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一二章 師匠が一番、格好いいです

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 「夏にちがう野菜を作る理由はわかった」
 伊吹いぶきが言った。
 「天高く輝く光に照らされ、大気が炎熱に焼かれる日々の様子も知っておきたい。生命の写し身たる記憶はあるか?」
 「『夏の畑の様子も見ておきたい。写真かなにかありますか?』とのことです」
 白馬はくば伊吹いぶきの中二病語をわざわざ翻訳してくれた。
 「畑の様子は毎日、動画配信している。その動画なら残っている」
 「見せてくれ」
 と言うわけで全員そろって事務室に移動し、PCの前に集まった。PCの画面のなかで夏の日差しを浴びてすくすくと育つ夏野菜たちが映っている。
 「わあ、すごい。よく育ってますねえ。これなら、きっと多くの実が収穫出来るんでしょうねえ」
 ほだかは両手を合わせ、無邪気な笑顔で言った。だが、その言葉を聞くまことの表情は限りなく苦い。
 「……そうでもない」
 「そうでもない? どうしてです? こんなによく育ってるじゃないですか」
 「茎葉が育つのと実が採れるのは別だ。最近の夏は暑すぎで実がつきにくい。花粉を媒介する虫たちも暑すぎると活動が鈍るし、植物の花粉自体、気温が高すぎると死んでしまうからな。
 おまけに、ゲリラ豪雨だ。一気に大量の雨が降るから土のなかの水分が急激に変化する。そうなると、トマトの実は割れやすい。割れた実なんて売り物にはならない。丹精込めて世話したところで、育つのは茎葉ばかり。実は少し。しかも、売り物にならない。そんな状況なんだよ」
 「た、大変なんですね……」
 根っから明るいほだかだか、さすがに神妙な面持ちになった。
 「かわることなき緑の海原よりはマシだが……」
 こちらは作物の出来には興味のないらしい伊吹いぶきが、PCの画面を睨みつけながら言った。
 「やはり、めくるめく色彩のオーケストラに欠ける。同じような大きさ、同じような姿、同じような植物が列ごとに並んでいるだけだ」
 「まあ、ひとつの畝にひとつの作物って言うのが基本だから」
 まことは頬のあたりをポリポリかきながら答えた。
 「それに、作業効率を考えれば同じ大きさ、同じ形にそろえた方が楽だから」
 「天を突く茶色き柱、地面を覆う無数の色彩。それらを組み合わせて遙かなる生命の交響曲を奏でることはできないのか?」
 「『木や花を植えて、色彩豊かにすることは出来ないのか?』だそうです」
 と、またも白馬はくばが翻訳してくれた。
 「木なんて植えたら日陰になるから、肝心の野菜が育たないでしょう」
 ほだかはそう言ったが、まことは首を横に振った。
 「いや。そういう農法もあるにはある」
 「あるんですか⁉」
 「ああ。ある自然農法の大家なんだけどな。寝て過ごす方法はないかと考えた結果、畑のあちこちにマメ科の木を植えたらしい。そうすることで木の根が畑を耕し、花や若芽が食用になり、花からはハチミツもとれ、葉が落ちて自然と肥料になる……とか、確かそういう話だったな」
 「マメ科の木? マメに木なんてあるんですか?」
 と、ほだか。『マメ』と言えば枝豆とか、インゲンとか、それぐらいしか知らない。
 「マメ科は植物の世界で三番目に大きなグループだ。一万八千からの種類があって、なかには七〇メートルにもなる大木もある。有名なところではアカシアの仲間がマメ科の木だな」
 「へ、へえ、そうなんですね」
 知らなかった、と、ほだかは目が点である。
 「ですが……」
 今度は白馬はくばが小首をひねった。
 「畑に木を植えることで楽して農業が出来ると言うのならなぜ、他の人はそうしないんです?」
 「『農業』じゃなくて『農法』ですよ。つまり、売って金にかえるための仕事ではなく、自分が食べていくための仕事。自給用の畑ならそれでもいいけど、作物を売って金にかえるためにはスーパーの基準を満たさないといけないし、そのためにはやっぱり、規格通りの育て方をする必要がありますから」
 「なるほど。『農業』と『農法』はちがうんですね。勉強になりました」
 白馬はくばはスーツ姿に似つかわしい生真面目な表情でうなずいた。
 「でも……」と、ほだか。
 「たかしさんのナチュラル・レストランと契約したんですから見た目とか気にしなくていいし。これからは畑に木を植える農法も出来るってことですか?」
 「理屈の上ではそうだけど……自然農法、有機農業、化学農業はそれぞれ全然、別の技術だ。いいとこ取りというわけにはいかない。たとえば、自然農法にも色々なやり方があるんだけど、そのなかのひとつに『落ち葉農法』というものがある」
 「落ち葉農法?」
 「その名の通り、落ち葉だけを畑に入れる農法だよ。ところが、この落ち葉農法、本当に落ち葉だけで育てればうまく行くのに『少しは肥料もやった方がいいんじゃないか』って、肥料を入れると途端にダメになる、という話を聞いたことがある」
 「肥料をあげてダメになる⁉ そんなこと、あるんですか?」
 「そこが『根本的なちがい』というやつだ。そもそも、自然農法では作物を『育てる』ものとは考えない。作物は自然と『育つ』もので、人間はそれをまてばいいという考えだ。技術以前に根本的な哲学からしてちがう」
 「そ、そうなんですね」
 「だから、自然農法はまったくの素人のほうが成功しやすい。なまじ、農業経験があると、それまでの常識が邪魔して徹底できなくなるからな。その意味では、おれもむずかしいだろう。江戸時代からずっと有機農業でやってきて、そのやり方が先祖代々、身に染みついているからな」
 「う~ん。むずかしいもんなんですねえ」
 ほだかは両腕を組んでむずかしい顔をした。
 「しかし、作られしクローンばかりが並ぶ様は、帝国の黄昏にしかなり得ない」と、伊吹いぶき
 「日の昇る王国を築きあげるためには、自然に育まれし無限の変異を並べなければならない。生け花の世界では、丈のちがう花を生けることで豊穣なる世界を表現する。また、水辺があれば生命の誕生を表現し、深みを与えることが出来る」
 「水辺か。水のなかで育つ野菜もあるから、池ぐらい作ることはできるけど……」
 「けど?」
 「さすがに、あまりに多くの作物を相手にしては手がまわりきらない。『絵になる』ことを優先して、作物としての出来が悪くなったら本末転倒だ」
 おれはあくまで農家、食糧の生産者なんだからな。
 まことはそう言いきった。
 「……大地の姿を脈打つ波動にかえるのはどうだ? 一筋の峰が走るばかりでは、世界に交響曲は鳴り響かない」
 「いまの畝がまっすぐなのは実のところ、機械化の影響だ。機械での作業のためにまっすぐにしてある。昔の畑はいまみたいに四角形じゃなくて、曲がってたり、へこんでいたりした。そのなかで形に合わせて作物を植えてきた。だから、畝の形をかえること自体は別に難しいことじゃない。もちろん、作物同士の相性とか、日当たりとか、そう言う点を考える必要はあるけどな」
 「池や、変形した畝ですか。そういう要素まで入れるとなると、建築家や造園家も巻き込んだ方がいいですね」
 「建築家に造園か? そんなツテまであるんですか?」
 白馬はくばの呟きにまことが目を丸くした。得意満面の笑顔で答えたのは、ほだかである。
 「あまの育館いくだての人脈を甘く見ないでください。必要とあらば、どんな人材だって調達してみせますよ」
 それからもしばらく四人で話をつづけた。日が傾きはじめたところで今日のところはいったん、これで終わり、と言うことになった。
 「農業の素人とアートの素人が協力して、畑という芸術作品を生み出そうと言うんです。お互い、徹底した学習と意思の疎通が欠かせません。これからも、頻繁にお邪魔して根掘り葉掘り聞かせていただくことになります。そのことは承知しておいてください」
 白馬はくばは別れ際、そう念を押した。
 「こちらこそ、お願いします。いつでも歓迎しますよ。人生を賭けた大勝負なんです。それぐらいの熱意がなければ信用できませんからね」
 まことはそう言って、笑顔で答えた。
 ふたりは握手を交してその場は別れた。白馬はくば伊吹いぶきは並んで帰って行く。その距離がやはり、男同士にしては妙に近い。
 「しかし……」
 まことはその後ろ姿に若干の怪しさを感じながら呟いた。
 「……あのふたりといい、平井ひらいたかしさんといい、あまの育館いくだての出身者はイケメンばっかりだな」
 言われて、ほだかはいまさらながらに気がついたらしい。顎に指を当てて空を見上げた。
 「あ~。言われてみればそうですねえ。男子だけじゃなく、女子もきれいな子が多いですからねえ。誰にも邪魔されずに思いっきりやりたいことやってるから、魅力的になっていくんじゃないですかねえ」
 「……つまり、君は、小さい頃から格好良い人間ばかり見て育ってきたわけだ」
 「ですね」
 ほだかはそう答えたあと、イタズラっぽい笑顔でまことを見上げた。
 「でも、師匠が一番、格好良いです」
 「な、なにを言ってる……⁉」
 「ほら、あたしたちって、歴史がないじゃないですか」
 「歴史?」
 「親がいないから先祖から受け継いだものって言うのがないんですよ。その分、自由だから、あたしも含めてみんな、自分のやりたいことを思いきりやっているわけですけど、それって結局、自分ひとりのためなんですよね。
 だから、憧れていたんです。歌舞伎役者みたいに代々、家業を継いでいく、一族の歴史を繋いでいく。そして、世のため、人のために生きるっていう姿。師匠はその両方じゃないですか。先祖代々の畑を守る。人々においしい食べ物を届ける。そのために意地を張っているんですから。だから……」
 ほだかは口元に人差し指を当てた。
 まことを見上げながら微笑んだ。 
 「まことさん、格好良いです」
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