った、当然の報いよ」
ふん! と、ばかりに志織は胸を張った。
隆彦は忌々しそうにそっぽを向いた。
「……年に一度、ヴァレンタインに会いに来る、か。織姫と彦星かよ」
季節外れだな。
そういう隆彦に対し、志織は言った。
「いいじゃない。真冬の七夕って言うのも。なかなかロマンチックよ」
「ふん……」
隆彦は一度、目をそらしたあと志織に向かって言った。
「……おれだって、いつまでも子どもじゃないぞ。勉強だってちゃんとしてるし、部活にも入った。すぐに成長して、あんたの身長なんて追い越してやる。そのうち、チョコレートじゃなくて、自分に体にリボンをかけて差し出すようにしてやるさ」
「生意気、言わないの」
コツン、と、音を立てて志織は隆彦の額を小突いた。
両手に腰を当て、挑発するように笑って見せた。
「まあ、でも、生意気、言うからにはやってみなさい。それが出来たら大したものだわ」
「……やってやるさ。そのときになって吠え面かくなよ、おばさん」
隆彦がそう言った、その直後――。
その場に『ゴツン!』という音が高らかに鳴り響いたのは言うまでもない。
完
空山志織は口のなかで小さく舌打ちの音を立てた。
私服刑事として市内のパトロール中、デパートに入った。
そこで、見つけたのだ。
顔なじみの中学一年生、天川隆彦を。
その手が素早く伸びて、ちょっとした価格のアクセサリーをつかみとり自分のポケットのなかにねじ込む、その瞬間を。
志織は舌打ちの音も鋭く、人混みのなかをかきわけて隆彦のもとに向かった。何事もなかったかのように悠々と出口に向かう隆彦の腕を捕まえる。隆彦は振り返ったが、驚いたような様子はなかった。むしろ納得したような顔付きだった。
怒りを込めて睨みつける志織を見て、溜め息をついた。顔立ちは年相応に幼いくせに、そんなそぶりはやけに大人びて、いや、年寄りじみてさえ見えた。
隆彦は溜め息交じりに言った。
「……また、あんたか」
「……とにかく、その品を返してきなさい。ここは店内だからまだ万引きは成立してないわ。話はそのあと」
隆彦はもう一度、溜め息をつき、そして――。
志織の言うことに従った。
一度は万引きしたアクセサリーを売り場に戻したあと、志織は隆彦を人気のない階段脇に連れ込んだ。両手を腰につけ、『メッ!』とばかりに睨みつける。
いくら、男女とはいえ一三歳と二六歳ではさすがに、二六歳の志織の方が背が高い。真っ向から見下ろす形になる。
自分よりも背の高い相手、それも、刑事に上から睨まれているとなれば普通はかなり怖いはず。しかし、隆彦は幼い顔立ちに似合わないふてぶてしい表情でそっぽを向いている。
「いつまで、こんなことをつづけるつもりなの? あなたの家庭環境はわかってるわよ。母親はとっくに蒸発して、父親は飲んだくれ。仕事もせず、生活保護の支給もそのほとんどが酒代に消えている。子どものあなたが生きていくためには万引きするしかなかった。それはわかる。
でも、いつまでもこんなことをつづけていたら君の人生の破滅よ。今日だって、見つけたのがあたしじゃなかったら捕まっていたんだから」
「あんたこそ、真っ先におれを捕まえなきゃいけない立場だろ。刑事のくせに、なにを見逃してんだよ」
「そ、それは、そうなんだけど……」
万引き犯の少年から正論を言われて、志織はたじろいだ。忌々しそうに表情をゆがめた。
――まったく、どうして、マンガによく出てくるような金持ちのワガママ息子のボンボンとかじゃないんだろう。もし、この子がそんなやつだったら容赦なく留置所に放り込んでやれるのに……。
志織は、くやしくて仕方がない。
志織自身、家庭環境には恵まれなかった。働きもせず、酒に酔っては母親や自分を殴る父親のもとで育った。近所の人が通報したことで司法が介入し、親元をはなれて施設で暮らすことになった。
一〇歳のときのことだった。
近所の人が通報してくれたおかげで救われたものの、もしそうでなく、そのまま父親のもとで過ごしていたらいずれは、実の父親の手でレイプされていたことだろう。
成長し、そういった多くの事例があることを知るにつれて、そう確信するようになった。
ゾッとした。
恐怖と、それ以上のおぞましさに震えた。
そして、刑事となることにした。
もし、父親が再び、自分の人生に関わってきても自分の身を守れるようになるために。
そして、自分と同じような境遇の子どもたちに、少しでも力になれるように。
だからこそ、隆彦のことを気にかけているのだし、どうしても犯罪者として対応する気になれないのだ。
――刑事失格。
――加害者より被害者のことを考えろ。
他人からそう言われるのはわかっているし、自分でもそう思う。しかし、自分の心のなかからわきあがってくる感情には逆らえない。
――だいたい、この子、悪い人間ではないものね。
志織は溜め息交じりにそう思う。
確かに、万引きはしている。しかし、学校には普通に通っているし、悪い仲間とつるんでいるわけでもない。学校の教師に聞いたところによると、とくに誰かと仲良くする、ということはないが、イジメなどには一切、荷担していないという。たまにはクラスメートに親切にしたりして驚かれることもあるようだ。
――決して、悪い人間じゃない。悪い親に当たって、子どもひとりで食べていくために、万引きを『仕事』にしてしまっただけ。いまならまだやり直せる。
そう思う。
思うからこそ、捕えることなく説得し、改心させようとしている。
志織はひとつ息をついて心を落ち着けると言い聞かせた。
「君はまだ一三歳。未来はいくらでもあるのよ。悪い親に当たってしまったのは残念だけど……親のせいで自分の人生を台無しにするなんて、それこそくやしいじゃない。親からはなれて施設に入るっていう手だってあるんだし。君さえその気になれば手続きの方はあたしがなんとか……」
「施設なんて面倒くさいとこ、入る気ないね」
「施設だってそう悪いところじゃないわよ」
そりゃ、いいところでもなかったけど……。
との思いは口のなかだけにしまっておいた。
施設での暮らしは確かにさほどいいものではなかった。集団生活は窮屈なことも多かったし、経済的にはもちろん恵まれなかった。いやな子どももいたし、施設のおとなたちだっていい人たちばかりではなかった。
「酔っぱらいの姿を見たり、殴られたりせずにすんだだけずっとマシだったわ」
志織はそう言った。
「それで、できあがったのがお節介焼きのおばさんってわけだ。ますます施設になんて入るわけにはいかないな」
「誰がおばさんよ⁉」
志織は叫んだ。目と眉が思いきり吊りあがっている。頭に角が生えてこないのがいっそ、不思議なほどの表情だった。
隆彦はそんな志織を小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、また売り場へと戻っていった。
「ちょっと、まちなさい! 話は終わってないわよ」
そう叫んで追いかける志織の目の前で――。
隆彦は手慣れた仕種で品物をつかむと自分のポケットにねじ込んだ。
得意気に振り返った。
志織を見た。
てっきり、目を吊りあげて怒り、怒鳴りつけてくると思っていた。ところが――。
隆彦のみたもの。
それは、あまりにも哀しそうな表情を浮かべ、涙を流している志織の姿だった。
「……もうやめて。お願い」
涙と共にそう言われて――。
隆彦はポケットのなかの品物を握りしめたままうつむいた。
やがて、絞り出すように言った。
「……やめられないよ。やめるわけにはいかない」
「どうして?」
「だって……万引きをやめたらあんたはもう、おれに会いに来なくなるじゃないか」
「えっ?」
「あんたがおれにかまうのは、おれが万引き犯だからだろ。万引きをやめたらおれにかまう理由なんてなくなるじゃないか。だから……」
そう言ったきり、唇を噛みしめてうつむいている隆彦を――。
志織は思いきり抱きしめた。
それから、何ヶ月かが過ぎた。
隆彦の姿はとある施設のなかにあった。
あの日以来、ようやく志織の訴えを聞くようになった隆彦は、親との決別を決めた。志織があれこれと手続きすることでようやく飲んだくれの父親のもとをはなれ、施設で暮らすことになった。
特に問題もなく、施設の規則もきちんと守って暮らしているという。施設の仲間ととくに打ち解ける様子はないが、揉め事を起こしているわけでもない。
――まずは一安心ね。
志織はそう思って胸をなでおろした。
とは言え、安心しきってはいられない。飲んだくれの父親がいつ連れ返しにこないとも限らないのだ。だから、なるべく、様子を見に来ることにしている。
その日も面会に訪れた。
「……また、あんたか」
隆彦は露骨に迷惑そうな表情でそう言った。すっかり見慣れた、歳に似合わない世間ずれした態度だが、今回ばかりは志織の方が余裕たっぷりに受けて立った。
「なに迷惑ぶってるのよ。あたしにかまってほしくて万引きを繰り返していた、かまってちゃんのくせに」
「……うるさいな」
隆彦は頬を赤くしてそっぽを向いた。
あの日以来、万引きはしていない。もちろん、『やめた』ですむ話ではない。これから先、自分のしてきたことと向き合い、償っていかなければならない。
隆彦自身、幼い頃から食べるために当たり前に万引きを繰り返してきたのでいつ、どれだけの品を盗んだかなど覚えていない。すべての罪に対して責任を負う、ということは出来ないが、出来るだけのことでもしていかなくてはならない。
――それを支えるのがあたしの役目よね。
志織は心に深くそう思う。
「はい、これ」
と、志織はリボンに包まれた小箱を隆彦に差し出した。
隆彦は目を丸くして小箱を見た。
「なんだ、これ?」
「知らないの? 今日は二月一四日。ヴァレンタイン・デイよ」
「ヴァレンタイン……」
隆彦はマジマジとリボンのかかった小箱を見ている。
「その様子だと、ヴァレンタイン・チョコなんてもらったのははじめてみたいね。安心しなさい。これから毎年、あたしがあげるから」
「毎年?」
「そう。毎年。確かに、あたしも仕事があるから君のことだけにかまっているわけにはいかないけどね。それでも、ヴァレンタインって言う定番の行事があるんだもの。この日だけは必ず、チョコを渡しに会いに来るわ。約束する」
――そう。君にとって本当の意味で大切な人が出来る、そのときまでね。
「だから、あたしにかまってもらうために悪いことなんてする必要ないわよ」
「……ふん」
隆彦は頬を赤くしてそっぽを向いた。
「……仕事って言えばあんた、刑事、やめたんだってな」
「ええ」
「なんで?」
「君に言われて気がついたの。刑事は相手が犯罪者になってからでないと関われない。だから、そうなる前に関われるようになろう。そう思って刑事をやめて、レンタルお姉さんになったのよ」
「お姉さんって柄かよ。二六歳のおばさんのくせに」
そういう隆彦の頭を――。
志織はぶん殴った。
「二六歳はお姉さんなの!」
「元刑事が子どもを殴っていいのか⁉ 訴えるぞ!」
「女性に対して言ってはいけない言葉を言った、当然の報いよ」
ふん! と、ばかりに志織は胸を張った。
隆彦は忌々しそうにそっぽを向いた。
「……年に一度、ヴァレンタインに会いに来る、か。織姫と彦星かよ」
季節外れだな。
そういう隆彦に対し、志織は言った。
「いいじゃない。真冬の七夕って言うのも。なかなかロマンチックよ」
「ふん……」
隆彦は一度、目をそらしたあと志織に向かって言った。
「……おれだって、いつまでも子どもじゃないぞ。勉強だってちゃんとしてるし、部活にも入った。すぐに成長して、あんたの身長なんて追い越してやる。そのうち、チョコレートじゃなくて、自分に体にリボンをかけて差し出すようにしてやるさ」
「生意気、言わないの」
コツン、と、音を立てて志織は隆彦の額を小突いた。
両手に腰を当て、挑発するように笑って見せた。
「まあ、でも、生意気、言うからにはやってみなさい。それが出来たら大したものだわ」
「……やってやるさ。そのときになって吠え面かくなよ、おばさん」
隆彦がそう言った、その直後――。
その場に『ゴツン!』という音が高らかに鳴り響いたのは言うまでもない。
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