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一章
一
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ラトヤは屋敷内の外回廊を歩いていた。
両腕に、白磁のたらいを抱えている。ラトヤにしてみれば、内容物の水よりたらいが重い気がしてならない。水は汲み直せるが、たらいが欠けでもしたら事だ。
しかし、汲みに戻るのも厄介な事態を招くと分かっている。だから、ラトヤに水を零す意図はない。
だが、一歩一歩、歩む振動が水面を揺さぶり、遂にたらいの淵を決壊しないかとまでに水面が撓んだ時だった。
「一度、足を止めた方が良いだろうね」
回廊の柱に寄りかかる男が、声を発した。
一体、生まれながら恵みを下賜する側と単に享受する側とに分かれない世など、古今東西、存在するのだろうか。
ラトヤの着衣は、未熟ながらもしなやかな腰の曲線が、本人の意志とは別に露にならざるを得ない、必要最小限の面積で構成されている。四角四面の布を只縫い合わせただけだが、僅かな布の切れ端も装飾に使うには断ち切れなかったのか、自らが望んで得た着衣でないだけにラトヤは判断もつかない。
慎重にたらいを運ぶラトヤであったが、進路に佇むこの男の存在は視界に入っていた。必要以上の布地を纏い、かといって寒さ故ではない更なる重ね着。膝頭を露出し、編み上げサンダルの革紐に金の止め具を見れば、直視も失礼に当たる言論階級の男だと。
が、この腰の括れを見れば、あったはずの布は切り取られてないのだ。その切れ端が、日照で焼ける肩あたりで涼しげなひだとなってもおかしくはない。しかし、ラトヤの服には袖さえない。
目前の男の肩帯が、磨き上げられた床の僅かな塵を裾に絡ませているとしても、その余分はラトヤの服にはなく、その男の元にあった。
回廊は早朝に水を敷いて磨いたばかりだが、見慣れぬ、おそらく客人であろう男の服に塵を付けたかと思えば、ラトヤは叱責を予期し、通り過ぎ様強張る面を一層に下げた。
「止まれと言ったのだけどね」
その場で傅くべきであったかと悔いる間もなく、ラトヤの視界が目まぐるしく変化した。
目前は、目を見張る滑らかな布地が占拠し、布はたらいに触れる。たらいの淵に水際が迫ると見れば、たらいは目の端に消え、柱から脇の、緑鮮やかな植栽の日差しを捕らえる様を見過ごし、今歩いてきた回廊を不思議に眺めると、花々の散り咲く庭に、東屋、遠くに屋敷の外壁を見、再び回廊を進行方向に見定めていた。
回廊は静かに続いている。鳥のさえずりも爽やかな昼の到来を告げているようだ。自然美あふれんばかりの邸宅の一角を、今、ぐるりと見回したのだと瞬時理解したが、ラトヤはその静まり返った場に身を竦めた。
あるべき者が居なかった。その者の存在はラトヤの背に。たらいに回るラトヤの腕には、更に太い腕が蛇のよう絡みついている。
たらいの水が渦を巻いて周り、ラトヤが衝撃に揺らしそうになっても、男の腕が屈強にもそれを許さじと押さえ込む。あたたかな息がラトヤの項を逆撫でた。
「水は水平の動きに左右される。運ぶ時、どうしても水が暴れるのなら、上下の動きを加えればいい。さ、やってごらん。手を離すよ?」
たらいの水はまだ軽く渦巻き、中心では泡を立てている。ラトヤは、どうやらこの男にたらいごと回転させられたのだと泡を眺めたが、やがて、一歩進んだ。たらいを押しやらず、若干持ち上げて。そして、男の胸から更に離れた。今度はたらいを少し降ろして。
「そうそう。飲み込みが早いね。それ、主へ持って行くのだろう? 零れれば面倒だ。さあ、行きなさい」
このまま去ってもよいものか、ラトヤはちらと肩越しに会釈を送った。
日の光に同化しそうな髪に息を呑んだが、淡いすみれ色の瞳がからかう呈の視線を含んでいると気づき、微かに肘に添う男の指を引き剥がすよう、瞬時に日常の業務へと意識を及ばせた。
が、数歩も行かぬうち、ひたひたと伝う足音に、進路を再び見据えた。
「ダンテオーリオ殿、いかがしましたか?」
主だ。ラトヤは面を下げた。主が、歩み寄る勢いのまま睨み降ろしている。
「相変わらず、君の庭には胸を洗われるね。朝が一番見頃だと誘われて思わず来たのだけれど、先ずこれほどの景色はプテリャイでは望めないだろうね」
「それは、失礼しました。ご観賞頂いているところ、下仕えが邪魔をしまして。早く、下がれ」
「いや、サンドス殿。彼女もこの景色の一部かと思ってね。ほら、光の影で濃い緑に、朝露の若緑が実に心地よい。そこへきて、白い小花の蜜の香り、花々は薄桃色から紫に花開き、目覚めにまどろむには一興だが。彼女の純白の服がこの景色を貫く様はどうだい? 朝の目覚めに一役買っているよ。乙女の腕には朝日を溜めた水が漂い、水面で反射した陽のきらめきを浴びる滑らかな頬、そこへ掛かる艶やかな茶の髪の流れ。絶景だよ」
「それは結構なことでした。ですが、妹がお待たせしているのは申し訳ないが、それを遅らせているのは、ダンテオーリオ殿が構っているこの女のせいでもあります故」
「それはそれは。では、待つ間、兄君にでも暇を潰してもらおう」
「お見せしたい設計図もあります。こちらへ、ダンテオーリオ殿」
主が客人を伴いがてら、ラトヤを振り返った。
客人の軽やかな長髪に比べ、主の黒い短髪は、細かい渦を成すも、胸が梳くぐらい刈上げられている。
着衣同様、屋敷も行儀も、身分に乗じて、必要を遥かに超えて大仰とするのが常だ。老齢によるならまだしも、地肌が見える程の短髪は、主の位では珍しい。そして、激しく睨む一瞥も主という立場にありがちではあるが、ことラトヤの主には稀な態度であった。
過ぎ行く二人を前方に見送り、回廊の先の広間へ向かったと見定めれば、ラトヤは漸く足を進めた。
ラトヤが運ぶこの水も、カトゥーラ様の部屋の傍で汲める水となんら変わらない。しかし、裏庭に迸る湧き水は、苔に洗われ、肌を整える水として重用されている。
仰々しく廊下を渡り、数人の下仕えや護衛を引き連れて顔を洗うより、一人の下仕えに運ばせれば事足りる。そこは、手間を省くわけだ、と、ラトヤは水面にため息を封じた。
海洋都市として名高いプテリャイでは、絶壁を誇る山々を背に、海岸までの僅かな土地に人々が犇めき合って暮らしている。土地に限りがある為か、プテリャイを含め、隣接都市にも人口を制限する条例が敷かれている。
漁民、農民、商いを持たない雇われ労働者の家では、男子一名、女子一名より以上の子を持てない。商家でもそこへ男子が一人加えられるのみ。そんな条例を司る、都市を運行していく言論階級の家でも、男三、女二が限度だ。
が、それでは、富を統べる言論階級の子孫が蔓延り、その富を支える下位の人口が減る一方だし、現にそうは言っても子は生まれるものだ。
そこで、家を継ぐ当てのない、法の外に生まれ出た子は、生まれながらに生きる糧を自らが稼ぐ、奴隷となる。
プテリャイで生まれた奴隷はまだ救われる。奴隷院へ集まる赤子は、いわば、親の庇護を受けないだけであり、多少の手ほどきや教育を受け、働ける頃合になれば、財産として買われた家にて育てられる。無論、働きながらだが。そして、男は二十一、女は十八で、道を選ぶことができる。
規定数の子がいない家の、養子となる者もいる。大抵は、その枠を、貯めた賃金で買い取るか、または、生涯の働きで返すかするのが一般的だ。
或いは、幸か不幸か、枠が空く事態となり、本来の親が引き取りにくる場合もある。が、奴隷院にいる間なら簡単だが、一度買われてしまえば、その契約が終わるまで親といえども手出しできず、諦められる事も多い。
しかし、それらの枠とて、富裕な家で生まれ過ぎた子らが、奴隷院へ送られる前に養子として埋めていく、養子枠の売り買いが横行してもいる。
後は、空きになった家が出れば、土地を管轄している人民院から買う道もある。それも、情報は先に富裕層へと流れ、婚姻の元ではなく生まれた子に、買い取って家を持たせたりする手に専ら使われる。
雇われ階級出の奴隷は、手っ取り早く家のある者へ婿入りか嫁入りするに限る。それさえ話がなければ、何時来るとも知れぬ養子枠や婚姻話を夢見て、奴隷として働き続けるしかない。
しかし、それでさえ、成人とみなされた年齢からは給金が貰え、家や子を持つ夢さえ断念すれば、雨露を凌ぐ生活は保障されている。時には、出身の家より良い教育を受け、転進できる夢をみられる身分でもあり得る。
底辺の暮らしからあぶれ、道端に捨てられもせず、余剰の子を再度社会の中へ組み込む制度でもあるのは事実だ。
この家に来た奴隷の中で、ラトヤの親は最も貧しい部類であったのだろうとは、奴隷入りした際の付属品を見れば明らかだが、奴隷院でもこの屋敷でも、同等の教育と躾は与えられて来た。親の元では得られなかった住まい環境もある。
だから、朝の洗顔を冷たい湧き水で潤す、女人の白肌を、ラトヤが羨望の眼差しで追うのは身の程知らずなのだ。
カトゥーラ様は御年十五。洗顔の水滴を床に垂らすことなく、優雅な仕草で水を扱う。
同じ作法を習ったが、十六にもなるのにラトヤにはできない芸当。先ほどは客人に水の運びを正された始末だ。唯一秀でるとしたら…。
「ラトヤ。ダンテオーリオ様はとても趣向の高いお方なの。気品を特に引き出してね」
ラトヤは衣装をざっと見回し、広間の色合いを思い起こした。
カトゥーラ様は兄と同じく縮れた黒髪。黒褐色の瞳を際立たせる色を決めると、筆を取り、化粧を施し始めた。
出来映えの確認も漫ろに出て行った、カトゥーラ様の部屋で、ラトヤは化粧道具の減りを確かめた。
今日、青を使いきらなければ、買出しに出る許可は下りないはずだ。目の際に青を差し込んだ瞳は、それはそれで美しかったが、気品を求めるなら、茶か、強いて言えば桃色だった。と、買出しの好機を調整できる手腕に、我ながらほくそ笑んだ。
ラトヤの主は兄の方だ。が、不平も言わず妹の使い走りもこなしたのだ。この位の役得があってもいい。買い物の品を書いて部屋頭に認印を貰い、その紋書を仕舞ってでさえ笑みが止まらない。これで今夜は外出だ。
が、至福はひと時の白昼夢だった。主が呼んでいるという。
「来たか。戸を閉めてくれ」慇懃に椅子に座る主が、苛立たしく顔を歪めた。「今朝、ダンテオーリオ殿と何があったのだ?」
「特に申し上げるような事は何もございませんでした」
「そうかな。私には、お前がダンテオーリオ殿の腕の中にいたように思ったが」
不手際を指導された事態を悟られまいと唇を結んだものの、反してあきれ返って物も言えない。
私が腕の中に居た? 彼がやったことだろう。あたかも自ら飛び込んだかの如く非難を受けろと言うのか。
憤るラトヤのだんまりに焦れたのか、主がラトヤの腕を引いた。
あまりの乱暴に拒絶する間もなく、主の足元へ倒れこんだ。と、後ろから顎を掬われ、顔を背けられると、暫し主の観察下に置かれた。
じりじりと時がのろく進む中、ラトヤは待った。解放される事を。が、主の意図を察し、冷え切った頬に赤みが広がっていく。
主はラトヤの首筋を舐めるように見ていた。
と、視線が肌を焦がすようラトヤの神経を刺激していたが、そこへ、後れ毛を掻き揚げる指がついと走り、身震いした。
「動くな! ダンテオーリオの唇の跡があれば由々しき事態だからな」
顎を捉える指を押し返してでさえ、ラトヤは思い切り振りかぶった。
「そんな事起きていません!」
憤怒で振り返った勢いで、主の指がラトヤの結び髪に深く刺さり、濃茶の髪が、涙に濡れた頬に解け落ちて絡む。僅かに主が怯んだ隙に、ラトヤは矢継ぎ早に言い立てた。
「たらいの、たらいの持ち方を直されただけです。水が零れそうだったので」
「客人に水を掛けたというのか!」
「いいえ。でも、掛かっていたかもしれません。ダンテオーリオ様がその前に正しい持ち方を教えてくださいました」
「今、私がどんな気持ちで居るか分かるか?」
滴る涙を物ともせず、変わらず顎を掴む指が、ラトヤを、歯噛みした主の顔へ向き直す。
「私は至らない下仕えを持ったばかりに、客人から下仕えの躾を頂戴したのだ!」
怒鳴る勢いのまま、ラトヤの顎を突き放し、ラトヤはその場に崩れ落ちた。
「客人は、カトゥーラの想い人だ。行く末は婚姻を申し込みたいと一家で願っている。その相手から家の恥を指摘されたのだ! 妹がどれだけの痛手を被ったのか、お前には分かるまい! あんな化粧で恋人の前に立たせるのだからな。思い上がってか? ダントーリオ殿が耳に心地よい褒め言葉を口にしたから、想い人は自分だとでも勘違いしたのか? カトゥーラの幸せを踏みにじるのか!」
ラトヤは疼く胸を抱えて面を上げた。今まで、自らの境遇を嘆いて生きてきたように思う。下仕えの身につばを吐くように。一挙一動の作法をうるさく言われても、無意味な物と鼻で笑っているところがあった。
カトゥーラ様のような令嬢は、生涯の行き場がそれに掛かっている。嗜みや振る舞いで明日が決まるのだ。物一つ身に付けるのにも真剣味を持って臨んでいた。比べ、自分には必要ない所作なのだと。
「下仕えのお前がすべきことは、主の立場や品格、財産を守ることだ。でなくして誰がお前を養う? 客人の前に出しても恥ずかしくない下仕えであれば働き口があるものだが、主の財産を省みない下仕えなど、主の方に下仕えを雇う余裕がなくなって当然だろう。自分で自分の生き様を生み出してみろ。先ずはそこからだ。想い人を作る前にな」
「申し訳ありませんでした。サンドス様のお言葉通り、以後は慎みます。どうか」
主の手が、ラトヤの頬へ帰ってきた。ラトヤは吹き留まらない涙と、自分への嫌悪感で震え、ありがたくその手に頬を預けた。主に縋る姿が惨めでもあるが、現状でもあり、今は切実に生活する場を与えてくれる主へしがみつきたかった。
「今一度聞く。ダンテオーリオ殿の誘いを受けなかったか?」
「はい。誘われていません」
「分かった。結果は聞くまでもないが、カトゥーラのあの様はダンテオーリオ殿の好むところではないだろう。折角ダンテオーリオ殿を目にしたのだ。次は、彼の風貌から好みの女へカトゥーラを仕上げてやってくれ」
「はい。勤めます」
「それから、ダンテーリオ殿は、女性に気安い。それも大概の女性にな。カトゥーラには可哀相なことだが、甘んじるしかない。だが、カトゥーラが気に病む女が一人でも少なくあれと願うのが、家臣たる者。増して身内に居るとは考えたくもない。分かるな? カトゥーラにとっては正妻の立場が生きる術だ。が、その他大勢の末路は悲惨なものだ。無論、この家に暮らす誰一人としてそんな生涯を送れとは、私もまた願ってないのだ。道を踏み外すな。お前にはお前の相応の相手が現れる。きっとな」
「はい、サンドス様」
「そう。いい子だ。行きなさい」
退出を促す際、目尻に堪る雫を指で払う主へ、ラトヤは深々と頭を垂れた。涙が乾いた後の頬が、歩き去る主の起こす風をひんやりと受け止めた。
外出の許可を下げてもらおうと、カトゥーラ様の部屋頭に会いに行けば、その女主人が自らラトヤの外出を促した。
「ねえ、お願い。ダンテオーリオ様は、今日の私にさほど関心も持たなかったようなの。どう思って? 髪型かしら? 支度金はお父様にお願いしてあるから、何か見繕ってきてはくれない? ラトヤに任せるわ。私をいつも綺麗に見せてくれるもの。お願いね」
主の戒めを機に外出を控えようと思ったラトヤだが、カトゥーラ様の実直な瞳を見ては、勘定しても女主人の幸せが先とばかりに、仕事を終えた夜半に家の門を潜っていた。
家の紋書を抱え、歩行も慎重になる。行過ぎる往来にも神経がとがるが、そんな中、馬の足並みが背中に響いた。
道の端に寄ろうとラトヤが体を傾けるが、一向に馬車が通り過ぎない。怪訝そうに見上げて、馬車の主を唖然と見上げた。
「町へ出るのでしたら、お乗りなさい」
今帰る所だったのか、ダンテオーリオ様が馬車の窓の幌をめくり、柔らかな笑みで見下ろしていた。
「ありがとうございます。使いの途中ですので、このまま失礼いたします」
「しかし、考えてもごらん。二頭の馬にとって、君ほどの重量が増えたところで、歩みが遅くなろうはずもない。ここに走る馬が居るのだ。無駄にせず、使えばよい」
「往路含めてが私の仕事です。馬で行ったとなれば主に言い訳が立ちません」
「なるほど。なら、私も歩こう」
「あの…」
「道々、ラ(勤め人ではない位の女性の尊称)・カトゥーラの話でも聞かせてもらいたいね」
するすると馬車から降りる男を無視もできず、主の家の縁談相手かと思えば粗野にもできず、馬車を帰すダンテオーリオ様のなすまま、ラトヤは一足下げて待った。
「今日は割に涼しいね。外歩きにはいい晩だ。ところで、君の名は?」
「ラトヤにございます」
「カトゥーラ付きなかな? ああ、こちらを歩くといい。向かいから馬車が来る」
「はい。あ…サンドス様に仕えております」
「なるほど。やつの苛立ちはそれでか。ああ、カトゥーラは随分と君を慕っているようだね。兄に仕える君を自分の用に借り出すのだからね」
「いえ、カトゥーラ様はその様なお方では。お目を掛けて頂いているのは事実ですが」
ラトヤは六歳でパンカロッレ家に買われ、調理室で使われた。栽培した実を挽き、粉にし、水と練って窯で焼いた主食のサテ。これを作るのが日課だった。
一日釜と向き合っても、次の日にはサテの籠は空になる。そんな毎日だったが、徐々に要領を得れば、家人向けに凝った模様をサテに盛り込んだりもした。干した果実や木の実を混ぜ込み、油を塗って艶々に焼き上げる、祝い行事用のサテは、お褒めの言葉も貰う出来映えとなった。
そのサテが、当時の女主人サキラス様の気に入るところとなり、何度か御前に連れ出されたりもした。そして、サキラス様の下仕えと場所換えされ、服や小物を揃える老齢の下仕えに付き、品を扱い、整える事を覚えた。ラトヤが十歳の頃だ。
買い物へも付き添う内、あちこちの店で顔なじみになり、店の主人が何気にくれた色の粉が、目元や頬に塗るものだと知ってからは、店へ行く度、主人から聞きかじっては化粧を覚えた。ラトヤを連れる老齢の下仕えに尋ねられれば、サキラス様へ持ち帰る化粧品を選定したりもしていた。
それに気付いたサキラスは、ラトヤに様々な教育を受けさせた。孫のカトゥーラに付き添わせて、行儀や学識を共に学ばせた。
そこでは、各家人の同様な仕事をする下仕えとも交流ができ、身分や性別、年齢の違いによる衣装や化粧の仕上げ加減など、吸収すべき技の多様さは、ラトヤに日々の満足な眠りをもたらした。
充実した日々だった。
しかし、ラトヤが十三の時、サキラス様が亡くなり、ラトヤの身は孫のサンドス様が相続した。
そこで、ラトヤの生活が歪みを抱くようになった。
こと衣装には気を使うものの、所詮、主は男。技量を活かすも、布地の選択に明け暮れるだけの日々。
行きつけの店の主人が不要な物品を恵んでくれるうち、ラトヤの所有する化粧品は相当数になっていたが、培っても施す相手が居ない。仲間に教えても、感謝こそあれ、褒めはない。
次第に、仕事に張り合いを感じず、日常を過ごしきるだけに生きていた。
持て余した鬱屈さを解放できるのは、買い物ついでに寄る店で、試し化粧をしては、その手順を書留める店の主人から有難がられる時だった。
店の客がラトヤの選んだ品を買えば、店の主人は残り物をくれた。ラトヤの矜持を満足させようとか、買い物の品の値を引いて請求するようにもなった。
これを主から聞き咎められ、理由を知られてからは、カトゥーラ様の化粧やらを任されるに至ったが、ラトヤの気は晴れなかった。
今、ラトヤは十六。手元にある化粧の品は、本来、下仕えが持てる物ではないと気付いたからだ。こんなにも頼られる技術と感覚を持ちながらも、自分へ発揮する境遇は永遠に来ないのだと悟ったから。
「私はここと何件かの店で用がありますので」道すがらカトゥーラ様を褒めちぎったところで、小物屋の前でラトヤは足を止めた。
「では、付き合うとしよう。私も何か見繕いたいのでね」
ラトヤは、カトゥーラ様が魅せる相手にその品を知られては、と、突っぱねようとしたが、ふと、思い立って、頷いた。相手の嗜好を見るいい機会だ。
店内に散りばめられた小物たち。ラトヤは男の視線の先を盗め見つつ、品定めの振りをした。
随分と自分の考えとは異なる趣向のようだ。黒髪に挿すなら淡い色合いが映える。カトゥーラ様の年齢からしても濃い色味の髪飾りは避けたいところだ。なんと言っても瑞々しさが今の武器なのだ、大人びた物は取り下げたい。
ダンテオーリオ様は、見たところ二十七、八に思える。やはり、同年の女性ぐらいに背伸びさせた格好が功を奏すのだろうか。
と、ラトヤは唇をかんだ。今手にした髪飾りは、あれは完全に黒髪には活きない。その他大勢への贈り物なのだ。ここはカトゥーラ様の品箙に集中すべきだ。せめて、あの髪飾りが似合う女性に見合うよう設えなければ。
「ねえ。君ならばどちらを勧める?」
「髪に挿すお方を存じ上げませんので、私には」
「なら、君ならどちらを付ける?」
「あの」
「例えばで結構だよ」
「緑の花一輪の方でしょうか」
「何故? 良かったら訊かせて欲しいな」
「はい。表面を覆っている石、全て四角い裁断が施されて、甘い印象の花が凛と仕上がっています。放射状に裁断した石の方が、煌きが強いのでしょうけど、この裁断だと、石本来の色が楽しめる面と、煌く面とが交互に出て、艶っぽいかと。多方向から楽しめるから、髪にはこちらが映えると思います」
「視覚効果が高い、か。なるほど、君は前後左右、身だしなみには気を配る女性のようだね」
身だしなみと言われるほどの着衣もないラトヤは、からかわれたかと頬に赤みが走ったが、直ぐに言い返していた。
「ダンテオーリオ様のお好みはどちらなのででしょうか?」
「私かい? もちろん、君に同感だよ。甘ったるい女性は苦手でね。まあ、その人の素質にも拠るだろうけど、涼やかな女性は恋にしがみ付かないし。女を誇張するのは、大売出しのようで気が引けるよ。恋に生涯の采配を委ねていると言わんばかりだ。君の参考になったかな、お嬢さん」
「あの、店主へ注文して参りますので」
質問の意図も見通されていたとは、頬の熱が首筋まで降りてきそうで、ラトヤは急いでその場を離れ、主人へカトゥーラの髪飾りを注文した。媚びてみえない造りを思案して、細部の指示と材料を確認し、代金の交渉に入っていた。
「精が出るね、ラトヤ」
「カトゥーラ様もそろそろですし」
「そりゃ、娘時代同様、同じ贅を尽くせる所へ嫁いで欲しいね。あんた、一緒に移るのかね?」
「さあ、どうでしょう。何とも」
ふと、ラトヤの胸に漣が立った。パンカロッレ家を離れるかと思えば、落ち着かない不安が腹に過ぎる。
主がカトゥーラ様? 有り得る話だ。ラトヤに頼り、これで縁談が纏まれば、輿入れの品の中に自分が含まれるかもしれない。主人の愛想笑いに返す笑みが消えそうだ。
「あちらは、ダンテオーリオ様だろ。ラトヤ、まさかとは思うが」
「お客人としていらしていたの。帰りが一緒になってしまって」
「それならいいんだが。ここだけの話、彼はうちの得意様だ。つまり、そういうことだ」
奴隷はお金を持たない。給金がない。買われた代金は、奴隷院の運営にあてられ、勤めてからは食い扶持が給金代わりだ。買い物でお金を持たされることは、遠方でもない限りまずない。
ラトヤは、持参した紋書を一枚、主人へ渡した。こうして、顔と紋書とで注文し、店から品と共に金銭の請求書が届けられる。
金目の物を持たないので、奴隷は襲われにくく、襲ったところで、自分の奴隷に危害が加われば、その報復は計り知れない。歩く財産なのだから。金の腕輪を盗むのとは訳が違う。
仮に襲撃されるとしたら、家の没落させる目的があってぐらいだ。十数人の奴隷を失えば、日々が立ち行かなくなる。補充するにも、幼子を一気に買い漁ったところで役に立たず、使用人を雇う羽目になるからだ。
言論院でプテリャイの営みを司っている、パンカロッレ家の奴隷を、ここプテリャイで狙う輩など居はしないだろう。ラトヤは存分に市場や店を一人巡りもするが、それでもやはり、紋書を無くせば叱責を買う。
残り二枚。仕立て屋と化粧品店分だ。大事に胸元に仕舞った。
「私はこの後も用事がございますので」
迷惑な客人と別れようと挨拶に近寄ったが、尚も隣につき従ってくる様を感じ取って、ラトヤは頭を捻った。
予定では仕立て屋が先だが、ここは一つ。
「化粧品店へ参りますので、今日はこれにて失礼いたします」
「いいね。私も寄ってみよう」
しかし、ラトヤにはこれ以上この男と歩く理由がない。いや、むしろ一緒に居てはいけないだろう。
「お許しください。殿方の前で、主の使うお品をひけらかす事はできかねます」
「君が気にすることはない。今更、ラ・カトゥーラが趣向を変えてきても、私の印象は翻らないだろうよ。しかし、先ほどは探っておいて、もう用済みかい? そんなに観察しがいのない男だとは、情けないよ」
「いえ。でも、カトゥーラ様は気を悪くなさいますから」
「私にも言い分はあるよ。今まで付いてきておいて、夜も更けていくというのに、ここで女性を一人歩きさせられない」
「ご心配には及びません。奴隷は闇打ちには遇いませんから」
「その口振りは好かないね。言うなら、今日尋ねたカトゥーラの使いなら、私にも義理があるということだ。私をそれ以下の男と思って欲しくはないよ」
滑らかな声色に凄みが混じると感じて、ラトヤは従った。道々、月だの星だの、美しい物に言葉を及ばせる男に相槌を送りつつ、こんな男をカトゥーラ様がどうにかできるのか、不安に暮れながら。
化粧品店でも変わらず、男の興味が薄れることはない。貪欲に品定めをする様を見ては、微笑ましく思うほどだ。大の男が香水やら化粧の品を物色するのだから、滑稽な光景には違いないが、彼にはその姿も様になっていた。
「ラトヤ、いいところへ来たじゃない。これ、新作だよ。試してみるかい?」
店の主人が差し出す、緑の練り粉を見れば、ラトヤもその世界へ誘われた。
時間の経過も身に覚えがない。無心に鏡と向き合えば、主人の囃したてに我に返った。
「ほんと、あんたは最高だよ! どうやって思いつくものかねぇ。あたしがもうちっと若けりゃね、それ真似て、美貌で世を制したもんだが。ああ、動かないでおくれ、書き留めるからね。これは、また流行るんじゃないかね。ええっと、こうだろ」
目鼻立ちを記した紙に、ラトヤの化粧技を写し取る主人が、ぼそぼそと言いそばんでは紙の絵姿にも同じ化粧を施していく。
ラトヤは手持ち無沙汰げに辺りをぼんやりと見渡し、息を呑んだ。
ラトヤは見られていた。
男の前で化粧に没頭した自分が恥ずかしい。身なりに伴わず偉く誇張した濃い化粧姿で居ることが、それも奴隷の身で不相応の化粧をした姿を、彼の前で曝け出した事実に、その場を逃げ出したい。が、主人が苛立たしげにラトヤの手を掴んでいて逃れられない。
ダンテオーリオ様は身動きせず、固唾を呑んで凝視しているようだ。
次第に、笑われている風ではなく、口元に浮かぶのは賞賛を含んだ笑みだと察して、思わずラトヤも息を止めて男の瞳を眺めた。
何かに掻き立てられた瞳。その要因が自分であるとの直感が、ラトヤの全身を熱気が覆っていく。近寄られる足取りが怖い。けれど、自分が牽引している誇らしさも同時に、体を心地よい陶酔へ浸らせていく。
「小手調べは終わりだ。からかう余裕もない。満身創痍で君に臨もう。私の愛しいラトヤ」
ラトヤの耳にダンテオーリオの指が触れる。息が上がってしまう胸を堪えたいが、髪に沈む指が引き起こすさわさわとした刺激が、より息を荒げ、瞼がまどろんでしまう。
次の瞬間、甘露の波に投げ込まれ、意識が屈した。甘い感覚に痺れていく。唾が沸いては飲み込んでいる。何度も飲み干したく、どこから沸くのか分からず、ただ吸い付くことを欲している。
不意に甘みを感じなくなるも、体に残る余韻で意識を引き戻せない。
痺れる頬に、目覚めを促す痛みが走り、視界を徐々に開いていった。
え?
瞼をしばたいても、目前に顔を覗かせるのは主のサンドスだ。
痛みの元を意識で探って、顎を掴まれていると知った。しかし、その痛みよりも、感覚へ訴える疼きが残っている。充血しているのは…唇だ。
緩んだ口を引き締め、その場へ目を泳がせた。
周囲の空気が張り詰めている。店の主人が気詰まりな面持ちでラトヤを見ている。憤怒を隠しもしない形相の主を、気が遠く眺めて、やはり探した。
ダンテオーリオ様は、客の何人かに手を引かれ、床から立ち上がるところだった。滲む血を拭う彼の唇を唖然と注視した。
あの唇だ。私の唇が腫れぼったく充血しているのは、あの唇のせいだ。今、抱きかかえてくれているらしいサンドス様では毛頭もない。あの唇が引き起こしたのだ。あの唇が、触れたのだ。
瞬時に胸を貫く後ろめたさに、ラトヤは視線を逸らした。
「すまないな。口を切ってしまったようだ」
「これをどうぞ。傷には訊くから」
「有難い。痛むだろうが少し我慢してくれ」
店の主人が主へ小瓶を開けて見せている。ラトヤの唇に冷たい練り油が塗られ、直ぐにも傷が熱くうねる。同時に、意思を越えて涙が迸り出てきた。
涙も熱い。硬く抱き寄せる主の力加減が身に染みる。今は痛むだけ痛んで欲しい。
「ダンテオーリオ殿。遊ぶにもほどがある。あなたを交わせる妙齢の女に見えるか?」
「妹を娶わせるあなたが、それを言うのか? 彼女はラトヤより幼いのではないか? 妹君は早熟だとでも?」
「先を思えば、互いにしこりも持ちたくない間柄だが、せめて縁談の相手へ誠意は持てないか! 家族の侮辱を外で吹聴するのはやめていただきたいが、縁談相手の家人で遊ぶとは、あなたの度量を疑われかねないぞ」
「狭量なことだ。よくある話だよ。妻が持参した下仕えは、夫への供物でもあるのだろう? 縁談を勧めるなら、それが後か先かに口を出すのは、無粋だよ」
「あなたの道徳観はどの様なものかは知らないが、それを聞いてカトゥーラが考えを変えると思うのか? 狙っての暴言なら遠慮してくれ。無意味だ」
ラトヤは僅かに顔を覗かせた。自分は供物と聞き、改めてダンテオーリオ様を眺めた。
カトゥーラ様の夫に、私は。軽い身震いが流れた。
彼は悪びれた口調で主へ向かっていたが、ラトヤに気付いて、ねっとりとした声を流した。
「どう思おうと勝手だよ。けれど、破談を狙ってでも遊びでもない。ラトヤ、私は本気だ。他の色恋など目に入らない。君一人を熱望している。妹の為なら君を切り捨てることも、嫁入り道具に紛れ込ませることも平時にやってのける男の言い分など、聴かないでくれ。私の生涯を、君に注ごう。生涯、ただ一人、君だけに」
ダンテオーリオが人差し指を立て、ラトヤを指した後、指に口づけを被せた。それを最後に、ラトヤの視界は主の衣装に阻まれ、声のみが届いた。
「ほら、サンドス殿。ここへ書状をしたためた。勿論、家紋も押そう。我が家からの正式な申し出だ。私からラトヤへの求婚のね。サンドス殿、よもや私の求婚者に手荒な真似はしないだろうね。直ぐにも連れたいが、まだ十八にはならないと見える。ラトヤ、買うのは不本意だが、十八になるまで耐えられない事態となるなら、直ぐにでも引き取る心積りはある。心配しないで、また会いに行きますよ」
帰路は無言が重く圧し掛かった。夜道に馬の脚が響くのみ。時折、手綱の撓る音がラトヤを竦みあがらせた。主はラトヤを共に馬に乗せたが、ラトヤは、恐怖に駆られる中、朧気に主の出現を不可解に思いやっていた。
家に戻れば、主と帰ったラトヤをせわしなく伺う下仕えもいたが、そのまま主の部屋へ連れられる。
ラトヤは観念して膝を着いたが、主は使用人を呼んでは細かな指示を出すのに気をとられ、ラトヤは放置されていた。
どうやら化粧品店へ人を遣る様だ。家名も叫んでの騒動だった。客は二人ほどであったと思うが、噂が広まるかもしれない。
ラトヤは頭が痺れて考えが纏まらない。これからどうなるのか。どんな罰が待つのか。生きて、よいのか。
「ラトヤ。ラトヤ! 足が痛むだろう。そこへ座りなさい」
主が声を掛ける頃には、手も冷たく固まり、うっ血した足は動かなかった。嘆息を吐いた主が椅子まで運んでくれるが、その労りが、恐怖心を煽り立てる。
「泣くぐらいなら、応えるな! あれだけ釘を刺した。まあ、いい。好きなのか?」
首を振ったラトヤに、またも噛み付く素振りの主だったが、彼自身も首を振って、問い直した。
「しかし、君は彼の腕に居た。私はそれを二度も見たのだ。いつからだ?」
「今日、初めてお会いしました。いつからなんて、それは違います」
「初めて? 彼は度々家に来ている。嘘はないな?」
「はい。買い物に同行すると言われて、でも、拒むべきでした。配慮も足りませんでした。私の勤めは望みに足りません。でも、対処もできません。逃げるべきでしたかも分かりません」
「彼が結婚を望む理由を育んだのではないのか?」
「分かりません。今日お会いして、話をして、付き添うとおっしゃられて、化粧を」
「いつものようにだね? 店で施して見せた」
「すべきではありませんでした」
「分かった。まだここに居て」
目を細め聴いていた主が、不意に部屋を出て行った。
呆然と待てば、戻った主は強張った面立ちをラトヤへ向けた。戸を背に、片腕を後ろに回している。
音がした。鍵の音だと分かって、ラトヤに冷や汗が噴出した。まさか、殺される? 逃げようにも腰が上がらない。
「嫌だろうが、忠告に背いたのだから」
頷けない。奴隷の身で主の妹の縁談に水を差したのだ。命で購っても余りある。けれど、命を絶つことを自ら認められない。
「同じ事をする。彼と。君の唇に触れる。この口で」
息を止める様な切迫感で身を絞っていたが、一拍、心臓がうねり、余波の痛みが胸へ広がった。殺されずとも、自ら死を迎えそうだ。心臓が悲鳴を上げている。
首を横に振った。
「許可を貰うつもりはない。これからする事を宣言している」
ラトヤは椅子に封じ込められた。にじり下がっても、椅子の背がサンドスとの距離を後押しする。
さっきとは違い、行為が予め分かっている。行為の意味も。それは男女に交わされる類のものだと。
殺気立った瞳で見られているのに、触れれば、しっとりと柔らかな唇。目を瞬く内、彼の目が閉じるに合わせて、ラトヤも瞼を下ろした。神経は嫌がおうにも一点へ集中する。
唇の上で蠢く感覚に違和感を持つが、熱く潤った物が下唇をなぞって行く。力は虚脱し、拒絶は瓦解した。
止まらない。吸い寄る唇になにもかも委ねたい。火照る頬がサンドスの息を感じる。直後、合わさる冷たい彼の手が気持ちよく、摺り寄せたい。戻る唇に、鳩尾が甘く疼いて痛む。もう終わりなのだと、離れ間際の唇の迷いから嗅ぎ取り、重い瞼を開けた。
「彼ほどの技量はないだろうが、それでも、応えられるだろ?」
水を被ったかの衝撃に、背面が冷え切る。腕で拒むが、サンドスは緩めない。
「このまま抱けば、彼はラトヤを諦める、そう思いたいが。ラトヤ、ダンテオーリオは本気だ。私を殺してでもラトヤを奪いに来る。家に使いの者が来た。今日の件を私の胸中に隠してもおけなくなった。どうする?」
「分かりません」
「ラトヤ、それも道だ。請われて嫁ぐのも、いつかはラトヤの自由になる。ラトヤの幸せは彼の元にあるかもしれない。ただ、彼に応えたのも、経験が無く無防備だったからだろうと思ってね。彼の手際で初めての唇を奪われれば心まで持っていかれる。だけど、同等の感覚は他者とでも得られると、知って欲しかった。嘘はこの際要らないから、ラトヤ、私と彼、どちらが好ましい唇だった?」
頭を振った。比べるなんて。
「彼の唇から初めての動揺は値引いて欲しいけれど、そこに答えがあるかもしれない。一瞬で運命を感じる人もいるだろうしね。彼にそれを感じたなら、ここを出て行くもいい。カトゥーラの傷も浅く済むだろうが、我が家とは断絶だ。悩んで十八まで待つなら、皆が傷つくが、それもラトヤの選択だ。無理に売りはしない。もし、私に傾くなら私の物になればいい。将来、正妻にできるかは…すまないが、約束できないけれど」
夢にも見なかった未来を提示され、ラトヤは呆けた。この家は、勤める家だった。家人の手が付く例を目にしないわけではなかったが、対象が自分とは想像できない。
主が、くすりと笑った。
「知らなかった? お祖母様が未明の際に、醜い様を晒したよ。カトゥーラにラトヤが欲しいと言い出す知恵が無いのを知っていて、お祖母様に頼んだのだ。笑っていた、とんでもない孫だと。早く死んで欲しいのかって。欲しかったから、ラトヤの気持ちが。けれど、何故だろうね。手に入れることを諦めていた。何年もあった。ラトヤを迎える基盤を作る暇はあったのに。諦めた。色々な壁にね。それを突破するやつが居た。奴隷院の識別番号を彼に教えたのか?」
思いも寄らぬ問いに眉を顰めたが、ラトヤは瞳を大きく開いて主を見た。
サンドスが頷いた。
「私、話していません」
「まあ、私から辿れば調べられる。つまり、彼は動いた。使用人が駄目押しの書面を持ってきた。ラトヤは彼の妻になれる。彼との血縁はない証だ」
見知らぬ世界の扉が束になって迫ってくる。ラトヤが存在も知らずにいたのに、時と共にラトヤに忍び寄っていたのだ。伴侶を得ようと努力する令嬢の傍に居ても、自分へは課さなかった。来ないと思ったから。十八になってもこのまま雇われると思っていた。
今、育った家も追い出されるというのに。
でも、嘆くことは無いはずだ。カトゥーラ様でも望めない幸運が転がり込んできた。これが『あがり』というやつだ、人生の。
何の人生だ? 心を掴む演出もせずに、勝手に求められて、終わり。終わり…。
「今すぐ答えは出そうにないかな?」
「はい」
「それは、痛い返事だな。私へも答えが無いのだろうから。ま、当然か。ラトヤを道に外す男は、私だったのだからな。当然の答えだ。それでも」サンドスが腕を緩めた。「ラトヤ、愛する気持ちを堪えろとは言わないでくれ」
身繕いを正す間、サンドスは背を向けて待ってくれた。ラトヤが声を掛けると、振り返る主は口を硬く結んでラトヤの先導をきる。その背がいつになく身近に感じた。
当主の部屋に通された。窓際では、奥方が外を眺めては、気詰まりな沈黙を送って寄越している。当主は落ち着き無く歩いていたが、欠伸をした奥方を一睨みすると、声を荒げた。
「申し開きがあるのか? カトゥーラに通っていた男が何故お前の身請けを言ってくるのか。無いだろうな! 純然たるこれが証だ!」ラトヤへ投げつけんと握り締めた書面を、思い直してか卓上に叩きつけた。
「父上、ラトヤに非はありません。ダンテオーリオの勝手な横恋慕です」
「そんな訳があるか! 奴隷の娘に求婚するか? ルテナイ家の息子が? ラトヤが何か、やったに決まっておる!」
「ラトヤに限ってそれはありません。何度か話はしたようですが、彼から声を掛けなければ、話す会話など無いとラトヤも弁えています。責めるべきはラトヤの器量ではなく、彼の非道です、父上」
「正にそこだ! ルテナイ家の息子が常軌を逸しているとは思わんか? 狂っとる! 惑わせたのはラトヤだ!」
「では、父上、ルテナイ家でも同じ考えを持つはずです。けれど、こうやって当主の紋も入っている。ルテナイ家当主も認めた求婚なのは、彼が父親を説得できたからでしょう。彼の想いが真剣ということです」
「お前は、妹を思いやる前に、ダンテオーリオまで庇うのか? まさかサンドス、仲を結んだりはしてないだろうな! 弁論科の先輩へ義理を果たしたというのか!」
「父上、少し冷静に。元々ダンテオーリオは気が進んでいなかった。私が頼み込んで、家に来てもらっていたのです。ルテナイ家の了承だとてまだなかったでしょう。が、彼もカトゥーラの想いは承知していた。妹に会う振りをして、ラトヤを口説いて求婚。識別番号まで手回しもいいことだ。ラトヤは記憶にないそうですが、かなり前からでしょう、ダンテオーリオがラトヤを見初めたのは」
「見初めた! それでカトゥーラをふいにするか?」
「ダンテオーリオの気質は父上もご存知でしょう。気に入る女、気の向くままに、が彼の持論です。人の勧めなど聴かない男です。それで心配されて、彼が来る時は、若い女連中は下げていたではないですか。ラトヤを特に気にされていた。泣くことになるだろうから、隠しておけと。でも、私たちは彼の本質を見抜いていたのか、分かりませんよ。こうして、ラトヤを妻にするというのですから」
「ふん! とんだお笑い種だ。娘に娶わせようと心労砕いて、娘を泣かせる羽目になった」
「いずれ泣く人生を過ごしたはずです。彼がカトゥーラに真剣にならなければ、他の女に煩わされていました」
「他の女がまだ良かった。相手が身内のラトヤ、奴隷の娘に浚われたと知ったら、カトゥーラの神経が持たん!」
「まだラトヤと決まったわけではないですよ、父上」
お前は馬鹿か? と言わんばかりに顔を歪めて息子を見る当主。サンドスは父親が叩きつけた書面を拾い上げた。
「ラトヤはまだ受けると言っていません」
「それが何か問題か? やつの結論は出たんだ! 明日にでも行けばいい、ろくでなしの所へ!」
それきり、静寂が部屋へ響く。凍る空気の中、奥方の扇子の羽ばたきと当主の靴音のみが時を刻んでいく。
痺れを切らした当主が、赤目で息子を睨んだ。
「お前は、カトゥーラに贄を飲ませる腹か? 隠し通せるはずもなかろう」
「今はラトヤに答えは出ていない。彼には口を噤んでもらいますよ。その間に、カトゥーラには諦める努力をさせましょう。家の都合とでも言えばいい。嫁ぐのを夢に見ているだけだ、あれは。カトゥーラを求める男を捜せばいい。良い機会です、父上」
「そうね。ダンテオーリオ殿には私の養子枠、売りつければいいのだし」
皆が一斉に窓へ向いた。奥方は涼しげな顔でまだ扇子を仰いでいる。
「話が纏まれば、ここの娘として出せばいいわ。彼もその程度の出費はする覚悟なのでしょう? 下仕えのラトヤにこんな品を送るのですもの。奴隷のまま引き取るなんて美しくないやり方、好まないはずよ」
ラトヤは思わず声を上げた。奥方の扇子から髪飾りが見え隠れする。奥方は緑に艶めく花を眺め回しては、扇子を閉じ、つかつかと歩み寄ってラトヤへ手渡した。
「尤も、それを反対する男もこの家には居るでしょうけどね。私は失礼して、カトゥーラへ話しに行くわ。ルテナイ家の家来が返事を待ってまだこの家に居るの。当然、二階から水を浴びせるぐらいは、平気でしょ? 後は宜しくね、あなた」
「ラミラ! 程度ってものがある。ラミラ!」
奥方が戸を抜ける様を皆で見過ごしていたが、当主は奥方を追って行った。戸が放たれた際、悲鳴と、けたたましく割れる物音が部屋に流れてきた。奥方は花瓶ごと水を浴びせたようだ。玄関でのざわめきが、戸が閉まると共に遠く聞こえなくなった。
「猶予はできたな。風当たりは強烈だろうが、カトゥーラの世話も減るだろうし、暫くは私の部屋で仕えていればいいから。カトゥーラが輿入れを見越して散財したから、噂にならぬ程度に処分もしないといけない。品と裁く店を書き出しておいてくれ」
「あ、あの、これ」ラトヤは髪飾りを差し出した。
「何?」
「返したほうが」
「受け取らないだろ。持っていたら?」
「ですが、あの、これがダンテオーリオ様のお好みと思って、カトゥーラ様用に、似た型の宝飾品を注文しています」
「いつの話?」
「今日です」
「価格は?」
「三十五万ルカほどです」
「ちっ! あの親父、どこまで甘いんだ! ああ、分かった。何とかするよ」
今月の宝飾品が締めて幾らだったと零すサンドスの後ろで、ラトヤは髪飾りに目を落とした。その倍はしたと思ったが、と。
両腕に、白磁のたらいを抱えている。ラトヤにしてみれば、内容物の水よりたらいが重い気がしてならない。水は汲み直せるが、たらいが欠けでもしたら事だ。
しかし、汲みに戻るのも厄介な事態を招くと分かっている。だから、ラトヤに水を零す意図はない。
だが、一歩一歩、歩む振動が水面を揺さぶり、遂にたらいの淵を決壊しないかとまでに水面が撓んだ時だった。
「一度、足を止めた方が良いだろうね」
回廊の柱に寄りかかる男が、声を発した。
一体、生まれながら恵みを下賜する側と単に享受する側とに分かれない世など、古今東西、存在するのだろうか。
ラトヤの着衣は、未熟ながらもしなやかな腰の曲線が、本人の意志とは別に露にならざるを得ない、必要最小限の面積で構成されている。四角四面の布を只縫い合わせただけだが、僅かな布の切れ端も装飾に使うには断ち切れなかったのか、自らが望んで得た着衣でないだけにラトヤは判断もつかない。
慎重にたらいを運ぶラトヤであったが、進路に佇むこの男の存在は視界に入っていた。必要以上の布地を纏い、かといって寒さ故ではない更なる重ね着。膝頭を露出し、編み上げサンダルの革紐に金の止め具を見れば、直視も失礼に当たる言論階級の男だと。
が、この腰の括れを見れば、あったはずの布は切り取られてないのだ。その切れ端が、日照で焼ける肩あたりで涼しげなひだとなってもおかしくはない。しかし、ラトヤの服には袖さえない。
目前の男の肩帯が、磨き上げられた床の僅かな塵を裾に絡ませているとしても、その余分はラトヤの服にはなく、その男の元にあった。
回廊は早朝に水を敷いて磨いたばかりだが、見慣れぬ、おそらく客人であろう男の服に塵を付けたかと思えば、ラトヤは叱責を予期し、通り過ぎ様強張る面を一層に下げた。
「止まれと言ったのだけどね」
その場で傅くべきであったかと悔いる間もなく、ラトヤの視界が目まぐるしく変化した。
目前は、目を見張る滑らかな布地が占拠し、布はたらいに触れる。たらいの淵に水際が迫ると見れば、たらいは目の端に消え、柱から脇の、緑鮮やかな植栽の日差しを捕らえる様を見過ごし、今歩いてきた回廊を不思議に眺めると、花々の散り咲く庭に、東屋、遠くに屋敷の外壁を見、再び回廊を進行方向に見定めていた。
回廊は静かに続いている。鳥のさえずりも爽やかな昼の到来を告げているようだ。自然美あふれんばかりの邸宅の一角を、今、ぐるりと見回したのだと瞬時理解したが、ラトヤはその静まり返った場に身を竦めた。
あるべき者が居なかった。その者の存在はラトヤの背に。たらいに回るラトヤの腕には、更に太い腕が蛇のよう絡みついている。
たらいの水が渦を巻いて周り、ラトヤが衝撃に揺らしそうになっても、男の腕が屈強にもそれを許さじと押さえ込む。あたたかな息がラトヤの項を逆撫でた。
「水は水平の動きに左右される。運ぶ時、どうしても水が暴れるのなら、上下の動きを加えればいい。さ、やってごらん。手を離すよ?」
たらいの水はまだ軽く渦巻き、中心では泡を立てている。ラトヤは、どうやらこの男にたらいごと回転させられたのだと泡を眺めたが、やがて、一歩進んだ。たらいを押しやらず、若干持ち上げて。そして、男の胸から更に離れた。今度はたらいを少し降ろして。
「そうそう。飲み込みが早いね。それ、主へ持って行くのだろう? 零れれば面倒だ。さあ、行きなさい」
このまま去ってもよいものか、ラトヤはちらと肩越しに会釈を送った。
日の光に同化しそうな髪に息を呑んだが、淡いすみれ色の瞳がからかう呈の視線を含んでいると気づき、微かに肘に添う男の指を引き剥がすよう、瞬時に日常の業務へと意識を及ばせた。
が、数歩も行かぬうち、ひたひたと伝う足音に、進路を再び見据えた。
「ダンテオーリオ殿、いかがしましたか?」
主だ。ラトヤは面を下げた。主が、歩み寄る勢いのまま睨み降ろしている。
「相変わらず、君の庭には胸を洗われるね。朝が一番見頃だと誘われて思わず来たのだけれど、先ずこれほどの景色はプテリャイでは望めないだろうね」
「それは、失礼しました。ご観賞頂いているところ、下仕えが邪魔をしまして。早く、下がれ」
「いや、サンドス殿。彼女もこの景色の一部かと思ってね。ほら、光の影で濃い緑に、朝露の若緑が実に心地よい。そこへきて、白い小花の蜜の香り、花々は薄桃色から紫に花開き、目覚めにまどろむには一興だが。彼女の純白の服がこの景色を貫く様はどうだい? 朝の目覚めに一役買っているよ。乙女の腕には朝日を溜めた水が漂い、水面で反射した陽のきらめきを浴びる滑らかな頬、そこへ掛かる艶やかな茶の髪の流れ。絶景だよ」
「それは結構なことでした。ですが、妹がお待たせしているのは申し訳ないが、それを遅らせているのは、ダンテオーリオ殿が構っているこの女のせいでもあります故」
「それはそれは。では、待つ間、兄君にでも暇を潰してもらおう」
「お見せしたい設計図もあります。こちらへ、ダンテオーリオ殿」
主が客人を伴いがてら、ラトヤを振り返った。
客人の軽やかな長髪に比べ、主の黒い短髪は、細かい渦を成すも、胸が梳くぐらい刈上げられている。
着衣同様、屋敷も行儀も、身分に乗じて、必要を遥かに超えて大仰とするのが常だ。老齢によるならまだしも、地肌が見える程の短髪は、主の位では珍しい。そして、激しく睨む一瞥も主という立場にありがちではあるが、ことラトヤの主には稀な態度であった。
過ぎ行く二人を前方に見送り、回廊の先の広間へ向かったと見定めれば、ラトヤは漸く足を進めた。
ラトヤが運ぶこの水も、カトゥーラ様の部屋の傍で汲める水となんら変わらない。しかし、裏庭に迸る湧き水は、苔に洗われ、肌を整える水として重用されている。
仰々しく廊下を渡り、数人の下仕えや護衛を引き連れて顔を洗うより、一人の下仕えに運ばせれば事足りる。そこは、手間を省くわけだ、と、ラトヤは水面にため息を封じた。
海洋都市として名高いプテリャイでは、絶壁を誇る山々を背に、海岸までの僅かな土地に人々が犇めき合って暮らしている。土地に限りがある為か、プテリャイを含め、隣接都市にも人口を制限する条例が敷かれている。
漁民、農民、商いを持たない雇われ労働者の家では、男子一名、女子一名より以上の子を持てない。商家でもそこへ男子が一人加えられるのみ。そんな条例を司る、都市を運行していく言論階級の家でも、男三、女二が限度だ。
が、それでは、富を統べる言論階級の子孫が蔓延り、その富を支える下位の人口が減る一方だし、現にそうは言っても子は生まれるものだ。
そこで、家を継ぐ当てのない、法の外に生まれ出た子は、生まれながらに生きる糧を自らが稼ぐ、奴隷となる。
プテリャイで生まれた奴隷はまだ救われる。奴隷院へ集まる赤子は、いわば、親の庇護を受けないだけであり、多少の手ほどきや教育を受け、働ける頃合になれば、財産として買われた家にて育てられる。無論、働きながらだが。そして、男は二十一、女は十八で、道を選ぶことができる。
規定数の子がいない家の、養子となる者もいる。大抵は、その枠を、貯めた賃金で買い取るか、または、生涯の働きで返すかするのが一般的だ。
或いは、幸か不幸か、枠が空く事態となり、本来の親が引き取りにくる場合もある。が、奴隷院にいる間なら簡単だが、一度買われてしまえば、その契約が終わるまで親といえども手出しできず、諦められる事も多い。
しかし、それらの枠とて、富裕な家で生まれ過ぎた子らが、奴隷院へ送られる前に養子として埋めていく、養子枠の売り買いが横行してもいる。
後は、空きになった家が出れば、土地を管轄している人民院から買う道もある。それも、情報は先に富裕層へと流れ、婚姻の元ではなく生まれた子に、買い取って家を持たせたりする手に専ら使われる。
雇われ階級出の奴隷は、手っ取り早く家のある者へ婿入りか嫁入りするに限る。それさえ話がなければ、何時来るとも知れぬ養子枠や婚姻話を夢見て、奴隷として働き続けるしかない。
しかし、それでさえ、成人とみなされた年齢からは給金が貰え、家や子を持つ夢さえ断念すれば、雨露を凌ぐ生活は保障されている。時には、出身の家より良い教育を受け、転進できる夢をみられる身分でもあり得る。
底辺の暮らしからあぶれ、道端に捨てられもせず、余剰の子を再度社会の中へ組み込む制度でもあるのは事実だ。
この家に来た奴隷の中で、ラトヤの親は最も貧しい部類であったのだろうとは、奴隷入りした際の付属品を見れば明らかだが、奴隷院でもこの屋敷でも、同等の教育と躾は与えられて来た。親の元では得られなかった住まい環境もある。
だから、朝の洗顔を冷たい湧き水で潤す、女人の白肌を、ラトヤが羨望の眼差しで追うのは身の程知らずなのだ。
カトゥーラ様は御年十五。洗顔の水滴を床に垂らすことなく、優雅な仕草で水を扱う。
同じ作法を習ったが、十六にもなるのにラトヤにはできない芸当。先ほどは客人に水の運びを正された始末だ。唯一秀でるとしたら…。
「ラトヤ。ダンテオーリオ様はとても趣向の高いお方なの。気品を特に引き出してね」
ラトヤは衣装をざっと見回し、広間の色合いを思い起こした。
カトゥーラ様は兄と同じく縮れた黒髪。黒褐色の瞳を際立たせる色を決めると、筆を取り、化粧を施し始めた。
出来映えの確認も漫ろに出て行った、カトゥーラ様の部屋で、ラトヤは化粧道具の減りを確かめた。
今日、青を使いきらなければ、買出しに出る許可は下りないはずだ。目の際に青を差し込んだ瞳は、それはそれで美しかったが、気品を求めるなら、茶か、強いて言えば桃色だった。と、買出しの好機を調整できる手腕に、我ながらほくそ笑んだ。
ラトヤの主は兄の方だ。が、不平も言わず妹の使い走りもこなしたのだ。この位の役得があってもいい。買い物の品を書いて部屋頭に認印を貰い、その紋書を仕舞ってでさえ笑みが止まらない。これで今夜は外出だ。
が、至福はひと時の白昼夢だった。主が呼んでいるという。
「来たか。戸を閉めてくれ」慇懃に椅子に座る主が、苛立たしく顔を歪めた。「今朝、ダンテオーリオ殿と何があったのだ?」
「特に申し上げるような事は何もございませんでした」
「そうかな。私には、お前がダンテオーリオ殿の腕の中にいたように思ったが」
不手際を指導された事態を悟られまいと唇を結んだものの、反してあきれ返って物も言えない。
私が腕の中に居た? 彼がやったことだろう。あたかも自ら飛び込んだかの如く非難を受けろと言うのか。
憤るラトヤのだんまりに焦れたのか、主がラトヤの腕を引いた。
あまりの乱暴に拒絶する間もなく、主の足元へ倒れこんだ。と、後ろから顎を掬われ、顔を背けられると、暫し主の観察下に置かれた。
じりじりと時がのろく進む中、ラトヤは待った。解放される事を。が、主の意図を察し、冷え切った頬に赤みが広がっていく。
主はラトヤの首筋を舐めるように見ていた。
と、視線が肌を焦がすようラトヤの神経を刺激していたが、そこへ、後れ毛を掻き揚げる指がついと走り、身震いした。
「動くな! ダンテオーリオの唇の跡があれば由々しき事態だからな」
顎を捉える指を押し返してでさえ、ラトヤは思い切り振りかぶった。
「そんな事起きていません!」
憤怒で振り返った勢いで、主の指がラトヤの結び髪に深く刺さり、濃茶の髪が、涙に濡れた頬に解け落ちて絡む。僅かに主が怯んだ隙に、ラトヤは矢継ぎ早に言い立てた。
「たらいの、たらいの持ち方を直されただけです。水が零れそうだったので」
「客人に水を掛けたというのか!」
「いいえ。でも、掛かっていたかもしれません。ダンテオーリオ様がその前に正しい持ち方を教えてくださいました」
「今、私がどんな気持ちで居るか分かるか?」
滴る涙を物ともせず、変わらず顎を掴む指が、ラトヤを、歯噛みした主の顔へ向き直す。
「私は至らない下仕えを持ったばかりに、客人から下仕えの躾を頂戴したのだ!」
怒鳴る勢いのまま、ラトヤの顎を突き放し、ラトヤはその場に崩れ落ちた。
「客人は、カトゥーラの想い人だ。行く末は婚姻を申し込みたいと一家で願っている。その相手から家の恥を指摘されたのだ! 妹がどれだけの痛手を被ったのか、お前には分かるまい! あんな化粧で恋人の前に立たせるのだからな。思い上がってか? ダントーリオ殿が耳に心地よい褒め言葉を口にしたから、想い人は自分だとでも勘違いしたのか? カトゥーラの幸せを踏みにじるのか!」
ラトヤは疼く胸を抱えて面を上げた。今まで、自らの境遇を嘆いて生きてきたように思う。下仕えの身につばを吐くように。一挙一動の作法をうるさく言われても、無意味な物と鼻で笑っているところがあった。
カトゥーラ様のような令嬢は、生涯の行き場がそれに掛かっている。嗜みや振る舞いで明日が決まるのだ。物一つ身に付けるのにも真剣味を持って臨んでいた。比べ、自分には必要ない所作なのだと。
「下仕えのお前がすべきことは、主の立場や品格、財産を守ることだ。でなくして誰がお前を養う? 客人の前に出しても恥ずかしくない下仕えであれば働き口があるものだが、主の財産を省みない下仕えなど、主の方に下仕えを雇う余裕がなくなって当然だろう。自分で自分の生き様を生み出してみろ。先ずはそこからだ。想い人を作る前にな」
「申し訳ありませんでした。サンドス様のお言葉通り、以後は慎みます。どうか」
主の手が、ラトヤの頬へ帰ってきた。ラトヤは吹き留まらない涙と、自分への嫌悪感で震え、ありがたくその手に頬を預けた。主に縋る姿が惨めでもあるが、現状でもあり、今は切実に生活する場を与えてくれる主へしがみつきたかった。
「今一度聞く。ダンテオーリオ殿の誘いを受けなかったか?」
「はい。誘われていません」
「分かった。結果は聞くまでもないが、カトゥーラのあの様はダンテオーリオ殿の好むところではないだろう。折角ダンテオーリオ殿を目にしたのだ。次は、彼の風貌から好みの女へカトゥーラを仕上げてやってくれ」
「はい。勤めます」
「それから、ダンテーリオ殿は、女性に気安い。それも大概の女性にな。カトゥーラには可哀相なことだが、甘んじるしかない。だが、カトゥーラが気に病む女が一人でも少なくあれと願うのが、家臣たる者。増して身内に居るとは考えたくもない。分かるな? カトゥーラにとっては正妻の立場が生きる術だ。が、その他大勢の末路は悲惨なものだ。無論、この家に暮らす誰一人としてそんな生涯を送れとは、私もまた願ってないのだ。道を踏み外すな。お前にはお前の相応の相手が現れる。きっとな」
「はい、サンドス様」
「そう。いい子だ。行きなさい」
退出を促す際、目尻に堪る雫を指で払う主へ、ラトヤは深々と頭を垂れた。涙が乾いた後の頬が、歩き去る主の起こす風をひんやりと受け止めた。
外出の許可を下げてもらおうと、カトゥーラ様の部屋頭に会いに行けば、その女主人が自らラトヤの外出を促した。
「ねえ、お願い。ダンテオーリオ様は、今日の私にさほど関心も持たなかったようなの。どう思って? 髪型かしら? 支度金はお父様にお願いしてあるから、何か見繕ってきてはくれない? ラトヤに任せるわ。私をいつも綺麗に見せてくれるもの。お願いね」
主の戒めを機に外出を控えようと思ったラトヤだが、カトゥーラ様の実直な瞳を見ては、勘定しても女主人の幸せが先とばかりに、仕事を終えた夜半に家の門を潜っていた。
家の紋書を抱え、歩行も慎重になる。行過ぎる往来にも神経がとがるが、そんな中、馬の足並みが背中に響いた。
道の端に寄ろうとラトヤが体を傾けるが、一向に馬車が通り過ぎない。怪訝そうに見上げて、馬車の主を唖然と見上げた。
「町へ出るのでしたら、お乗りなさい」
今帰る所だったのか、ダンテオーリオ様が馬車の窓の幌をめくり、柔らかな笑みで見下ろしていた。
「ありがとうございます。使いの途中ですので、このまま失礼いたします」
「しかし、考えてもごらん。二頭の馬にとって、君ほどの重量が増えたところで、歩みが遅くなろうはずもない。ここに走る馬が居るのだ。無駄にせず、使えばよい」
「往路含めてが私の仕事です。馬で行ったとなれば主に言い訳が立ちません」
「なるほど。なら、私も歩こう」
「あの…」
「道々、ラ(勤め人ではない位の女性の尊称)・カトゥーラの話でも聞かせてもらいたいね」
するすると馬車から降りる男を無視もできず、主の家の縁談相手かと思えば粗野にもできず、馬車を帰すダンテオーリオ様のなすまま、ラトヤは一足下げて待った。
「今日は割に涼しいね。外歩きにはいい晩だ。ところで、君の名は?」
「ラトヤにございます」
「カトゥーラ付きなかな? ああ、こちらを歩くといい。向かいから馬車が来る」
「はい。あ…サンドス様に仕えております」
「なるほど。やつの苛立ちはそれでか。ああ、カトゥーラは随分と君を慕っているようだね。兄に仕える君を自分の用に借り出すのだからね」
「いえ、カトゥーラ様はその様なお方では。お目を掛けて頂いているのは事実ですが」
ラトヤは六歳でパンカロッレ家に買われ、調理室で使われた。栽培した実を挽き、粉にし、水と練って窯で焼いた主食のサテ。これを作るのが日課だった。
一日釜と向き合っても、次の日にはサテの籠は空になる。そんな毎日だったが、徐々に要領を得れば、家人向けに凝った模様をサテに盛り込んだりもした。干した果実や木の実を混ぜ込み、油を塗って艶々に焼き上げる、祝い行事用のサテは、お褒めの言葉も貰う出来映えとなった。
そのサテが、当時の女主人サキラス様の気に入るところとなり、何度か御前に連れ出されたりもした。そして、サキラス様の下仕えと場所換えされ、服や小物を揃える老齢の下仕えに付き、品を扱い、整える事を覚えた。ラトヤが十歳の頃だ。
買い物へも付き添う内、あちこちの店で顔なじみになり、店の主人が何気にくれた色の粉が、目元や頬に塗るものだと知ってからは、店へ行く度、主人から聞きかじっては化粧を覚えた。ラトヤを連れる老齢の下仕えに尋ねられれば、サキラス様へ持ち帰る化粧品を選定したりもしていた。
それに気付いたサキラスは、ラトヤに様々な教育を受けさせた。孫のカトゥーラに付き添わせて、行儀や学識を共に学ばせた。
そこでは、各家人の同様な仕事をする下仕えとも交流ができ、身分や性別、年齢の違いによる衣装や化粧の仕上げ加減など、吸収すべき技の多様さは、ラトヤに日々の満足な眠りをもたらした。
充実した日々だった。
しかし、ラトヤが十三の時、サキラス様が亡くなり、ラトヤの身は孫のサンドス様が相続した。
そこで、ラトヤの生活が歪みを抱くようになった。
こと衣装には気を使うものの、所詮、主は男。技量を活かすも、布地の選択に明け暮れるだけの日々。
行きつけの店の主人が不要な物品を恵んでくれるうち、ラトヤの所有する化粧品は相当数になっていたが、培っても施す相手が居ない。仲間に教えても、感謝こそあれ、褒めはない。
次第に、仕事に張り合いを感じず、日常を過ごしきるだけに生きていた。
持て余した鬱屈さを解放できるのは、買い物ついでに寄る店で、試し化粧をしては、その手順を書留める店の主人から有難がられる時だった。
店の客がラトヤの選んだ品を買えば、店の主人は残り物をくれた。ラトヤの矜持を満足させようとか、買い物の品の値を引いて請求するようにもなった。
これを主から聞き咎められ、理由を知られてからは、カトゥーラ様の化粧やらを任されるに至ったが、ラトヤの気は晴れなかった。
今、ラトヤは十六。手元にある化粧の品は、本来、下仕えが持てる物ではないと気付いたからだ。こんなにも頼られる技術と感覚を持ちながらも、自分へ発揮する境遇は永遠に来ないのだと悟ったから。
「私はここと何件かの店で用がありますので」道すがらカトゥーラ様を褒めちぎったところで、小物屋の前でラトヤは足を止めた。
「では、付き合うとしよう。私も何か見繕いたいのでね」
ラトヤは、カトゥーラ様が魅せる相手にその品を知られては、と、突っぱねようとしたが、ふと、思い立って、頷いた。相手の嗜好を見るいい機会だ。
店内に散りばめられた小物たち。ラトヤは男の視線の先を盗め見つつ、品定めの振りをした。
随分と自分の考えとは異なる趣向のようだ。黒髪に挿すなら淡い色合いが映える。カトゥーラ様の年齢からしても濃い色味の髪飾りは避けたいところだ。なんと言っても瑞々しさが今の武器なのだ、大人びた物は取り下げたい。
ダンテオーリオ様は、見たところ二十七、八に思える。やはり、同年の女性ぐらいに背伸びさせた格好が功を奏すのだろうか。
と、ラトヤは唇をかんだ。今手にした髪飾りは、あれは完全に黒髪には活きない。その他大勢への贈り物なのだ。ここはカトゥーラ様の品箙に集中すべきだ。せめて、あの髪飾りが似合う女性に見合うよう設えなければ。
「ねえ。君ならばどちらを勧める?」
「髪に挿すお方を存じ上げませんので、私には」
「なら、君ならどちらを付ける?」
「あの」
「例えばで結構だよ」
「緑の花一輪の方でしょうか」
「何故? 良かったら訊かせて欲しいな」
「はい。表面を覆っている石、全て四角い裁断が施されて、甘い印象の花が凛と仕上がっています。放射状に裁断した石の方が、煌きが強いのでしょうけど、この裁断だと、石本来の色が楽しめる面と、煌く面とが交互に出て、艶っぽいかと。多方向から楽しめるから、髪にはこちらが映えると思います」
「視覚効果が高い、か。なるほど、君は前後左右、身だしなみには気を配る女性のようだね」
身だしなみと言われるほどの着衣もないラトヤは、からかわれたかと頬に赤みが走ったが、直ぐに言い返していた。
「ダンテオーリオ様のお好みはどちらなのででしょうか?」
「私かい? もちろん、君に同感だよ。甘ったるい女性は苦手でね。まあ、その人の素質にも拠るだろうけど、涼やかな女性は恋にしがみ付かないし。女を誇張するのは、大売出しのようで気が引けるよ。恋に生涯の采配を委ねていると言わんばかりだ。君の参考になったかな、お嬢さん」
「あの、店主へ注文して参りますので」
質問の意図も見通されていたとは、頬の熱が首筋まで降りてきそうで、ラトヤは急いでその場を離れ、主人へカトゥーラの髪飾りを注文した。媚びてみえない造りを思案して、細部の指示と材料を確認し、代金の交渉に入っていた。
「精が出るね、ラトヤ」
「カトゥーラ様もそろそろですし」
「そりゃ、娘時代同様、同じ贅を尽くせる所へ嫁いで欲しいね。あんた、一緒に移るのかね?」
「さあ、どうでしょう。何とも」
ふと、ラトヤの胸に漣が立った。パンカロッレ家を離れるかと思えば、落ち着かない不安が腹に過ぎる。
主がカトゥーラ様? 有り得る話だ。ラトヤに頼り、これで縁談が纏まれば、輿入れの品の中に自分が含まれるかもしれない。主人の愛想笑いに返す笑みが消えそうだ。
「あちらは、ダンテオーリオ様だろ。ラトヤ、まさかとは思うが」
「お客人としていらしていたの。帰りが一緒になってしまって」
「それならいいんだが。ここだけの話、彼はうちの得意様だ。つまり、そういうことだ」
奴隷はお金を持たない。給金がない。買われた代金は、奴隷院の運営にあてられ、勤めてからは食い扶持が給金代わりだ。買い物でお金を持たされることは、遠方でもない限りまずない。
ラトヤは、持参した紋書を一枚、主人へ渡した。こうして、顔と紋書とで注文し、店から品と共に金銭の請求書が届けられる。
金目の物を持たないので、奴隷は襲われにくく、襲ったところで、自分の奴隷に危害が加われば、その報復は計り知れない。歩く財産なのだから。金の腕輪を盗むのとは訳が違う。
仮に襲撃されるとしたら、家の没落させる目的があってぐらいだ。十数人の奴隷を失えば、日々が立ち行かなくなる。補充するにも、幼子を一気に買い漁ったところで役に立たず、使用人を雇う羽目になるからだ。
言論院でプテリャイの営みを司っている、パンカロッレ家の奴隷を、ここプテリャイで狙う輩など居はしないだろう。ラトヤは存分に市場や店を一人巡りもするが、それでもやはり、紋書を無くせば叱責を買う。
残り二枚。仕立て屋と化粧品店分だ。大事に胸元に仕舞った。
「私はこの後も用事がございますので」
迷惑な客人と別れようと挨拶に近寄ったが、尚も隣につき従ってくる様を感じ取って、ラトヤは頭を捻った。
予定では仕立て屋が先だが、ここは一つ。
「化粧品店へ参りますので、今日はこれにて失礼いたします」
「いいね。私も寄ってみよう」
しかし、ラトヤにはこれ以上この男と歩く理由がない。いや、むしろ一緒に居てはいけないだろう。
「お許しください。殿方の前で、主の使うお品をひけらかす事はできかねます」
「君が気にすることはない。今更、ラ・カトゥーラが趣向を変えてきても、私の印象は翻らないだろうよ。しかし、先ほどは探っておいて、もう用済みかい? そんなに観察しがいのない男だとは、情けないよ」
「いえ。でも、カトゥーラ様は気を悪くなさいますから」
「私にも言い分はあるよ。今まで付いてきておいて、夜も更けていくというのに、ここで女性を一人歩きさせられない」
「ご心配には及びません。奴隷は闇打ちには遇いませんから」
「その口振りは好かないね。言うなら、今日尋ねたカトゥーラの使いなら、私にも義理があるということだ。私をそれ以下の男と思って欲しくはないよ」
滑らかな声色に凄みが混じると感じて、ラトヤは従った。道々、月だの星だの、美しい物に言葉を及ばせる男に相槌を送りつつ、こんな男をカトゥーラ様がどうにかできるのか、不安に暮れながら。
化粧品店でも変わらず、男の興味が薄れることはない。貪欲に品定めをする様を見ては、微笑ましく思うほどだ。大の男が香水やら化粧の品を物色するのだから、滑稽な光景には違いないが、彼にはその姿も様になっていた。
「ラトヤ、いいところへ来たじゃない。これ、新作だよ。試してみるかい?」
店の主人が差し出す、緑の練り粉を見れば、ラトヤもその世界へ誘われた。
時間の経過も身に覚えがない。無心に鏡と向き合えば、主人の囃したてに我に返った。
「ほんと、あんたは最高だよ! どうやって思いつくものかねぇ。あたしがもうちっと若けりゃね、それ真似て、美貌で世を制したもんだが。ああ、動かないでおくれ、書き留めるからね。これは、また流行るんじゃないかね。ええっと、こうだろ」
目鼻立ちを記した紙に、ラトヤの化粧技を写し取る主人が、ぼそぼそと言いそばんでは紙の絵姿にも同じ化粧を施していく。
ラトヤは手持ち無沙汰げに辺りをぼんやりと見渡し、息を呑んだ。
ラトヤは見られていた。
男の前で化粧に没頭した自分が恥ずかしい。身なりに伴わず偉く誇張した濃い化粧姿で居ることが、それも奴隷の身で不相応の化粧をした姿を、彼の前で曝け出した事実に、その場を逃げ出したい。が、主人が苛立たしげにラトヤの手を掴んでいて逃れられない。
ダンテオーリオ様は身動きせず、固唾を呑んで凝視しているようだ。
次第に、笑われている風ではなく、口元に浮かぶのは賞賛を含んだ笑みだと察して、思わずラトヤも息を止めて男の瞳を眺めた。
何かに掻き立てられた瞳。その要因が自分であるとの直感が、ラトヤの全身を熱気が覆っていく。近寄られる足取りが怖い。けれど、自分が牽引している誇らしさも同時に、体を心地よい陶酔へ浸らせていく。
「小手調べは終わりだ。からかう余裕もない。満身創痍で君に臨もう。私の愛しいラトヤ」
ラトヤの耳にダンテオーリオの指が触れる。息が上がってしまう胸を堪えたいが、髪に沈む指が引き起こすさわさわとした刺激が、より息を荒げ、瞼がまどろんでしまう。
次の瞬間、甘露の波に投げ込まれ、意識が屈した。甘い感覚に痺れていく。唾が沸いては飲み込んでいる。何度も飲み干したく、どこから沸くのか分からず、ただ吸い付くことを欲している。
不意に甘みを感じなくなるも、体に残る余韻で意識を引き戻せない。
痺れる頬に、目覚めを促す痛みが走り、視界を徐々に開いていった。
え?
瞼をしばたいても、目前に顔を覗かせるのは主のサンドスだ。
痛みの元を意識で探って、顎を掴まれていると知った。しかし、その痛みよりも、感覚へ訴える疼きが残っている。充血しているのは…唇だ。
緩んだ口を引き締め、その場へ目を泳がせた。
周囲の空気が張り詰めている。店の主人が気詰まりな面持ちでラトヤを見ている。憤怒を隠しもしない形相の主を、気が遠く眺めて、やはり探した。
ダンテオーリオ様は、客の何人かに手を引かれ、床から立ち上がるところだった。滲む血を拭う彼の唇を唖然と注視した。
あの唇だ。私の唇が腫れぼったく充血しているのは、あの唇のせいだ。今、抱きかかえてくれているらしいサンドス様では毛頭もない。あの唇が引き起こしたのだ。あの唇が、触れたのだ。
瞬時に胸を貫く後ろめたさに、ラトヤは視線を逸らした。
「すまないな。口を切ってしまったようだ」
「これをどうぞ。傷には訊くから」
「有難い。痛むだろうが少し我慢してくれ」
店の主人が主へ小瓶を開けて見せている。ラトヤの唇に冷たい練り油が塗られ、直ぐにも傷が熱くうねる。同時に、意思を越えて涙が迸り出てきた。
涙も熱い。硬く抱き寄せる主の力加減が身に染みる。今は痛むだけ痛んで欲しい。
「ダンテオーリオ殿。遊ぶにもほどがある。あなたを交わせる妙齢の女に見えるか?」
「妹を娶わせるあなたが、それを言うのか? 彼女はラトヤより幼いのではないか? 妹君は早熟だとでも?」
「先を思えば、互いにしこりも持ちたくない間柄だが、せめて縁談の相手へ誠意は持てないか! 家族の侮辱を外で吹聴するのはやめていただきたいが、縁談相手の家人で遊ぶとは、あなたの度量を疑われかねないぞ」
「狭量なことだ。よくある話だよ。妻が持参した下仕えは、夫への供物でもあるのだろう? 縁談を勧めるなら、それが後か先かに口を出すのは、無粋だよ」
「あなたの道徳観はどの様なものかは知らないが、それを聞いてカトゥーラが考えを変えると思うのか? 狙っての暴言なら遠慮してくれ。無意味だ」
ラトヤは僅かに顔を覗かせた。自分は供物と聞き、改めてダンテオーリオ様を眺めた。
カトゥーラ様の夫に、私は。軽い身震いが流れた。
彼は悪びれた口調で主へ向かっていたが、ラトヤに気付いて、ねっとりとした声を流した。
「どう思おうと勝手だよ。けれど、破談を狙ってでも遊びでもない。ラトヤ、私は本気だ。他の色恋など目に入らない。君一人を熱望している。妹の為なら君を切り捨てることも、嫁入り道具に紛れ込ませることも平時にやってのける男の言い分など、聴かないでくれ。私の生涯を、君に注ごう。生涯、ただ一人、君だけに」
ダンテオーリオが人差し指を立て、ラトヤを指した後、指に口づけを被せた。それを最後に、ラトヤの視界は主の衣装に阻まれ、声のみが届いた。
「ほら、サンドス殿。ここへ書状をしたためた。勿論、家紋も押そう。我が家からの正式な申し出だ。私からラトヤへの求婚のね。サンドス殿、よもや私の求婚者に手荒な真似はしないだろうね。直ぐにも連れたいが、まだ十八にはならないと見える。ラトヤ、買うのは不本意だが、十八になるまで耐えられない事態となるなら、直ぐにでも引き取る心積りはある。心配しないで、また会いに行きますよ」
帰路は無言が重く圧し掛かった。夜道に馬の脚が響くのみ。時折、手綱の撓る音がラトヤを竦みあがらせた。主はラトヤを共に馬に乗せたが、ラトヤは、恐怖に駆られる中、朧気に主の出現を不可解に思いやっていた。
家に戻れば、主と帰ったラトヤをせわしなく伺う下仕えもいたが、そのまま主の部屋へ連れられる。
ラトヤは観念して膝を着いたが、主は使用人を呼んでは細かな指示を出すのに気をとられ、ラトヤは放置されていた。
どうやら化粧品店へ人を遣る様だ。家名も叫んでの騒動だった。客は二人ほどであったと思うが、噂が広まるかもしれない。
ラトヤは頭が痺れて考えが纏まらない。これからどうなるのか。どんな罰が待つのか。生きて、よいのか。
「ラトヤ。ラトヤ! 足が痛むだろう。そこへ座りなさい」
主が声を掛ける頃には、手も冷たく固まり、うっ血した足は動かなかった。嘆息を吐いた主が椅子まで運んでくれるが、その労りが、恐怖心を煽り立てる。
「泣くぐらいなら、応えるな! あれだけ釘を刺した。まあ、いい。好きなのか?」
首を振ったラトヤに、またも噛み付く素振りの主だったが、彼自身も首を振って、問い直した。
「しかし、君は彼の腕に居た。私はそれを二度も見たのだ。いつからだ?」
「今日、初めてお会いしました。いつからなんて、それは違います」
「初めて? 彼は度々家に来ている。嘘はないな?」
「はい。買い物に同行すると言われて、でも、拒むべきでした。配慮も足りませんでした。私の勤めは望みに足りません。でも、対処もできません。逃げるべきでしたかも分かりません」
「彼が結婚を望む理由を育んだのではないのか?」
「分かりません。今日お会いして、話をして、付き添うとおっしゃられて、化粧を」
「いつものようにだね? 店で施して見せた」
「すべきではありませんでした」
「分かった。まだここに居て」
目を細め聴いていた主が、不意に部屋を出て行った。
呆然と待てば、戻った主は強張った面立ちをラトヤへ向けた。戸を背に、片腕を後ろに回している。
音がした。鍵の音だと分かって、ラトヤに冷や汗が噴出した。まさか、殺される? 逃げようにも腰が上がらない。
「嫌だろうが、忠告に背いたのだから」
頷けない。奴隷の身で主の妹の縁談に水を差したのだ。命で購っても余りある。けれど、命を絶つことを自ら認められない。
「同じ事をする。彼と。君の唇に触れる。この口で」
息を止める様な切迫感で身を絞っていたが、一拍、心臓がうねり、余波の痛みが胸へ広がった。殺されずとも、自ら死を迎えそうだ。心臓が悲鳴を上げている。
首を横に振った。
「許可を貰うつもりはない。これからする事を宣言している」
ラトヤは椅子に封じ込められた。にじり下がっても、椅子の背がサンドスとの距離を後押しする。
さっきとは違い、行為が予め分かっている。行為の意味も。それは男女に交わされる類のものだと。
殺気立った瞳で見られているのに、触れれば、しっとりと柔らかな唇。目を瞬く内、彼の目が閉じるに合わせて、ラトヤも瞼を下ろした。神経は嫌がおうにも一点へ集中する。
唇の上で蠢く感覚に違和感を持つが、熱く潤った物が下唇をなぞって行く。力は虚脱し、拒絶は瓦解した。
止まらない。吸い寄る唇になにもかも委ねたい。火照る頬がサンドスの息を感じる。直後、合わさる冷たい彼の手が気持ちよく、摺り寄せたい。戻る唇に、鳩尾が甘く疼いて痛む。もう終わりなのだと、離れ間際の唇の迷いから嗅ぎ取り、重い瞼を開けた。
「彼ほどの技量はないだろうが、それでも、応えられるだろ?」
水を被ったかの衝撃に、背面が冷え切る。腕で拒むが、サンドスは緩めない。
「このまま抱けば、彼はラトヤを諦める、そう思いたいが。ラトヤ、ダンテオーリオは本気だ。私を殺してでもラトヤを奪いに来る。家に使いの者が来た。今日の件を私の胸中に隠してもおけなくなった。どうする?」
「分かりません」
「ラトヤ、それも道だ。請われて嫁ぐのも、いつかはラトヤの自由になる。ラトヤの幸せは彼の元にあるかもしれない。ただ、彼に応えたのも、経験が無く無防備だったからだろうと思ってね。彼の手際で初めての唇を奪われれば心まで持っていかれる。だけど、同等の感覚は他者とでも得られると、知って欲しかった。嘘はこの際要らないから、ラトヤ、私と彼、どちらが好ましい唇だった?」
頭を振った。比べるなんて。
「彼の唇から初めての動揺は値引いて欲しいけれど、そこに答えがあるかもしれない。一瞬で運命を感じる人もいるだろうしね。彼にそれを感じたなら、ここを出て行くもいい。カトゥーラの傷も浅く済むだろうが、我が家とは断絶だ。悩んで十八まで待つなら、皆が傷つくが、それもラトヤの選択だ。無理に売りはしない。もし、私に傾くなら私の物になればいい。将来、正妻にできるかは…すまないが、約束できないけれど」
夢にも見なかった未来を提示され、ラトヤは呆けた。この家は、勤める家だった。家人の手が付く例を目にしないわけではなかったが、対象が自分とは想像できない。
主が、くすりと笑った。
「知らなかった? お祖母様が未明の際に、醜い様を晒したよ。カトゥーラにラトヤが欲しいと言い出す知恵が無いのを知っていて、お祖母様に頼んだのだ。笑っていた、とんでもない孫だと。早く死んで欲しいのかって。欲しかったから、ラトヤの気持ちが。けれど、何故だろうね。手に入れることを諦めていた。何年もあった。ラトヤを迎える基盤を作る暇はあったのに。諦めた。色々な壁にね。それを突破するやつが居た。奴隷院の識別番号を彼に教えたのか?」
思いも寄らぬ問いに眉を顰めたが、ラトヤは瞳を大きく開いて主を見た。
サンドスが頷いた。
「私、話していません」
「まあ、私から辿れば調べられる。つまり、彼は動いた。使用人が駄目押しの書面を持ってきた。ラトヤは彼の妻になれる。彼との血縁はない証だ」
見知らぬ世界の扉が束になって迫ってくる。ラトヤが存在も知らずにいたのに、時と共にラトヤに忍び寄っていたのだ。伴侶を得ようと努力する令嬢の傍に居ても、自分へは課さなかった。来ないと思ったから。十八になってもこのまま雇われると思っていた。
今、育った家も追い出されるというのに。
でも、嘆くことは無いはずだ。カトゥーラ様でも望めない幸運が転がり込んできた。これが『あがり』というやつだ、人生の。
何の人生だ? 心を掴む演出もせずに、勝手に求められて、終わり。終わり…。
「今すぐ答えは出そうにないかな?」
「はい」
「それは、痛い返事だな。私へも答えが無いのだろうから。ま、当然か。ラトヤを道に外す男は、私だったのだからな。当然の答えだ。それでも」サンドスが腕を緩めた。「ラトヤ、愛する気持ちを堪えろとは言わないでくれ」
身繕いを正す間、サンドスは背を向けて待ってくれた。ラトヤが声を掛けると、振り返る主は口を硬く結んでラトヤの先導をきる。その背がいつになく身近に感じた。
当主の部屋に通された。窓際では、奥方が外を眺めては、気詰まりな沈黙を送って寄越している。当主は落ち着き無く歩いていたが、欠伸をした奥方を一睨みすると、声を荒げた。
「申し開きがあるのか? カトゥーラに通っていた男が何故お前の身請けを言ってくるのか。無いだろうな! 純然たるこれが証だ!」ラトヤへ投げつけんと握り締めた書面を、思い直してか卓上に叩きつけた。
「父上、ラトヤに非はありません。ダンテオーリオの勝手な横恋慕です」
「そんな訳があるか! 奴隷の娘に求婚するか? ルテナイ家の息子が? ラトヤが何か、やったに決まっておる!」
「ラトヤに限ってそれはありません。何度か話はしたようですが、彼から声を掛けなければ、話す会話など無いとラトヤも弁えています。責めるべきはラトヤの器量ではなく、彼の非道です、父上」
「正にそこだ! ルテナイ家の息子が常軌を逸しているとは思わんか? 狂っとる! 惑わせたのはラトヤだ!」
「では、父上、ルテナイ家でも同じ考えを持つはずです。けれど、こうやって当主の紋も入っている。ルテナイ家当主も認めた求婚なのは、彼が父親を説得できたからでしょう。彼の想いが真剣ということです」
「お前は、妹を思いやる前に、ダンテオーリオまで庇うのか? まさかサンドス、仲を結んだりはしてないだろうな! 弁論科の先輩へ義理を果たしたというのか!」
「父上、少し冷静に。元々ダンテオーリオは気が進んでいなかった。私が頼み込んで、家に来てもらっていたのです。ルテナイ家の了承だとてまだなかったでしょう。が、彼もカトゥーラの想いは承知していた。妹に会う振りをして、ラトヤを口説いて求婚。識別番号まで手回しもいいことだ。ラトヤは記憶にないそうですが、かなり前からでしょう、ダンテオーリオがラトヤを見初めたのは」
「見初めた! それでカトゥーラをふいにするか?」
「ダンテオーリオの気質は父上もご存知でしょう。気に入る女、気の向くままに、が彼の持論です。人の勧めなど聴かない男です。それで心配されて、彼が来る時は、若い女連中は下げていたではないですか。ラトヤを特に気にされていた。泣くことになるだろうから、隠しておけと。でも、私たちは彼の本質を見抜いていたのか、分かりませんよ。こうして、ラトヤを妻にするというのですから」
「ふん! とんだお笑い種だ。娘に娶わせようと心労砕いて、娘を泣かせる羽目になった」
「いずれ泣く人生を過ごしたはずです。彼がカトゥーラに真剣にならなければ、他の女に煩わされていました」
「他の女がまだ良かった。相手が身内のラトヤ、奴隷の娘に浚われたと知ったら、カトゥーラの神経が持たん!」
「まだラトヤと決まったわけではないですよ、父上」
お前は馬鹿か? と言わんばかりに顔を歪めて息子を見る当主。サンドスは父親が叩きつけた書面を拾い上げた。
「ラトヤはまだ受けると言っていません」
「それが何か問題か? やつの結論は出たんだ! 明日にでも行けばいい、ろくでなしの所へ!」
それきり、静寂が部屋へ響く。凍る空気の中、奥方の扇子の羽ばたきと当主の靴音のみが時を刻んでいく。
痺れを切らした当主が、赤目で息子を睨んだ。
「お前は、カトゥーラに贄を飲ませる腹か? 隠し通せるはずもなかろう」
「今はラトヤに答えは出ていない。彼には口を噤んでもらいますよ。その間に、カトゥーラには諦める努力をさせましょう。家の都合とでも言えばいい。嫁ぐのを夢に見ているだけだ、あれは。カトゥーラを求める男を捜せばいい。良い機会です、父上」
「そうね。ダンテオーリオ殿には私の養子枠、売りつければいいのだし」
皆が一斉に窓へ向いた。奥方は涼しげな顔でまだ扇子を仰いでいる。
「話が纏まれば、ここの娘として出せばいいわ。彼もその程度の出費はする覚悟なのでしょう? 下仕えのラトヤにこんな品を送るのですもの。奴隷のまま引き取るなんて美しくないやり方、好まないはずよ」
ラトヤは思わず声を上げた。奥方の扇子から髪飾りが見え隠れする。奥方は緑に艶めく花を眺め回しては、扇子を閉じ、つかつかと歩み寄ってラトヤへ手渡した。
「尤も、それを反対する男もこの家には居るでしょうけどね。私は失礼して、カトゥーラへ話しに行くわ。ルテナイ家の家来が返事を待ってまだこの家に居るの。当然、二階から水を浴びせるぐらいは、平気でしょ? 後は宜しくね、あなた」
「ラミラ! 程度ってものがある。ラミラ!」
奥方が戸を抜ける様を皆で見過ごしていたが、当主は奥方を追って行った。戸が放たれた際、悲鳴と、けたたましく割れる物音が部屋に流れてきた。奥方は花瓶ごと水を浴びせたようだ。玄関でのざわめきが、戸が閉まると共に遠く聞こえなくなった。
「猶予はできたな。風当たりは強烈だろうが、カトゥーラの世話も減るだろうし、暫くは私の部屋で仕えていればいいから。カトゥーラが輿入れを見越して散財したから、噂にならぬ程度に処分もしないといけない。品と裁く店を書き出しておいてくれ」
「あ、あの、これ」ラトヤは髪飾りを差し出した。
「何?」
「返したほうが」
「受け取らないだろ。持っていたら?」
「ですが、あの、これがダンテオーリオ様のお好みと思って、カトゥーラ様用に、似た型の宝飾品を注文しています」
「いつの話?」
「今日です」
「価格は?」
「三十五万ルカほどです」
「ちっ! あの親父、どこまで甘いんだ! ああ、分かった。何とかするよ」
今月の宝飾品が締めて幾らだったと零すサンドスの後ろで、ラトヤは髪飾りに目を落とした。その倍はしたと思ったが、と。
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