みんなの心の傷になる死にキャラなのに、執着重めの皇太子が俺を死なせてくれない

兎束作哉

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第7部1章 大人になっていく僕らの試練

10 忘却竜ウヴリ

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「黒い、竜……?」


 ドクン、ドクン、と心臓が嫌なリズムで早鐘を打った。
 その黒い竜というのはただの飛竜ではなく、神話時代を生きた竜――だろう。なんとなくそんな気がした。だからこそ、俺の足はすくんで動かなくなる。
 それはきっと、あのオセアーンの予言通りのもの。帝国に災厄が訪れるというあの予言が、今まさに現実になろうとしているのではないか。


「――ニル!!」
「……っ、は……あ、せし、セシル?」
「大丈夫か。顔が青いぞ」
「だ、大丈夫……これって、あの予言……なのかな」
「分からない。ただ、お前がそう感じているのであれば、そうなのだろうな」
「何その不確かなもの……けど、そうかもしれない」


 セシルに言われ、俺はだんだんと実感がわいてくる。
 この敵襲というのは、きっと神話時代を生きた竜が俺たちを襲ってきたということではないか。そして、それは竜を冒とくした人間への天罰。


(どうすればいい……? こんな夜に奇襲なんて、動きにくいだろうし……)


 暗がりの中、戦闘ともなれば苦戦を強いられるのは火を見るよりも明らかだった。しかも、何の対策もなしに、祖竜に連なる竜を相手にできるわけもない。騎士団長である父がいたとしても、新魔塔の管理者フロリアン卿がいたとしても。セシルがいたとしても……
 俺は、寒さとは違う震えに襲われていた。
 どう対処すべきか全く頭に浮かばないのだ。少しでもこの状況をどうにかするための打開策を出したいのに、頭がうまく動かない。


「ヴィルベルヴィント。ニルを安全なところまで運んでくれ」
「セ、セシル!!」


 セシルは、銀色のリングに手を当て、竜のもとへ向かうのだと顔を前に向けていた。
 俺は、彼の腕を必死につかんで首を横に振る。
 俺だけ逃げるなんてこと絶対に嫌だ。そう思っていると、ゼラフが口をはさんだ。


「お言葉だが、皇太子殿下。そりゃ、愚策だぜ」
「皇太子である俺の命令を聞けないとでもいうのか」
「俺の主人は、皇太子妃であるニルだ。まっ、皇太子であるテメェの命令も聞かなきゃいけねえんだろうけど……だが、従えねえのは他に理由がある」


 ゼラフは、少し言いよどみ、それから顔を上げた。
 ローズクォーツの瞳を細め、暗闇を見やる。


「竜は、きっとニルの血に反応する。俺がニルを連れて逃げてやってもいいが、きっと追って来るぞ? そもそも、その竜の目的も分からねえのに、逃げたら、無駄に被害が出る。そんなの、お前も望んでないだろう?」
「……そうだな。それは、貴様の言う通りだ。ヴィルベルヴィント。しかし、だとすればニルに危険が」
「それも大丈夫だろ。言ってたじゃねえか。竜は竜を殺せない。それは、いってきでも竜の血が入っていれば、家族とみなして攻撃ができないと。竜が竜を殺すこともまたできない。竜殺しの呪いのようなものをその身に受けることになる。そういうように、竜を作った神様が竜に設定した枷だ」
「さすが、詳しいのだな。ヴィルベルヴィントは」
「ハッ、これくらい常識だっての。んで、ニルを連れて逃げたところで、逆に狙われるし、俺も死ぬしで何も解決しねえと思うが?」


 ゼラフはそう口にして、セシルを見た。
 セシルは、彼の言葉を受けて、考え込むようなそぶりを見せた。
 確かに、ゼラフの言う通り、俺だけは安全地帯にいるといってもいい。俺は、竜の血が流れているために竜に好かれるのだろう。そして、祖竜に連なる竜が現れたとしても、俺はめったなことでは死なないし、殺されない……となれば、俺が前線に立ってその竜と対話すべきだろう。
 もう一度、セシルとゼラフを見た。
 セシルの夜色の瞳には、案の定不安が浮かんでいたが、ゼラフの言い分には納得しているみたいで、俺だけを逃がす、ということはもう頭にないようだった。と言っても、俺を不安がる心は消えないのだろう。


「俺も一緒にいるよ。セシル。それに、昼間言ってたじゃん。フロリアン卿が、俺は竜と人間をつなぐ架け橋になれるかもって。だから、剣も下ろして。まず、対話をしよう」
「ニル、怖くないのか?」
「あはは……怖いって言っても何にもならないよ。怖いのは、お互い様でしょ。オセアーンはあの時、俺に助言はくれなかったけど、どうにか対処方法が見つかったし」


 対話をする。

 まあ、話が通じる相手とは思わないけど、やれることがあるとすればそれだろう。

 俺は、彼のリングを撫でた。
 俺も、自分の命の危険が迫れば迷わず剣を抜いてしまうだろう。でも、それじゃいけないんだと俺は拳を握る。俺にしかできないことがあるなら、俺はそれをしたい。


「俺も怖いよ。でも、君がいるから頑張れるんだよ」
「ニル……分かった。俺たちも向かおう」


 セシルは覚悟を決め、俺たちに伝言を伝えてくれた騎士に、案内するように促した。騎士は、俺たちを戦地に連れて行くなど到底できないと言ったように戸惑いの表情を浮かべていたが、セシルの命令とあれば無視はできない。
 俺たちは、案内されるまま天幕の間を縫って竜が現れたという場所まで案内してもらう。


「ゼラフ」
「んだよ。ニル」
「ありがとね。セシルのこと納得させてくれて」
「別に? 俺は事実を言ったまでだ。それに、お前だって俺が言わずとも引き下がらなかっただろうが」
「確かにね。でも、君がいてくれてよかった。守ってくれるでしょ?」
「そりゃ、守るだろ。お前の騎士なんだから」


 走りながらゼラフにそう話しかけると、彼は少しぶっきらぼうに返した。
 何ともゼラフらしい返し方だな、と俺は笑みがこぼれた。
 でも、きっとこの先笑ってはいられない惨状が待っているのだろうと思うと、やはり心臓は痛かった。
 しばらく歩いたところで、開けた場所に出た。そこにはすでに騎士たちが隊列をなし、現れたという黒い竜と、飛竜たちに剣を向けていた。


「ニル!?」
「父上」


 俺に気づいたのは父で、彼はなぜ俺がここに来たのか理解できないようだった。
 伝言係を送ったのは父だったか。そう考えながら、俺は自身の覚悟を父に見せる。父は、俺の顔を見ただけで理解したが、頭が痛いというように額に手を当てた。


「皇太子妃殿下。やはり来てくださいましたか」
「フロリアン卿……はい。昼間に貴方の言葉を受けて、俺が、皇太子妃として……氷帝の血を引くものとして何をすべきか考えた結果、ここに来ました」


 心配で意を痛めている父とは違い、フロリアン卿は待ってましたと言わんばかりに顔を向けた。相変わらず、表情に色はなかったが、彼は俺がここに来るのを予期していたようだ。
 ただ、こんなにも早く竜の襲来が訪れるとは思っていなかったようで、彼の顔は俺を見つけるまで険しかったように思う。さすがのフロリアン卿でも、竜への対策は万全じゃないらしい。それもそのはずで、彼の得意分野は竜にまつわる研究ではなく、人間のための魔法の研究だからだ。
 ただ、俺がこの場に来たことでどうにかなるかもしれないと希望を見出したらしい。


(……って、大口叩いたけどさ。俺に何ができるんだろう)


 竜と会話できるのは、現状俺だけだろう。フィルマメントや、レティツィアがここにいるでもない。
 俺の言葉が、竜の心を動かすことができるだろうか。
 空を見上げれば、夜空を覆いつくすように飛竜たちが列をなしバサバサと大きな翼を羽ばたかせていた。
 そして、その奥、月に被さるような大きな黒い竜が俺たちを見下ろしていた。その瞳は灰色で翼も、前足も、爪も他の飛竜とは比べ物にならないほど鋭くたくましかった。
 ディーデリヒ先生が言っていた三体の竜のうちのいずれかだろうか。


(雌の竜……でも、この大きさは……)


 竜の姿に戻ったオセアーンほどではないとはいえ、全長三十メートルに近い大きさをしている竜が空を覆っているのだ。普通の人間であれば卒倒していただろう。


(オセアーンは、島を覆うくらいの大きさだったから……それよりは小さいのかもだけど……)


 オセアーンはさらに祖竜に近い竜種だ。血が濃く、自然現象を操る竜だったため、大きさはかなりのものだった。もちろん、その姿を見たわけではないが、心臓の大きさを見る限り、考えられる想像の範囲内で、オセアーンの大きさは異常なものだ。
 それに比べればかわいいものと思うが、それでも、十階建ての建物ほどの大きさの竜が頭上にいると思うと、全身の筋肉が固まり、絶望を覚えても無理がない。そんな竜が急降下してきたら、ひとたまりもないからだ。
 俺は、黒い竜を見上げる。すると、その黒い竜の灰色の目が細められた気がした。


(今……目が合った?)


 ハッとし、俺はフロリアン卿のほうを見た。


「竜たちは、何で攻撃してこないんですか。それから、どこから現れたんですか」
「竜たちが攻撃してこないのは、こちらから攻撃を仕掛けていないからでしょう。竜たちは賢い生き物ですから。もちろん、これ以上敵意を露にし、攻撃を仕掛けでもすれば、一斉に襲い掛かってくるでしょう。しかし、飛竜たちが大人しくしているのはまた別に原因があります。あの黒い竜――」
 フロリアン卿は黒い竜を指さすと、眉間にしわを寄せ目を伏せた。
「ディーデリヒから聞いていると思いますが、あの雌の竜は忘却竜ウヴリと呼ばれていた竜で間違いないでしょう」
「忘却竜、ウヴリ……」


 確かに、ディーデリヒ先生が言っていた中にあった名前だ。
 そして、フロリアン卿はその姿を見ただけで、どの流加分かったというのだ。魔塔の人間だから、そういうことには詳しいのだろう。


(竜たちが攻撃してこないのは、俺たちの行動を監視しているから……それで、攻撃をしないようにと、父とフロリアン卿が指示したから、ってところでいいのかな)


 だから、どちらも手を出さずににらみ合っている状態らしい。
 しかし、竜は繊細な生き物がゆえに、こちらが感情をむき出しにすれば豹変し襲い掛かってくる可能性もある。だが、飛竜たちを従えているあの黒い竜――忘却竜ウヴリが指示を下さない限り、この無数に飛んでいる飛竜たちは攻撃を仕掛けてこないだろうというのだ。
 竜の中にも上下関係があるのか、と驚きもあった。胸には強いボスが必要だが、竜にもそういうものがあるのだろう。
 でも、あの竜の機嫌を損ねたらどうなるか分かったものじゃないと固唾を飲み込む。


「皇太子妃殿下、信じてもらえないかもしれないが、あの竜はいきなり現れたのです」
「いきなり……前兆とかは」
「……それかもしくは、我々のことを監視していたが、我々が認識できていない……いや、認識した記憶すら消されてしまっている可能性があります」


 フロリアン卿は、振り絞るようにそう言うと目を見開いた。
 その言葉を受け、俺は一瞬頭の中がこんがらがった。
 俺たちが認識していたが、認識していないことになっている……つまりは、記憶の消去。


「粗粒から離れるにつれ、竜の能力は人間に干渉するものへと変わっていくという話もご存じですよね」
「ディーデリヒ先生に聞きました。それが、あの竜の力だっていうんですか」
「非常に厄介な話ですが、その通りです」
「記憶を消去させる力……」


 そんな人知を超えた力にどう立ち向かえばいいというのだろか。
 しかも、竜ともなればそれを悪意もってしているわけでもない。それが竜たちの当たり前になってしまっているというのだ。
 オセアーンもそうだったが、基本的に竜は人に興味がない。

 とにかく、ウヴリと呼ばれるあの黒い竜は厄介だな、と俺は抱いてはいけないと思いつつも胸に不やんや恐怖が渦巻いた。
 あの大きな竜に俺の言葉を届けなければならないのかと。はたして、その声は彼女……の耳に届くのか。
 前髪の生え際からじんわりと汗が染み、タラリと頬を伝って流れていく。極寒の地のはずなのに、そこは緊張渦巻く地獄と化していた。もう寒さなど怖くないと思えるほどに、目の前に圧倒的な存在を前に、俺たちは気おされていたのだ。


「セシル……?」
「大丈夫だ。ニル。俺がついている」
「……うん。ありがとう。君がついているもんね。大丈夫」


 セシルに肩を叩かれ、俺は改めて深呼吸をした。
 恐れていても伝わらない。こちらから心を開かないことには対話など不可能だ。
 もう一度空を見上げ、彼女の灰色の目と視線を合わせる。すると『フオォオオオオオオオオオオ!!』という叫び声と共に、ウヴリと呼ばれる黒い竜は大きく翼をひろげる。その声は空気を震わせ、俺たちの前髪をひっくり返し、数センチ後ろへ身体を押した。それだけで、ウヴリの存在感がさらに伝わってくる。ただ一度咆哮しただけでこれほどの威力。実際に滑空し、その大きな腕で攻撃されたらひとたまりもない。

 飛竜たちは、ウヴリの咆哮を受けても絶えず空で翼を広げたままだった。
 もしかして、目を合わせるのはダメだったか? と思っていると、空を覆うように大きな灰色の魔法陣が浮かび上がる。ちょうど月を覆い隠し、発光した魔法陣は一瞬にして光の粒子となった。その眩しさに、目を閉じていれば、ふわっと何かが俺たちの目の前に舞い降りた気配を感じた。


「あなたが、氷帝のお子?」
「……っ」


 目を開くとそこにいたのは小さな少女だった。
 真っ黒な髪は地面につくほど長くぼさぼさで、白いリボンを髪に巻き付けていた。大きな瞳はオセアーンと同じ縦長の瞳孔で、灰色だ。
 服は真っ白な布切れ一枚を身体に巻き付けていた。白い肌には、黒いうろこのようなものが見える。


「忘却竜ウヴリ」
「……そう、あなたたち人間がそう呼ぶもの。ウヴリは、ウヴリ」
「………………ウヴリ、は、何で俺たちの前に現れたの?」


 目の前にいるのは七歳ほどの少女だ。
 しかし、その圧倒的なオーラに俺は彼女が人間でないことを悟ってしまう。当たり前だ、あの魔法陣と共に空に浮かんでいた黒い竜が消え、この少女が現れたのだから、彼女がウヴリじゃなければなんだというのだ。
 俺は、一歩後ろに足が下がりそうになったところを何とか踏みとどまり、ウヴリと目を合わせた。
 彼女の顔は感情の読み取れない無表情で、大きな瞳を絶えず俺に向けていた。会話は、とりあえずできるようで少しだけ安心する。オセアーンのことがあったため、会話はできるよな、と安心していたが、それがどの竜も同じとは限らない。
 ウヴリは目をパチパチさせた後「そう」と短く言って頷いた。


「ここは、おじいちゃんの眠る場所。人間が立ち入ってはいけない。静かに眠らせて」
「氷帝が封印されている場所ってこと……? だから、立ち去れと? 立ち去ったら、何もしないでいてくれるんですか」


 なんて言えばいいか分からない。
 ウヴリの感情の感じられない声が頭に響いてくる。
 ハーゲル男爵領に、氷帝が眠っているというのだろうか。だから、昼間に竜の息吹と呼ばれるものが俺の耳に聞こえてきた?
 ウヴリは忠告しに来たというのだろか。俺たちがここから立ち去れば、災厄は回避できるというのだろうか。
 頭の中にはぐるぐるとあれやこれやと回っていく。だが、答えなど見つからなかった。
 現れた理由が分かったとして、俺たちがどう対応すればいいからわからないから。


「何もしない? あなたには何もしない。あなたは、おじいちゃんのお子だから。ウヴリはあなたには何もしない。でも――」
「……っ!!」


 ウヴリが手を横に広げた瞬間、その方向にいた騎士たちが一斉に後方へ吹き飛ばされた。その中には、フロリアン卿や父の姿があった。


「父上……っ!!」
「あなたが、特別であって他の人間は違う。オセアーンのお兄ちゃんが死んだのは人間のせい」
「待って、ウヴリ、そう……だけど、俺たちじゃない」
「あなたは、人間の味方? 竜の味方?」
「俺は――」


 ウヴリはもう片方の腕を横に伸ばす。また、同じようにそちら側にいた騎士たちが風に吹かれて飛んでいく紙のように吹き飛ばされてしまった。
 その光景は、先ほどの方向に似たものを感じた。翼を広げたその衝撃波で人が飛んでいくような。目の前にいるのは七歳の少女なのに、その力は圧倒的なものだった。
 オセアーンのときもそうだったと思い出したが、もうすでに俺は人の手ではどうしようもない存在の前にいるのだ。逃げられるわけがない。


(俺は、殺されないにしても、このままじゃ、みんなが……)


 ウヴリの表情は変わらない。でも、明らかに怒っているのは分かった。オセアーンの名前が出てきたということは、すべてを知っている。前魔塔の人間が悪いとはいえ、竜たちは人間を、人間というひと固まりでしか認識でないのだ。
 だから、ここにいる人間はすべてウヴリの敵とみなされている。俺が何を言っても、彼女はきっと聞いてくれない。俺の声なんて初めから届くはずもなかった。
 彼女は初めから人間を敵として認定していたから。こんなの、対話が成立するわけがない。


「……っ」


 俺が動けずにいると、視界に銀色と赤色が映り込む。
 俺は正気を取り戻し、顔を上げた。そこには、セシルとゼラフが彼女と俺の間に割って入ったのだ。
 二人の手には剣が握られており、彼女と敵対する気が感じられる。
 空中で見守っている飛竜たちの殺気が俺たちに注がれるのを感じた。敵意を見せれば、俺たちはハチの巣にされる。俺は、二人に待ったをかけようと口を開いた。このままでは、この調査に来ている人たちが全滅してしまう。


「――待って、二人とも」
「あら、勇敢なのね」


 ウヴリは少しだけ嬉しそうに笑った。しかし、笑ったのもつかの間、ウヴリが両手をかざしただけで、二人はいとも簡単に後ろに吹き飛ばされてしまった。
 二人は近くにあった木々に激しく背中を打ち付け、そのまま地面へと倒れた。本当に一瞬の出来事だった。
 二人が俺の横を高速で吹き飛ばされていったかと思ったら、次の瞬間には痛々しい音が後方から響く。


「セシル! ゼラフ!!」


 あの二人が何もできずに吹き飛ばされてしまった。俺は、何もできずにその場で立ち尽くすことしかできず、目の前が暗くなっていく。
 ウヴリの力を目にした残りの騎士たちも、どうすればいいかわからず剣を握ったまま立ち尽くしていた。
 当たり前だ。手を広げただけで、吹き飛ばされ気を失ってしまうという現実を目の当たりにし、誰が突っ込んでいけようか。

 ――俺は無理だ。

 ウヴリは固まる俺の頬をするりと撫でる。その瞬間、全身の毛が逆立ち、一気に血の気が引くのを感じた。
 殺されないとはいえ、俺の身体は限界を迎えそうになっていたのだ。
 今まで感じたことのない恐怖が俺の身体を蝕んでいく。身体の自由をすべて奪われた感覚だった。心臓を鷲掴みにされていて、俺の行動によってその心臓がひねりつぶされてしまうような恐怖。
 呼吸すら忘れていた。全身の穴という穴から汗がにじむ。


「怯えないで、氷帝のお子。あなたは殺さない。あなたは、ウヴリたちと一緒に行くの。一緒に生きるの。あなたは長くないかもだけど、そのほうが幸せよ」
「違う……俺の幸せは、俺が……」
「あなたは人の世で生きるのは辛いわ。それと、あなたの子どもも」
「フィル……っ、違う、俺たちは人間だ!!」


 手を振り払おうと顔を上げたその刹那――彼女の細い腕が宙を舞った。
 赤黒い血がその場に飛び散り、弧を描いて切り落とされた腕が飛んでいく。


「ニルに……っ、触れるな!!」
「セシ……っ」
「……………………あはっ、おもしろいのね」


 ウヴリは切り落とされた腕を拾い上げると、切断面にくっつけた。すると、すぐにも彼女の腕は再生し、指先まで動かせるまでに完治してしまう。
 くすくすと笑う彼女はどこか楽し気で、演劇を観劇しているあどけない少女のように見えた。
 でもそれが返って人間らしくなく、狂気すら感じられた。
 腕が切り落とされたというのに、彼女は悲鳴一つあげなかったからだ。


(腕が……くっついた………………?)


 驚異の再生能力。
 いや、そもそも竜は人間の姿を模っただけで、元は人外だ。仮の姿をいくら傷つけられようが、心臓を抉られない限り、再生する――

 セシルは、夜色の剣の先をウヴリに向けていた。すでに身体はぼろぼろになっており、頭から血が流れている。先ほどの衝撃でできた傷だろうと、すぐに予想がついた。そんな状態で、身体に鞭を打って俺のもとに駆け付けてくれたのだ。
 ゼラフは先ほどの衝撃で倒れてしまっており、意識がないようで反応がない。
 今この場で立っているのは、俺とセシルくらいだろう。
 たった一度の攻撃で、騎士団を壊滅させられてしまった。今残っている騎士たちでどうにかなるレベルじゃない。こんなの、災害だ。


「セシル、呪いがっ」
「殺さなければいいのだろう。それに……まず、無理だな」


 彼は珍しく諦めの言葉を口にした。彼も恐怖で立っているのがやっとだと、背中を見て気付いてしまった。
 本気で彼女を殺そうとすれば彼が竜殺しの呪いにかかってしまう。セシルだってわかっているはずだが、まず倒せないと彼は言い切ったのだ。
 俺だって、今までに起こったことをすべてを目にしているから納得している。諦めてしまっているのだ。
 この竜に勝つのは今の俺たちでは無理だと。
 ウヴリと睨みあうセシルは、息が上がっていた。今にも倒れそうなほど彼の身体は傷だらけだ。あの一度の攻撃で、彼はそれほどのけがを負ったのだ。


「セシル、いい。ダメだよ。死ぬ、死んじゃうから……」
「……あれは、対話ができない。それに、俺からお前とフィルを取り上げると宣言した。敵だと言わずして、何という」
「だけど、まだ……」
「そう、そう……そうなのね。あなたが、いるからその子はこっち側にきてくれないの。なら、あなたはいらない。その子にあなたはいらないの」


 ウヴリは訳の分からないことを口にすると、先ほどとは違う動きをしてみせた。
 細い腕が彼女の身体と同じぐらい肥大化する。その腕は竜のあの屈強な腕を彷彿とさせた。黒いうろこに覆われた鋼鉄の武装――その鋼鉄の鉄拳がセシルにに襲い掛かる。
 セシルは両手で剣を握り構え、その攻撃に耐えたが、耐えるのが精いっぱいだった。


「セシルッ!!」
「……っ!!」


 二発目と、ウヴリは殴るが、これもセシルは耐えた。しかし、徐々にスピードの上がっていくウヴリの攻撃に俺の目は追い付かなくなっていく。
 キン、カキン――!! と金属音はするものの、セシルとウヴリがどのような状況になっているか分からなかった。
 激しく打ち合いが繰り広げられ、地面を空気を振動させた。
 また、なんとかそれに加勢しようとした騎士たちがことごとく彼らの周りを取り巻く衝撃波によって吹き飛ばされていく。
 俺は、どうにかして止めなければと自身のリングに触れ、あの空色の剣を取り出した。しかし、目の前で繰り広げられる戦いに俺は入っていけそうにない。眼で全く追えないどころか、身体が動かなかったのだ。


(いや、ダメだ。このままじゃセシルが――っ!!)


 一人じゃ無理だ。
 二人でもどうにかできる問題じゃない。

 でも、俺のために戦ってくれているセシルを一人にはできなかった。
 俺は、覚悟を決めて地面を蹴る。だが、次の瞬間俺の隣を何かが通り過ぎていった。髪の毛が風の吹いた方向に吸い込まれ、激しく揺れる。


「か、はっ……」
「……ぁ……………………え……」


 地面を滑り、そして、堅く冷たい地面に叩きつけられたのはセシルだった。
 砂埃が舞い、あたりに血の匂いが広がる。
 俺は握っていた剣が、手から滑り落ちる。カラン、カラン……とガラスのような音を立てて、その場に相棒の剣が力なく落ちた。
 何が起こったのか分からなかった。しかし、あのセシルがやられたのだと脳が理解すると、身体はすぐに方向を変え、セシルのもとへ向かおうとした。だが、方向を変えることはできたものの、それ以上身体が動かず、その場で足を震わせることしかできなかった。
 そんな、情けない俺の隣を無傷なウヴリが通り過ぎていく。
 彼女は神秘的なまでに美しかった。
 その姿は俺たちの手の及ばない神のようにも見え、俺は平伏するように、懇願するように彼女に手を伸ばす。


「だめ……やだ、ま……おねがい、やめて、やめてください……」


 ウヴリは倒れるセシルの腹の上に、細い素足を乗せ、グッと力を入れる。すると。またいっそ地面にひびが入り、セシルの口から血が吐き出される。


「ぁ……あ……っ………………」


 俺はどうにか身体を動かすが、足がもつれて倒れ込んでしまう。

 セシルが一方的にやられた。
 今だって生きているかすら怪しい。

 ウヴリは、かまわず彼の腹を踏みにじり、その後足を乗せたまま彼の顔に指先を近づけた。
 何をする気だ――と俺は地面を這いつくばりながらセシルに手を伸ばした。ウヴリに絶えず「やめてくれ」と声をかけるが、彼女は少しとがった耳をこちらに傾けることはしなかった。ただ敵を殲滅する、そんな意思が見てとれてしまった。
 この場で誰も立ち上がれる人間はいない。先ほど、セシルたちが戦っているときの衝撃波を受けて、残りの騎士たちもその場に倒れてしまった。血の匂いばかりがこの場に漂っている。


「やめて………………おねがい、せしるを……」


 俺が手を伸ばすと、一度だけウヴリがこちらを振り向いた。
 灰色の無慈悲な瞳が俺を射抜く。ひゅっと喉が鳴り、俺は口を開けたままその場に固まってしまった。
 彼女の指先から白い光が放たれ、彼の頭を貫く。その音は、また空気の振動によって俺の鼓膜を刺激した。
 一体、何をしたのか――俺にはわからなかった。ただ、セシルの身体が一度大きく跳ねた。そしてまた、動かなくなる。

 ウヴリはひと仕事を終えたというように、動かなくなったセシルから足を退けると、俺のもとへ戻ってきた。
 しかし、顔を合わせるでもなく俺のもとを通り過ぎ、美しい黒い翼が背中の肉を割って生えてきた。それは、先ほど空に浮かんでいたあの大きな竜の姿と酷似していたものの、身体は人間のままだ。彼女の体を覆う白い布には、セシルの返り血と思われる赤色が付着していた。
 絶対的強者が、俺の背なかの後ろにいる。


「これで、あなたは生きていけないはず。いつでも、まってるから。ウヴリはあなたを待ってる」
「……っ」


 ウヴリはそれだけ言い残すと、翼を広げて星が輝く夜空へと飛んでいった。
 静寂が戻ってくる。それでも、鼻を曲げるような血の匂いは漂い続けていた。


「あ…………ぅ……ふっ……せし……せしる……」


 彼女が消え、飛竜たちの気配も消えた後、俺は、ようやく彼のもとへとたどり着いた。
 月明かりが俺たちを照らしている。
 悲鳴も、鳴き声も、何も聞こえない静かな夜だ。


「あ……あああっ……!!」


 セシルの身体を見たとき、俺は絶句した。
 先ほど見たときよりも、酷いありさまに、口から胃の中のものをすべて吐き出しそうになった。彼が最後に作ってくれた甘ったるいココアが、胃の中からこみあげてくる。
 セシルは、口から血を流し、身体の至る所から赤い血を流していた。あの美しい夜色の瞳は固く閉ざされており、顔には生気すら感じられない。白い肌はあざだらけで、指先一本動く気配はなかった。
 俺は、そんなセシルを震える腕で抱き上げる。そして、力の限り抱きしめた。
 冷たい身体。それは、この領地の気候のせいではないと気づいてしまった。この地が寒いせいだと言い訳ができればよかった。でも、そんな言い訳も通用しない。

 冬のような春――

 いつのまにか流れていた涙は彼の薄い頬に落ちていく。だが、止める余裕もなければ、自分が泣いているということにすら俺は気づけなかったのだ。


(何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で――ッ!!)


 心臓の音が――


「セシル――――――――――――――――ッ!!」

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目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

冷酷無慈悲なラスボス王子はモブの従者を逃がさない

北川晶
BL
冷徹王子に殺されるモブ従者の子供時代に転生したので、死亡回避に奔走するけど、なんでか婚約者になって執着溺愛王子から逃げられない話。 ノワールは四歳のときに乙女ゲーム『花びらを恋の数だけ抱きしめて』の世界に転生したと気づいた。自分の役どころは冷酷無慈悲なラスボス王子ネロディアスの従者。従者になってしまうと十八歳でラスボス王子に殺される運命だ。 四歳である今はまだ従者ではない。 死亡回避のためネロディアスにみつからぬようにしていたが、なぜかうまくいかないし、その上婚約することにもなってしまった?? 十八歳で死にたくないので、婚約も従者もごめんです。だけど家の事情で断れない。 こうなったら婚約も従者契約も撤回するよう王子を説得しよう! そう思ったノワールはなんとか策を練るのだが、ネロディアスは撤回どころかもっと執着してきてーー!? クールで理論派、ラスボスからなんとか逃げたいモブ従者のノワールと、そんな従者を絶対逃がさない冷酷無慈悲?なラスボス王子ネロディアスの恋愛頭脳戦。

悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?

  *  ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。 悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう! せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー? ユィリと皆の動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵も皆の小話もあがります。 Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新! プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー! ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!

超絶美形な悪役として生まれ変わりました

みるきぃ
BL
転生したのは人気アニメの序盤で消える超絶美形の悪役でした。

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