44 / 91
路地裏の邂逅──『正義と無頼と元蜘蛛』
しおりを挟む
──その一言がなければ、私はもうクロードではなかったかもしれない。
「お前たち、そこで何をやっているんだ!」
鋭い声が早朝の路地に響き渡った。
その声に私はびくりと肩を震わせ、思わず背筋を伸ばした。背後から近づく足音は重く、確かな存在感を伴っている。
振り向けば、朝焼けの逆光を浴びて騎士団長──ウィルが立っていた。外套の裾を翻し、息を弾ませながら私たちを睨みつけている。その表情には明らかな警戒と険しさが浮かんでいた。
「なんだ、騎士団長サマじゃねえか。こんな朝っぱらから元気だねえ」
アポロはくわえていた煙草を指で軽く挟み取り、涼しい笑みを浮かべた。その腕にそっと派手な装いの女が絡みつき、取り巻きの男達はざわつきながらウィルを好奇の目で眺めている。
「俺たちは朝帰りの途中さ。で、道端で途方に暮れてる兄ちゃんに、ちょっと仕事を紹介しようとしただけだよ。なあ?」
アポロの視線がちらりと私を掠める。しかし私は返事をする気になれず、ただ黙って彼を見つめ返すだけだった。
ウィルはその視線をさらに険しくし、私のほうを見てきっぱりと言った。
「貴方の事情は分かりませんが、その男は悪人です。決して信用しないでください」
私に向けられた警告だった。視線は鋭く、けれどどこか真摯な響きを帯びていた。
「騎士団長殿……」
口に出した瞬間、ウィルの目が大きく見開かれた。しばらく沈黙があって、それから信じられないものを見るように一歩踏み出した。
「えっ……まさか、クロード?」
私は頷いた。眼鏡をかけておらず、前髪は乱れている。無理もない。私でさえ、鏡に映った自分を見たくないほどだったのだから。
「おや、なんだ知り合いだったのか。こりゃ面白いな」
アポロはくくっと楽しげに笑ったが、ウィルは相変わらず真顔のまま彼を鋭く睨んでいた。険悪な空気が張り詰める。
「まあいいや、邪魔しちまったみたいだし。二人とも気が変わったら返事くれよな。連絡先は騎士団長サマが知ってるだろ?」
そう言ってアポロは分厚い財布を懐に戻し、再び私に意味深な視線を投げた。
取り巻きたちが笑い声をあげながら彼を囲むように動き出す。アポロはもうこちらを見ずに、取り巻きを引き連れて悠々と路地を去っていった。
その後ろ姿が消えていくと、私はようやく息をついた。ウィルは厳しい表情のまま私に近づき、小さく肩を落とした。
「クロード……一体どういうことなんです? あなたらしくもない」
非難でもなく怒りでもなく、ただただ戸惑いと心配が彼の声には込められていた。
私自身、自分の行動にまったく説明がつかなかった。ただ、あの夜の記憶がまだ唇に焼きついていて、何もかもがぐちゃぐちゃだった。帰りたいが帰れない、逃げたいが逃げられない──そんな堂々巡りの迷路に囚われていた。
「申し訳ありません……。私も、自分が情けない」
それが精一杯だった。ウィルは私の肩にそっと手を置き、優しく言った。
「いや、貴方が無事ならそれでいい。ただ、事情は後で聞かせてください。……きっと皆が、貴方を待っていますよ」
ウィルの言葉に胸が痛んだ。それでも私は頷くことすらできず、ただ小さくうつむくばかりだった。
──自分でも嫌になるほど、自分が惨めだった。
「お前たち、そこで何をやっているんだ!」
鋭い声が早朝の路地に響き渡った。
その声に私はびくりと肩を震わせ、思わず背筋を伸ばした。背後から近づく足音は重く、確かな存在感を伴っている。
振り向けば、朝焼けの逆光を浴びて騎士団長──ウィルが立っていた。外套の裾を翻し、息を弾ませながら私たちを睨みつけている。その表情には明らかな警戒と険しさが浮かんでいた。
「なんだ、騎士団長サマじゃねえか。こんな朝っぱらから元気だねえ」
アポロはくわえていた煙草を指で軽く挟み取り、涼しい笑みを浮かべた。その腕にそっと派手な装いの女が絡みつき、取り巻きの男達はざわつきながらウィルを好奇の目で眺めている。
「俺たちは朝帰りの途中さ。で、道端で途方に暮れてる兄ちゃんに、ちょっと仕事を紹介しようとしただけだよ。なあ?」
アポロの視線がちらりと私を掠める。しかし私は返事をする気になれず、ただ黙って彼を見つめ返すだけだった。
ウィルはその視線をさらに険しくし、私のほうを見てきっぱりと言った。
「貴方の事情は分かりませんが、その男は悪人です。決して信用しないでください」
私に向けられた警告だった。視線は鋭く、けれどどこか真摯な響きを帯びていた。
「騎士団長殿……」
口に出した瞬間、ウィルの目が大きく見開かれた。しばらく沈黙があって、それから信じられないものを見るように一歩踏み出した。
「えっ……まさか、クロード?」
私は頷いた。眼鏡をかけておらず、前髪は乱れている。無理もない。私でさえ、鏡に映った自分を見たくないほどだったのだから。
「おや、なんだ知り合いだったのか。こりゃ面白いな」
アポロはくくっと楽しげに笑ったが、ウィルは相変わらず真顔のまま彼を鋭く睨んでいた。険悪な空気が張り詰める。
「まあいいや、邪魔しちまったみたいだし。二人とも気が変わったら返事くれよな。連絡先は騎士団長サマが知ってるだろ?」
そう言ってアポロは分厚い財布を懐に戻し、再び私に意味深な視線を投げた。
取り巻きたちが笑い声をあげながら彼を囲むように動き出す。アポロはもうこちらを見ずに、取り巻きを引き連れて悠々と路地を去っていった。
その後ろ姿が消えていくと、私はようやく息をついた。ウィルは厳しい表情のまま私に近づき、小さく肩を落とした。
「クロード……一体どういうことなんです? あなたらしくもない」
非難でもなく怒りでもなく、ただただ戸惑いと心配が彼の声には込められていた。
私自身、自分の行動にまったく説明がつかなかった。ただ、あの夜の記憶がまだ唇に焼きついていて、何もかもがぐちゃぐちゃだった。帰りたいが帰れない、逃げたいが逃げられない──そんな堂々巡りの迷路に囚われていた。
「申し訳ありません……。私も、自分が情けない」
それが精一杯だった。ウィルは私の肩にそっと手を置き、優しく言った。
「いや、貴方が無事ならそれでいい。ただ、事情は後で聞かせてください。……きっと皆が、貴方を待っていますよ」
ウィルの言葉に胸が痛んだ。それでも私は頷くことすらできず、ただ小さくうつむくばかりだった。
──自分でも嫌になるほど、自分が惨めだった。
10
あなたにおすすめの小説
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています
猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。
しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。
本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。
盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…
ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。
一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。
そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。
読んでいただけると嬉しいです。
誰にも信じてもらえなかった公爵令嬢は、もう誰も信じません。
salt
恋愛
王都で罪を犯した悪役令嬢との婚姻を結んだ、東の辺境伯地ディオグーン領を治める、フェイドリンド辺境伯子息、アルバスの懺悔と後悔の記録。
6000文字くらいで摂取するお手軽絶望バッドエンドです。
*なろう・pixivにも掲載しています。
平民の娘だから婚約者を譲れって? 別にいいですけど本当によろしいのですか?
和泉 凪紗
恋愛
「お父様。私、アルフレッド様と結婚したいです。お姉様より私の方がお似合いだと思いませんか?」
腹違いの妹のマリアは私の婚約者と結婚したいそうだ。私は平民の娘だから譲るのが当然らしい。
マリアと義母は私のことを『平民の娘』だといつも見下し、嫌がらせばかり。
婚約者には何の思い入れもないので別にいいですけど、本当によろしいのですか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる