不肖ながら、お嬢様は渡しません

松本雀

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路地裏の邂逅──『正義と無頼と元蜘蛛』

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──その一言がなければ、私はもうクロードではなかったかもしれない。

「お前たち、そこで何をやっているんだ!」

鋭い声が早朝の路地に響き渡った。

その声に私はびくりと肩を震わせ、思わず背筋を伸ばした。背後から近づく足音は重く、確かな存在感を伴っている。

振り向けば、朝焼けの逆光を浴びて騎士団長──ウィルが立っていた。外套の裾を翻し、息を弾ませながら私たちを睨みつけている。その表情には明らかな警戒と険しさが浮かんでいた。

「なんだ、騎士団長サマじゃねえか。こんな朝っぱらから元気だねえ」

アポロはくわえていた煙草を指で軽く挟み取り、涼しい笑みを浮かべた。その腕にそっと派手な装いの女が絡みつき、取り巻きの男達はざわつきながらウィルを好奇の目で眺めている。

「俺たちは朝帰りの途中さ。で、道端で途方に暮れてる兄ちゃんに、ちょっと仕事を紹介しようとしただけだよ。なあ?」

アポロの視線がちらりと私を掠める。しかし私は返事をする気になれず、ただ黙って彼を見つめ返すだけだった。

ウィルはその視線をさらに険しくし、私のほうを見てきっぱりと言った。

「貴方の事情は分かりませんが、その男は悪人です。決して信用しないでください」

私に向けられた警告だった。視線は鋭く、けれどどこか真摯な響きを帯びていた。

「騎士団長殿……」

口に出した瞬間、ウィルの目が大きく見開かれた。しばらく沈黙があって、それから信じられないものを見るように一歩踏み出した。

「えっ……まさか、クロード?」

私は頷いた。眼鏡をかけておらず、前髪は乱れている。無理もない。私でさえ、鏡に映った自分を見たくないほどだったのだから。

「おや、なんだ知り合いだったのか。こりゃ面白いな」

アポロはくくっと楽しげに笑ったが、ウィルは相変わらず真顔のまま彼を鋭く睨んでいた。険悪な空気が張り詰める。

「まあいいや、邪魔しちまったみたいだし。二人とも気が変わったら返事くれよな。連絡先は騎士団長サマが知ってるだろ?」

そう言ってアポロは分厚い財布を懐に戻し、再び私に意味深な視線を投げた。

取り巻きたちが笑い声をあげながら彼を囲むように動き出す。アポロはもうこちらを見ずに、取り巻きを引き連れて悠々と路地を去っていった。

その後ろ姿が消えていくと、私はようやく息をついた。ウィルは厳しい表情のまま私に近づき、小さく肩を落とした。

「クロード……一体どういうことなんです? あなたらしくもない」

非難でもなく怒りでもなく、ただただ戸惑いと心配が彼の声には込められていた。

私自身、自分の行動にまったく説明がつかなかった。ただ、あの夜の記憶がまだ唇に焼きついていて、何もかもがぐちゃぐちゃだった。帰りたいが帰れない、逃げたいが逃げられない──そんな堂々巡りの迷路に囚われていた。

「申し訳ありません……。私も、自分が情けない」

それが精一杯だった。ウィルは私の肩にそっと手を置き、優しく言った。

「いや、貴方が無事ならそれでいい。ただ、事情は後で聞かせてください。……きっと皆が、貴方を待っていますよ」

ウィルの言葉に胸が痛んだ。それでも私は頷くことすらできず、ただ小さくうつむくばかりだった。

──自分でも嫌になるほど、自分が惨めだった。
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