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第1部3章
01 事件のその後
しおりを挟む久しぶりに夢を見た。
子供の頃優しかった父親がビールの缶を投げつけ、その後暴力を振るってきたときのこと。優しかった恋人が豹変し、私に欲望を渦巻く瞳を向け、無理矢理服を脱がし強姦してきたときのことを。
思い出さないように、記憶の奥の方に閉まっていたそれらが一気にあけられ、私は男性への恐怖を思い出していた。そのトリガーとなったのが、今回の誘拐事件だった。
結局大学は、一年ほどでやめてしまったし、でもそれから頑張って通信大学に通えるようになって新たなスタートをと過去と決別したと思っていたのに。一つの出来事から記憶の蓋が緩まって、一気にあふれ出すものなんだと実感した。
でも、殿下に触れられるのは嫌じゃなかった。強引で、傲慢で……暴君の名にふさわしい男なのに――
「――っ」
「起きたか、公女」
「殿下?」
反射的に身体を起こせば、ズキンと頭が痛み、私は頭を抑えながらゆっくりと声のする方向を見た。そこには、前をあけたままシャツを着ている殿下が座っており、そのシャツの下には包帯が何重にも巻かれていた。目の下に少し隈があるようにも見え、私は首を傾げる。
「あの、殿下……」
「体調は大丈夫なのか?」
「え、あ、はい……ええと、お陰様で。と言えばいいのでしょうか。あれから、気を失っていたみたいで……どれほどの時間が経ったのですか」
見る限り、ここは公爵家ではなさそうだ。ということは、皇宮の一室か。そんなところに運ばれ看病されていたとなると、かなりの時間気を失っていたに違いないと。その間、何があったのか気になるところだが、まだ吐き気や座っていても目眩がするため、あまり頭を回転させることができなかった。
殿下は私の顔をじっと見ると、ふむ、と一人納得したように頷いたかと思えば、長い脚を組み直してフッと笑った。
「まあ、大丈夫そうだな」
「何ですか、そのいい加減は」
「言い返す気力があるなら大丈夫そうだ」
「……」
「これでも心配したんだぞ?」
と、嘘ではない、と強調するように殿下は言う。
別に疑っているわけじゃない。ただ、彼が何でもかんでも平気そうに言うのが引っかかったのだ。私を助けにくるのも一人で、怪我をしてもなんともないというように振る舞って。それが、皇太子の、未来で皇帝になるために必要な器だというのだろうか。それとも、彼がただたんにそう言った感情や考えが欠落しているのだろうか。その理由は、今の皇帝にあるのだろうが、今はその事じゃなくて―――
「殿下は」
「何だ、公女?」
「殿下は、大丈夫なのですか。その、肩……見ていると痛々しいです」
「ああ、これか。番を守った勲章だ。格好いいだろう」
「……」
「痛くは無い。ただ少し、包帯は大袈裟だな。傷は残るらしいが」
私は目を臥せた。何故だか、彼と会話を続けると心が苦しい。
本心を隠しているのか、そうではないのか。彼の言葉を信じられないからだろうか。私に気を遣っている? そんなことさえ考えてしまう自分が浅ましかった。彼が私に感情が向くことはないのに。番として死なれたら困るから。もし死があるとするのなら、自分の手で。
だから私は目を逸らした。彼の優しい手に甘やかされて泣きたくなる気持ちを抑えながら彼から顔を逸らし「そうですか」と答えたが彼は苦笑いして私の名を呼んだ。
「どうした?」
「何がですか」
「公女らしくない。いつもはもっと冷たく返すのに。何だ、負い目を感じているのか」
「感じていたらダメなのですか。私のせいじゃないですか。殿下が怪我を負ったのは」
「原因を作ったのは、あの男だ。公女が気にする事はない。それに、誘拐が事前に防げたかと言われるとそうじゃないだろ? だから、公女は気にしなくていい」
と、殿下は念を押すように言った。そうはいっても……いや、今回はその言葉に甘えようと思った。だって全く予想ができなかったことだから。予想できていたら対処ができたかも知れない。けれど、結局あんなふうにされて、誘拐されて、記憶を思い出して、嫌なことばかりだった。
殿下が助けてくれなければ今頃どうなっていたことか、考えるだけでも恐ろしい。
「それでだが公女。思い出したくないだろうが、公女を襲ったのは、敵国の紋章……敵国の奴らであっていたな」
「ええ、はい。そうですね。あと、妙なことを言っていました」
「妙なこと?」
「記憶が曖昧なのですが、誰かに指示をされたと。でも、敵国側の人間が、ではなくてまるで帝国側に仲間がいるようなそんな口ぶりでした」
「帝国側に仲間か……誰かが、帝国側の情報を流していると、公女はそう言いたいのか」
「は、はい」
目つきが鋭くなったため、もしかして、違うのか? と思ったが、殿下はあっさりと「その線もあり得るな」と呟いた。私の言葉なんて信じないものだと持っていたから以外で目をパチパチとさせていれば、殿下の夕焼けの瞳と目が合ってしまった。
「他には?」
「ほ、他にですか。とくには……そういえば、本部に現われた魔物は、そのドラゴンの卵から持ち込んだんですよね。でも、それって妙じゃないですか?」
「妙、とは」
「……皇族が主催する狩猟大会。持ち物チェックとかは入念にしているはずですし、可笑しな動きをしていた人がいたらすぐに見つかるはずです。なのに誰も目撃しなかったということは、会場にいたんじゃ無いですか。その、仲間が」
「確かに公女の言うとおりだな。しかしだな公女、あの場にいたのは女性が多い。近衛騎士団の中に裏切り者がいるとは考えられない」
「まさか、私を疑っていると?」
「何故そうなる。そうではない……そもそも、警備や、会場の建設費を出しているのはどこの家紋だと思う?」
「どこの……もしかして、シュテルン侯爵家ですか?」
「ああ、そうだ」
殿下は何処か面白げに笑う。
そんなの、一大スクープになるのに笑っている場合ではない。シュテルン侯爵家といえば、クラウトの家。しかし、クラウトが何かをしたとは考えられない。となると侯爵か。こちらも、狩りに出ていて、騒ぎが起こったときに本部近くにはいなかったはずなのだ。だとすると、シュテルン侯爵家と繋がりが深い、――
「ミステル……」
彼女ならもしかして、と思った。でも彼女もお茶会にいて。イーリスを別の場所に案内していたとしても、本部までは距離があった。だから、ドラゴンの卵をどうこうする時間は無かっただろう。でも、作戦の一部として、私の誘拐があったとしたなら、もしかしたら、イーリスにお茶をかけたのはイーリスを巻き込まないため? もしくは、私が誘拐されるところを目撃する人を減らすため? と色んな考察が出てきた。
また、シュテルン侯爵家と、トラバント伯爵家は繋がりが深いため、警備は八割ほどトラバント伯爵家がになっている。シュテルン侯爵家かトラバント伯爵家が魔物の侵入を許した、ということは考えられる。となると、彼らは敵国と繋がっているということに。
「殿下は、どちらかだと睨んでいるんですね」
「さすが、鋭いな。公女は」
「……」
「どうした? 何かまだ気になる点でもあるのか?」
「いえ、公爵家は疑わないんですね」
「疑う必要がないだろう。さすがの公爵も、娘を誘拐させたりはしない。デメリットしかないからな」
「確かにそうですが……」
お父様のことはよく分からない。利用できなくなったら捨てられるっていう可能性だってあるわけだし、信用しきれない。
この話題を続けていると、何もかも信用出来なくなってしまう気がして、私はそれ以上聞くことも、尋ねることもしなかった。それから私達の間に長い沈黙が訪れた後、殿下が思い出したように口を開いた。
「公女、狩猟大会の結果についてだが――」
「狩猟大会の結果?」
私がその話題に興味を示せば、待っていました、といわんばかりに、彼は口角を上げた。
「公女にプレゼントを渡そうと思っていたんだ。勿論、一位という称号も勝ち取ってな」
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