嘘告からはじまるカップルスローライフ《朱夏編第一話完結》

藍条森也

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朱夏編第一話

二七章 号泣、再び

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 「……まったく。いきなり、あんな大泣きしないでくれよ」
 いつきが母に向かってそう言った。
 耳まで真っ赤に染めて両目を閉じ、腕組みした格好で。
 こめかみのあたりはピクピクしており、額には脂汗。幼稚園児が見たら『お兄ちゃん、なにを恥ずかしがってるの?』と、小首をかしげながら無邪気に尋ねられそうなその姿。実際、恥ずかしさに必死に耐えながらの一言だった。
 そんないつきの隣には妻の笑苗えな。こちらも『……ははは』と困って、困って、もう笑うしかない! といった表情。
 ふたりの前にはそれぞれの母親。ようやく泣きやんだとはいえ、いまも完全には涙がとまっておらず、ハンカチでさかんに目元を拭っている。実の親子と義理の親子、四人で差し向かいにテーブル席に座っている場でのことだった。
 「こっちだって、親にお礼を言うなんてはじめてのことで、相当に恥ずかしかったんだから。その上、あんな大泣きされたらたまらないって」
 「ご、ごめんなさい……」
 と、いつきの母。ハンカチで盛んに目元を拭い、ついでに鼻もかんでいる。
 「いきなりあんなこと言われて、嬉しくて、『報われた!』って思ったらつい泣けちゃって……」
 そう言って、目元を拭う。
 そう言われるといつきとしてもなにも言えない。
 報われた。
 母の漏らしたその一言に嬉しいやら、恥ずかしいやら、複雑な感情を抱えて押し黙るしかなかった。
 「ははは。ま、まあ、いいじゃない。こんなに喜んでもらえたんだからよかったんだよ、きっと。ね?」
 笑苗えながこちらも嬉しいような、恥ずかしいような、困ったような、そんな一言では言い表せない複雑な笑顔を浮かべて夫をなだめた。額に浮いているのは冷や汗か、脂汗か。
 「でも、本当、ビックリしたわあ」と、いつきの母。
 「いつきって、小さい頃からおじいちゃんの畑でばっかり遊んでいて、他の子どもとはあまり遊ばなかったし。年頃になっても、友だちもなくて、女の子にも興味を示さなくて、畑のことばっかり。こんな陰キャでこれから先だいじょうぶなのかって何度も思ったわ」
 「そこまでじゃなかったろ!」
 いつきは思わず真っ赤になってどなった。
 しかし、その横では妻の笑苗えなが、
 「……けっこう、それほどだったかも」
 と、こっそり呟いた。
 なにしろ、高校時代のいつきはクラスでも有名な陰キャ。いつもクラスでひとりでいて、『教師以外と話すことなんてないんじゃないか』とまで言われていた。
 しかし、それだからこそ、笑苗えなたちから罰ゲームの嘘告の相手として選ばれ、いまがあるのだ。人生、なにが幸いするかわからない。
 「それが、こんなかわいくて素敵なお嫁さんを見つけてくるなんて。もう死んでもいい」
 「大袈裟な……」
 と、息子をあきれさせながら再び涙に暮れる母だった。
 そんないつきの母に、隣に座る笑苗えなの母が話しかけた。
 「『かわいくて素敵なお嫁さん』なんて言いすぎよお。笑苗えなのほうこそ子どもの頃から要領ばっかりよくて、外面そとづらはいいけど家のなかではまるっきりの暴君。しょっちゅう、弟をぶん殴ってたし、家事はやらないし、とくに料理なんてなにひとつやらなかったんだから」
 「料理しなかったのは母さんの影響でしょ!」
 笑苗えなは憤然として叫んだ。
 「素人が無理して料理するより、プロに任せた方が安全で早くておいしい」
 それが、笑苗えなの母親の料理哲学。従って、笑苗えなの家では食事と言えば冷凍食品か総菜、あるいはデリバリー、あるいは外食……というのが当たり前だった。
 「そんな環境で娘を育てておいて『料理しない』なんて言われる筋合いはない!」
 というのが笑苗えなの主張。
 これには、母としても反論の余地はないだろう。
 とはいえ、この場でそんなことを気にするつもりはないらしい。いつきの母親に上機嫌で話しつづける。
 「それがいつの間にか、料理できるようになっていたし、いつき君に教わったって言って、嬉しそうに家でも作ってくれたし。本当、こんな良い旦那さんに出会えるなんて夢みたいだわ」
 「それこそ褒めすぎよお。いつきなんて子どもの頃はもう……」
 「あら。そんなこと言ったら笑苗えななんて……」
 と、母親ふたり、お互いに我が子の幼い頃のエピソードを語り合って大盛りあがり。子どもふたりは過去の黒歴史をお互いの前で蒸し返されて、縮こまるばかり。
 「……おれたちもう、いなくていいんじゃないか?」
 「……だよね」
 と、囁きあうのが納得の展開となっていた。
 慶吾けいごみおもそれぞれの母親と一緒にテーブル席で差し向かいに座っている。こちらの母親もようやく泣きやみ、人心地ついたばかり。
 「……はあ。それにしても、まさか慶吾けいごがこんなサプライズをしてくれるなんて。高校までは食って、寝て、小遣いせびってばかり。本当に、興味のあることと言ったら食べることと女の子のことばかり。食欲と性欲だけのモンスターだったのに」
 「息子のことを、さかりのついたイヌみたいに言うなよ!」
 息子は思わずどなったが、母はかまわずつづけまくる。
 「朝練のために毎朝、早起きしてお弁当、作ってやっても、お礼も言わずに飛びだして行くばかり。
 『人の苦労も知らないで!』
 『育て方、まちがえた!』
 って、何度、思って、情けなさに泣いたことか。
 それが、大学に入った途端、
 『おれ、料理人になるよ。母ちゃんが毎朝、うまい弁当を作ってくれているおかげで存分にサッカーできる。だから、おれも、うまい飯を作ってみんなを応援したいんだ』
 なんて言いだして。
 あのときは本当、泣いたわあ。そして、今回。まさか、あの食欲と性欲だけのバカ息子に人生で二度も泣かされるなんて思わなかったわ」
 「……だから、息子のことをさかりのついたイヌみたいに言うなって」
 慶吾けいごは憤然としてそう呟く。
 そんな慶吾けいごの横でみおがあわてて取り繕った。
 「で、でも、お義母さん! 今回の件は慶吾けいごか言いだしたんですよ。結婚式の日取りの報告と一緒に母親たちにお礼を言おうって。慶吾けいごはお調子者の極楽とんぼですけど、そういう優しさは昔からあるんですよ」
 「ああ、みおちゃんは本当、良い子ねえ。こんなバカ息子のことまで褒めてくれるなんて本当、天使みたい。うちのバカ息子にはもったいないわ」
 「そんな、天使だなんてとんでもない」
 慶吾けいごの母の言葉に、みおの母が手をパタパタしながらそう言った。
 「みおこそ、子どもの頃から人の甘えるのが上手でねえ。なんでも、他人に甘えてやってもらってたんだから。父さんも、ふたりの兄も甘やかしてばっかりだったからどんどん拍車がかかるばっかりで。
 『こんなんで将来、自力で生活できるの⁉』
 って、心配でしょうがなかったわ」
 「そこまでじゃないでしょ!」
 と、みおもまた思わずどなる。
 「それがいまではお菓子作りの職人になって、店まで切り盛りしてるんだから。それもこれもみんな、慶吾けいご君とそのご家族のおかげよ。とくに、おばあちゃんにはよくお世話してもらったし。お菓子作りの職人になったのだって、おばあちゃんの影響だしね」
 「いえいえ、とんでもないわ。うちの慶吾けいごこそ考えなしの極楽とんぼで、すぐに調子に乗ってやらかすんだから。そんなバカ息子が自分のお店をもてていられるのも、しっかり者のお嫁さんが尻に敷いてくれているおかげよ。みおちゃんには感謝しかないわあ」
 「いえいえ、こっちこそ……」
 と、ふたりの母は自分の子どもを落として、相手の子どもを褒めあげる無間地獄に突入した。地獄に落とされたのはもちろん、そんな話を間近で聞かされている子どもふたりである。
 この二組に比べると、やはり静かな雰囲気なのが雅史まさふみたち。こちらもやはり、夫婦とその母親とでテーブル席に真向かいに座っているのだが、他の二組ほど湿っぽくもなければ陽気でもない。
 「雅史まさふみもねえ。小さい頃は慶吾けいご君と一緒になって泥だらけになって遊んでたのに、父親の影響なのかなんなのか突然、メガネなんてかけだして、クールキャラ気取り。すっかり、青ポジ病にかかっちゃって、
 『こんな気取り屋でイジメに遭ったりしない? 将来、だいじょうぶ?』
 なんて、心配になったものだけど。
 それが、結婚して、こんなサプライズまでしてくれるなんて。それもこれも、あきらちゃんのおかげよ。こんな中二病丸出しの気取り屋と結婚してくれるなんて感謝しかないわ」
 「とんでもないわ。あきらこそ子どもの頃から男の子みたいで、女の子にばっかりモテてたから、将来が心配でしんぱいで。それが結婚できるなんて夢みたいよ。それも、雅史まさふみ君みたいな真面目なイケメン相手だなんて。こっちこそ感謝しかないわ」
 相手をもちあげ、我が子を落とす、というのは、こういう席での母親の宿命なのだろうか。他の二組と同じような展開になっている。
 ただし、他の二組とちがうのは子どもの性格。青ポジ気取りの雅史まさふみ、天然クール系のあきらはともにいつき慶吾けいごのようにどなることもできず、黙って耐えているしかない。
 その分、母親同士のトークは誰にも邪魔されることなく盛りあがり、恥ずかしさ指数は跳ねあがるばかり。やはり、こちらの子どもたちも生き地獄を味わったのだった。
 ともあれ、母親たちのトークも終わり、外もそろそろ暗くなってきた。もう帰宅の時間。いつきたちは母に改めて念を押した。
 「じゃあ、これが結婚式の日取りで、段取りだから。あくまでも身内だけで、披露宴はこっちに移ってやるから。あんまり声をかけずに、連れてくるのは仲の良い友人二~三人にしてくれよ」
 「そんなに何度も言われなくても、わかってるわよ。さあ、それじゃ、みんな。そろそろ帰りましょう」
 そう言う母たちの前。
 いきなり、六人の夫と、きょうだいたちが一列に並んだ。
 「な、なに……?」
 再び戸惑う母たちに向かって、全員が一斉に頭をさげた。
 「ありがとうございます」
 「な、なによ、あんたたちまで急に……」
 「いや……」
 平均年齢五〇過ぎの夫たちは、耳まで真っ赤にして口ごもった。
 「……子どもたちがあんな態度を示したんだ。こりゃあ、おれたちもちゃんと礼を言っておかなきゃダメかなって」
 「……おれたちこそ、子どもを産んでもらって、育ててもらって、それなのに、礼のひとつも言ってなかったから」
 「やっぱり、言わなきゃだめだよなって思って、それで……」
 「……おれたちも。姉ちゃんたちが親に礼を言ってるのに、おれたちはしないなんてやっぱり、その、カッコ悪いよなって。だから……」
 その言葉に――。
 母たち、またも号泣。
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