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朱夏編第一話
五章 『強敵よ! 食ってけ亭』の夫婦
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店のなかに歓声があがった。
慶吾が仲間たちの前に並べたのは『強敵よ! 食ってけ亭』名物、天ぷら定食。
ナスにオクラ、カボチャにヤングコーンといった季節の野菜に、ナマズを加えた盛りだくさんの天ぷら盛り合わせ。
そこに、いまでは『高級品』扱いされかねないキャベツの千切りをこれでもか! と、ばかりに付け合わせた大皿に、ザリガニの味噌汁。
そして、お代わり自由の丼飯という、いかにも『もとサッカー選手の腹ぺこ少年』だった慶吾らしい大ボリュームの逸品。
見た目的にも圧倒される大ボリュームと味の良さ、そして、農家直営店ならではの低価格とで近所でも評判の一品である。
もちろん、コメも野菜も慶吾たちが三年間、守ってきた樹の畑でとれたもの。
コメは電機炊飯器ではなく『ヌカ釜』と呼ばれる日本古来の炊飯器で炊いたもの。
『ヌカ』とは脱穀後に出るモミガラのことで、このモミガラを燃料として使うことからそう呼ばれる。
見た目は無骨な鉄の塊で、中央にある燃焼筒のまわりにモミガラを詰め込み、火をつけたスギの葉を放り込むと、モミガラに燃え移る。一気に火力が強くなるので、炊飯における古来からの格言、『はじめチョロチョロなかパッパ』が自動的に実現される。
そのため、炊きあがりがなんとも見事。米の一粒ひとつぶがふっくらとふくらみ、上を向くように立ちあがる。見た目はツヤツヤで、食べれば口のなかいっぱいに甘い味が広がる。
「ヌカ釜で炊いた二番米は、炊飯器で炊いた一番米よりうまい」
と、農家自ら太鼓判を押すぐらい、別格の炊きあがり。
燃料がスギの葉とモミガラという、電気もガスもいらない究極のエコ炊飯器。一時は絶滅危惧種となっていたが、最近ではその良さが見直され、広まりつつある。
慶吾がヌカ釜と出会ったのは大学時代。
「他の農家のやり方も学ぶために」
六人そろって知り合いの農家を訪ねたときにヌカ釜で炊いたご飯を食べて、そのおいしさに感動。
「丹精込めて育てたコメなんだから、最高の味にしてやりたい!」
と、店を出すことになったとき、即決でヌカ釜を採用。
厨房ではなく、客から見える場所にデン! と、置いており、客の目の前で米を炊き、ご飯をよそうその様は『強敵よ! 食ってけ亭』の名物となっている。
なにより、電気代もガス代もかからない、米作りの副産物として大量に出るモミガラさえあればいい、というのは、夫婦ふたりで切り盛りする零細食堂としては大きい。
一度に大量に炊けるのも店としてありがたい。店の経営に欠かせない『相棒』である。
野菜はどれも肥料を抑え、じっくり育てた逸品。スーパーで売っている品に比べて小振りだがその分、しっかりと味がつまっている。
水っぽさがなくて歯応えがしっかりしているので食べ応えがあるし、なにより『その野菜本来』の味がする。
ナマズは、日本ではあまり『食用』としては認識されていないが、東南アジアなどではポピュラーな食材。
とくに、タイやベトナムでは高級魚扱いされている。味は、見た目に反して上品な白身で淡泊。身には、程よく脂がのっている。
当のナマズが聞けば『見た目に反してとはどういう意味だ!』と、怒って地震を起こしそうだが『ナマズの味』で検索すればたいてい、この言葉がついてくる。
天ぷらの他、唐揚げや蒲焼きなど様々に調理できる。寄生虫にさえ気をつければ刺身でも食べられる。
また、皮に独特の風味があり、蒲焼きにするとウナギに似ているというので、昨今ではウナギの代役としても注目の食材である。
ザリガニは、これまた日本ではあまり食用とはされないが、ヨーロッパなどではメジャーな食材。
身は淡泊で甘味があり、エビに似ている。ただし『川のもの』ということで、どうしても泥臭さがあるので一定時間、清水につけて泥抜きするのが重要である。
ナマズも、ザリガニも『収入源を多様化するために』という理由で、田んぼの水のなかでコメと一緒に育てている。
ザリガニは基本、放ったらかしにしてその場で繁殖させており、ナマズは春に稚魚を買ってきて田んぼに放し、夏まで育てる。水深が浅くて、広さにも制限のある田んぼとあって野性のものほど大きくは育たないがそれでも、立派に食用になる大きさに育ってくれる。
ただし、お互い自由に行き来できるようにしていると『なんでも食べる』ナマズがザリガニを食い尽くしてしまうので、ネットで田んぼのなかをわけて棲み分けさせている。
「うわあっー、おいしそう!」
慶吾自慢の天ぷら定食を目の当たりにした笑苗が、顔中を目にしてそう言った。
慶吾が店を開く前に樹とふたり、世界各国の視察に出てしまったので、『プロ』としての慶吾の料理を見るのはこれがはじめて。
見た目も充分に合格だが、食べてみるとこれがまた期待に違わぬ逸品。
衣はサクサクしているし、もと腹ぺこサッカー少年らしい下味のしっかりついた濃いめの味付け。それでいて、素材の本来の味もきちんと感じられるという絶妙の塩梅。
笑苗の隣に座る樹も、野菜の天ぷらを一通り味わってから納得のうなずきをした。
「良い味だ。うちの畑の野菜をこんなうまい料理にしてくれるなんて、感謝しかないな。ありがとう、慶吾」
「なに言ってんだよ。ここの畑はいまじゃおれたち全員の財産なんだぜ。その財産をおいしく調理するのは当たり前だろ」
樹の感謝の言葉に対し――。
ニカッと笑ってそう言ってのけるさわやかイケメン、慶吾であった。
日の出前の四時に起きて、それから畑仕事に店の切り盛り。手っ取り早くエネルギーとなるバナナと、ハチミツ入りの特製ドリンクだけで六時間もの間、働きづめ。みんな、死ぬほど腹が空いている。
思いきり体をイジめて働いたあとの疲れと飢餓感。
二〇代半ばの若さにふさわしい食欲。
それらが合わさって、とにかく飯がうまい。
みんな、盛大に食べにたべた。
その食べっぷりときたら、食の神さまが見ていればすっかり嬉しくなって、次からつぎへと食材を運び込んでくれるだろうというレベル。
無限につづくかと思われた食欲も、ようやく満足するときが来た。樹はテーブルの上の食事をきれいさっぱり平らげ、ぽっこりふくらんだ腹をさすりながら満足の息をついた。
「ふう~、うまかった。ありがとう、慶吾。ごちそうさま」
言われて慶吾は満足そうに笑ったが、それに異を唱えたのが妻の澪。
「おおっと、まったまった~。食後にはデザートがなくっちゃね。『ごちそうさま』を言うのは、これを食べたあとよ」
ドリンク&デザート担当の澪が腕まくりして、デザートと食後のお茶を運んできた。
デザートは、和食に合わせた甘さ控えめの茶碗蒸し風プリン。お茶は、埼玉近隣の地域で作られている東京狭山茶。
「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」
と、静岡県民が聞いたら激怒しそうな茶摘み歌にうたわれるその狭山茶である。
狭山茶は茶の産地としては冷涼な地域で栽培されるために葉が肉厚になり、甘く濃厚なコクのある味になる。また、仕上げの行程で行われる『狭山火入れ』によって独特の香ばしさがあるのが特徴。
そのなかでも、澪が自ら茶農家を訪れ、自分の舌で味を確かめ、気に入った茶農家のものだけを仕入れている。
正統派アイドルを思わせるかわいい風貌。田舎町にはちょっといないような美女なので、茶農家からの人気は上々のさらに上。
その容姿と甘え上手な性格で『猛獣使いならぬ男子使いの名手』と呼ばれた手腕を存分に発揮して茶農家のおじさま方を籠絡、存分にサービスしてもらい、お得に仕入れてくる。
それはいいのだが、よその男に愛想を振りまいているのというので、夫である慶吾をヤキモキさせている。当の澪は、
「営業努力よ」
と、一顧だにしないのでなおさら、慶吾はヤキモキさせられている。
ちなみに、澪の存在が近隣の茶農家の家庭に不和のタネを蒔いているという噂は……あくまでも噂ということにしておこう。
「うん。これもおいしい。さすが、澪ね。昔からスイーツ作りは得意だったものね」
笑苗が一口、食べた途端、お日さまものの笑顔となってそう言った。
言われた方はそれ以上に満面の笑顔となった。その笑顔のまわりに『嬉しい!』という紋様をつけたチョウの群れが飛んでいる。
「ありがとお、笑苗。喜んでもらえて嬉しい!」
と、両手を肩の高さにかかげてのガッツポーズもつけて大はしゃぎ。
この辺りが『男子使いの名手』として知られるところなのだが、同性からは『あざとい』、『ホステス向け』などと陰口を言われてきた所以でもある。
常にスクールカースト上位の立場にいたし、同じ階級の男子の連れもいたから誰も手出しできなかったが、そうでなかったらさぞかし壮絶なイジメに遭っていたことだろう。
「でも、正直、意外だったよ」
デザートをきれいに食べきり、食後のお茶も飲み干してから樹が言った。
「ここに店を出すと聞いたときには正直、心配だった。慶吾の料理の腕は知っていたけど、住宅地のど真ん中。食堂の需要なんてあるのかと疑っていたんだ。でも、かなり繁盛しているみたいだな」
「まあな。住宅地だからこそ、出勤・通学前の朝食時や、帰宅後の夕食時にきてくれるお客が多いんだ。夕方には澪のスイーツとお茶を目当てに、奥さんたちや学生が来てくれるしな。それに、弁当の評判が良いんだ。日替わりのおむすびに卵焼きをつけただけのシンプルなものだけど『それがいい』って言ってくれるお客が多くてさ」
「なるほど。住宅地には住宅地なりの需要があるわけか」
「そういうこと。まあ、それだけに、朝食時と夕食時にお客が集中して、暇な時間はほんとに暇なのが玉に瑕だけどな。それでも、そんな時間は自分のために使えるから、それはそれで悪くないし」
「空き時間はいっつも、オンラインゲームやってるけどね」
妻の澪に少々ジト目で見られながらそう言われたが、慶吾は悪びれない。
「課金は一円もしてないんだからいいだろ。これでも、ゲームのなかでは、無課金なのにガチ勢相手にやり合える『無課金の星』として、少しは有名なんだぞ」
「それにしたって、程度ってものはあると思うけど」
夫婦で言い合いをはじめたふたりは放っておいて、経営担当の雅史が告げた。
「大繁盛……とまではいかないが、利益はきちんと出ている。うちの野菜の宣伝にもなっているようで、通販での売りあげも伸びている。需要に応えるために、管理する畑の数を増やしたいところなんだが……」
「それなら問題ない」
雅史の言葉に樹は重々しくうなずいた。
「おれたちが帰ってきたんだ。これからはもっと多くの畑の管理ができる」
樹のその言葉に――。
仲間たちは一様に納得のうなずきをした。
「でも、正直、あたしも意外だったわ」
今度は笑苗が言った。
「あ、澪はわかるのよ。昔からお菓子が大好きで自分でも作っていたし、慶吾のおばあちゃんからお菓子作りも教わっていたから。でも、まさか、慶吾が料理人になって自分の店まで出すなんてね。高校のときまでは、食べる専門で家での手伝いもしない。自分で作るものと言ったら、カップ麺ぐらいだったのにね」
「それだけ、おとなになったってことさ」
笑苗の言葉に、慶吾は照れも遠慮もなく胸を張って見せた。
その言葉をバカにしたり、冷やかしたりするものはこの場には誰もいない。大学時代、慶吾がどんなに熱心に料理を学んでいたか。それを知っているからだ。
とくに、妻である澪は愛情たっぷりの優しい表情で見つめている。それは紛れもなく『自慢の夫を見つめる』表情であって、お互いに相手をヤキモキさせる一面はあってもやはり、愛しあうおしどり夫婦なのだと言うことを納得させられる。
「慶吾が料理人になるって言ったときにはお母さん、号泣してたもんね」
澪はクスクスと思い出し笑いしながらそう言った。
樹をのぞく五人は小学校時代からの連れで、家族同士の付き合いもある。当然、それぞれの家庭の事情にもくわしい。
「おれは、女にモテたくてサッカーをはじめただけのファッションサッカー部員だったけどさ。うちのお袋はそんなおれのために毎朝まいあさ早起きして弁当を作ってくれたんだ。弁当はおれの望みに合わせて『コメと肉の賛歌!』だったけど、家ではちゃんと栄養バランスも考えて、たっぷりの野菜も用意してくれてたんだ。飽きないように調理法も毎日まいにちかえてさ。
運動部員の息子の食欲を満たすのは大変だったと思うけど、お袋はそれをやりきってくれた。おかげでおれは毎日、思う存分、食ってサッカーできた。だから、今度はおれが、お袋みたいにうまくて栄養たっぷりの飯をみんなに食わせてやりたい。そう思ったんだ」
――そりゃあ、母親も泣くよな。
その場にいる誰もが納得する慶吾の言葉だった。
慶吾が仲間たちの前に並べたのは『強敵よ! 食ってけ亭』名物、天ぷら定食。
ナスにオクラ、カボチャにヤングコーンといった季節の野菜に、ナマズを加えた盛りだくさんの天ぷら盛り合わせ。
そこに、いまでは『高級品』扱いされかねないキャベツの千切りをこれでもか! と、ばかりに付け合わせた大皿に、ザリガニの味噌汁。
そして、お代わり自由の丼飯という、いかにも『もとサッカー選手の腹ぺこ少年』だった慶吾らしい大ボリュームの逸品。
見た目的にも圧倒される大ボリュームと味の良さ、そして、農家直営店ならではの低価格とで近所でも評判の一品である。
もちろん、コメも野菜も慶吾たちが三年間、守ってきた樹の畑でとれたもの。
コメは電機炊飯器ではなく『ヌカ釜』と呼ばれる日本古来の炊飯器で炊いたもの。
『ヌカ』とは脱穀後に出るモミガラのことで、このモミガラを燃料として使うことからそう呼ばれる。
見た目は無骨な鉄の塊で、中央にある燃焼筒のまわりにモミガラを詰め込み、火をつけたスギの葉を放り込むと、モミガラに燃え移る。一気に火力が強くなるので、炊飯における古来からの格言、『はじめチョロチョロなかパッパ』が自動的に実現される。
そのため、炊きあがりがなんとも見事。米の一粒ひとつぶがふっくらとふくらみ、上を向くように立ちあがる。見た目はツヤツヤで、食べれば口のなかいっぱいに甘い味が広がる。
「ヌカ釜で炊いた二番米は、炊飯器で炊いた一番米よりうまい」
と、農家自ら太鼓判を押すぐらい、別格の炊きあがり。
燃料がスギの葉とモミガラという、電気もガスもいらない究極のエコ炊飯器。一時は絶滅危惧種となっていたが、最近ではその良さが見直され、広まりつつある。
慶吾がヌカ釜と出会ったのは大学時代。
「他の農家のやり方も学ぶために」
六人そろって知り合いの農家を訪ねたときにヌカ釜で炊いたご飯を食べて、そのおいしさに感動。
「丹精込めて育てたコメなんだから、最高の味にしてやりたい!」
と、店を出すことになったとき、即決でヌカ釜を採用。
厨房ではなく、客から見える場所にデン! と、置いており、客の目の前で米を炊き、ご飯をよそうその様は『強敵よ! 食ってけ亭』の名物となっている。
なにより、電気代もガス代もかからない、米作りの副産物として大量に出るモミガラさえあればいい、というのは、夫婦ふたりで切り盛りする零細食堂としては大きい。
一度に大量に炊けるのも店としてありがたい。店の経営に欠かせない『相棒』である。
野菜はどれも肥料を抑え、じっくり育てた逸品。スーパーで売っている品に比べて小振りだがその分、しっかりと味がつまっている。
水っぽさがなくて歯応えがしっかりしているので食べ応えがあるし、なにより『その野菜本来』の味がする。
ナマズは、日本ではあまり『食用』としては認識されていないが、東南アジアなどではポピュラーな食材。
とくに、タイやベトナムでは高級魚扱いされている。味は、見た目に反して上品な白身で淡泊。身には、程よく脂がのっている。
当のナマズが聞けば『見た目に反してとはどういう意味だ!』と、怒って地震を起こしそうだが『ナマズの味』で検索すればたいてい、この言葉がついてくる。
天ぷらの他、唐揚げや蒲焼きなど様々に調理できる。寄生虫にさえ気をつければ刺身でも食べられる。
また、皮に独特の風味があり、蒲焼きにするとウナギに似ているというので、昨今ではウナギの代役としても注目の食材である。
ザリガニは、これまた日本ではあまり食用とはされないが、ヨーロッパなどではメジャーな食材。
身は淡泊で甘味があり、エビに似ている。ただし『川のもの』ということで、どうしても泥臭さがあるので一定時間、清水につけて泥抜きするのが重要である。
ナマズも、ザリガニも『収入源を多様化するために』という理由で、田んぼの水のなかでコメと一緒に育てている。
ザリガニは基本、放ったらかしにしてその場で繁殖させており、ナマズは春に稚魚を買ってきて田んぼに放し、夏まで育てる。水深が浅くて、広さにも制限のある田んぼとあって野性のものほど大きくは育たないがそれでも、立派に食用になる大きさに育ってくれる。
ただし、お互い自由に行き来できるようにしていると『なんでも食べる』ナマズがザリガニを食い尽くしてしまうので、ネットで田んぼのなかをわけて棲み分けさせている。
「うわあっー、おいしそう!」
慶吾自慢の天ぷら定食を目の当たりにした笑苗が、顔中を目にしてそう言った。
慶吾が店を開く前に樹とふたり、世界各国の視察に出てしまったので、『プロ』としての慶吾の料理を見るのはこれがはじめて。
見た目も充分に合格だが、食べてみるとこれがまた期待に違わぬ逸品。
衣はサクサクしているし、もと腹ぺこサッカー少年らしい下味のしっかりついた濃いめの味付け。それでいて、素材の本来の味もきちんと感じられるという絶妙の塩梅。
笑苗の隣に座る樹も、野菜の天ぷらを一通り味わってから納得のうなずきをした。
「良い味だ。うちの畑の野菜をこんなうまい料理にしてくれるなんて、感謝しかないな。ありがとう、慶吾」
「なに言ってんだよ。ここの畑はいまじゃおれたち全員の財産なんだぜ。その財産をおいしく調理するのは当たり前だろ」
樹の感謝の言葉に対し――。
ニカッと笑ってそう言ってのけるさわやかイケメン、慶吾であった。
日の出前の四時に起きて、それから畑仕事に店の切り盛り。手っ取り早くエネルギーとなるバナナと、ハチミツ入りの特製ドリンクだけで六時間もの間、働きづめ。みんな、死ぬほど腹が空いている。
思いきり体をイジめて働いたあとの疲れと飢餓感。
二〇代半ばの若さにふさわしい食欲。
それらが合わさって、とにかく飯がうまい。
みんな、盛大に食べにたべた。
その食べっぷりときたら、食の神さまが見ていればすっかり嬉しくなって、次からつぎへと食材を運び込んでくれるだろうというレベル。
無限につづくかと思われた食欲も、ようやく満足するときが来た。樹はテーブルの上の食事をきれいさっぱり平らげ、ぽっこりふくらんだ腹をさすりながら満足の息をついた。
「ふう~、うまかった。ありがとう、慶吾。ごちそうさま」
言われて慶吾は満足そうに笑ったが、それに異を唱えたのが妻の澪。
「おおっと、まったまった~。食後にはデザートがなくっちゃね。『ごちそうさま』を言うのは、これを食べたあとよ」
ドリンク&デザート担当の澪が腕まくりして、デザートと食後のお茶を運んできた。
デザートは、和食に合わせた甘さ控えめの茶碗蒸し風プリン。お茶は、埼玉近隣の地域で作られている東京狭山茶。
「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」
と、静岡県民が聞いたら激怒しそうな茶摘み歌にうたわれるその狭山茶である。
狭山茶は茶の産地としては冷涼な地域で栽培されるために葉が肉厚になり、甘く濃厚なコクのある味になる。また、仕上げの行程で行われる『狭山火入れ』によって独特の香ばしさがあるのが特徴。
そのなかでも、澪が自ら茶農家を訪れ、自分の舌で味を確かめ、気に入った茶農家のものだけを仕入れている。
正統派アイドルを思わせるかわいい風貌。田舎町にはちょっといないような美女なので、茶農家からの人気は上々のさらに上。
その容姿と甘え上手な性格で『猛獣使いならぬ男子使いの名手』と呼ばれた手腕を存分に発揮して茶農家のおじさま方を籠絡、存分にサービスしてもらい、お得に仕入れてくる。
それはいいのだが、よその男に愛想を振りまいているのというので、夫である慶吾をヤキモキさせている。当の澪は、
「営業努力よ」
と、一顧だにしないのでなおさら、慶吾はヤキモキさせられている。
ちなみに、澪の存在が近隣の茶農家の家庭に不和のタネを蒔いているという噂は……あくまでも噂ということにしておこう。
「うん。これもおいしい。さすが、澪ね。昔からスイーツ作りは得意だったものね」
笑苗が一口、食べた途端、お日さまものの笑顔となってそう言った。
言われた方はそれ以上に満面の笑顔となった。その笑顔のまわりに『嬉しい!』という紋様をつけたチョウの群れが飛んでいる。
「ありがとお、笑苗。喜んでもらえて嬉しい!」
と、両手を肩の高さにかかげてのガッツポーズもつけて大はしゃぎ。
この辺りが『男子使いの名手』として知られるところなのだが、同性からは『あざとい』、『ホステス向け』などと陰口を言われてきた所以でもある。
常にスクールカースト上位の立場にいたし、同じ階級の男子の連れもいたから誰も手出しできなかったが、そうでなかったらさぞかし壮絶なイジメに遭っていたことだろう。
「でも、正直、意外だったよ」
デザートをきれいに食べきり、食後のお茶も飲み干してから樹が言った。
「ここに店を出すと聞いたときには正直、心配だった。慶吾の料理の腕は知っていたけど、住宅地のど真ん中。食堂の需要なんてあるのかと疑っていたんだ。でも、かなり繁盛しているみたいだな」
「まあな。住宅地だからこそ、出勤・通学前の朝食時や、帰宅後の夕食時にきてくれるお客が多いんだ。夕方には澪のスイーツとお茶を目当てに、奥さんたちや学生が来てくれるしな。それに、弁当の評判が良いんだ。日替わりのおむすびに卵焼きをつけただけのシンプルなものだけど『それがいい』って言ってくれるお客が多くてさ」
「なるほど。住宅地には住宅地なりの需要があるわけか」
「そういうこと。まあ、それだけに、朝食時と夕食時にお客が集中して、暇な時間はほんとに暇なのが玉に瑕だけどな。それでも、そんな時間は自分のために使えるから、それはそれで悪くないし」
「空き時間はいっつも、オンラインゲームやってるけどね」
妻の澪に少々ジト目で見られながらそう言われたが、慶吾は悪びれない。
「課金は一円もしてないんだからいいだろ。これでも、ゲームのなかでは、無課金なのにガチ勢相手にやり合える『無課金の星』として、少しは有名なんだぞ」
「それにしたって、程度ってものはあると思うけど」
夫婦で言い合いをはじめたふたりは放っておいて、経営担当の雅史が告げた。
「大繁盛……とまではいかないが、利益はきちんと出ている。うちの野菜の宣伝にもなっているようで、通販での売りあげも伸びている。需要に応えるために、管理する畑の数を増やしたいところなんだが……」
「それなら問題ない」
雅史の言葉に樹は重々しくうなずいた。
「おれたちが帰ってきたんだ。これからはもっと多くの畑の管理ができる」
樹のその言葉に――。
仲間たちは一様に納得のうなずきをした。
「でも、正直、あたしも意外だったわ」
今度は笑苗が言った。
「あ、澪はわかるのよ。昔からお菓子が大好きで自分でも作っていたし、慶吾のおばあちゃんからお菓子作りも教わっていたから。でも、まさか、慶吾が料理人になって自分の店まで出すなんてね。高校のときまでは、食べる専門で家での手伝いもしない。自分で作るものと言ったら、カップ麺ぐらいだったのにね」
「それだけ、おとなになったってことさ」
笑苗の言葉に、慶吾は照れも遠慮もなく胸を張って見せた。
その言葉をバカにしたり、冷やかしたりするものはこの場には誰もいない。大学時代、慶吾がどんなに熱心に料理を学んでいたか。それを知っているからだ。
とくに、妻である澪は愛情たっぷりの優しい表情で見つめている。それは紛れもなく『自慢の夫を見つめる』表情であって、お互いに相手をヤキモキさせる一面はあってもやはり、愛しあうおしどり夫婦なのだと言うことを納得させられる。
「慶吾が料理人になるって言ったときにはお母さん、号泣してたもんね」
澪はクスクスと思い出し笑いしながらそう言った。
樹をのぞく五人は小学校時代からの連れで、家族同士の付き合いもある。当然、それぞれの家庭の事情にもくわしい。
「おれは、女にモテたくてサッカーをはじめただけのファッションサッカー部員だったけどさ。うちのお袋はそんなおれのために毎朝まいあさ早起きして弁当を作ってくれたんだ。弁当はおれの望みに合わせて『コメと肉の賛歌!』だったけど、家ではちゃんと栄養バランスも考えて、たっぷりの野菜も用意してくれてたんだ。飽きないように調理法も毎日まいにちかえてさ。
運動部員の息子の食欲を満たすのは大変だったと思うけど、お袋はそれをやりきってくれた。おかげでおれは毎日、思う存分、食ってサッカーできた。だから、今度はおれが、お袋みたいにうまくて栄養たっぷりの飯をみんなに食わせてやりたい。そう思ったんだ」
――そりゃあ、母親も泣くよな。
その場にいる誰もが納得する慶吾の言葉だった。
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