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失礼の定義──『言葉よりまずはお湯加減』
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──王都の空気は、いつ嗅いでもやかましい。
高すぎる建物、着飾りすぎた貴族たち、情報と虚栄が飛び交う人混み。私はこの街が嫌いである。とはいえ、それ以上に嫌いなものがある。
妻を侮辱した手紙をよこした、アルフォンス伯爵という男である。
伯爵邸は立派だった。
屋敷の門は過剰に金の装飾がなされ、天に向かって誇示するような尖塔を持ち、扉は宝石をあしらった取っ手がついていた。成金趣味とは、まさにこのことだ。
通された応接間もまた、圧迫感のある金と赤の空間だった。艶やかすぎる絨毯、やたら彫りの深い彫刻、意味もなく大きな肖像画。
だが、室内に漂うのは妙な湿気と、使い古された香油の匂いだった。表面を飾ることに必死で、空気までは気が回らないのだろう。
「ずいぶん待たせるねえ」
男爵様が退屈そうに、しかしどこか楽しげに呟いた。
こういう状況でものんびりとしている男爵様は、ある意味立派である。私も、別の理由で悠然としていた。
怒りを顔に出すほど、私も子供ではないのだ。
──伯爵がどれほど私を軽んじようが、別に構わない。
だが、妻を侮辱したあの手紙だけは許さない。
扉が開く音がして、私の思考は中断された。
「失礼します」
入ってきたのは、十七か十八ほどの若い執事だった。
若さゆえか鼻持ちならない表情で、妙に飾った前髪に、過剰にウエストを絞った制服を着ている。銀の盆には、明らかに雑に淹れられた茶が載っていた。
「こちら、王室御用達の紅茶でございます。まあ、田舎……いえ、のどかな領地の男爵様たちのお口に合うかはわかりませんが」
その口元には、嘲りに似た冷笑が浮かんでいる。
男爵様が一瞬固まり、咄嗟に私を見た。
私は無表情のまま茶を受け取る。
カップには茶渋が残り、湯気は出ているが茶葉は完全に開ききっておらず、香りも浅い。
「……随分と自信がおありのようですね」
私が静かに告げると、その執事は小さく鼻で笑った。
「ええ、こちらの紅茶は普段から、伯爵様を通して高位の貴族方にもお喜びいただいておりますゆえ」
私はそれ以上何も言わず、一口お茶を含んだ。
──ぬるすぎる。そして渋すぎる。
茶葉は上等なものかもしれないが、抽出がまるでなっていない。湯温の管理も、蒸らす時間もまったく考えられておらず、ただ単に「高級茶葉をぬるま湯に投げ入れただけ」といった印象だ。
私はそっとカップをソーサーに戻した。
「0点ですね」
執事の表情が一瞬凍りつく。
続けて私は淡々と告げる。
「どれほど高級な茶葉を使おうが、淹れる者が未熟ならば価値はありません。お客様に対して適当な心構えでお茶を淹れるなど、執事としてもってのほかです」
若い執事が表情を引きつらせたまま立ち尽くす。その傍らで男爵様が慌てて口を挟んだ。
「おいおいクロード、本当の事を言っちゃ駄目だろう。まだ子供なんだから!」
執事がさらに顔を引きつらせる。
男爵様のフォローがかえって状況を悪化させていることに気づいていないらしい。
「……子供、ですか」
若い執事の口元が微かに震えている。
その目は完全に、こちらへの敵意と屈辱感に満ちていた。
私は穏やかに、笑みを浮かべて続けた。
「ええ、男爵様の仰る通り貴方は子供です。これから勉強していけば、良い執事になれる可能性もあります。ただし、それは貴方がまず謙虚に学ぶ姿勢を持つことが前提ですが」
若い執事は唇を噛み締め、私を睨みつけた。だがそれは空虚な威嚇でしかない。
私はそれ以上視線を合わせず、静かに続けた。
「伯爵様がお見えになられるまで、どうぞ下がって結構です。お茶はもう不要ですので」
彼は顔を真っ赤に染め、震える手で盆を持つと、何も言わずに扉を乱暴に閉めて去った。
男爵様は肩をすくめ、ため息をついた。
「君が正論なのはわかるが、ちょっと大人げないよ、クロード」
「恐縮です、男爵様。ですが、若さに免じて失礼を見逃すことは、本人のためになりませんので」
男爵様は苦笑しながら首を振った。
「しかしまあ、君がこんなに怒っているのは久しぶりだな。私が侮辱されたときは笑って受け流すのに、娘が絡むと本気で怖い」
私は静かに微笑んだ。
「男爵様、ご自身の名誉より娘の名誉を守りたいと馬車の中で仰ったのは、貴方様ご自身ですよ。私も同じ気持ちです」
その言葉に、男爵様は少し目を丸くして、やがて照れくさそうに頷いた。
──扉の向こうから、重々しい足音が聞こえてきた。伯爵本人の登場だろう。
私は静かに姿勢を正す。
言葉は時に、鋭い刃物よりも深く人を傷つける。
そして私は今、それをこの伯爵に身をもって教えるつもりだった。
この怒りは私自身のためではない。
私を受け入れ、共に生きると誓ってくれた最愛の妻と、彼女を慈しむ男爵様のためだ。
──さあ、伯爵様。言葉の怖さを身を持って教えて差し上げましょう。
高すぎる建物、着飾りすぎた貴族たち、情報と虚栄が飛び交う人混み。私はこの街が嫌いである。とはいえ、それ以上に嫌いなものがある。
妻を侮辱した手紙をよこした、アルフォンス伯爵という男である。
伯爵邸は立派だった。
屋敷の門は過剰に金の装飾がなされ、天に向かって誇示するような尖塔を持ち、扉は宝石をあしらった取っ手がついていた。成金趣味とは、まさにこのことだ。
通された応接間もまた、圧迫感のある金と赤の空間だった。艶やかすぎる絨毯、やたら彫りの深い彫刻、意味もなく大きな肖像画。
だが、室内に漂うのは妙な湿気と、使い古された香油の匂いだった。表面を飾ることに必死で、空気までは気が回らないのだろう。
「ずいぶん待たせるねえ」
男爵様が退屈そうに、しかしどこか楽しげに呟いた。
こういう状況でものんびりとしている男爵様は、ある意味立派である。私も、別の理由で悠然としていた。
怒りを顔に出すほど、私も子供ではないのだ。
──伯爵がどれほど私を軽んじようが、別に構わない。
だが、妻を侮辱したあの手紙だけは許さない。
扉が開く音がして、私の思考は中断された。
「失礼します」
入ってきたのは、十七か十八ほどの若い執事だった。
若さゆえか鼻持ちならない表情で、妙に飾った前髪に、過剰にウエストを絞った制服を着ている。銀の盆には、明らかに雑に淹れられた茶が載っていた。
「こちら、王室御用達の紅茶でございます。まあ、田舎……いえ、のどかな領地の男爵様たちのお口に合うかはわかりませんが」
その口元には、嘲りに似た冷笑が浮かんでいる。
男爵様が一瞬固まり、咄嗟に私を見た。
私は無表情のまま茶を受け取る。
カップには茶渋が残り、湯気は出ているが茶葉は完全に開ききっておらず、香りも浅い。
「……随分と自信がおありのようですね」
私が静かに告げると、その執事は小さく鼻で笑った。
「ええ、こちらの紅茶は普段から、伯爵様を通して高位の貴族方にもお喜びいただいておりますゆえ」
私はそれ以上何も言わず、一口お茶を含んだ。
──ぬるすぎる。そして渋すぎる。
茶葉は上等なものかもしれないが、抽出がまるでなっていない。湯温の管理も、蒸らす時間もまったく考えられておらず、ただ単に「高級茶葉をぬるま湯に投げ入れただけ」といった印象だ。
私はそっとカップをソーサーに戻した。
「0点ですね」
執事の表情が一瞬凍りつく。
続けて私は淡々と告げる。
「どれほど高級な茶葉を使おうが、淹れる者が未熟ならば価値はありません。お客様に対して適当な心構えでお茶を淹れるなど、執事としてもってのほかです」
若い執事が表情を引きつらせたまま立ち尽くす。その傍らで男爵様が慌てて口を挟んだ。
「おいおいクロード、本当の事を言っちゃ駄目だろう。まだ子供なんだから!」
執事がさらに顔を引きつらせる。
男爵様のフォローがかえって状況を悪化させていることに気づいていないらしい。
「……子供、ですか」
若い執事の口元が微かに震えている。
その目は完全に、こちらへの敵意と屈辱感に満ちていた。
私は穏やかに、笑みを浮かべて続けた。
「ええ、男爵様の仰る通り貴方は子供です。これから勉強していけば、良い執事になれる可能性もあります。ただし、それは貴方がまず謙虚に学ぶ姿勢を持つことが前提ですが」
若い執事は唇を噛み締め、私を睨みつけた。だがそれは空虚な威嚇でしかない。
私はそれ以上視線を合わせず、静かに続けた。
「伯爵様がお見えになられるまで、どうぞ下がって結構です。お茶はもう不要ですので」
彼は顔を真っ赤に染め、震える手で盆を持つと、何も言わずに扉を乱暴に閉めて去った。
男爵様は肩をすくめ、ため息をついた。
「君が正論なのはわかるが、ちょっと大人げないよ、クロード」
「恐縮です、男爵様。ですが、若さに免じて失礼を見逃すことは、本人のためになりませんので」
男爵様は苦笑しながら首を振った。
「しかしまあ、君がこんなに怒っているのは久しぶりだな。私が侮辱されたときは笑って受け流すのに、娘が絡むと本気で怖い」
私は静かに微笑んだ。
「男爵様、ご自身の名誉より娘の名誉を守りたいと馬車の中で仰ったのは、貴方様ご自身ですよ。私も同じ気持ちです」
その言葉に、男爵様は少し目を丸くして、やがて照れくさそうに頷いた。
──扉の向こうから、重々しい足音が聞こえてきた。伯爵本人の登場だろう。
私は静かに姿勢を正す。
言葉は時に、鋭い刃物よりも深く人を傷つける。
そして私は今、それをこの伯爵に身をもって教えるつもりだった。
この怒りは私自身のためではない。
私を受け入れ、共に生きると誓ってくれた最愛の妻と、彼女を慈しむ男爵様のためだ。
──さあ、伯爵様。言葉の怖さを身を持って教えて差し上げましょう。
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