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三章

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 四者が顔を揃えてラトヤに面と向かう。ラトヤに居心地良かろうと思えと言う方が無理だ。館内では一番の広さも誇る私室であり、そこで口火を切らねばならないのだから。
「皆様には申し訳ありませんでした。直ぐにお話しできなくて」
 ルテナイ家に訪問してから七日経っての、ラトヤからの招集だった。考える間に横やりが入ることを恐れて、部屋に引きこもっていた。会えばちりちりと視線を寄越すサンドスが視界に入れば、避けて良かったと思える。話せば、売り言葉に買い言葉で違う結論を出しかねなかったから。
「私を育ててくださったのはパンカロッレ家の皆様だと、今までのことをとても感謝しております」
 当主が、割って入りそうなサンドスを制止している。その姿を目の端に捉えたまま、深く頭を垂れて幾拍かした後、顔を上げた。
「ダンテオーリオは私に多くの物を残してくれました。万が一に備え、私の居場所も幾つか用意があります。その中から、選びました。私は実母の元へ帰ります」
 言い切って一呼吸したが、皆は困惑顔で誰も発言しそうにない。
 少しして、奥方が動いた。
「あのね、私の娘ではあるのよ? 法的にはね。あなたがお母様の傍に居たい気持ちを束縛する気はないから、ここで暮らしなさい。家はあっても糧はないのだから」
 誰もがその発言に安堵して頷いている。ラトヤは首を振った。
「母の世話はそれでは維持できません。いえ、こちらのお世話になろうとは思っていません。私が糧を持たなければならないのです」
「まさか、働くと言うの?」
 いつ見ても美しいと思える、優しげな目元が、険しく歪んだ。
 奥方が気にしている点は分かる。一つは、ラトヤを以前の様に下仕えとしてこの家に置くことは、外聞上、困るはずだ。
 あれだけ世の女性を渡ってきたダンテオーリオが婚約した、それも奴隷であったらしい娘ととなれば、特に女性の間では語りつくされた話題だろう。妬み・羨望など抱いた感情も、彼本人が亡くなったとなれば、残された婚約者に同情が集まる。その処遇が使用人に戻したとなったら、特に奥方の立つ瀬がないのだ。
 ラトヤを娘と扱いたい気持ちは実際持っているだろうが、幾何かは女性の世界での立場が後押ししてのことだ。 奥方の顔を潰すわけにはいかない。ラトヤは自身に一番に浮かんだ選択肢を捨てていた。
「ラトヤ、言いたくはないのだがな」
「父上!」
 当主が気まずそうに口を開き、サンドスが今度は止めに入っている。
 ラトヤはそんな面々を微笑ましく眺めた。良い家に来たのだ。それなのに。
「パンカロッレ家から除籍してください」
「何を言っているんだ!」
 空かさず声を荒げるサンドスに対し、当主は目を細めて俯いた。
 籍があれば何らかの税を徴収される。その本人に収益がない子どもなら、鼻で笑える程度なのだろう、パンカロッレ家にとっては。が、働く、そして成人年齢を迎えれば、応じて税は上がる。逆に、成人しても収益がない状態は想定されていない。確実に課税されるのだ。
 多くの富裕層では、男子はともかく、女子ならば成人したとて働かないものだ。代わりに、その家の収益を子どもらに分配し、家業を担う一員として労働しているかの様に取り繕う。女子はその蓄えを持って嫁ぐ。嫁いだ先でも一員としての分配は保障される。か、保障できない家に嫁いだなら、それこそ外で稼いでくるしかない。課税分と糧の為にも。
 ラトヤが十八になるまでならいい。だが、そこを超えるとラトヤへ分配が始まり、ラトヤは納税をすることになる。分配額に規定はないのだから、実子と同じくする必要もなく、最低の納税額を超えていれば帳面上は構わない。
 ダンテオーリオが養子枠を幾らで買い取ったかは知らないが、養子枠は、生涯の分配金になる金額が買い取り額だとは一般には言われている。
 働かなければ、ダンテが支払った額を少額ずつ貰えば済むことだ。だが、母を養わねばならない。
 他に収益を得るなら、納税額面も上がる。当主が分配額を幾らと考えていたかは知らないが、少なく見積もっていたなら、分配金と労働賃金の中から納税し、その上自活して生きていくことは困難だろうと、ラトヤは察していた。
 ラトヤの賃金が多ければいい。けれどそれは叶いそうにもない。そして、パンカロッレ家に籍がある限りは、分配金に対しての納税分が発生し、その分配金を税額から大きく上回る額面にして欲しいとは、言えない。ダンテオーリオが払った額面が、生涯の満額なのだから。
「それが返事なの?」
 奥方が先に結論の確認に動いてくれている。当主は口ごもったまま。サンドスは言いたいことが溢れて、反ってままならないようだ。
「はい」
「ルテナイ家は納得しないと思うわ。こちらの家を出たなら、押しかけてでも援助を申し出てくるでしょうね」
「いえ、勤め先はマテロ家になりますから」
「あら、そうなのね。なら安心だわ。アミア様もお寂しいもの。家にラトヤが居れば心強いでしょうし」
「いえ。海洋輸送の事業所へ勤めに出ます」
 絶句したのは、今度は奥方だ。サンドスが堰を切ったように口を開いた。
「おかしいだろ! 本来なら妻の身分を得ていたんだ! 急いでおいて、なのに家訓で延期して、今度は働けか? 生涯の保障をしてあたりまえだろ! ラトヤが働くことはない!」
「結婚した後であっても、主人が亡くなれば働かざるを得ません」
「それは、それだけの蓄えあっての婚姻だろう!」
「そうなのでしょうね。でも、それは私の代だけの話です。家を継ぐ役割を持って妻となるのでしょう? でしたら、主を失った分、次代へ繋ぐまで家計を維持するのは妻の務めです。それは、変わりません。どちらにしろ働くことになりました」
「マテロ家の分際で、ルテナイ家の息子振るからだ!」
「それでも、私本来の下仕えからは、考えもつかない家柄です、サンドス様」
 侮辱を口にしたとは、瞬時反省したらしい。サンドスがぼそぼそと詫びを漏らした。
「私はこのままここには居られません。嫁ぐまでのお膳立ての仮の姿だったはずです。その必要がなくなりました。違いますか? サンドス様」
「違わないが、だが」
「私は、ここにいては浪費するだけの存在です。いつか良い話がきたとしても、支度金もない羽目になります。私はどこかで収益を得ないといけないのに、パンロカッレ家の名が、それを許さないでしょう?」
「だったら」
「ね? ここで働けと、優しいサンドス様なら言いますか? パンロカッレ家の娘が自宅とはいえ働くことを人はどう思うでしょう」
 もう反論の口ごもりさえ漏れないサンドス。既に当主は経営を司る立場から答えは出ているし、奥方も家名の重さから身動きがつかない状況だとは判断できている風だ。カトゥーラだけは目まぐるしく交わされる会話に、逐一衝撃を受けては、驚きを口に漏らすだけだ。サンドスだけが納得しきってない。
「私は働きます。それには自由市民の籍が必要です。この家のではなく、働くに相応しい程度の家の籍が。そして、先ずはそれを買わないといけません」
「それがあなたの母の家の籍ということね?」
「はい、奥様」
「すまないな、ラトヤ」
「いえ。旦那様、奥様、サンドス様、カトゥーラ様、恩を返せなく、わがままを申し出ているのは分かっています。ですが、ダンテオーリオが私に残してくれた、折角の自由市民の身分は持っていたいのです。奴隷にはどうか戻さないでください、それだけをお願いします」
「勿論よ。隠しても仕方ないと思うから、話すわ。確かに、ダンテオーリオが私に払った額は、一時的という事で話をつけたの。私は相当額を申し出たのよ。彼と合わずこの家に戻ってくるなら、娘として迎えるのだもの、腹いせもあってその分多く要求してやれとも思ったから。けれど、彼は、一時的な言い値を申し出てきたの。帰さない、と言ったの。この家にはね」
 ラトヤは瞠目した。それは嫉妬だったのだろうか。この家にサンドスが居るから。でも、この家に娘として戻れば、サンドスの愛を受ける事もできなくなる。嫉妬ならば好都合だったろうに。
「奴隷を一人失う事への違約金は、既に彼から貰っているわ。だから、この家の籍を出るなら、ラトヤには養子枠を売った金額を返すけれど、多くはないという事ね。その分、あなたのお母様の家を復興するのに使ったのだと思うわ。彼をかばうならね。ケチではなかったもの」
 瞠目していた瞳を、そろそろと開いた。涙が溢れてくる。
 彼は私の帰る家まで用意してくれていたのだ。彼に嫁ぐことも、戻ることも、私の自由だった。それをくれたのだ。これを愛と呼ばずに何と表現するのだろう。
 感謝して素直に頷いていれば、母の家から嫁ぐことだってできた。嫁がず、母の家で暮らす市民となることもできた。求婚は続いただろうが、尊重はしてくれただろう。
 無償の愛だった。
 何故、今になって後悔しているのだろう。どんな形であれ、注がれた愛を受け取れば良かった。
 ダンテオーリオ、あなたの愛を。
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