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第2部1章
09 罪と罰
しおりを挟む「――何で、どうして当たらないの!?」
「ハッ、そんなお粗末な攻撃が、俺に当たると思っているのか? 知っているだろ、俺のことを……戦争の英雄、血濡れの皇太子か。幾度となく戦争を潜り抜けてきた英雄を、そんなもので殺せると思っていたのか? 単細胞はどっちか、明白だなあ」
蝶が舞うよりも、美しい舞いを舞うように、殿下の剣がまるで蝶の命を刈り取っていく。それは不思議な光景で、思わず見惚れてしまった。だが、戦場で――という言葉から、その蝶の命が、人間の命と重ならないはずなのに重なって、その剣で、幾数の敵兵の首を狩ってきたのだと思うと、恐ろしくて体が震えてしまう。
でもそうしなければ、帝国に平和は訪れず、戦争が長引くだけ。殿下がやってきたことは、戦争においては正しい行動だった。
「で、殿下、鱗粉を吸い込むと、痺れが!」
「ああ、分かっている。公女は、心配性だな!」
殿下は、蝶の鱗粉を避けながら、素早く、剣をふるい、蝶を切り刻んでいく。刃に触れた瞬間に消えるそれは、先ほどよりも数が多い気がしたが、それでも殿下の勢いは止まらず、温室を縦横無尽に駆け巡りながら蝶を殺していく様は圧巻だ。あのスピードと動きについていけるものはなかなかいないだろう。
殿下の実力がここまでとは思っていなかったのか、シュニーは悔しそうにまた爪を噛んでいた。
一匹、二匹と数を減らしていき、シュニーも魔力が減ってきたのか、蝶が生まれる数は格段に減った。それでも、魔力量があるためか、シュニーは対応し続ける。差は明確なのに、その執念からか、諦めるという言葉は彼女の中から消えてしまっているのだろう。
「この化け物っ!」
「何とでも言え。貴様らが、優雅に茶を飲んでいる最中、俺たちは必死に敵兵と命を削り合った。戦場では、優しいやつから殺される。無慈悲になれ……とな。貴様らの平和は、戦う騎士によって守られている。それを、知らぬわけがないだろ? いくら、頭の固い令嬢でも……」
「……っ。その、無慈悲さを……日常にまで、持ち込んで、私の妹を殺したのは、どこの誰!? 戦場での話は、良いわよ。血なまぐさい、聞きたくもない! お前は、その手で妹を殺した! 妹は、敵兵でも何でもなかったはずよ! お前の番!」
シュニーは、叫びながら蝶を操り、殿下に差し向ける。しかし、殿下はブンと剣を横に薙ぎ払い、その蝶を一掃する。
「番を殺さざるを得ない状況だったからだろ。そもそも、俺を先に殺そうとしたのは、ドロップ伯爵令嬢、貴様の妹だ。皇太子を暗殺しようとしたその罪は、番だとしても重い。それを貴様は理解していないとでも?」
「ええ、理解しているわよ。でも、殺す必要があったの!? お前が、愛さないから、妹は強硬手段に出たのよ。お前といるのが苦痛だったのよ!」
「じゃあ、俺の番に何てならなければよかった。そうじゃないのか?」
と、殿下は冷たく言うと、シュニーが最後に作り出した蝶までも切り落とし、その剣をふるった。そうして、倒れこんでいる私の目の前に来て、手を差し出すと、にこりと笑った。
無慈悲な言葉を吐き捨てた男とは思えない、安堵の笑みがそこにある。
「……アイン」
「悪かったな。また、巻き込んだ」
「巻き込んだって、私が…………」
「番契約を切ろう」と、その気持ちをさらに強くさせた。この気持ちは、きっと殿下にまで伝わっている。だって、番とはそういうものだから。筒抜けの状態で、いやになるが、それについて殿下は何も言及しなかった。
「何で、何でよ! じゃあ、妹は無駄死にだったっていうの!?」
「無駄死にかどうかは、貴様が決めることじゃない。一度番となれば、その関係は永遠に続くものだ。死が二人を別つまで……だが、それに耐えきれなくなった貴様の妹は俺を殺そうとした。その罪を、償わせただけだ。その場で」
「…………っ、この、この人の心がない化け物が!」
殿下はシュニーに剣を向けると、そのまま彼女の首に刃先をあてた。シュニーは悔しそうに唇を噛み、そしてまた爪を噛んだ。血が滲むほど噛んでいるのか、唇から血が流れているのが見えた。
「何人殺したの? 四人も、番を殺しておいて、平然と。そして、その悪女を選んで。ああ、お似合いね。帝国の未来は、暗いわ。ああ、本当に……ああ」
「……」
殿下はそのまま、剣を振りかざそうとした。いくら何でも、それは、と私は殿下の服を引っ張る。
「どうした、公女」
「殺してはダメ。彼女には、罪を償ってもらうべきよ。それに……彼女も逃げた臆病者だから、妹に対する罪を償うべきよ」
「公女は優しいのか、鬼畜なのか分からないな」
「き、鬼畜って、なぜですか」
「皆、辛いときは殺せという。拷問で、なぜ人が情報を吐き出すと思う?」
「い、痛いからですか?」
「そうだ。その苦しみから逃れるために、情報を吐き出す。その拷問で、死んでもいいと、苦痛に耐える覚悟がある奴は情報を吐き出さない。そして、身体が拷問に耐え切れず死ぬ。まあ、その場合は、拷問したやつの腕が悪いってことにもなるがな。罪を背負ったまま、生きるのは苦痛だぞ? 公女は、それを強いるんだろ? この女に」
「……」
フッ、と笑う殿下の顔が少し怖く思えた。
その剣は、未だシュニーに向けられており、彼女は、その場に縫い付けられたように動けなくなっていた。顔には絶望の文字がにじんでおり、悔しくて、憎くてたまらないと、顔を歪めている。令嬢がこんな顔をしたら、誰でも恐ろしいと、ひいてしまうだろう。
まあ、少しかわいそうには思うけど。
「なぜ、妹は選ばれなかったの?」
「はあ……まだ、その話をするか」
「だって、そうじゃない。どう考えても、私の妹の方が、可愛いし、きれいだし、心だって!」
「俺の番を愚弄するとは、よっぽど死にたいようだな」
「殿下!」
「……んん。なぜ選ばれなかった、か。本当に分からないのか?」
本当に、気を抜くと今すぐにでも殺す、と言わんばかりのオーラを放つ殿下をどうにか抑え、シュニーの方を向く。目が合うと、すぐにそらされてしまい、よっぽど嫌われているんだなと、自覚する。
殿下は、言いたくなさげに、ため息をついた後、私の手を掴んだ。少し汗ばんでいて、ぬるっとしていたが、安心するその手のぬくもりに、私は落ち着きを取り戻すことが出来た。
私には、シュニーの妹……アネモニーと殿下の間に何があったか知らない。知りたくもない……けれど、シュニーにとってはそれが知りたくて仕方ない情報であり、殿下も、シュニーとの因縁にけりをつけるために、与えなければならない情報だった。
私も、それを受け止めなければと。
「貴様の妹は……貴様の話ばかりしていた。口を開けば、姉の話を。それを何度も何度も聞かされる俺の身になってみろ」
「そんな、自分勝手な――!」
「話を最後まで聞け。貴様の妹は、姉である貴様を慕っていた。そして、家に帰りたいと言っていた。番契約を結んだ以上、俺の呪いを解くために、皇宮にいた方がいいと、しばりつけられていた。俺もそんなに家に帰りたいのなら、帰らせてやると、言ったが、がんにアネモニーは聞かなかった。だから、俺はあいつが家に帰れるように、皇宮を離れ、戦場に出向いた。だが、それが、愛されていないと、不安にさせたんだろうな。このままでは、家にも帰れず、家に迷惑をかけ、いずれは呪いで心中する羽目となる……焦ったアネモニーは俺を殺そうと、寝込みを襲った。皇太子暗殺未遂だ。番以外の人間が番を殺せば、俺は番契約でずっと縛られることになる。そしたら、いずれ殺されるアネモニーも死に損だろ? だから、俺が自らの手で殺した。あの時味わあった苦痛は、今でも忘れないな……」
「……」
そういえば、と、番契約のことを思い出した。
番以外の人間が番を殺せば、残された方は天涯孤独のような、番を失い、繁殖行動もできないただの生き人形とかす……みたいな話を。だから、殿下が殺さざるを得なかった。それが、互いのためになるから。そうならないのが、いいのは誰でもわかっている。けれど、皇太子を殺そうとしたということがバレれば、タダでは済まない。それが、番であっても。
シュニーは、まだ現実が受け入れられないように「でも、でも」と呟いていた。さすがの殿下も、そこまでいっても、現実を受け入れようとしない彼女に呆れたのか、大きくため息をつき、剣を鞘に戻した。
「貴様の妹、最後に何て言ったと思う?」
「な、なに……妹が、最後、何て言ったの!?」
シュニーは瑠璃色の髪を振り乱し、縋るように声を上げ、殿下に触れようとすると、殿下はその手をはじいて、シュニーを後ろに突き放した。ドン、とその場にしりもちをつき、シュニーは痛そうにしながらも「なんて!」と、回答を求めた。
殿下は、私の身体に触れ、抱き上げると、大事なものが手元に戻ってきたと言わんばかりに、私に頬を摺り寄せ、抱きしめる。
「――『お姉様じゃなくて、私でよかった』と。貴様の妹は言った。姉が姉なら、妹も妹だな。番ったのが、自分でよかったと。最後まで、貴様のことを考えていたぞ。俺ではなく、姉を愛していたから、俺を愛せなかったんだろう」
「あ、ああ……」
「アイン……」
「今回のことは、ドロップ伯爵にきつく言う。俺の番を傷つけた罪は重いが、俺は優しいからな。数か月の謹慎は食らうと思うが、命までは奪わないことにしよう。せいぜい、自分の罪と向き合い、反省するんだな」
そう殿下は吐き捨てるように言うと、身をひるがえし、温室の扉に向かって歩き始めた。先程しまったはずの扉は、いつの間にか開いているた。温室の扉が閉まったのは、シュニーが何かしらの魔法をかけたからだろう。そして、シュニーの魔力が尽きたことで、この温室にかかった魔法は解けたと。
後ろで、シュニーが崩れ落ち、人目も気にせず、号泣しているその声が、聞こえた。静かな温室に響く、その泣き声は、悲しく、そして寂しくこだましていた。私は思わず耳をふさぎたくなったけれど、まだしびれが完全に抜けたわけでもないので、手を動かすのも億劫だった。
もうシュニーに会うことはないだろうけれど、彼女はこれからどうやって生きていくのだろうか。
「殿下、優しいんですね」
「誰かの優しさがうつったのかもな」
「私は、優しくないです……でも、殿下と、そのアネモニー嬢にそんなことがあったなんて、知りませんでした」
「話していないからな」
と、殿下は冷たく返す。何も知らないな、と自分の知らない殿下がいることに少し寂しさを覚えた。
心の中は筒抜けになってしまっているかもだけど記憶までは読み取れない。彼が、過去、何を経験してきたかとか、四人の番の話とか。聞こうとすれば聞けるのだろうけれど、聞く勇気がなかった。それに、彼は話してくれないだろう。過去の話だからって。
私は、殿下の腕の中で小さくなる。
「どうした? 公女」
「いえ、助けに来てくださってありがとうございます」
「当たり前だろ。公女は、俺を何だと思っている」
「最高にかっこいい番ですが?」
「嘘をいえ。俺のロルベーアはそんなこと言わない」
「ひどいですね。じゃあ、何て言えば?」
そう私が顔を上げると、チュッと、額にキスをされる。
急なことに、私が呆気にとられていると、殿下はふわりと優し気に微笑んだ。そして、私の身体をそのまま抱きしめた。
「ロルベーアは、素直じゃなくて、美しくて、強くて、皮肉もちょっという……でもどこかに行ってしまいそうなほど危うい、俺の番だ」
「アイン……」
「無事でいてくれてよかった。ロルベーア」
少し震えていた声。それを聞き逃さなかっただけでも、私は彼の孤独に気づけたということなのだろう。
私は彼と番になって悪いこともいいこともあった。でも、後悔していないし、幸せだ。
じゃあ、殿下は?
私と番になって、弱くなったんじゃないだろうか。足枷が出来て――
(ううん、その考えはよくない。こんなにも思って、どこにいても助けに来てくれるんだもの)
心に落ちた不安の影は、大きくなる一方だった。
私のせいで、強い彼が弱くなってしまったのなら、私が強くなって、彼を支えなければと。
でも、この不安は、きっとそれだけじゃないんだろうな、と思いながら、私は殿下のぬくもりに包まれ目を閉じた。
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