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第1部3章

07 中途半端な愛情

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「――聖女様に、お見送りして貰えばいいものの」
「来たか、公女」
「来たか……じゃありません。全く貴方は、まるで子供のようですね」
「公女こそ、拗ねた子供みたいじゃないか」


 いつもと服装が違うのは、これから敵国に出向くからだろう。服の下には防弾着を着ているのか、少し胸元が厚い気がする。また、帝国を象徴する白い太陽のような、純白の服に身を包み、その腰には剣を下げていた。戦場に行くわけでもないのに、かなり武装しているようにも思え、不安が募る。
 何でも、敵国の王族と直接話し合ってくるらしい。戦争をやめようと、簡単にまとめればそんな話を。
 しかし、出発時間になっても殿下は皇宮から出ようとせず、マルティンが話を聞いたところ、私に見送って貰うまではここを動かないといったらしい。本当に人騒がせな人だと思った。私が見送らなくても行けばいいのに。


「最近では、聖女様とよく一緒にいるようですが。何故私なのですか?」
「番に見送って貰えれば、やる気も出るだろう」
「番には何もそういった効果がないと言ったのは殿下ではないですか」
「気持ちの問題だ。公女はロマンチストではないのか?」
「では、殿下はロマンチストだと」
「まあ、見送りに来て貰えるだけ、俺は公女の嫌われていないということか――」


 ぼそぼそと殿下は何か呟き、パッとわざとらしく顔を明るくすれば、私の髪をすくい上げた。私の髪の毛が好きなら、切ってあげるというのに。これは、社交的な何かなのだろうか。貴族の……皇族の癖みたいな。
 どうでもいいけれど、他の女性といた男に触れられたくないとそう思ってしまう。心なしか殿下から、いつもはしない匂いがした気がした。そう、イーリスの纏っている温かな春の花の匂いのような。
 番は、本能的に、他の人の匂いをつけていると、気分や体調が悪くなるらしいから、私が心底腹が立っているのはそのせいだろう。いらないところに番の効果が出てこなくても良いのに、と私は舌打ちをしたくなる。けれど、そんな顔で殿下は見送られたくないのだろう。私だって嫌だ。


「見送りに来たので早くいって下さい。マルティンさんが困っていましたよ」
「彼奴はいつもそうだ。だが、公女を呼んできたことだけは賞賛に値するが」
「…………いいから早くいって下さい。大切な敵国視察、なんでしょ?」
「和平交渉だ、公女。まあ、上手くいくとは思っていないがな。これまで、暗殺者を送り、公女まで誘拐し強姦しようとした奴らだ。帝国に対しての恨みは底知れないだろうしな」
「そうですね」


 思い出したくないことを思い出させた。
 殿下はそんな敵意むき出しの国に行くのは怖くないのだろうか。護衛をどれだけ連れて行っても、隙が出来れば殺されるかも知れない。数で押されるかも知れない。彼は、恐怖を感じないのだろうか。私だったらそんなところにいきたくない。火の海に飛び込むような真似はしたくないのだ。


「怖くないのですか」
「怖くないか、そうだな、怖いかも知れないな」
「あっ、いえ……あの」


 思っていたことがそのまま口に出てしまい、私はしまったと顔を上げたが、殿下は、悟りを開いたような穏やかにも、寂しげにも見える顔でそう答えた。彼の真意が分からない。
 怖いなら逃げればいいのに――いや、逃げられない。だって彼は皇太子で、この国を背負っていかなければならない使命があるから。彼は逃げることができないのだ。
 それに比べ、私はヒロインと結ばれるかも知れない殿下を置いて逃げようとしていた。半年でも自由になろうと。浅ましいことこの上ない。


「もし帰って来れないようなことになれば、公女を未亡人にしてしまうからな」
「だ、誰が未亡人にですって!?」
「番なんだ、そういうことだろ?」


と、殿下はいつものように意地悪に笑う。

 確かに、番は他殺、自殺されると契約したまま片方が死んだことになって、再び誰かと番うことはできない。殿下のいっていることはあっているのだが、あまりにも飛躍しすぎている。


「心配するな、公女を一人残して死ぬことはない。公女はドンと構えていればいいさ」
「……殿下、お忘れのようですが、私達の寿命は残り半年ほどです。その間に、私達の間に愛が生れなければ共倒れですよ?」
「そんなことは知っている。だから公女、俺から離れていくな。残り時間が短いというのなら」
「噂に聞くのですが、聖女様が、殿下の呪いを解く方法を探しているそうですね。それも、もう少しで解明できそうだという所まで」


 私がそう言うと、それまで機嫌のよかった殿下の顔が無表情になる。それから小さく舌打ちをした。


「余計なことを」
「……やはりそうなんですね。でも、いいじゃないですか? 殿下は死ぬこともないでしょうし」
「公女はどうするつもりだ」
「呪いで死ぬのなら……殿下がこれまで殺してきた番と同じように殺して下さい。殿下を独り身にすることはできないですし、そうすれば、番契約も解除できます。ですから――」
「黙れ」


と、殿下は私の手首を思い切り押さえつけ、じっと目を覗き込んでくる。いつぞやもこんなことがあったな……と私はその真剣な瞳に射抜かれたように動けなくなりながら、頭の隅で思っていた。この瞳にとらわれると動けない。何もできないのだ。


「公女はいつもそうだな。俺に興味がないのか?」
「それは殿下も同じなのでは?」
「俺も同じ? ハッ、だったら公女の目は節穴だな。誰も、嫌いなヤツに見送りにこいとは言わないだろう」
「てっきり嫌がらせかと」
「……」
「殿下、痛いです。離してください」
「……嫌だといったら」
「私は暴力を振るう男が苦手です。この間の事もあってよりいっそ、乱暴にされると、自分はゴミ以下なんだと、そんな気持ちになります」


 私がそう言うと殿下は手を離し、また舌打ちをした。そういう所は素直でいいのだが、何故彼は私に構うのだろうか。
 殿下に捕まれた手首を触りながら、機嫌悪そうに髪の毛を掻きむしる殿下を見る。不満げな夕焼けの瞳を見ていると、こっちも苛立ちが募っていく。
 早く見捨てて、イーリスと仲を深めればいいのに。その方が……きっぱりと捨てられる方が気が楽なのに。こんな中途半端に私を繋ぎとめないで欲しい。私も期待を捨てきれないから。
 私達の間に重苦しい雰囲気が流れる中、慌ててやってきたマルティンが「殿下、そろそろ出発しなければ」と殿下に詰め寄る。殿下は私の方をちらりと見た後、渋々といった感じにその身を翻し、私に背中を向ける。見送りに来て欲しいと言ったくせに、見送りの言葉はいらないんだと、やはり彼の気まぐれだったかと、私も部屋に戻ることにした。


「公女――ロルベーア」
「……っ」
「行ってくる。帰ったら、覚悟しておけ」
「……な、何をですか」
「帰ったら抱くといっているんだ。分かったな」
「は……え……」
「番を、俺を見送れ。公女」


と、あまりにも強烈な言葉を吐いた後、呼び出した最大の目的を口にする男。

 足が止り、強制的に彼の方を見てしまう。夕焼けの瞳と目が合って、私はその場から動けなくなる。


「い、いってらっしゃい、ませ……殿下。お気を付けて」
「ああ」


 私が見送りの言葉をかければ、殿下はフッと笑って、馬車へと乗り込む。殿下が乗ったのを確認すれば、マルティンも御者台に駆け上がり、馬を走らせ始めた。
 その場に残された私は、彼に掴まれた手首をぎゅっと握りこみながら見えなくなっていく馬車を目で追いかけて――それから見えなくなってからも、私はその場から動けなかった。

 ああもう……どうして……いつもあの男は無遠慮にズカズカと入ってこようとするのだろうか。
 そして、そんな彼に期待している自分もいた。ジェットコースターみたいだ。こんなにかき乱すのは、後にも、先にも彼だけなのだろう。
 頬に手を当てなくとも分かるくらい、私の頬は熱で紅潮していた。


「……最低」

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