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一五章
クリスを守ってやれ
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エイリーク翁は一〇分ほどしてから戻ってきました。そのときには、なみなみとお茶をついだ三つの湯飲みを盆の上に載せておりました。
「まずは飲むがいい」
エイリーク翁は湯飲みをそれぞれの前に置きました。
――毒でも入ってるんじゃねえだろうな。
と、ジャックがかなり意地悪く考えたのは、ここまでの流れを鑑みれば自然なことであったでしょう。それでも、ジャックは湯飲みを手にとると一息に煽りました。
毒かも知れない。
そう疑いはしても平然と飲み干す。そこがジャックという男のよく言えば剛胆、普通に言えば天然お馬鹿なところなのでした。
「うおっ」
ジャックは思わず声をあげました。それほどにおいしいお茶でありました。香りは高く、あくまでも繊細。渋みのなかにほのかに甘味の混じった奥ゆかしい味わい。湯の温度がこれまた絶妙で、まるでジャックが一息に煽ることが分かっていたかのように、熱くはなく、かと言ってぬるくもない温度に調整されていたのでした。
「……うまい」
ジャックは思わず感嘆の声を漏らしました。この無愛想で、偏屈で、コミュ障としか思えない機械オタクのじじい(以上、ジャックの主観でございます)に、まさか、これほど見事なお茶を煎れる手腕があろうとは。ジャックにしてみれば、店先に置かれた模型と思われた料理の数々が実は、贅を凝らした宮廷料理そのものだった、というほどの衝撃でありました。
「すごいな、じいさん。このお茶なら三途の川の鬼どもだって手懐けられるぜ」
とは、ジャックとしては破格の褒め言葉でありました。
「たしかに。これは素晴らしいお茶です、エイリーク卿。絡繰り細工のみならず、茶を煎れる技術においてもこれほどの職人技をお持ちとは。心から感服しました」
ビリーもそうつづけました。こちらはごくごく素直にエイリーク翁の職人技に対して敬意を表しております。
ふたりにそう褒められてもエイリーク翁は表情をかえようとはしませんでした。ですが、よく見ると口元のあたりがピクピクと動いております。ともすればほころんでしまいそうになる表情を引き締めるためだったでありましょう。無愛想な機械オタクで人間に興味のない偏屈じしいであっても、意外と可愛いところがあるのでした。
「外の世界から特別に取り寄せた、とっておきの茶葉でな」
エイリーク翁はそう語りました。ぶっきらぼうな口調を必死に維持しようとしているのですがやはり、声の端々に嬉しそうな様子がにじみ出てしまうのでした。
その様子を見て、ジャックはエイリーク翁に対する印象をかなりかえました。
――なんだ。このじいさん、他人に褒められるとすぐに上機嫌になるんだな。
――脳筋の君とはいいコンビになりそうだな。
とは、ビリーの感想でございます。
ふたりの内心の呟きも知らず、エイリーク翁は一人語りをつづけました。
「これを振る舞うのは、あんたたちで三人目と四人目だ」
「ひとりめとふたりめは?」と、ビリーは尋ねましたがエイリーク翁はそれには答えようとはしませんでした。そのかわりにこう言いました。
「さて。クリスチーヌのことじゃったな。何で、お前さんたちみたいな若造がかの人のことを聞きたいのかね?」
「実は……」と、ジャックはことの顛末を説明しました。エイリーク翁は聞き終えると溜め息をひとつ、つきました。
「……そうか。クリスがそんなことを」
「クリス嬢はクリスチーヌのひ孫だとか」
「……テオドラはそう言っておる」
「クリス嬢はクリスチーヌによく似ていると言うことだが、確かなのか?」
「いいや」
「いいや?」
「似とるんじゃない」
「似てるんじゃない?」
「同じなんじゃ」
「同じ?」
「そう。クリスとクリスチーヌは同じなんじゃ」
「クリス嬢とクリスチーヌが同じ? それは、つまり『同じ血統』という意味ですか、エイリーク翁」と、ビリーが尋ねます。
エイリーク翁はビリーの質問には答えず、無言で自慢の茶をすすりました。
今度はジャックが尋ねます。
「ついでに聞くが、クリスチーヌとやらは何だって失踪したりしたんだ? 人気絶頂だったんだろう? しかも、まだ一〇代だったってえじゃねえか」
「クリスチーヌか……」
ポツリ、と。エイリーク翁は呟きました。
「かの人は純粋すぎた」
「純粋すぎた?」
「そうじゃ。役者として、歌姫として、あまりにも純粋すぎたんじゃ。クリスチーヌのことを聞いたならテオドラのことも聞いたのじゃろう?」
「ああ。クリスチーヌのライバルであり親友だったそうだな」
「たしかにその通りじゃ。あのふたりはかけがえのない親友であり、ライバルじゃった。じゃが、それだけではない。あのふたりには余人にはうかがい知ることのできない特別な絆があった。ただ、あのふたりには決定的な違いがあった」
「決定的なちがい?」
「テオドラはたしかに優れた歌姫であり、役者じゃった。しかし、その前にまず人間じゃった。歌姫の前に人間じゃったんじゃ」
「『まず人間だった』ねえ。おれにはあのばあさんこそ『人間の前にまず女教師』に思えるけどなあ」
と、ジャックは胃の辺りを押さえながら答えました。テオドラの厳格すぎる視線を思い出し、どうにもぬぐいがたい女教師への苦手意識が蘇ったのでございます。
エイリーク翁はつづけました。
「クリスチーヌはちがった。クリスチーヌは何よりも歌姫じゃった。人間である前に歌姫だったんじゃ。そこがテオドラとの決定的なちがいであり、テオドラが必死に競いながらも決して勝てないと思っていた理由じゃ。だからこそ……」
「だからこそ?」
「クリスチーヌが姿を消したとき、テオドラもすべてを捨てたんじゃ」
「すべてを捨てた? 引退して後進の指導に当たることにしたそうだな。そのことを言っているのか?」
はあ、と、エイリーク翁は溜め息をつきました。
「……お前さんたち、刑事だったな」
「ああ、その通りだ。正真正銘の刑事、市民の身命を守り、世の治安を守るために尽くす本物の刑事だ」
頼りにしてくれ。
ジャックはふんぞり返るぐらいに胸を張ってそう宣言しました。
「そうか。ならば、クリスを守ってやるがええ」
「クリス嬢を?」
「そうじゃ。わしにはクリスを守ることは出来ん。お前さんたちで守ってやれ」
そう言ったきり――。
歳経た絡繰り細工師は自分の仕事に戻ったのでした。
「まずは飲むがいい」
エイリーク翁は湯飲みをそれぞれの前に置きました。
――毒でも入ってるんじゃねえだろうな。
と、ジャックがかなり意地悪く考えたのは、ここまでの流れを鑑みれば自然なことであったでしょう。それでも、ジャックは湯飲みを手にとると一息に煽りました。
毒かも知れない。
そう疑いはしても平然と飲み干す。そこがジャックという男のよく言えば剛胆、普通に言えば天然お馬鹿なところなのでした。
「うおっ」
ジャックは思わず声をあげました。それほどにおいしいお茶でありました。香りは高く、あくまでも繊細。渋みのなかにほのかに甘味の混じった奥ゆかしい味わい。湯の温度がこれまた絶妙で、まるでジャックが一息に煽ることが分かっていたかのように、熱くはなく、かと言ってぬるくもない温度に調整されていたのでした。
「……うまい」
ジャックは思わず感嘆の声を漏らしました。この無愛想で、偏屈で、コミュ障としか思えない機械オタクのじじい(以上、ジャックの主観でございます)に、まさか、これほど見事なお茶を煎れる手腕があろうとは。ジャックにしてみれば、店先に置かれた模型と思われた料理の数々が実は、贅を凝らした宮廷料理そのものだった、というほどの衝撃でありました。
「すごいな、じいさん。このお茶なら三途の川の鬼どもだって手懐けられるぜ」
とは、ジャックとしては破格の褒め言葉でありました。
「たしかに。これは素晴らしいお茶です、エイリーク卿。絡繰り細工のみならず、茶を煎れる技術においてもこれほどの職人技をお持ちとは。心から感服しました」
ビリーもそうつづけました。こちらはごくごく素直にエイリーク翁の職人技に対して敬意を表しております。
ふたりにそう褒められてもエイリーク翁は表情をかえようとはしませんでした。ですが、よく見ると口元のあたりがピクピクと動いております。ともすればほころんでしまいそうになる表情を引き締めるためだったでありましょう。無愛想な機械オタクで人間に興味のない偏屈じしいであっても、意外と可愛いところがあるのでした。
「外の世界から特別に取り寄せた、とっておきの茶葉でな」
エイリーク翁はそう語りました。ぶっきらぼうな口調を必死に維持しようとしているのですがやはり、声の端々に嬉しそうな様子がにじみ出てしまうのでした。
その様子を見て、ジャックはエイリーク翁に対する印象をかなりかえました。
――なんだ。このじいさん、他人に褒められるとすぐに上機嫌になるんだな。
――脳筋の君とはいいコンビになりそうだな。
とは、ビリーの感想でございます。
ふたりの内心の呟きも知らず、エイリーク翁は一人語りをつづけました。
「これを振る舞うのは、あんたたちで三人目と四人目だ」
「ひとりめとふたりめは?」と、ビリーは尋ねましたがエイリーク翁はそれには答えようとはしませんでした。そのかわりにこう言いました。
「さて。クリスチーヌのことじゃったな。何で、お前さんたちみたいな若造がかの人のことを聞きたいのかね?」
「実は……」と、ジャックはことの顛末を説明しました。エイリーク翁は聞き終えると溜め息をひとつ、つきました。
「……そうか。クリスがそんなことを」
「クリス嬢はクリスチーヌのひ孫だとか」
「……テオドラはそう言っておる」
「クリス嬢はクリスチーヌによく似ていると言うことだが、確かなのか?」
「いいや」
「いいや?」
「似とるんじゃない」
「似てるんじゃない?」
「同じなんじゃ」
「同じ?」
「そう。クリスとクリスチーヌは同じなんじゃ」
「クリス嬢とクリスチーヌが同じ? それは、つまり『同じ血統』という意味ですか、エイリーク翁」と、ビリーが尋ねます。
エイリーク翁はビリーの質問には答えず、無言で自慢の茶をすすりました。
今度はジャックが尋ねます。
「ついでに聞くが、クリスチーヌとやらは何だって失踪したりしたんだ? 人気絶頂だったんだろう? しかも、まだ一〇代だったってえじゃねえか」
「クリスチーヌか……」
ポツリ、と。エイリーク翁は呟きました。
「かの人は純粋すぎた」
「純粋すぎた?」
「そうじゃ。役者として、歌姫として、あまりにも純粋すぎたんじゃ。クリスチーヌのことを聞いたならテオドラのことも聞いたのじゃろう?」
「ああ。クリスチーヌのライバルであり親友だったそうだな」
「たしかにその通りじゃ。あのふたりはかけがえのない親友であり、ライバルじゃった。じゃが、それだけではない。あのふたりには余人にはうかがい知ることのできない特別な絆があった。ただ、あのふたりには決定的な違いがあった」
「決定的なちがい?」
「テオドラはたしかに優れた歌姫であり、役者じゃった。しかし、その前にまず人間じゃった。歌姫の前に人間じゃったんじゃ」
「『まず人間だった』ねえ。おれにはあのばあさんこそ『人間の前にまず女教師』に思えるけどなあ」
と、ジャックは胃の辺りを押さえながら答えました。テオドラの厳格すぎる視線を思い出し、どうにもぬぐいがたい女教師への苦手意識が蘇ったのでございます。
エイリーク翁はつづけました。
「クリスチーヌはちがった。クリスチーヌは何よりも歌姫じゃった。人間である前に歌姫だったんじゃ。そこがテオドラとの決定的なちがいであり、テオドラが必死に競いながらも決して勝てないと思っていた理由じゃ。だからこそ……」
「だからこそ?」
「クリスチーヌが姿を消したとき、テオドラもすべてを捨てたんじゃ」
「すべてを捨てた? 引退して後進の指導に当たることにしたそうだな。そのことを言っているのか?」
はあ、と、エイリーク翁は溜め息をつきました。
「……お前さんたち、刑事だったな」
「ああ、その通りだ。正真正銘の刑事、市民の身命を守り、世の治安を守るために尽くす本物の刑事だ」
頼りにしてくれ。
ジャックはふんぞり返るぐらいに胸を張ってそう宣言しました。
「そうか。ならば、クリスを守ってやるがええ」
「クリス嬢を?」
「そうじゃ。わしにはクリスを守ることは出来ん。お前さんたちで守ってやれ」
そう言ったきり――。
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